第四話 ランダム・カットバック・パラドックス(二宮)
第四話 ランダム・カットバック・パラドックス(二宮)
「なあ、九十九。この世界はおかしいと思わないか?」
「何の話だ?」
切り離された時間の何処か、断片化され最果てに紛れ込んだいつかで、二宮は俺にそう尋ねた。
「たとえば、だ。九十九はこの街の外から通う生徒を見たことはあるか?」
「…………」
「外を歩く無数の人は? 意識を向けないような他人の存在は?」
「意識しない他人くらいは……意識しないだけで……」
「私は一つ、思うことがある」
銀色の眼鏡を押し上げながら、見透かすようにこちらをのぞき込んでくる二宮。
「…………」
「最初、単に私が好かれていないだけだと思っていたのだが……いや、実際そう好かれては居ないのだろうが、それだけが理由じゃない」
「…………」
「むしろ、こう仕向ける駒にしてくれる程度には好かれていたみたいだな」
「……何の話だ?」
「最初は八百神だと思っていたんだよ。彼女が世界を思うように作り替えている、とね」
「運がいいことを、道理を曲げる、と捉えるならそうだろうな」
「両親と烏丸。彼女に都合悪い人間は事故死するしね」
「……まあ、不可能ではないだろうね。いや、むしろ無意識にそういうこともあるかも知れないな」
誰かを殺したいと思ったことのない人間は居ないだろうしね、と付け加える。それを実行に移さないだけで、だ。
「ところで、もう一組事故死した人間がいるのだがね」
「……そうだな」
「なあ、九十九は私に何をさせたいんだ?」
「何も? 二宮が俺に話があるんだろう?」
訝しげな目を向ける二宮にわかりやすくとぼけてみせる。
「この行為の意味がわからない。それとも私が遅すぎただけなのか?」
「さあ? 俺の方が聞きたいけどね」
人間同士でも碌にわかり合えもしない。まして、だ。
「…………」
「………………」
「……はぁ。それで、事故死したもう一組というのが……」
「俺の両親だろうね」
こともなげにそう答える。昔の話だ。どっちにしたところで。
「……九十九の考えていることがわからない」
「それでいいんだよ。完全な理解は同化だ。俺達は自分になんて興味がないからね」
「達……?」
「そう。達、だ。まあ、厳密に云えば」
達、ではないのだけれど。まあそのあたり、云うことと云わないことの選別くらいはということで。
「酷い肩すかしを食らった気分だ」
「どうして?」
「褒めてもらおうと九十点のテストをみせたのに『百点じゃなきゃ無意味』と親に云われた気分だよ」
「それは……土下座させたいね。頭を撫でてもらえなかった分、踏みつけてあげたいよ」
「正直、泣きそうだ」
そう云って二宮が顔を伏せる。
「俺が悪者みたいじゃないか」
「九十九は……ひどい、よ……」
良心、なんてものが俺にあるのかは大いに疑問だけれど。
「それは、知ってるよ」
「私の……事だって、どうせ半分……忘れてたんだろう……?」
……それについては、そういうわけでもなかったのだけれど。
「前に……八百神に誘われたことがあった」
「それで?」
「だが同時に、その日は『特に八百神と話さなかった』という記憶もあった」
「ふうん?」
「最初は私の妄想だと思ったんだ」
「まあ、その後姫菜が何も云ってこないなら、その可能性の方が高いね」
「だが、だ」
「うん」
「今回のテスト。八百神姫菜は何点だった?」
「九十六点」
「四点だ」
「うん?」
「私は『四点だ』と聞いた」
「ふうん?」
「だが九十六点だった。そして、私に四点だと教えた人間にもそんな記憶はないと云われた」
「まあ、四点なんかじゃなかったしね」
「そのときの九十九の点数が百点だ」
「…………」
「私には二つの記憶がある。いつも通り高得点だった八百神と、四点だった八百神と。たびたび重なるんだよ、ふたつの記憶が」
「一体、何を見ているんだろうね?」
しかし……これは少しおかしいかも知れない。姫菜が誘ったことについてはそれでいい。予定通りだ。しかし点数は。
あれは確定させる前に操作を――つまり最初から『四点だと勘違いしたが見直したら九十六点だった』という事実だけのはずだ。塗り替えた、というよりも最初からそうだった。俺が戻ってテストを書き換えるところまでが、最初から予定された平面での動き、のはずだ。
だけど二宮は『四点だった』と云った。
これは……予想以上かも知れない。
「九十九、何をしているんだ?」
「何を、といわれてもね……」
「犯人は、お前だ」
「……まあ、そうだろうね」
「何が、狙いなんだ……?」
「このことも、また重なることになるね」
「どうしてだ? 私は覚えているんだから意味が……」
「いや、これが一番大切なんだよ」
全部、そのためだったんだから――。
「先輩は欲張りですね」
と云われたことがある。否定する気はないけどさ。颯汰のことも、二宮のことも、七花のことも、凛のことも、姫菜のことも。
「可愛い後輩がメイド服姿で『ご主人様』って呼んでるのに何が不満なんですか……」
「いや、もう何もかもだが」
部室を開けた途端、メイド服姿の七花が
「お帰りなさいませ、ご主人様」
などとのたまった。
「前に姫菜先輩のコスプレに喜んでいたみたいですから」
らしいが。別に喜んでねえよ。
「ふうん、じゃあみんなでコスプレでもしましょうか」
と、姫菜までそんな事を云い出す。
結局、七花は正統派メイド服(わかってるな七花!)、姫菜はフリルだらけの魔法少女、凛はチャイナドレスをきて一日を過ごしていた。
…………。
ああ、これが最後の記憶か。
全員が揃った、幸福な日々。
何気ない、繰り返す日常。
俺が、守ると決めたはずだった空間。
俺が一日過去に戻り、テストを書き換えたその日、二人は結局部室に来なかった。
家にも帰っていない。
八百神姫菜と三鶴城凛は、その日から姿を消した。
能力は完璧じゃない。
日常では迂闊に使えないし、観測してしまえば事象は収束する。
塗り替えれば齟齬がうまれるし、修正の影響がどう出るかは予想できない。守る為に使って、修復不能になってしまえば本末転倒だ。
だから慎重に。
「みつけた!」
颯汰が声を上げる。最低限の影響しか与えない方法。単一世界の視点観察と時間移動の組み合わせ。能力を合わせる、というのは初めてで上手くいくのか不安だったが……。
消火栓の裏から入れる秘密部屋。二人はそこにいる。
「行ってくる」
「僕も行くよ」
「……いや、颯汰も七花も能力を使いすぎてまともに動けないだろ」
「でも……」
とこちらを見る七花に首を振る。
「元々多用するようなものじゃないんだ。ズルな分、負担がかかる」
二日間。二人が能力を使っていた体感時間だ。二人とも憔悴して、力なく座り込んでいる。
「最初から……そのつもりだったんですね……」
「ああ。役割分担だよ」
既に真っ赫な自分の手を見つめる。元々、こういうのは。
「人を人とも思わないような奴の方が向いてるんだよ」
部室を出て、廊下に出る。職員室近くの消火栓に向けて。
感覚が拡がっていく。同じ光景がいくつもいくつもいくつもいくつも重なる。同じ廊下が何重にも。微妙な差異がノイズになって視界をちらつかせる。
最善の選択肢。重なり合った現実。観測直前の未来。