幕間Ⅳ
幕間Ⅳ
イメージは。
正面に並ぶ無数のディスプレイ。
それぞれが世界を眺める視点。
それは本来他人の、知ることのない世界。
わかりあえないのが他人で。
わからないからこそ傷つけあうのがコミュニケーションで。
理解できない思考回路と、予想できない行動が、自分じゃないと云うことなら。
普段何をしているのかわからない、ともすれば、自分の前にいるときしか存在していないのかもしれない、だなんて思ってしまうようなものが他人だというのなら。
僕の世界には他人がいない。
いや、いなかった、と云うべきか。
あれはいつからだったのだろう。
目の前に並ぶディスプレイ。
それは肉体の外側にあるはずの。
僕ではない誰かの世界と思考。
すべてを理解できるなら。
それは本当に他人だといえるのだろうか?
だってすべてがわかるなら。どう操作すればどう動くのかも、すべてわかってしまうのだから。
何を考えているのかわかるから。会話もすべて一人芝居。他人の頭なり知識なり、制限自体はあるものの。自分で脚本を書きながら、自分で演じる三流コント。
みんなが他人というそれは。
僕には自分の延長か。せいぜい手にするハサミやシャーペン。
相性だとか思い出だとか。愛着くらいはあるにせよ。それ以上にはなりえない。
だからいつでも僕は一人で。
世界はこんなにも広くて狭い。
予定調和の会話と反応。
少しずつくたびれて、錆び付いていく感情。
退屈紛れに現実世界で駒遊びしても、プレイヤーは僕一人。せめて詰めるための問題を出してくれる他人でもいれば。
掌の上を転がる世界。当事者でさえない僕は、いったい何なのだろう。
世界のすべてを見つめるだけの。意味を持たない観測者。
だからこうして世界を眺めて。
いつか退屈にのみこまれて。
それでおしまい。
与えられた幸運を飲み込み続けていたように。
与えられた何かも同じように飲み込むだけだ。
元より世界は退屈だから。
これもきっとよくある話。
別に意味も価値もない。ただそれだけと云うだけの話。
だからそれまでの時間を。ただ惰性だけで過ごすことにした。
九十九――九十九君と出会ったのは。
そんな世界に慣れたある日。
隣の世界と重ね合わせで、いつでも行き来ができる彼は。モノローグを読んでみても、ひらりとそれを塗りかえる。
だから理解が完璧ではなくて。
僕にとって、この世界で唯一の他人だった。