第二話 七渡瀬七花 2
時計をみて、「今日は用事があるんでした!」と七花が慌てて帰っていったあたりで、俺たちはそれぞれ適当に散っていく。
茜色に染まった街をゆっくりと歩いていく。半端な時間のせいだろうか、妙に人通りは少ない。もっとも、大勢の生徒が街中を歩いている姿を、果たしていつ見ただろうか。
遠くを走る車の音。或いはそれも、音だけが――。
――と、そんな妄想はさておいて。
随分遠いが、道の向こうにナナちゃんを見つけた。こちらに背を向けているから俺には気付いていない。
――さて、今俺が、このままナナちゃんの元へ全速力で駆けていって後ろから思いっきり抱きしめて頬ずりをする、なんてアララギ派な行動を取る思った人、挙手しなさい。少し、頭冷やそうか。
俺は自分の分くらい弁えている。そう、抱きついたりはしない。暦むほどの腕は俺にはないのだ。あと度胸とかな。ナナちゃんは普通に見えますからね、周りに。あれ? でも俺の運ならいけるんじゃないか? 目撃者ゼロの完全犯罪とか、実は簡単なんじゃないか? たまたま目撃者が居なかった、たまたま監視カメラが壊れていた、みたいなレベルで。いや、ばれないからってそんな幼女をいきなり抱きしめるとかしないけど。
紳士ですから。こう、影からね。そうっと見つめるだけ的なね。むしろ危ない人だよね。
なんて考えている間にも着々と距離は詰まっていく。歩幅的な問題で。にじり寄ってるとかじゃなくて。なんでみんなは俺をロリコンしたがるんだ!
まあナナちゃんはそろそろ横断歩道にあたるから、そのあたりで追いつくかな、と、のんきに考えていて。
俺は全速力で駆け出した。ナナちゃんの元へ。
点滅する青信号。
駆け出す少女。
その死角から、車が――。
間に合わない、理性がそう云っても、全速力で。
車と――
その瞬間。
ひょいっと首根っこを捕まれて、ナナちゃんが歩道側に引き寄せられた。
ここからでは相手の顔がわからないが、一言二言交わすと、ナナちゃんは方向を変えて歩いていった。
誰だかわからないが、ひとまず、よかった。
俺はペースを落として、そのまま進んでいく。
誰か、はこちらに歩いてきて、
「あ、先輩……?」
「七花?」
あちゃー、と大げさなリアクションをとって、七花がこちらを見つめる。
「見てました?」
「割と」
「そうですか」
曖昧に笑う七花。
「すごかったな」
「ヒーローみたいでした?」
「ああ」
俺は素直に頷く。七花は俺が来た方を見つめながら、
「先輩、走ってきてくれていたんですね。……もうちょっと速かったら即私ルート突入でしたね、好感度的に」
自己完結で何度か頷くと、七花は正面から俺を見つめる。
「先輩は――」
「七花、時間、いいのか? 用事は?」
まくし立てるようにそう云う。
「へ? あ、ああ、そうですね! もう時間です。いかないと」
一瞬きょとんとして、時計を見た七花はそう云うと俺とすれ違いの方向に歩いていく。
「先輩ー!」
「なんだー?」
少し離れてから、七花が大声でこちらに向けて叫んでいる。
「先輩がピンチの時もー! 私が助けてあげますよー!」
「ああ、よろしく!」
「はい! それじゃあ、また明日ー!」
「おう!」
それだけ云うと、七花は小走りに去っていく。
意気地なしの俺は、その背中を見送りながら幸福を感じていた。
「コインで銃弾ふせぐ、とかよくあるよね」
「ん?」
二人きりの部室で、唐突に凛がそんな事を云い始めた。
「よくあるか……?」
イメージとしてはよく聞くが、作品名浮かばないぞ。
「うーん……定番って案外そういうこと多いよね」
「たしかに。イメージほど多くないっていうのもあるな」
「印象の強さ、なのかなぁ……」
勘違い、というか、そういう錯覚みたいなものはよくある。
「そう云えば」
「うん?」
本当に胸ポケットにコインを入れていた凛がこちらを向く。
「あれって一枚じゃ普通に貫通するらしいぜ」
「ええ!? だめじゃん!」
なんかいろいろ台無しだよ、とぼやく。俺は机の上に散らばったコインを弄びながら、どこかで聞いた話を思い出す。
「四枚、位だったかな、たしか」
本当かどうかはしらないが。試したこともないしな。
「まあ、せっかくだから入れとけよ」
机の上のコインを摘むと、一枚ずつ凛の胸ポケットに入れていく。凛は何故かその様子をじっと見ていた。少し顔が赤い?
「どうした?」
「うん? えーっと、あの、なんか、胸ポケットにものを入れられるって、ちょっとドキドキするなぁ、とか?」
「なっ、ばっ、何云ってるんだ!?」
改めて凛の胸ポケットを見る。そこには年下に見える顔を否定するほどに存在を主張した……。
くわえて、昨日の七花と凛のやりとりを思い出す。うわ、顔が熱い。さっきは全然意識してなかったが、胸ポケットにものを入れると云うことは、その……。
ほんの何枚かの布を隔てただけの……うわ。
触れてしまったかどうか、感触を思い出そうとする煩悩を必死で追い払う。
「あ、あの、胸元から視線を外してくれると嬉しい、かな……」
凛が顔を隠しながら胸をおさえる。
「あ、ああ!? す、すまん!」
慌てて凛の胸から視線を外す。何秒間もそのまま凝視してしまっていた。
「…………」
「……んっ……ぅ」
微妙な空気が。そして何故か微妙に声を上げる凛。
時計の音すらないから、基本完全に無音だ。たまに身じろぎする凛の、衣擦れの音がやけにはっきりと聞こえる。
だ、誰か来ないかなー……。
「あー……あ、空気! 空気を入れ換えようか!」
「え!? う、うん、そうだね。なんか暑い? し?」
俺は窓際にいくとカーテンをはらい、鍵を開け窓を開けた。
冷たい空気が部室に吹き込む。正直寒い。寒い、が……。
「…………」
「…………っ」
振り返ると凛と目があって、視線を窓の外に無理矢理向ける。
実際はそうでもないのかも知れないが、時間が随分と……。
「こんにちはー……って寒いっ! 何で窓なんて開けてるんですかっ!?」
「あ、七ちゃん!」
「な、七花か」
「はい? お二人ともどうしたんですか?」
「い、いや、何でもないよ? そうだ、七ちゃんお茶飲む? いれてくるね?」
「はぁ……ありがとうございます。……先輩、何で窓開けてるんですか? 寒いんですけど……」
「ちょ、ちょっと空気の入れ換えをね? もういいかな、うん。寒いしね。閉めようかな?」
俺は乱暴に窓を閉めるとカーテンをひき、席に戻った。
「どうしたんですか?」
「え? いや? どうもしないよ?」
「先輩、なんか変ですよ……?」
「け、圭祐くんが変なのはいつもだよ、ね?」
「お、おう」
「まぁ……先輩はいつも変ではありますけど……?」
不審がる七花は、姫菜達が来てからもずっと首を傾げていた。
「おにいちゃんだー」
帰り道、俺を見つけたナナちゃんがとてとてと近づいてくる。
「やあ、ナナちゃん」
ところでこの光景、端から見たらどう映るのだろうか。どうもこうもねえよ。
「おにいちゃんってねたばれときにするひとー?」
「いや、気にしないけど?」
二周目の伏線探しとか好きだしな。勢いで魅せるタイプの作品でそれやると台無しだがな。いや、わからないだけか。
「おにいちゃんは、おっぱいせいじんです」
「うん、俺のこと俺に云うのはネタバレじゃないよ、とかはともかく、誰が云ったのかな、それ」
「へんたい?」
「まあ、否定はしにくいよね」
ろろろロリコンちゃうわっ! なんちゃって。いや嘘ですよ、本当に。
「きのうたすけてくれたひとが、そういっていました」
「一言二言がまさかそんな内容だとは思わなかったよね」
「せいだいなねたばれです……」
「別に変態とか隠してないよね。いや変態じゃないけど」
ああ、ナナちゃんが七花みたいになっていく……。
「れんたい」
「平仮名でそれはわかりにくいからやめようよ!」
「げんたい?」
「減退なのか原体なのか原隊なのかもわからないからね!?」
「はははははじょうぶだ?」
「教科書!」
「ことばあそびとだじゃれとらっぷはかみひとえ」
「全方位敵に回すのやめようね!?」
「おにいちゃん、おふろにはいりましょう」
「なんでさ!?」
「ようじょがはだかになると、うれます。うしなったこうかんどは、わたしがからだではらうのです」
「もっと敵が増えるからね!?」
一日で一体何があったんだ……。どうしてこんな残念な娘に……。脈絡に沿って話できる人って凄いよね。
「と、いうとおにいちゃんがよろこぶとききました。よろこんだ?」
「いや……疲れました……」
「こまかなところが、ちがうかもしれません。きおくはにがてですゆえ」
「なんか、ぶれてるというか、混ざってるよなぁ……」
「ものろーぐが、だだもれです?」
「優しく配列してください!」
叙述トリックは大好きだけどな。小ネタもギミックも全部ついて行くのは難しいが。
と、いうかこれはあれだな。
「どうかしましたか?」
ナナちゃんがちょこん、と首を傾げてこちらを見上げる。上目遣いだ。こう、癒されるよね、とても。
まあ、それはそれとして。
「ねえ、ナナちゃん」
「はい?」
「――本名、なんていうの?」
「……おにいちゃん、わたしのほんみょうしらなかったんですか……」
「うん、あれ? ナナちゃんは俺の本名知ってるの?」
「? もちろんです」
「あれ? 名乗ったっけ?」
「わたしも、そのときなのりましたが?」
あー、これは、ねえ? もう。
「しょっくです……。もういちどしか、いいませんよ? ちゃんとおぼえていてください」
「ああ、もちろん」
「……ななとせななか」