人魚とふなゆうれい
ふなゆうれいに遭ったらどうしたらいいか知っているだろうか?
ふなゆうれいというのは、海に出る妖怪の一種だ。夜に舟を出していると立ち昇るように現れ、「柄杓を渡せ」と言ってくる。素直に渡すとその柄杓で海の水を舟に注ぎ、沈没させてしまう。柄杓を渡さないと舟に穴をあけ、これも沈めてしまう。
ふなゆうれいから逃げるには幾つかの方法が伝わっているが、一番有名なのは、底の抜けた柄杓を渡すというものだ。それを渡されたふなゆうれいは、水を注ごうとしても注げず、その内消えていくそうだ。
私はふなゆうれいだ。
出会った頃の彼女は泣き虫だった。
彼女と知り合ったのは、大学の漫画サークルだ。新歓コンパと名付けられた花見に行ってみたら、彼女も新入生として参加していた。
清潔そうに整った服装をしていたと思うが、とりわけ目立つ容姿ではなかった。私たちが会話をしたのは、たまたまブルーシートで隣に座った女同士だったからにすぎない。
サークルに入るかどうか迷っている私に対して、彼女は参加を決めているようだった。中学時代から漫画を描いていたという。
彼女が漫画描きのことを随分と熱心に語るので、他のめぼしいサークル見学がことごとくピンときていなかった私は、そんなに楽しいのであれば、と入るつもりになった。
正式参加後の初めてのサークル活動で、彼女は自作の漫画を恥ずかしげに持ってきた。先輩たちが読んだ後、私にも回ってきた。
それは、とてもとても美しい漫画だった。絵が美しかったのかと考えると、確かに小奇麗ではあったのだけど、それが核心ではない気がした。ストーリーやセリフ回しも同じだ。敢えて言えば、佇まいが美しかった。陽光を受けて煌めく水の泡のように。私は一発で彼女のファンになった。
ゴールデンウィーク直前の日に、サークル室で皆で映画を見た。先輩が借りてきたDVDだ。人間ドラマ物の名作と呼ばれる作品だった。
中盤の最初の一山、というところで小さく鼻をすする音がした。目をやれば、ハンカチを握っていた。
彼女の湿度は上がったり下がったりしたが、エンディングロールが流れる頃には、彼女のハンカチは随分と重さを増していたと思う。
「私、すぐ泣いちゃうんですよね」と泣き笑いで弁解するように言っていたのが彼女の涙を見た初めてで、その後何度も目にすることになる。
半年ほどすると、大分サークルにも馴染んできた。私も下手なりに漫画を描いたりした。
彼女について分かったことがある。それは、彼女は随分と自己評価が低いということだ。
半年の間に何度も見せてもらった漫画はやはり美しく、先輩からの評価も高かったのだが、彼女は頑ななまでに自信なさげだった。
創作物についてだけではなく、自分自身の容姿や人間性についても、彼女の評価は不当に低かった。卑屈ですらあった。
世の中の自己評価の低い人間の中には、その状態で安定しているタイプもいる。彼らは自信は持てないのだが、その精神状態と折り合いをつけて生きていくことができる。
だが彼女はそうではなかった。心細くて心細くて仕方ないようであった。必要最低限快活に振舞う能力はあったけれど、それはピンヒールでタップダンスを踊るような印象を与えた。サークル内では人懐こい後輩という立ち位置に収まっていたけれど、少なくとも私には、そう感じられた。
そして相変わらずよく泣いた。映画を見ては泣き、ドラマを見ては泣き、人の話を聞いては泣き、酒を飲んでは泣いた。あまつさえ私の漫画を読んでも泣いたのだから、ちょっと普通ではない。彼女の漫画の美しさは、インクに涙を混ぜているからだろうか、と少女趣味なことを考えたりもした。
私がサークルで、いや大学内で最も仲良くしているのが彼女だった。作品のファンだったからでもあるし、不安定な性質が気になって仕方なかったからでもある。
私は何度も彼女の作品と、彼女の外見と、涙を流す感受性をほめた。自己評価が上向く様子はなかったが、頻繁に話す関係は築けた。じっくり関わっていけばいい、と思った。
いつの間にやら三回生になっていた。
彼女の自己評価は一向に上向かなかった。いやむしろ、ますます下がっていた。
いつも所在なげで、不幸せそうで、何かに責められるのを恐れているようだった。そして痩せた。講義も休みがちになった。言葉数と、サークルに出す作品数ばかりが増えていった。こんなことしてる場合じゃないという言葉と、これしかないという言葉を交互に聞いた。
彼女はもう泣き虫ではなかった。滅多に涙を見ることはなくなった。代わりに痛々しい嘆きが前よりも溢れた。
私は彼女をほめ、慰め、好意を伝えた。ほとんど必死だった。
言葉をかけると、嬉しそうな顔をする。だけれども、すぐにまた不安が肉を削るのだ。二年以上それを繰り返してきた。
偽善的な言葉を使えば、彼女はとても生きづらい性質を持っていたのだろう。人魚が海の上では長く生きられないように、この乾いた世界は彼女にとって生きづらい。
漂う小舟に一人囚われ、人魚はどんどん干からびていった。人魚には水が必要だった。存在を認められること、命を評価されること、生存を許されること、安心できること。
私は彼女を生かそうと、海に返そうと、舟に水を注いだ。万言を尽くした。彼女の漫画を世界で一番読んだのは私だ。鱗みたいでしょ、と自嘲するほど荒れた肌をそっと撫ぜたのも私だ。
だが、私の柄杓は底が抜けていた。掬いたくても、掬えない。救いたくても、救えない。
以前は私の他にも、彼女に慰めの言葉を向ける人たちがいた。彼らは、彼女がいつまでも慰めと肯定に満足しきらないので、次第に彼女の嘆きを無視するようになった。私は違う、彼女を見捨てない、彼女を決して一人にしない。
それでも、ふなゆうれいは抜けた柄杓を振りまわすしかできなかった。
四回生の春、彼女が大学を辞めた。
就職活動で忙しかった私がそれをメールで知らされたのは、もはや手続きを済ませ、離れた実家に戻った後だった。
だが私は連絡を取り続けた。電子メール、電話、手紙、など。彼女が生きていることは確認できた。でもそれ以上の、例えば傷跡が増えているかどうかのようなことは、ほとんど分からなかった。のんびりしてるよ、という言葉を容易く信じるには、人魚をそばで見すぎた。
病院に入ることになるというのは、今度は事前に知らされた。電話ができなくなる、と。お見舞いに行ってもいいか尋ねると、躊躇いの後、ありがとうと言われた。
就職も決まり、卒論もある程度目処が立っていたので、彼女の故郷に行くのはそれほど難しくはなかった。
彼女が生まれた場所は海の中なわけもなく、普通の地方都市だった。入院している病棟は思っていたより清潔だった。面会が許されているのが食堂で三十分だけだったり、時折近くの病室から叫び声が聞こえたのは、きっと些細なことだ。
彼女はまた少し痩せて、しかし元気そうに見えてしまった。
準備していった笑い話と、その場で思い付いた冗談をひたすら喋ったら、彼女は笑っていた。一緒に大学に通っていた頃のように。
社会人になると、お見舞いに行く時間はなかなか取れなくなった。メールの頻度も、どちらともなく減った。だが私は諦めていなかった。
退院した時は、夏季休暇を使って訪ねた。心配かけたね、ありがとう、もう大丈夫だよ、と言ってもらえた。
しかし、私に何がしかの手応えや達成感はなかった。
自分が彼女のために何かをできたのか曖昧なまま、二年近くが経った。
すっかりメールと電話のやりとりばかりになっていた彼女から、久し振りに手紙が来た。
結婚します、と書いてあった。
結婚相手は知らない名前の男だった。
秘密にしていてごめんなさい、今度紹介するね、という文章を読んでいる間、何故か私は細く細く呼吸をしていた。読み終わった後も、呼吸だけをして一日が終わった。ただそのことに、全力が必要だった。
その日からしばらくの記憶が、ひどくぼやけている。
「彼」は舟に水を満たしたのだろうか、舟底に穴をあけたのだろうか、彼女を閉じ込める檻を取り去ったのだろうか、人魚を陸上で生きられるようにしたのだろうか。
二人に会いに行けばヒントが得られたかもしれない。だが私はそうしなかった。結婚式にもいかなかった。
私が感じているのは、多分強い喪失感と呼ばれるものだった。彼女を助けるのは私であるはずだった。そう思っていた。他の誰でもない私が、彼女の心を満たしたかった。上手く生きられるようにしたかった。
でも無理だったのだ。
ここで私は一つの疑問に突き当たる。
どうして?
どうして彼女にこんなに関わろうとしたのだろう。
再び言い伝えを紐解こう。
ふなゆうれいは、何のために舟を沈めるのか。
それは、溺れさせた乗員を自分の仲間にするためだという。
私は彼女を助けることで、私自身の存在意義を見つけたかった。
認められること、評価されること、許されること、安心できること。それを望んでいたのは、私もだ。そうでなければ、友が退院した時に自分の達成感など期待するものか。
彼女を承認して、そして私も承認されたかった。優しい言葉の海の底、きっと二人きりで。
けれどもふなゆうれいは獲物に逃げられた。柄杓の底が抜けていたから。
ここで私は一つの事実に突き当たる。
言い伝えを紐解こう。
役に立たない柄杓を渡されると、愚かな妖怪はそれを使い続けるという。
私が渡されたのは、誰から?
決まっている、舟に乗っていた人魚からだ。一番最初に出会った時に。彼女がまだ泣き虫だった頃に。ふなゆうれいが怒って舟に穴を開けないように、笑顔で渡されたのだ。はなから彼女は、私などに満足する気はなかった。
にこやかなにこやかな拒絶に、私はずっと気付かなかった。美しさの理由を本気で考えたことなどなかった。少しは私が求められていると思っていた。
だけど。
ふなゆうれいに遭ったなら、底の抜けた柄杓を渡しなさい。船を沈められて、仲間にされないように。残念ながら彼女は、そのことをよく知っていた。
きっと、誰もが。