第五話 ツァラトゥストラの方舟(九十九圭祐) 2
「まあ、こうだろうな」
開けた場所に入った瞬間、左右の手に持った銃から弾丸を放ち、白衣の二人を沈黙される。流石に三対一は処理がややこしい。これ以上脳が混乱しない為にも情報量は最小にしておきたい。
「」
振り返った正城が何か声を発する前にその両足を撃つ。反動をうける度にそれを塗り替えているので、実際の弾丸よりも精神の問題で撃てる発数は少ない。反動に耐えられるくらい、身体能力が高ければ、こんなことに使わなくてもすんだんだけど……。
「ぐぅぁうぁぅぅ!」
倒れながら叫んでいる正城を無視して奥の部屋へ。
「姫菜」
その胸は静かに上下して、呼吸していた。
ベッドに縛り付けられた姫菜の身体には、いくつもの電極が当てられている。それを丁寧に外していく。
鷺沢、少女、白衣二名とまだ転がっている正城で五人。これで全部だ。
すべて外し終えると、まだ意識を取り戻していない姫菜を抱きかかえる。まだ、目を覚まさない方が都合がいいから。
姫菜を抱えたまま先ほどの部屋に戻る。床に這う正城がこちらを睨みつけている。
なるほど。流石、なのだろう。
這いつくばった状態で、起死回生など叶わず、何の動きも出来ないような状態で、それでもその目は死んでいない。むしろ、こちらを威圧さえするほどだ。
弱ければ、賢ければ、傅いてしまいそうなほどに、力強い目。人間の範疇での、王の器。
人間を超え、ツァラトゥストラへ至ろうとする、その資格など充分にある。
俺は端の方に一度姫菜を降ろすと、正城の方へ向かう。
「小僧……!」
「…………」
正城を見下ろす。
「お前は娘をなんだと思ってやがる、みたいな説教をするつもりはないけどな」
銃口を正城の眉間にもっていく。
「俺はなりゆきじゃなく敵対した人間を許せるほど剛毅じゃないんだよ」
明確な意思で敵対したのなら一度退けてみても折れないから、ちゃんと殺しておかないと後が怖いじゃないか、と。
なにせ人間なんて、強かろうとなんだろうと不意打ちの銃弾一発で死んでしまうのだから。
「貴様、何をした……ッ!」
「姫菜を取り返しに来た。銃で撃った」
「違うッ! 八百神姫菜にだ! 何をした! 何の特別もない、何の要素もない、失敗作以下の! それは誰だ! 貴様が取り返しに来たそれは!」
「八百神姫菜だよ。両親には殴られ、幼なじみに両親を奪われ、その殺人犯が横に居る。じゃんけんでいつも負けてしまうような、大事なときに邪魔が入ってしまうような、それでもすべて受け入れて笑っていられるような。人殺しの自己満足で『幸福でいてほしい』なんて、上っ面だけの幸運を押しつけられた、ことごとく運の悪い少女――八百神姫菜だよ」
「貴様、が……」
「挙げ句『人類超越の方舟』だの『進化への翼』だの『王の資質』だのなんて妄言を吐く変態にさらわれて、しかも助けに来たのが王子様じゃなく悪い魔法使いでした、なんて、本当、運が悪い」
「貴様が、すべて……」
「根本的な部分が見えちゃいないから、どうせアンタじゃ無理だよ……さて」
改めて銃を正城に向ける。
「余波の方しかないってのも本来変な話なんだが、アンタがさせてた研究は、その見方としてなら成功していたんだな。流石、なのか」
「何の、話を……」
「自分の居る世界のすべてを見るから平均を得られる。隣の世界の可能性を知っているから書き換えられる。俺や颯汰の運は副産物なんだよ。……だけど凛だけは。『最悪だけは必ず回避する』という運の操作だけが働いている」
引き金に力を込める。
「アンタの死が、凛にとって『最悪』だったら助かるさ」
銃声。
床に赫が拡がっていく。
『コインで銃弾ふせぐ、とかよくあるよね』
凛と交わした会話を思い出す。
『あれって一枚じゃ普通に貫通するらしいぜ』
先ほどの部屋。一人、横たわっている凛を見る。胸に銃弾を受けて、倒れた凛の――。
『うん? えーっと、あの、なんか、胸ポケットにものを入れられるって、ちょっとドキドキするなぁ、とか?』
「凛……」
呼びかけるが、返事はない。冷たい床の上に、ただ身体を横たえている。
頬に触れる。俺の手が熱いせいだろう。その頬は冷たい。
助けを呼ぶ声が聞こえなかったのは、幸福だったのか不幸だったのか。
「二人も抱えて階段あがれないからさ。凛は起きてくれよ……」
弱く、その頬をたたく。けれど当然のように、反応はない。たたく力が、弱いからだ。
「なぁ、凛……」
返事はない。
「こんなところでいつまでも寝たら、風邪ひくぞ?」
それでも凛は動こうとしない。俺の声なんて聞こえていないみたいに。
「機嫌を損ねたんなら謝るからさ。そう怒鳴ってくれれば、姫菜を起こして、凛を抱えていくからさ……」
それでも凛は反応しない。本当に、俺の声が聞こえていないのかも知れない。たとえば、鼓膜が、とか。
「なあ……凛。どうしたら起きるんだよ」
「キスしたら、起きるかも」
そんな、古典的な。
触れていたせいで熱くなっていた頬から手を離す。
「じゃ、じゃあ試してみるか……」
目を閉じた凛に、顔を近づけていく。
すぐ近くにある凛の顔。けれど、顔を近づけても吐息は感じられない。
触れそうな程顔が近づいて――。
そのままヘッドバットした。
「きゃうっ!」
「いつまでやってんだ。息止めるとか細かい部分に気をつかってるんじゃねえよ」
「うぅ……いじわるだ……怪我人なのに」
云いながら身を起こす凛。こっちも視界が狂いっぱなしなんだっつうの。危うく距離感間違えて本当にキスしそうだったじゃないか。いや、惜しいとか思ってないぞ。……でもあれか、眠ってる隙に、とかじゃなく本人がいいって云ってたのか、とか思ってないぞ! そ、そういうことはもっと順序を……へ、へたれとか云うな!
「本当に痛いのに……途中までは本当に気を失うくらいだったのに」
「狼少年だな」
「お互い様だよ。圭祐くんも嘘つきだ」
そうぼやきながら、胸ポケットから四枚のコインを取り出す。二枚を貫通して、三枚目が変形している。
「三枚で足りたみたいだね」
「そしたらもっと衝撃強かっただろうな」
「また違うコインいれとこっと」
「もうこんなこと二度とねえよ、と祈りたい」
「わたしだけでも、助けに来てくれた?」
「……さあな。もう帰るぞ」
「うわっ、ひどっ! そうだ、圭祐くんっ! 私を抱えて帰ってよ! さっき云ったよね、そうしてくれるって」
「…………鬼かお前」
ため息をつきながら、そう答える。そのため息は随分と軽い。
「姫菜、起きてくれ。わがままなお嬢様が起こせとおっしゃるから」
「~♪」