第五話 ツァラトゥストラの方舟(九十九圭祐) 1
第五話 ツァラトゥストラの方舟(九十九圭祐)
階段を下っていく。深く深く。発動させたままの能力が視界を侵蝕する。何重にも折り重なった風景。一秒ごとに枝分かれする無数の世界。座標を失いそうになるほどに分裂し拡がっていく世界。意識して思考を制限し続けるが、無数の選択肢が脳を焼き切るほどの情報量をたたきつけてくる。
開けたその場所へ来るまでに、果たして何度。
「――――――」
そこにいる人間がどちらであるか、可能性は二分の一だった。床を見た瞬間に安心した。
「随分と、来客が多いようだな」
「よかったよ、いたのがアンタで」
部屋の中程、床に伏せっている鷲見さんを見つける。立っているのは本来面識のない鷺沢だ。
「意外だな。てっきり鷲見君の様子に狼狽えるかと思ったが」
「いや。アンタの方が都合がいい」
だって慈悲を掛ける必要が無いじゃないか、と呟いて。
「実際、明確な殺意をもって他人を撃ち殺せる人間ってのはこの国には少ないよな。殺したいと思っても、最後の瞬間に何かがそれを躊躇わせる」
「……だろうな。それがこの結果だ」
「アンタは賢いな。……所詮普通の範疇だが」
他人を殺せる人間は少ない。倒れているその身体から、血は流れていない。麻酔銃のようなものだろう。だから躊躇わずに撃てた。死なない、と思っているから。
対して、三鶴城正城を殺す為に用意した鷲見さんの銃は――。
俺は部屋の中央へ駆け出す。
一度だけ隙があればいい。一発だけ避ければいい。
俺の目的に気付いた鷺沢が俺へ向けて発砲した。俺は身体を捻ろうと、したが避けられず、銃弾を受け、身体が衝撃に仰け反っ/
弾丸は俺の脇を逸れ、前傾姿勢の俺はそのまま銃を拾うと鷺沢へ向けて発砲した。
「――――――」
外すはずのない距離で外し、驚愕に目を見開いたままの鷺沢の身体が、衝撃で後ろに跳ね飛ぶ。壁に身体を打ち付け、力なく崩れるその身体からは赫い血が流れ出す。
視界がぶれる。書き換える度に膨大な情報力が脳に流れ込み、負担をかける。自分の座標を見失いかけ、世界が歪む。
「体力には、自信無いんだけどな」
と、ひとりごちて階段を下りる。
一歩ごとに。視界が割れる。重ね合わせの世界が歪に。可能性をまき散らしてその一つ一つに意識も持っていかれそうになる。
気を抜けばあっさりと座標を見失って、肉体ごと何処かへ飛ばされそうだ。
上位存在、超人、神、云い方は様々だがそれはすべて。
「帰ってこられなくなるって事だよな」
元々片足突っ込んでるから尚更。そのままのまれておしまいだ。
階段が途切れる。また小部屋だ。そこに立っていた、少女。その姿は――。
「凛にそっくりだ」
そっくり、どころか。
特徴でもあったサイドポニーは解いているけれど。それは髪型が違うだけ。同じ遺伝子を持つ、同じ容姿だ。つまるところ――。
「君は誰?」
「誰? だれ? ダレ? だぁれ? だーれだろうねぇ。誰に見っえるかなぁ?」
と、凛の姿をした少女は嗤う。実に愉しそうに、こちらを見ている。
「髪型ー、結んだ方が好みかな? ねぇ、九、十、九くんっ♪」
完全に壊れている。目が爛々と輝いてはいるが、どこか焦点があっていない。
「げんっじつとーひ! かな? それともわかっちゃってますってかわかるよなーそりゃ、キャラ違えっつーの、キャハハハハ! 誰だよお前って云うね。あたしでも思うわそりゃ、誰だあたしあはははは!」
ふっと真顔に戻る。
「まあね、誰かって問いには答えられないんですわな、これが。あー、や、別にね? イジワルとかじゃないんだけどね? いやまあでも好きなこにはイジワルしたくなっるからなー、どうだろうねー、なんつって、にゃはは」
と語り始めれば途中でまたにやついたり笑い出したりする。
「いやー、愉しいねぇ、九十九くん。楽しい? ん? まあいいや、ほらそういうね、表情の変化がいいよねぇ、うんうん、一方的に喋るだけでも投げたボールが当たるってのはコミニュケーション!」
「コミュニケーション」
「コミュニケーション! うんうん!」
心底楽しそうに。なんなのだろう、一体。
「ネジとんじゃって、る、か、ら、さぁー。もう頭ん中ぐるぐる。でさでさ、実はもうばれちゃってる?」
「だから、君は誰? 話通じてる?」
再び問う。
「んーまあ脳がちょーっとシェイクされちゃってー。あたしってば名前もない試験体だからさーっても? あたし自身は割に完成品なワケ。先達が無能だと苦労するよねー。んー、でもまぁあれだね、……先人に倣うならミツルギって名乗るとこかな」
ニヤニヤとわらう。
「オリジナル版が使えないので入れ替えてみました、とミツルギはミツルギはのたまってみたり……ってか。ひゃっほう、平均六十七点あと二点欲しいってな感じのミツルギ二号にゃのさー、いひひひひひ」
と、また真顔に戻る。
「で、まあそこの最後まで役にたたなかったお姉様は――」
「え?」
云われて気付く。
今、まさに意識を戻し、立ち上がろうとする凛の姿が、部屋の端に……。
「あ、見たね。はい、じゃあ最後の役目ー。ぐるぐるどーん!」
ばーん、とふざけながら何気なく。その手に、いつの間にか持っていた拳銃を――凛に向けて撃った。
弾丸が、正確に凛の胸へ。麻酔なんかじゃない、実弾――。
「っ!」
撃たれたのが、自分だったら良かった。いくらでも対処できたから。
「ざんねーん、百発百中! 結構さ、運だけじゃどうにもなんないよね、世の中、ってあたし存在意義ねーあはははは!」
「どうして撃った?」
「ん?」
「必要なんて無かったはずだ」
少女はまた嗤いながら、
「ん? っん~? 三鶴城凛は二人も要らないにゃー。成り代わった後で本物に出てこられても困るし? とかどう? どうこうもないっつーの」
ねー? とこちらを見ながら。
「まあ、そんなことよりなによりも。その顔! それが見たかった。萌える! いいよその顔! おっとこまえー! ゾクゾクするっ!」
ぺろり、と口の周りを舐めながら。
「んじゃ、ま、始めますか。そっちにもー理由が出来たみ・た・い・だしっ! っと!」
思考と分断したような素早い動きで弾丸を放つ。弾丸が俺の/
それらはすべて外れ、後ろの壁を削る。
「あったらねー! なんだそれ。なんだそれ!? 運? 運とか云うレベルじゃねー! 外すかぁ、普通この距離で! ちょっと回りすぎじゃない? ラリラリ? 飛んじゃってる? ネジとかーって元々じゃーん!」
ケタケタと嗤う。焦点の微妙にずれた目が、おかしな方向からこちらを見ている気がした。
「やっぱダメっだなぁ! 間接攻撃は、っと!」
銃を捨て、殴りかかってくる。そのスピードについて行けず殴り飛ばされ、壁にたたきつけられる。轟音。火薬が爆ぜたような臭いを一瞬感じた気がした。
「がぁ……っ!」
背中をたたきつけられ酸素が強制排出される。視界が黒くなり、右手の銃も取り落としていた。
「あっちゃー。マジかぁー。痛いなぁ……」
腹から血を流した少女が膝をついていた。
「いや、コレ、ちょっと……死ぬ、かぁー。うわぁ、運ってそういう……あー、痛いなぁ……これはちょっと予想外すぎたなー……にゃはは……」
わらってはいるが、先ほどまでのテンションはない。
俺の運動神経では、飛び込んでくる彼女に反応して撃つことは出来ない。だからこれは、殴られて取り落とした銃が、偶然暴発して、その弾丸が偶然彼女に当たった、だけだ。
「死ぬなぁー、これは。……まあ仕方ないか、こっちも撃ったしね……あ、たしは誰に見えるか、なぁ……っと……きひひ」
「……運の善し悪しもね、計算済みなんだ。それしか武器がないから」
「あたしも……かーなり、いい方、なんだけどなぁ……」
「まあそれにも、ちょっとした仕掛けがあるしね。君とか姫菜は知らないけれど」
「やっぱりかぁー。なーんかおかしいとは……思ってたんだよぁ。あんな距離で外すわけ、ないってゆーか……失敗作、ね。奇しくもって、わけ、か。んじゃ……あたしも失敗作な、ワケだ……」
「目指してるツァラトゥストラが『単に運のいい人間』なんじゃなくて、俺や颯汰みたいなののことならね」
苦しそうに息を吐く彼女を眺める。
「安定した運、なんてのは異常なんだよ。何処かに操作が働いている。例えば、蟻をね、気まぐれで殺すことはあってもさ。一匹の蟻を、人間が優遇し続けることなんて無い。だって見分けすらつかないのだしね。だからそう、それは単に、変わった蟻がいただけなんだよ。操作しているのは蟻だ」
神様なんていないから、と彼女を見おろした。
「あー……あったま、まわん、ないや……ってふだんからだっつーの、あは、ははは……ツァラトゥストラ」
「そう。君たちがなろうとしたもの。殆ど自殺したけどね。颯汰と俺だけだよ、生きているのは」
先鋭化しすぎた進化なんてね。生きられないんだよ、基本的に、と。
「……君に居場所と名前をあげるよ。俺は人間みたいだけど、人間じゃないから」
「あー、……ゴメン、何云ってるか……よくわかんないや……あ、たしは、おバカさ、ん……だっから、さぁ……なまえ、は、嬉しい……かも。なかっ、たから……かぁいいの……考、え、といて……よ」
と、彼女は目を閉じた。赫い血が、ゆっくりと床に拡がっていく。
体温が/
目を/
彼女は/
俺はその部屋を後にした。