実央先生とある腐男子の日常
『息子が彼氏を連れてきた!』シリーズの新作になります。今回はBLカップルの受け、実央の職場を舞台にしてみました。実央が着任してからの約1年を生徒目線でさらっと描いています。実央が副担任を務めるクラスの生徒沢田夏は実は腐男子。男とはいえ男子校では「かわいい枠」の実央のおかげで、BL妄想が俄然はかどるようになった。しかし妄想には収まらない現実のBL展開も起き始め…?おまけに実央の彼氏の弟篤紀(こちらも腐男子)の呟きも入っています。
始業式
今日は僕が通う私立三輪春学園の始業式だ。入学式・始業式の日程は地域や学校によって違うが、うちの場合は時間をずらして同日に行う。始業式には新入生も一緒に参列して新任の先生の挨拶などが行われるのだ。
「寺内先生辞めちゃったんだよな。うちで唯一わりと若い女の先生だったのに」
「そうそう、二人目のお子さんができたとかで。産休じゃなくて退職なんだってさ。地味だったけど和風美人て感じで結構ファンがいたのに」
「新任の3人は全部男だって?一人くらい癒し系入れてほしいよなあ。ただでさえむさくるしい男子校なんだからさ」
体育館で新しいクラス別に並ぶとき、周りではそんな話がボソボソと囁かれていた。
(確かになあ…3人いる女の先生は4,50代だし、あとは事務員のおばちゃんに売店・食堂のおばちゃん…ちょっと潤いがほしいよなあ)(※おばちゃんの何が悪い?)
そんなことを考えている僕・沢田夏は今年2年B組になった。担任が生徒に人気の体育の金谷先生だったのはラッキーだった。
(数学の松センとかじゃなくてホントよかったわ)
「なあなあ先生たちが並んでる所、カワイイのがいるじゃん」
(かわいい?)
「初めて見る顔だよな、新任の先生じゃねーの?」
そんな声も聞こえてきたが、あいにく僕のいる場所からは見えなかった。
学園長の挨拶やら新入生・在校生の対面式やらが終わって、新任の先生の紹介になった。
「本年度から3名の先生が新しく入って下さいました。向かって左から化学の綱田勝先生・英語の川島丈弘先生・政治経済の明石実央先生です。一同挨拶!」
教頭先生の掛け声で生徒一同「よろしくお願いします!」と大きな声で挨拶する。これが三輪春学園の恒例の挨拶だ。
(実央…?なんか女の子の名前みたいだったな)
僕が立っていたのは前の方ではなかったが、一番端に3人の中では一番小柄な、170cmあるかないかくらいの先生が立っていた。あまりスーツが馴染んでいない感じだ。
「えー、かわいいじゃん、女じゃなくて残念だなー」
「実央ちゃんか、名前もカワイイな」
周りがちょっとざわついている。
「新任の先生にはそれぞれ2年生の副担任を受け持ってもらいます。早く三輪春学園に慣れて頂けるよう、みんなも協力するように」
(2年の副担か…実央先生が来るといいのにな)(※なぜかすでに名前呼び)
僕はなんとなくそんなことを考えていた。
各自新しいクラスの教室に入ると暫くして担任の金谷先生が入ってきた。続けて入ってきたのは…
(実央先生だ…!やった!)
なぜだかクラス一同「ワッ」と喜ぶ雰囲気になっている。男には違いないが、どうせ1年間付き合うならやっぱりビジュアルが良い方がいい。
「静かに―、2Bの担任を受け持つことになった金谷豪です。1年間よろしく。こちらは先ほど教頭先生から紹介のあった明石実央先生。このクラスの政経も受け持ってくれます。まだ校内に慣れていらっしゃらないから、みんな親切にな」
金谷先生がそういうと
「親切にしまーす、実央先生、オレ案内するよー」
調子のいい陽キャが一人手を上げた。
「こら、実央先生じゃなくて『明石先生』と呼ぶようにな。それじゃ明石先生、一言ご挨拶をお願いします」
「は、はい。明石実央です、よろしくお願いします。新卒で頼りないとは思いますが、精いっぱい頑張ります。学校のこと色々教えて下さい」
実央先生は緊張してぎこちない様子で頭を深く下げた。
「色々教えマース!」
さっきの陽キャがまたふざける。みんながどっと笑った。その後は恒例の生徒の自己紹介が始まったが、僕は前方の先生二人をじっと見つめていた。
(なんかこの二人のツーショットいいかも…)
いや、色気のない男子校生活に新たなる楽しみが増えてくれた。実は僕・沢田夏は腐男子なのであります。
腐男子のはじまり
実は腐男子とはいっても、まだ歴は浅い。誤解のないように言っておくと僕はゲイでもバイでもないし、腐男子だから男子校に入ったわけでもない。本当に偶然だった。きっかけは姉ちゃんが持っていた漫画本である。
姉ちゃんはとにかく漫画が好きで、小学生の頃から「いいかげんにしなさい」と親に注意されるほど漫画を読みまくっていた(ついでに言うとアニメも好き)。アオハル系・スポーツ・異世界転生・ファンタジー、少年誌の漫画と色々なジャンルのものを読むので、僕はよく姉ちゃんに漫画を借りては読んでいた。ちなみに姉ちゃんは今大学生で漫研に入っているらしいが、僕が見るところあまり描く方の才能はないように思う。まあ本人が楽しければ、それでいいのだが。
高校に入って間もない頃、僕はいつものように漫画を借りようと姉ちゃんの部屋に行った。
(たまには少女漫画でも読むか…)
受験から解放されて気持ちにもゆとりができた僕は「彼女を作りたい」という願望が強くなり、参考のために少女漫画を読もうと思ったのだ(※参考になりますかね…)。
適当に数冊物色して、自分の部屋でベッドに寝転がりながら漫画を読み始めた。
(ん…?)
読み始めて暫くして違和感を覚えた。
(え…これって…男同士で×××してる!?)
あまりの衝撃的な内容に僕はベッドから落ちそうになった。その時初めて世の中に「BL」というジャンルが存在することを知った。漫画はほとんど姉ちゃんから借りて読んでいたので、世間一般の詳しいジャンル分けまでは知らなかったのだ。「TL」は読んだことがあった。男女のけっこうエッ〇なシーンが多くて、ドキドキしながら読んでいた。
(でも、これは…あまりにも激しすぎる…)
僕はついついネットでBLについて調べてしまった。BL好きの女子を「腐女子」と言うそうだ。なんで「腐った女子」?腐女子たちの動画や”ち〇ち〇”というサイトも調べてしまった。調べてBLの読み方?というものを学んでしまった。いまやアニメやドラマ・映画まであるという。
(すげえな…)
気が付いたら僕はすっかり沼堕ちしていた。少数ではあるが「腐男子」という人たちもいて、僕は彼らの動画も熱心に見て勉強した。自分だけじゃないんだと思うと、心強かった。だがどうやら姉ちゃんは腐女子というわけではなく、あくまで色々読む中の一ジャンルにすぎなかったらしい。姉ちゃんの本棚にBL本は多くなかった。
(もっと読みたいのに…)
はじめは電子書籍のお試しとか無料版を読んでいたが、当然それでは物足りなくなった。紙の本は買いにくいし(恥ずかしいという意味で)、置き場所の問題もあるのだが、お小遣いで買うならやはり紙か。通販サイトのギフトカードを使おうかとも思ったが、思い切れなかった。ネットは履歴が残るし、親を経由しないネットでの買い物は高校生の僕にはハードルが高かった(平気なやつは平気なんだろうけど)。
置き場所は何とか策を練ろう。お母さんはパート勤めもしていて忙しいから、子供部屋の掃除とかはあまりしない。布団を干すため部屋に入るくらいだ。僕はお母さんにあちこち触られないよう、できるだけ整理整頓を心掛けた。
本代はブック〇フとかを利用して安くあげていたが、やはりお小遣いでは足りなくなってきた。そこで僕はバイトをすることにした。三輪春は進学校だが、親の許可があればバイトはできる。
「何に使うのよ」
お母さんは怪訝な顔をしたが、姉ちゃんが
「男子高校生ともなれば色々な出費があっても当然でしょ。社会勉強にもなるからいいじゃない。夏は変なことにお金を使える子じゃないわよ」
そう助け舟を出してくれた。漫画の才能がないとか思っててゴメン。とにかく僕の腐男子生活は続行できることになったのだ。
好奇心の広がり
腐男子生活を送るうちに、腐女子たちは2次元だけでなく3次元でもBLを楽しんでいることに気が付いた。「妄想」だ。例えば2次創作のような楽しみ方もあるが、それはやはり2次元。自分の身の回り、生活している中でも対象を見つけて妄想する。それは時として人ですらないこともあるという奥深さだ。
(さすがに僕は人以外では難しそうだが…)
僕は自分が恵まれた環境にいる事に気が付いた。そう、周りは男だらけだ。右を向いても左を向いても、校庭を見ても学食を見ても職員室もほぼほぼ男だらけだ。しかし男がいればいいというものではないことにも気が付いた。誰でもいいってワケじゃない。
(イケメンは何人かいるが、その相手になりそうなのがなあ…)
高1の途中で腐男子になった僕だったが、なかなか好みの妄想対象には出会えなかった。そこに現れたのが、実央先生だ。これは使える(※失礼です)。先生同士でも、生徒が攻めでも十分イケる!
「B組はいいよなー、金谷先生と実央ちゃんだろー。うちなんか松センと川島先生だぜ」
そう言ってきたのは1年生の時同クラで今は隣のC組にいる高橋だ。川島先生は実央先生と同じく今年三輪春に来た先生だが、新卒ではなく他校から移ってきたらしい。
「なんでお前が『実央ちゃん』呼びしてんだよ」
僕はちょっとムカついた。
「えー、みんなそう呼んでるぜ、実央ちゃんとか実央君とか」
「どっちのクラスも男の先生なんだから変わらないだろ」
そうは言ったものの、なんとなく高橋の気持ちは理解できた。(※年齢や容姿で差別してはいけません)
ある日政経の授業が終わった後
「実央先生、しつもーん」
と、一人の生徒が足早に教卓のところに近付いた。そいつはわざと実央先生の背後から近寄って肩越しに顔をのせてきた。
「こら、重いよ」
実央先生は笑っていたが、ふざけて顔を乗せた生徒・河野という奴だが、そいつがいきなり
「実央せんせー、なんかいい匂いすんな」
と、言い出した。
「えっ」
実央先生がびっくりしている。
「えー、どれどれ、あーホントだ、香水とか付けてんの?」
他の生徒も寄ってきた。僕も近寄りたかったが、自分の席で様子を見ていた。
「付けてないよ、コラ、重いって」
急に生徒に囲まれて、実央先生は困っている。そこへたまたま廊下を通りかかった金谷先生が、
「こらお前ら、明石先生に何してんだ、次は体育だろうが、さっさと着替えて校庭へ行け、遅れたら走らすぞ」
と、注意したので、みんな慌てて席に戻って体操着に着替え始めた。
(実央先生、良い匂いするんだ…)
僕もちょっと嗅いでみたいと思ってしまった。
新年度もひと月以上経ち、G.Wも終わって僕は気付いたことがあった。三輪春の先生たちは行事の時以外は基本的に服装が自由である。金谷先生は体育教師だからほとんどジャージ姿だ。夏はTシャツかポロシャツにトレパンである。さすがにジーンズとかはないが、若い先生はパーカー姿の人もいる。それでも新卒・新任ということもあってか、実央先生はまだワイシャツとネクタイ姿だった。
(実央先生ってあの紺のネクタイ、よく締めてくるんだよな)
実央先生にはお気に入りのネクタイがあるらしい。2日続けてはないが、1日おきとかに同じネクタイを締めてくる。ネクタイは何本も持っているようなのに、そのネクタイだけ頻繁に締めてくる。
(単にお気に入りなのか…それとも…)
ひょっとして、彼女からのプレゼントか?と僕は想像を巡らせた。ネットで調べたらネクタイのプレゼントには「束縛する」という意味もあるようだ。もし僕の予想が当たっていたら、かなり嫉妬深い彼女ってことになるな。実央先生に彼女がいると妄想の意欲が萎える…。
今度軽い感じで「せんせー、カノジョいるの?」とか聞いてみようか。たが僕は陰キャというほど暗くはないが、陽キャというほど明るくもなかった。河野のような軽いノリは身についていない。
「いやー、カノジョはいないって、実央ちゃん言ってたよ」
ある日の学校帰り、何人かで喋っていた時に実央先生の話題になって、高橋がそう言った。だから隣のクラスのお前がなんでそんなことを知ってんだよ!確かにこいつとは仲がいいが、僕以上に実央先生に詳しいのはやはりムカついた。
「なんか実央ちゃんに彼女って想像しにくいよな」
「すげー年上の大人の女性とかならありそうじゃね?」
他のやつらも勝手なことを言う。違う。お前らはわかっていない。実央先生の隣に相応しいのは「溺愛執着系の攻め様」だ。異論は認めない(※自分もかなり勝手では…)。現在では金谷先生(仮)だ。金谷先生はマッチョではないが体育教師だけあって体格がいい、背も高い。ホームルームで二人が並ぶ姿は眼福だ。
「おお、あそこにやけにかっけーサラリーマンが二人いんぞ」
駅前まで歩いてきた時、急に友達の一人が一点に目を留めて声を上げた。
(かっこいいサラリーマン二人…?)
街中を歩いていて妄想対象に遭遇できることはまずない。単体ならかっこいい人はそこそこ行き会うが、二人そろってというのはなかなかないのだ。友達の視線の先を追ってみると
(これは…確かに…)
スーツ姿がピシッと決まった長身のサラリーマンが二人立っていた。どちらもかなりのイケメンだ。街中でこんな好物件?に出会えたのは腐男子になって初めてかもしれない。
「おお、確かにモデルみてー、周りの人チラチラ見てんじゃん。俺も会社に入ったらあんな風になるのかな」
高橋がそんなことを言ったが、いや、お前じゃ無理だろう。会社員が無条件でカッコイイわけじゃない。素材が大事なんだよ。彼らの近くを通り過ぎるとき
「二人で営業先回るのもこれで最後だな」
と、どちらかが言ったのが聞こえた。
「………近くだろ?」
そういう声も聞こえたが、歩きながらだったのでよくわからなかった。もっとよく眺めていたかったが、一人ではなかったので残念だができなかった。
(営業かあ、大変そうだな…)
僕にとってはまず大学受験が先で、その先にある就職のことなんてまだ全然考えられなかった。「これをやりたい」とか「これになりたい」とかいうものもない。
(そのうちに進路希望調査とか来るよなあ)
イケメンツーショットに出会えたラッキーと、急に襲ってきた現実とに僕は少々戸惑っていた。
体育祭です
中間テストが終わり6月に入って体育祭があった。三輪春の体育祭は校内だけのイベントで外部からのお客さんはいない。保護者の見学もない。クラス対抗で内輪でワイワイやる感じだ。僕は運動がダメってわけではないが、得意っていうほどでもないので無難な競技参加で済ませている。足が速いやつらはここぞとばかりに活躍する。ちなみに僕は帰宅部で、もちろん運動部には所属していない。文科系のクラブで漫研もあるが、さすがに男子校でBLアピールはしにくいのでやはり所属していない。
お昼休みになってみんな適当に散らばって食事をとった。今日は学食がお休みなので持参したお弁当なんかを食べていた。僕も教室で高橋たちとお母さんが作ってくれたお弁当を食べた。
「俺ちょっと聞いちゃったんだけどさあ」
高橋がパンを食いながら話し始める。
「何を」
「金谷先生って理事長の親戚らしいぜ」
「え、じゃあ縁故でここの先生になったんだ?」
「それがあまり乗り気じゃなかったというか、渋ったらしいぜ?」
「渋ったって?」
僕は特別に金谷先生のことに関心があったわけではないが、なんとなく気になった。
「ほんとは別の学校に行くはずだったんだって。女子校らしいけど。だけどその時三輪春がたまたま教員不足になっちゃって、理事長が無理に頼み込んでここに来てもらったらしい」
「そりゃあ金谷せんせーだって、男子校よりは女子校に行きたいよなあ」
別の生徒・桑原が笑ってそう言った。うん、まあそうだよな。先生だって男だから女の子がいた方が楽しいとは思うけれど、でも金谷先生のイメージとは違うような気がした。
「いや、高橋が情報通なのは知ってるけれど、そういう話どこで聞いてくるんだよ」
おれはかねがね疑問に思っていたことを高橋にぶつけた。
「え、事務のおばちゃんとか食堂のおばちゃんとか?おれ仲がいいんだよね、おばちゃんたちと」
事務室は三輪春の職員室の中に仕切られる形で作られているから、おばちゃんたちは先生たちの話が耳に入ることもあるだろう。でもそんな話、おばちゃんたちもどうやって仕入れるんだ?
「よくわかんねーけど、そういうのって…なんだっけ、ほら、テンプラみたいなやつ…」
桑原が言いかけたので、僕が
「コンプラ?」
と聞いてみると、
「そうそうコンプラ!それにひっかかるんじゃねえの?個人情報のなんとかで」
桑原はそんなことを言い出した。確かに個人情報だよな。
「だからおばちゃんたちに『ここだけの話よ』って言われた」
「ここだけの話になってねーじゃん」
「お前らが喋らなければいいんだよ」
高橋は悪びれずに言う。
「まあ…金谷先生は男らしい感じだから、コネで入ったみたいに思われるのが嫌だったんじゃないのか」
僕は自分の担任が悪く言われるのはなんとなく不愉快だったので、そんなふうに言っておいた。
「あ、これ見てくれよ」
高橋はまた別のことを言い出した。自分の腕を突き出すとそこには絆創膏が1枚貼られていた。
「実央ちゃんに貼ってもらった」
そう得意げに話す。実央先生は今日養護教諭の助手的な役割を担っていた。
「いや、男の先生に貼ってもらって何がうれしいんだよ」
僕は突っ込んだが、高橋はそれには答えず
「実央ちゃんのジャージ姿、可愛かったぞ」
そんなことを言う。こいつまさか「そっち」の人間じゃないだろうな。まあそれはないか。普段はアイドルや女の子の話ばかりだし。
昼休憩が終わって校庭に戻った僕は救護テントの方を見た。養護教諭の藤原先生と話しながら、午後に備えての準備をしているようだった。
(確かに…ジャージ姿の実央先生新鮮だわ。藤原先生とのツーショットも悪くないじゃん)
藤原先生は多分40代だ。なかなかのイケオジである。
(新たな妄想対象ゲット♪)
僕がニヤニヤしていると
「午後の競技を開始します。生徒は所定の位置について下さい。競技参加者はプログラムに沿って、待機して下さい」
というアナウンスが入った。
(あ、ヤバ…午後一の障害物競争だったわ、今時こんなベタな種目やるかね)
僕は慌てて指定の場所に向かった。別に誰も僕に期待はしていなかったと思う。思うが頑張って3位に入った(5クラス中だけど)。入ったが…途中ハードルの所で思い切りこけた。こけたのに入賞した自分を褒めてあげたい。
膝を擦りむいた僕は、河野に連れられ救護テントに行った。膝を擦りむくなんて小学生以来だ。
「実央ちゃん、お願いします。沢田が転んじゃって」
河野が言うと
「こら、『実央ちゃん』とはなんだ、明石先生と呼びなさい」
藤原先生が聞き咎めて注意した。
「見てたよ沢田君、頑張ったね、3位入賞おめでとう」
障害物競走3位で「おめでとう」と言われるのは恥ずかしかったが、実央先生に言われるのはうれしかった。
「あざす…」
藤原先生がまず水で膝の汚れを落とし、実央先生が丁寧に膝を拭いてくれる。
(いい匂い…)
僕は傷口が沁みて痛いのに、そんなことを思ってしまった。実央先生の手は男にしては小さくて優しい感じがした。絆創膏を自慢した高橋の気持ちがちょっとわかる気がした。
体育祭の最終種目はリレーだ。学年別で最後は3年生である。3年生には井上さんというイケメンの先輩がいる。もうすぐ引退だがバレー部のエースアタッカーだ。井上さんがアンカーで走る姿はかっこよかった。前の走者を抜いてトップに躍り出る。今日一番盛り上がった。
僕はかねがね井上さんでBL妄想したいと思っていたが、なかなかいい相手に巡り合わなかった。
(井上さんはどう見ても「攻め」だよなー、これに合う「受け」って…)
やっぱり実央先生じゃね!?いや絵になるわ、この二人も。BLにはよく「生徒×先生」のストーリーも見かける。実央先生万能「総受け」だな!(※コラコラ…)
毎年のことだが後日、体育祭の時の写真が写真部の掲示板に張り出された。今年はやけに実央先生の写り込んだ写真が多い気がする。気のせいか?
「販売はしていません、例年通り掲示のみです」
写真部の部員が生徒数人に詰め寄られて、対応に困っている。聞けば実央先生の写っている写真が人気らしく売ってほしいと求められているらしい。
(もはやアイドル…癒し系のアイドル的存在だな)
殺風景な男子高校生の学園生活に、実央先生が何かしらの「潤い」になっているのは間違いなかった。その後掲示板の写真が剝がされたと剥がされなかったとか、しばらく噂になっていた(後でプリント仕様になっていた)。
夏休みの出来事
7月に入り期末テストが終わって待望の夏休みになった。夏休みは嬉しいが実央先生に会えないのはちょっと寂しかった。「会えないのが」というよりは「妄想できないのが」という方が正確かもしれない。
(何日か図書室の開く日があるから、行ってみようかな…実央先生に会えるかも…)
僕はそんなことも考えていた。
とはいえやっぱり夏休みである。当然楽しいイベントもある。今日は都内某区のアニ〇イトに来ていた。BL漫画家会川みい先生のサイン会があるのである。会川先生は僕が好きなBL漫画家の一人だった。ただしサイン会とはいっても遠くから見るだけだ。サイン会は抽選だが申し込む勇気がなかった。「男のくせに」みたいな目で見られるのはイヤだったのだ。
(せめて遠くからでもご尊顔を拝したい…)
そう思って一人やって来たのだが…
(男もいる!?)
サイン会を待つ長い列には確かに男性2,3人の姿があった。
(男もいるなら僕も申し込めばよかったー!!)
そう思ったが後の祭りである。しかもその男性の中に見覚えのある顔があった。
(あいつ…漫研の上杉じゃねえ!?)
間違いない。同学年で漫研の副部長をやっている上杉だ。
(上杉のやつ、腐男子だったのかよ!)
僕は上杉に見つからないよう、離れたところからサイン会の様子を見守った。
(上杉、手土産まで持って来てる…)
僕は悔しい気持ちでいっぱいだったが、気を取り直して肝心の会川先生の方へ目をやった。会川先生はスレンダーで髪が長く、クールな感じの人だった。
(素敵な先生だな…)
ああいう人が先生で来てくれたら…そんなことを考えていたら上杉の番に回ってきた。
(くそー、いいなあ、先生と何か話してる。「上杉君へ」とか為書き入れてもらってんのかな)
空しくなった僕はサイン会の場を後にした。
せっかく来たのでアニ〇イトで本やグッズを買って帰ることにした。明日からは宿題とバイトの日々…。三輪春の宿題はわりと緩い。緩いというか自主性に任されている。絵が得意なら絵を描くとか、歴史が好きならテーマを決めてレポートを書くとか、本が好きなら読書感想文を書くとか最低2つを提出すればいい。ただしあまり適当なことをすれば内申書に響くからまじめにやらないといけないのは確かだ。
今年は何をしようかなと考えていたら
「あれっ」
と、声がした。
「沢田君だよね、こんにちは」
「…実央先生!?」
なんと街中でばったり実央先生と会った。
「実央先生、僕の名前覚えてくれてたんだ…」
「当り前だよ、3か月以上一緒にいたんだよ。今日は買い物?」
「は、はい…」
校外で実央先生に会えた僕はちょっと舞い上がってしまったが、先生の隣に背の高い男性が立っているのに気が付いた。
「あ、ええと…彼は僕の大学時代の先輩で…」
実央先生が言いかけると
「広瀬です、よろしく」
その男性が挨拶してくれた。
「沢田です、よろしくお願いします…」
改めてその人の顔を見ると
(うわ、すげーイケメン!あれ、でもこの人どこかで見た気が…)
「生徒さん?」
広瀬さんが先生に聞く。
「うん、沢田…夏君だったよね。僕のクラスの生徒さん」
「はい(実央せんせーにフルネーム呼ばれたー!)」
「実央がお世話になってます。迷惑かけてないかな」
「い、いえ、迷惑なんて…僕たちの方が先生のお世話になってま…す…(え、今この人『実央』って言った?大学の先輩って言ってたよな、ずいぶん親しげだけど…)」
「呼び止めてゴメンね、あまり遅くならないうちに帰るんだよ、じゃあね」
「は、はい、さようなら」
僕が言うと
「じゃあ」
広瀬さんは軽く手をあげて実央先生と歩いて行った。
(カッケ―な、広瀬さんて…それにしても…あの人笑顔だったけれど、なんか違和感…というか目が笑ってなかったような?)
そう思って振り返ると二人の後ろ姿が目に入った。
(…!?)
広瀬さんが実央先生の腰に手を添えている。いやいや、大学の先輩って言ってたよな、先輩ってあんなに距離近いか?僕は暫しぽかんと口を開けて二人を見送ったが、
(すげーお似合い…)
またぞろ腐男子としての妄想力が発揮されてしまうのだった(※妄想じゃないけどね)。
夏休みの宿題は去年と同様一つは読書感想文。もう一つがなかなか決まらず悩んでいた。
(去年は…近場の史跡を回って歴史を調べたんだっけ…)
今年は、実央先生の政経でなんかやりたいな。でも政経で宿題って…国会に見学でも行くか?
「新聞使えばいいじゃない」
いい方法が浮かばない僕を見て、姉ちゃんがそんなことを言った。
「新聞?」
「テレビのニュースをチェックするのもいいけれど、新聞は時事ネタ・政治・経済ネタの宝庫よ」
確かに…普段はテレビ欄とか芸能欄・4コマ漫画しか見ない。
「別に全部のネタを拾わなくたっていいのよ。自分が気になったものをピックアップして、記事の切り抜きやコピーを貼って自分の考えを書くの。ただし同じ記事でも複数の新聞紙を比較した方がいいわね。新聞て、会社によって性格の違いが出るらしいから。当日のものなら買ってもいいし、過去のものなら図書館で見られるわよ。今時は新聞社のサイトでも見られるけれど、宿題のレポートならやっぱり紙の新聞がいいんじゃない?」
なるほど…これならあまりお金もかからないし、なんが難しいことしたように見えるよな(※見掛け倒しではいけません)。
「ありがとう姉ちゃん、助かったよ、これでいくわ」
僕は姉ちゃんを拝んだ。日頃「画才がない」とか思ってて重ね重ね本当にごめん。
夏休みの宿題を進めながら、僕は街で実央先生に会った時のことを時々思い出した。
(あのイケメン…広瀬さん…)
なんか引っかかるんだよな、あの人。
BL作品には「執着攻め」というキャラが、それはもうたくさん登場する。普段はスマートな身のこなしで、「小さい事にはこだわりません、他人の評価なんか気にしません」て感じのできる男が、自分が溺愛する「受け」がちょっと他の男と仲良く話したり、肩を抱かれたりしたらもう大変で、内心メラメラと嫉妬の炎を燃やす…。広瀬さんにはそんな雰囲気が漂っていた…ような気がする(※なかなか鋭いです)
うーん、僕の目に腐男子のフィルターが掛かっているからそう見えるのかな?いや、まあ只の先輩・後輩だったとしても、いいもの見せてもらったな。なかなかあんな素晴らしいツーショットは拝めない。サイン会には参加できなかったが、出掛けた甲斐があったというものだ。宿題も順調に進み、高2の夏休みは充実したものになった。
そういえば一度だけ姉ちゃんに聞いてみたことがある。
「大学の先輩後輩ってけっこう親密な関係なの?」
「ヘンなこと聞くわね。まあ人それぞれだとは思うけれど…運動部とかだと繋がりは深いかもね」
実央先生は運動系ではなさそうだよな…じゃあ広瀬さんとは学部が一緒とか?そんなことを考えているうち、また様々な妄想が始まってしまった。
2学期です
2学期が始まって暫くして、なんと僕は表彰されてしまった。毎年夏休みの自由課題で、各クラス2名ずつ特に優秀だった者が選ばれるのだが、僕のあの新聞を使った考察レポートが選ばれたのだ。新学期が始まって、提出された課題をそれぞれ担当科目の先生が審査する。絵画だったら美術の先生、感想文だったら国語の先生という風に。そこで各先生が推薦した提出物の中から、特に良かったものが選ばれるのだ。三輪春に来て初めての栄誉だった。
正直僕は中学の時の成績は上位クラスだった。だから三輪春学園にも合格できた。公立の方がお金はかからなかったが、せっかく受かったならと親も三輪春進学を勧めてくれた。でも三輪春に来たのはみんな中学の成績上位者である。当たり前だが高校に来ればまた順位が付けられる。トップもいればビリもいる。中学時代の栄光は通用しないシビアな現実だ。
僕はビリではなかったが真ん中より少し上といったところ。油断すればすぐ下位に落ちる。学園生活は楽しかったが、勉強は正直しんどいと思うことも多かった。だからたとえ夏休みの宿題でも、認められたことはすごく嬉しかった。
はじめは姉ちゃんの言葉をヒントにやっつけ仕事にするつもりだったが、進めるうちに段々面白くなっていった。なんとなく聞き流していたニュースのコメントや単語も改めて調べて、「そういうことだったのか」とわかると新たな興味も湧いた。コンビニや駅の売店で買う新聞の数も増えて、意欲的に取り組むようになった。
何よりうれしかったのは、みんなの前で実央先生に褒められたことだった。
「すごく良くできていたよ。僕まで褒められちゃった。僕自身も知らないことがあって勉強になった。頑張ったんだね」
先生は満面の笑みでそう言ってくれた。
(天使の微笑み…)
僕はそんなことまで思ってしまった。ぼーっとして実央先生の顔を見つめていると
「おい、もう席に戻っていいぞ」
金谷先生に言われてはっとした。もう一人選ばれた江藤君はとっくに席に戻っている。みんなに笑われて僕は席に戻った。
「ほら、笑わない。江藤君と沢田君は後日全校生徒の前で、学園長から表彰されるからね」
実央先生が言ってくれた。僕はノンケで実央先生に対してそういう気持ちは持たなかったが、
(女神様みたいだ…)
と、違う意味での憧れを抱くようになった。天使とか女神とかファンタジー要素強めだなとは思ったけれど。それに実央先生が貴重な「妄想対象」であることに変わりはなかった。
「いいなー、沢田は、実央ちゃんに褒められてさ」
昼休み、高橋が僕に向かって言った。こいつうちのクラスによく来るな。
「お前クラスが違うんだから、見てないだろう」
「でも褒められたんだろ」
「うん、まあね」
僕はちょっとマウントをとりたい気分だった。一緒に選ばれた江藤君はクラスで成績トップ、学年でも常に上位をキープしている。自由課題も…なんだっけ…北海道のナントカ湖における近年の水質の…なんかそういう難しいやつだ。親が北海道に別荘を持っているらしい。
「でも江藤君と比べるとなあ、ちょっと恥ずかしいよ」
これは嫌味や謙遜ではなく本音だ。
「そんなことないよ、細かく調べてあるって実央君感心してたじゃん。沢田はきっとリサーチ力とか分析力とかが高いんだな。内申書にもプラスになるんじゃないか」
桑原が褒めてくれて、満更でもなかった。僕は三輪春学園に入れたことで安心して、成績は程々でいいやなんて考えていたけれど、勉強ももう少し頑張ってみようと思い始めていた。
9月のある日の放課後、僕は廊下でプリント類を抱える実央先生と会った。
「先生、大丈夫?僕半分持ちます」
そう言ってプリントを半分くらい受け取った。
「ありがとう沢田君、助かったよ。一緒に生徒会室に運んでもらえる?」
「はい」
図書室に行くところだったが、ラッキー♪
「失礼します」
「ああ、ありがとうございます、明石先生…と…」
「2年の沢田です」
「僕のクラスの生徒なんだ。廊下で会って助けてもらった」
「すみません、僕も行くべきでした」
先程から実央先生と会話をしているのは、前生徒会長で3年の御幸さん。メガネが似合う、いかにもエリート。1学期に生徒会選挙があってメンバーが入れ替わり、現生徒会長は2年生だ。
(この人も実は妄想対象の一人なんだけど…)
井上さんが体育会系イケメンなら御幸さんはインテリ系イケメンとでもいうのかな。この二人でカップリングを試みたことがあったが、いかんせん僕の中では二人とも「攻め様」イメージだった。高身長のデキる男同士…。そういうBLもないわけじゃないけれど、そこは2次元だからうまいこと描かれている(リパの場合もあるし)。井上×御幸・御幸×井上…どうもしっくりこないんだよなあ、僕的には。やっぱり三輪春には「受け」素材が絶対的に不足している。でもああして実央先生が御幸さんと話しているのを見ると、お似合いに見える。さすが万能総受け(※夏の勝手な命名です)。
「受験があるのに大変だね、ご苦労様」
「いえ、いい息抜きになります。楽しみますよ、最後の『三輪春祭』」
2学期は中間テストが終わると、「三輪春祭」と呼ばれる文化祭の準備が始まる。どうやら前年度の生徒会役員が現メンバーに色々レクチャーしているようだった。使うはずだった去年の資料が間違って別の部屋に保管されていたらしく、それを実央先生が運んでいたというわけだ。聞けば実央先生は生徒会担当教員の一人らしい。早く学校に慣れるようにって配慮なのかな。
「じゃあ後は任せるね、御幸君。行こうか沢田君」
「はい」
僕は先生と二人で生徒会室を出た。
「手伝ってくれてありがとう沢田君、ジュース奢るね、自販機のだけど。他の生徒には内緒だよ」
実央先生はいたずらっぽく笑う。
「そ、そんな…いいです、あれくらいのことで…」
そう言いながら
(か、かわいいー、なんでこの人こんなに可愛いんだ)
この人がいる限り、僕の三輪春での「腐男子生活」は安泰だ。
三輪春祭です1
10月下旬、毎年恒例の「三輪春祭」が行われた。土日の2日間である。昨今は多くの学校で来場者に制限がかけられているが、うちも同様である。チケット制で完全に管理され、生徒は家族分2枚友人知人関係2枚で事前申請。枚数の追加は認められていない(知人分を家族に回すのは可)。通し番号で記録されているので、コピーなどの不正もできない。スマホでの受け取りはOKだ。
当然足りない生徒も出てくるし、逆に使わない生徒もいる。そこで「譲渡」が発生する訳だが、基本的には「好ましくない」とされている。だが、そこは高校生の話だ。学校も多少融通してくれる。但しルールがあって、金銭・物品での譲渡は禁止。もちろん恐喝・暴力なんて以ての外だ。そんなことが発覚したらどんなに準備が進んでいても、たとえ当日でも三輪春祭は中止にすると厳命されている(過去そんな事例は今のところない)。
譲渡を希望する場合はこれも事前申請。「誰が誰に何枚譲り、誰が来場するか」を知らせておく必要がある。金銭・物品は禁止だが学食で昼食1回奢るとか、マッ〇でハンバーガー奢るくらいは大目に見ているらしい。厳しいようだが盗難・盗撮などの犯罪の可能性が排除できないので、やむを得ない措置なのだろう。日頃学生・職員がお世話になっている近隣商店への少数枚のチケットのみノーチェックになるので、ちょっと問題視されているのだが…長々と説明スミマセン。
(まあ最近は学校でも変な事件が多いからなー、文化祭ともなれば女の子や子供も入って来るし、仕方ないか…)
ちなみにうちのクラスはメイド喫茶だ。そう、漫画でよく見るアレだ。共学だろうが男子校だろうが、文化祭ネタで必ずと言っていいほど出てくるアレだ。僕は幸いくじ引きでメイドの係にはならなかった。2Bに女装が似合いそうな男子はいない。ほとんどネタというかウケ狙いというか、そんな感じだ。文化祭の出し物なんて大体似たり寄ったりだよなあ。
「なーっちゃん!」
案内係のプラカードを持って歩いていた僕に、急に高橋が声を掛けてきた。こいつのクラスはなんだっけ。なんかの展示かなんかだったかな。
「”なっちゃん”呼びはよせと言っただろう」
最近こいつは僕のことを「なっちゃん」と呼ぶ。「実央ちゃん」でちゃん付けが気に入ったらしい。
「なんかすげー目立つ美男美女の来場者がいるって話題になってるんだけど、なっちゃん知ってる?」
「いや、知らないけど…」
「誰の家族だ知り合いだって、盛り上がってんぜ」
「へえ…」
(美男美女ねえ…)
そんな話をしながら第1・第2校舎を繋ぐ渡り廊下を二人で歩いていた時だった。
「あっ、実央くーん!」
明るい女性の声がした。声の方を見ると背の高い男性二人と女性二人のグループがいた。
(あ…広瀬さん)
一人は夏休みに実央先生と一緒にいた広瀬さんだった。近くにもう一人若い男性…大学生くらい?それと若くてきれいな女性。あと40代?くらいの女性がいた。反対側からジャージ姿の実央先生が来るのが見えた。
「暁人さん」
実央先生の声がした。
「お母さん、綾乃さん、篤紀君も…」
40代の女性は実央先生のお母さんか。
「美男美女ってあれか?」
「そうだな、ありゃ確かに目立つわ」
実は教員にもチケットが割り当てられている。職員たちの家族も子供なり親なりの職場での姿を見たいだろうという学園長の配慮だ。でも確か一人2枚だけだったと思うけど…。
「姉貴声でけえよ」
大学生?の男子が言う。美女の年齢は20代半ば?(※後半です)
「広くてキレイねえ、さすが名門私立」
「実央がこんなところで働けてうれしいわ」
「明石先生、ご家族ですか」
実央先生の後方から同じくジャージ姿の金谷先生が声を掛けた。
「あ、はい、うちの母と…」
「明石実央の母でございます。息子が大変お世話になっております」
お母さんが頭を下げた。
「こちらこそお世話になっています。新任ながら明石先生はすごく頑張ってくれています。そちらは…」
金谷先生は美男美女軍団の方を見た。
「ええと…」
実央先生が言いかけると、
「親戚です」
美女がにっこり微笑んで答える。
(親戚?広瀬さんは大学の先輩だって言ってたよな。他の二人が親戚ってことか?でも広瀬さんと大学生男子似てる気がするんだけど…)
「広瀬暁人です。実央が大変お世話になっています。これは姉の綾乃と弟の篤紀です」
広瀬さんが挨拶をする。エ?姉と弟?広瀬3姉兄弟ってこと?先輩で親戚?…少々混乱してきたぞ。初対面の時は親戚なんて言ってなかった。
「こちらは2B担任でとてもお世話になっている金谷先生。みんなのチケットを譲って下さった先生だよ」
「ご挨拶が遅れました。明石先生と同じクラスを受け持つ金谷と申します。よろしくお願いします」
「まあー、チケットを譲って下さった方?ほんとーにありがとうございます!おかげ様でみんな来られました。2枚だけだと争奪戦になって大変で…」
美女が大きな声でそう言った。
「姉さん…」
「はあ…?ど、どういたしまして…?」
さすがに金谷先生も混乱してるな。争奪戦てナニ!?それにしても…
(やっぱり広瀬さんの目…笑ってない気がする…)
「あ、じゃあ、僕金谷先生と巡回中だからもう行くね。みんなゆっくり楽しんで下さい。行きましょう金谷先生」
実央先生はそう言うと金谷先生と二人で第2校舎の方へ入って行った。その後姿を広瀬さんは少し怖い顔で見送っていた。姉弟の方はなんかニヤニヤしていた。
初日の三輪春祭は無事終わった。僕は家に帰ってからも、どうしても広瀬さんたちのことが気になった。
「夏―、明日お母さんと私で行くからね」
「うん…」
姉ちゃんの声にも生返事で部屋に入った。
(実央先生はあの日なんで広瀬さんのことを「親戚」って言わなかったんだろう…)
もちろん先輩が親戚でもおかしくない。生徒に詳しい説明をする必要もない。でもそれならまず「親戚」って言いそうじゃないか?僕は昔からこういう細かいことが気になってしまう。場合によっては長所だが、家族にはウザがられることが多い。
子供の頃の素直な疑問て、大人には答えにくかったり説明が難しかったりすることがある。小さい頃の僕は納得するまで親を追究しようとしたらしく、
「夏はいい子なんだけどねー、あの性格だけは厄介だったわ」
と、今でも母さんに言われるくらいだ。まあ夏休みの自由課題ではそれが幸いして、好結果に繋がったんだけどね。もちろん最近は家族にも友達にも気を付けている。調べたいことは大抵ネットでわかるしな。でもこれは…
(実央先生に聞くしかないけど、プライベートのことだもんなあ。それこそコンプラなんとかに引っかかりそうだ)
三輪春祭です2
三輪春祭2日目ちょっとしたハプニングがあった。うちのクラスのメイド役が1人病欠してしまったのだ。代わりを誰にするかで揉めに揉めた。そのうち誰かが
「実央君がいい!」
と、言い出した。
「おお~ナイスアイディア!その手があったか!」
みんな大賛成だ。実央先生は別に女っぽいというわけではない。女装したってちゃんと男とわかるだろう。
(でも…確かに見たい…絶対可愛い…)
もちろん実央先生は断固として拒否した。
「文化祭は生徒のもので、教師はあくまでサポート役だから」
必死に抵抗する。金谷先生も
「お前らあんまり明石先生に無茶振りするな、先生も困っているだろう」
「えー、でも金谷先生も見たくないっすか?実央ちゃんのメイド姿」
河野が畳みかける。
「……別に見たくないぞ」
金谷先生は答えた。
(あ、金谷先生今ちょっと迷ったな。あの間はなんだ)
そこへ視察していた学園長と教頭先生が通りかかった。
「このクラスは何を騒いでるんだね。そろそろ2日目の開始時刻だろう」
教頭先生が難しい顔をして話しかけてくる。
「申し訳ありません、生徒が1人欠席しまして役割分担のことで少々…」
金谷先生が説明する。
「実央ちゃ…明石先生にメイドになってもらうようお願いしていたんです」
生徒の一人が付け加えると
「ほう…」
学園長はそう言っただけだが、
「とんでもない!教師が女装なんて、あるまじきことです!」
教頭先生がすごい勢いで止めてきた。生徒たちが「え~」という不満の声を上げる横で、実央先生は明らかにほっとした様子を見せ
「そ、そうですよね」
と、教頭先生に同調した。
「まあ、別にお祭りなので構わないのでは?」
今度は学園長がそんなことを言い出した。「そうだ、そうだ」と生徒たちが勢いを盛り返す。
「学園長!文化祭とはいえ男性教師が女装したなんて話が出回ったらどうなると思いますか!SNSとやらで叩かれて、父兄からクレームが来るかもしれませんよ!ありえません。絶対にいけません!」
教頭先生の大きな声に、「なんだ、なんだ」と準備をしていた他のクラスの生徒も集まってきた。
「そうですか…それでは仕方ありませんね…じゃあ、キミ」
学園長が僕の方を向いて微笑んだ。
(え、僕?)
「君は何の係?」
「宣伝と案内ですけど…」
「じゃあ、君がメイドさんになってね」
(………はあっ!!?)
「え…なんで僕…」
いきなりの指名に戸惑っていると
「君、夏休みの自由課題で優秀賞獲った子だよね?」
(だから何!?今それ全然関係ないっすよね!?)
僕が何か反論しようとすると、実央先生の縋るような視線に気が付いた。僕の方をじっと見ている。(助けて沢田君…)と訴えているように見えた。
「……わかりました、僕がやります」
僕は腹を括った。実央先生のメイド姿が見たいのには激しく同意だが、実央先生に頼まれては仕方がない(※頼んではいないです。イメージによる夏の解釈です)。クラスメイトからは不満の声が上がった。僕だってやりたくてやるわけじゃないんだよ!!
「まあいいかー、名前が女みたいだし」
桑原がそんなことを言った。いや、それも全く関係ないからな。
僕はその日に来場したお母さんと姉ちゃんに散々笑われた。
「夏の女装が見られるとは思わなかったわー」
姉ちゃんは大笑いする。僕も思ってなかったよ。午後になってやっとメイド姿から解放され、来場していた中学時代の友人二人と各クラスの催事を楽しむことになった…のだが。
三輪春祭には橋本・岡村という中学時代の友人二人が遊びに来てくれていた。
「災難だったな、沢田」
二人にもメイド姿を見られてしまった。
「他のやつらには言わないでくれよ」
僕は二人に口止めした。
「ところで夏、俺写真部とか見たいんだけど」
岡村が言った。こいつは写真を撮るのが好きで、今の高校でも写真部に所属している。そういえばまた実央先生の写真が掲示されているって誰か言ってたな。
「よし、行こうか写真部」
僕は二人を写真部に案内しようと、昨日広瀬さんたちに遭遇した渡り廊下を通ろうとした。その時
「なあ、あいつ…なんか変じゃね?」
橋本が校舎端の植え込みに目をやった。
そちらの方を見ていると植え込みの陰に男が一人、屈みこんでカメラを構えている。僕たちには背中を向けているが、生徒ではなく来場者のようだ。写真撮影自体は、注意事項はあるが禁止されているわけではない。
(でも確かになんかヘンだ…あんな所から何を?)
男の視線を辿ってみると…
(実央先生!?)
いや、正確に言うと松センと実央先生が何か立ち話をしていたのだ。ただ松センを盗撮という発想は全く浮かばなかったので、ターゲットは実央先生だと確信したのだ。盗撮…そう、あれは盗撮だ!
僕は辺りを見回した。僕たちがいきなり近寄って追及するのはさすがに無茶に思えた。すると巡回中の金谷先生と綱田先生が目に入った。
「金谷先生」
僕は怪しいに男に聞かれないよう声を落として先生を呼んだ。
「あの人、おかしくないですか?」
僕が示した方を金谷先生が見ると、瞬間険しい表情になった。
「沢田、友達といるところすまないが警備員さんを呼んで来てくれ。警備員室知ってるか?」
「わかります」
「頼んだぞ」
先生たちは男の方へ向かって行った。僕たちは人混みをかき分けて警備員室に行き、警備員さんに事情を説明した。再び渡り廊下に戻ると、金谷先生たちが男に何か聞いているところだった。松センと実央先生も異変に気付いて集まっている。
「あとは任せてくれていいから」
警備員さんはそう言うと、先生たちの方へ走って行った。僕はその時になって初めて心臓がドキドキしてきた。
「あれってやっぱり盗撮かな」
岡村が言った。
「そうだろ、いくら何でも挙動不審過ぎるわ」
その後僕たちは写真部の部室に向かい、残りの三輪春祭を楽しんだ。
あの一件は校内では大っぴらにならなかったものの、僕は通報者として後日金谷先生と実央先生から説明を受けた。
「やはりあの男は盗撮目的で学校に入り込んだらしい。カメラを調べたら実央先生と男子生徒数人の写真がたくさん撮られていた」
「入り込んだって…あの男チケット持ってたんですか?」
「持ってたよ、近くの店に配布したものだった」
聞けばチケットをもらったお店の関係者が、知り合いに頼まれて横流ししたらしい。チェックの甘さが裏目に出たなと思った。
「僕も当日はジャージを着ていたから、生徒と間違えられたのかな」
…実央先生、問題はそこじゃないと思うよ。たとえスーツでも私服でも多分あいつは実央先生を激写しただろう。
「警察案件ですか?」
僕はストレートに聞いてみた。
「学園長たちにも報告して、一応通報はした。証拠もあるし目撃者もいるからな。もしかしたら沢田も何か聞かれるかもしれないけれど、生徒は不審者を見つけただけだからあまり巻き込まないでやってほしいと警察には頼んでおいた。もし事情を聞かれるようなことがあれば、先生も同席するから安心しろ」
金谷先生はそう言ってくれた。続けて
「チケットを流出させた店の店主は平謝りで、なんとか大事にしないでほしいと言っていたがどうなるかな。来年から店へのチケット配布は難しくなると思う」
とも言っていた。そりゃそうだろう。日頃の感謝の気持ちで贈ったチケットが悪用されたら、学園側だって慎重にならざるを得ない。
「沢田君にはよく助けられるね。メイドの件も…あの時は引き受けてくれてありがとう」
実央先生が僕に言った。
「え…いや、それ程のことでは…」
メイドに扮したことは僕にとっては黒歴史だ。でも実央先生を助けたと思えばよかったのかもな(自発的にじゃなくて学園長のご指名だったけど)。もしかしたら僕は実央先生を助ける星の下に生まれたのかもしれない、そんな事まで思ってしまった。そしてそれが案外的外れでもなかったと、後々知ることになる。
修学旅行です
2年生の秋はイベントが目白押しで、11月上旬僕たちは修学旅行で九州に向かうことになった。実央先生ももちろん一緒だ。新年度になれば受験一色だから今のうちに楽しもう。早いやつはすでに塾や予備校に通っているけれど、正直まだ自分自身がどうしたいのかわかっていない。でも成績は少しずつ上がっているような…気がする?
日程は4泊5日、往復飛行機で福岡スタート、2泊は温泉がある。費用が掛かって親には申し訳ないと思ったが、バイト代を少しお土産代に充てることにした(ちなみに僕のバイト先は自宅近くのスーパー)。
(温泉かあ…実央先生も入るのかな)
雲の上を飛びながら、腐男子のイケナイ妄想が沸き上がってくる。男同士で大浴場に入ったところで色気なんか何もないが、実央先生は…なんか違う気がする。お風呂で先生と一緒になったらどうしよう…
「沢田、なに赤くなってんの?気圧変って具合が悪いのか?」
隣の桑原に心配されてしまった。
「だ、大丈夫だから…」
無事に福岡空港に着いたころ、姉ちゃんからラ〇ンが来た。「ホームシックになったらこれ見て元気出しな」と、僕のメイド姿の写真が付いてきた。いらねーわ、こんなモン!!かえって気分が落ち込むわ!!
1泊目は福岡のホテルで、周辺の史跡巡りがメインだった。佐賀の吉野ケ里遺跡にも行った。2泊目は阿蘇の温泉。雄大な阿蘇の景観は圧巻だった。草千里とかテレビで観たことはあったが、あんなに広かったんだ。当然だが4泊で九州全域は回れないからほぼ北半分になる。
(明日は高千穂か…ちょっと楽しみ)
翌日のことを考えながら、風呂上がりに売店に行こうとした時のことだ。
(あ…ヤバい、こっちじゃないか)
大きな旅館だったので、売店に向かう通路を1本間違えたらしい。案内図を確認しようとエレベーターに向かった時、前方に数人の人が見えた。
(あ、三輪春の先生のジャージだ)
ホッとして近づこうとすると、3人の浴衣姿も見えた。ジャージ姿は実央先生だった。
(三輪春関係者は基本浴衣着用はしないことになっているハズだけど…一般の宿泊客?)
「ねえ、いいじゃん、一緒に飲もうよ」
「うちら男ばっかでさ、カワイイ子がいるとうれしいっつーか」
「学校の先生なの?生徒じゃなくて?」
(えっ、まさかのナンパ!?いやいや男ばっかって、実央先生も男だぞ?何言ってんだアイツら、見ればわかるだろう、それとも全員ソッチ?)
「お断りします、僕は仕事で来ているので」
実央先生がはっきり言う声が聞こえた。
「『ボク』だって、かーわいい、先生なんてたくさんいるんでしょ、一人くらい抜けたって…」
ナンパ男の一人が実央先生の肩に手を掛けた。
「実央先生!!」
僕は勇気を振り絞って大きな声で呼んだ。
「生徒が一人急病です!」
「えっ」
実央先生が驚いて振り向く。そして素早く先生に近付いて手首を掴むと、ぐいぐい引っ張りながらひたすら前だけ見て歩き続けた。
「沢田君、急病の生徒って…」
奴らからだいぶ離れたところで実央先生が聞いてきた。
「ウソです」
「え…」
「先生、困ってるみたいだったから…」
今になってベタな助け方が恥ずかしくなってきた。
「明石先生どうしたんです、そんな所で」
そこへ金谷先生が声を掛けてきた。どうやら夕食を取る大広間の近くへ来ていたようだった。
「もうすぐ夕飯ですよ、沢田まで何を…」
そこまで言って金谷先生は僕たちの腰辺りに視線を落とした。僕はまだ実央先生の手首を掴んだままだった。
「何してる、沢田」
金谷先生はなぜか怒気を含んだような声色で僕を咎めてきた。僕は慌てて実央先生の手首から手を離す。
「違うんです、金谷先生、沢田君は僕を助けてくれたんです」
「助けた?」
「酔った宿泊客に絡まれて…困っていたところを沢田君が救い出してくれたんです」
「絡まれたって…」
「ナンパされていました」
僕は正直に話した。
「ナンパ?女性客に?」
金谷先生に聞かれたので
「男性客3人です」
「沢田君…ナンパとかじゃ…」
実央先生はちょっと恥ずかしそうだったが、僕は金谷先生にちゃんと状況を説明したかった。
「男性客…」
金谷先生は驚いたようだが、
「そうだったのか、すまなかったな沢田。夕食が始まるからもう大広間に入れ。それと、この事は他言無用にな」
「はい」
謝ってもらうほどのことでもない。生徒が教師の手首を掴んで引っ張ってたら、何事だと思うのは当然だ。『この事』とはナンパ事件のことだろう。確かに男性教師が男性客にナンパされたなんて話は…そこまで考えて、僕はこれがBL的にはとてもおいしい話だと気が付いた。
「ありがとう沢田君、また助けられちゃったね」
「い、いえ、大したことでは…」
実央先生には悪いが、先生の周辺はBLネタに事欠かない。その時別のクラスの一団に上杉の姿を見つけた。
(上杉もきっと腐男子だよな…彼とだったら色々話ができるのに…)
僕はそんな事を考えながら、自分のクラスメイト達と合流した。
それから修学旅行は順調に進んだ。高千穂は僕的にはツボだったが「宮崎なのになんで寒いんだ」とぶーぶー文句を言っているやつもいた。熊本を経由し長崎に回って全行程は終了した。結局実央先生を大浴場で見かけたという生徒は一人もいなかった。先生と生徒の入浴時間は大雑把に分けられてはいたが、就寝までの時間は個々の自由に任せられる。僕は長崎の小浜温泉で2度目の入浴の時、松センと一緒になってしまった。
(ひょっとして実央先生、大浴場を使わなかった?)
帰りの飛行機で僕はなんとなくそう思っていた。いや、どうでもいいことなんだけどな。
僕は騎士
三輪春祭が終わり、修学旅行も終われば残っているのは期末テストのみ。楽しいことの後だけに、この落差はでかい。
(3年生はもっと大変だよなあ、受験がいよいよ追い込みだし。来年は我が身)
そう思いながら放課後僕は図書室に向かう。僕は勉強場所に専ら学校の図書室を利用した。冷暖房完備だし、参考書になりそうな本もたくさんある。周りに誘惑されるようなものもないから集中する。自宅だとつい漫画を読んだり、お菓子をつまんだりしちゃうからな。
「沢田」
図書室に行く途中金谷先生に呼び止められた。
「明石先生見なかったか?」
「実…明石先生ですか、見てないですけど、どうかしたんですか?」
「いや運動部の遠征の追加費用申請書、生徒会に提出しようと思ったんだけど職員室にいなくてな、スマホで呼び出すのも悪いし…」
明石先生は生徒会の担当教員だもんな。インボイスなんちゃらとか言っても、学校じゃまだこの辺は紙媒体だ。
「僕これから図書室行くんですけど、生徒会室の前通りますから寄ってみましょうか?」
「そうしてくれるか、悪いな。テスト前で誰もいないかもしれないから、その時は俺にバックしてくれ」
「はい」
僕は先生から用紙を受け取った。小さな事だがこれも内申書のポイント稼ぎ。うまくいけば推薦入学も…そんな下心を抱きつつ、僕は生徒会室のドアをノックしようとした。その時―
<ガタッ>
中から何かが倒れる大きな音がした。同時に
「待って!」
という声もした。僕は咄嗟にノックもせず
「どうしたんですか!?」
と、勢いよくドアを開けてしまった。
(は…?)
そこには信じられない光景が広がっていた。前生徒会長の御幸さんが実央先生を抱きしめて…明らかにキスしようとしていたのだ。
(え…これ、なんのご褒美…じゃなくて!!)
実央先生は御幸さんに抱きしめられながらも、彼の顎のあたりを手で押さえていた。
「沢田君、カギ閉めて!」
「は、はい」
実央先生に言われて僕はドアのカギを掛けた。僕に見られて茫然自失の御幸さんは、ふらふらと近くの椅子に腰かけて手で顔を覆った。
「僕は…」
近くには別の椅子が倒れている。さっきの音はこれだろう。
(えーと、僕は一体どうしたら…?)
「落ち着いて御幸君、ゆっくりでいいから。何があったの?」
実央先生は御幸さんの前に屈むと、肩に手を置いて優しい声で尋ねた。
「模試の結果が…最近伸び悩んでて…」
御幸さんは手で顔を覆ったままポツリと話し出した。この時期に結果が出ないのは確かに焦るな。それはわかるけど、そのイライラで実央先生にキス?
「それだけじゃなくて…僕、自分がよくわからないんです…」
御幸さんは辛そうに話す。
「中学の時は確かに女性に興味があったのに、三輪春に入って暫くしてから…同性の体にも関心が向くようになってしまって…体育の着替えの時とかドキドキして…自分がゲイかもしれないって思ったらショックと不安でどうしようもなくなりました…」
実央先生もどう答えていいのか迷っているようだった。デリケートな問題過ぎて、下手な慰めは逆効果だ。
僕は思い切って口を開いた。
「御幸さん、今でも女性に興味はありますか?」
「それは…あると思う。メディアやグラビアで露出の多い女性の姿を見れば興奮するし…」
御幸さん、正直だな。
「じゃあ、バイじゃないですか?」
「…バイ?」
「『LGBTQ』のBです。『Bi』、男性も女性もOKってことです。そんなに珍しいことでもないと思いますよ(知らんけど)」
「僕が…バイセクシャル…」
いや、御幸さんて頭いいんだよな?時事問題でもけっこう取り上げられるし、知らない訳ないだろう。仮に知らなかったとしても今時ネットやそれこそAI先生に教えてもらえる。AIもアテにならん時もあるらしいけど。御幸さんは顔を上げた。
敢えて調べなかったのか、わかっていても自分は無関係だと思いたかったのか。今までトップを進んできた人だから、認めてしまうと挫折になると感じたのかもしれない。
「御幸君」
実央先生に改めて呼びかけられて、御幸さんはびくりとした。
「僕は君とお付き合いすることはできない」
え、御幸さん、実央先生に告ったの?告った上でのあの所業だったの?
「僕は君のこれから先の人生にも何の責任も持てないし、大丈夫だよなんていう気休めも言えない。でもね」
実央先生は言葉を慎重に選んでいるようだった。
「大学生活は案外いいものだよ。思いがけない出会いもあるし、大切なものが見つかるかもしれない。大学で見つからなくてもこの先君の行く道は長いんだから、慌てて何かを決めてしまう必要なんてないんだ。もしいつか君に好きな人ができたら、それが異性でも同性でも、大事にしてあげてね」
「明石先生…」
実央先生は立ち上がると僕の方を見て、人差し指を口に当ててにっこり微笑んだ。「黙っててね」という合図だろう。
(か、かわいい〰〰〰〰、可愛すぎるだろう、この人。ノンケの僕でも思わず抱きしめたくなる。僕は実央先生に対して何回「カワイイ」という言葉を使ったんだろう)
「ところで沢田君はどうしてここに?」
ぼーっとしている僕に実央先生が聞いてきた。
「あっ、これ、金谷先生に頼まれました。生徒会に提出する…運動部の…遠征なんちゃら」
「遠征なんちゃらね」
実央先生は笑って僕が渡した用紙を受け取った。
「あれ、項目が1コ抜けてる、確かめないと。僕はもう行くけど、最後に出た人は施錠を頼むね」
実央先生はそう言って生徒会室を出て行った。後に残された僕と御幸さんの間には気まずい空気が流れている。このまま僕が御幸さんの秘密を知ったままでは、御幸さんも不安だろう。
「御幸さん」
僕が話しかけると御幸さんはまたビクッとした。
「僕にも誰にも言ってない秘密があります」
「え?」
「僕、腐男子なんです」
御幸さんは僕が言った意味が分からなかったようで、少し困った顔をしている。
「フダン…?」
「腐男子です。BLが大好きな男子です。腐女子って聞いたことないですか?」
「フジョシ…はなんかあるな」
「それの男版です。僕も三輪春に入った後に目覚めました。家族にもまだ言ってません」
「BL…ってボーイズラブか」
「はい」
「まさに今の僕だな」
御幸さんは少し笑った。
「僕は御幸さんの事を誰にも言いません。だから御幸さんも僕のことは黙っていて下さい」
そこまで言って、やっと御幸さんは僕の言葉の意味を理解したようだった。
「ありがとう、君は優しいな沢田君」
御幸さんはゆっくり立ち上がった。
「僕は本当に明石先生が好きだった。いや、今でも好きだ。振られたけどね」
御幸さんはちょっと自虐的に笑う。
「今は明石先生のために受験を頑張るよ。動機が不純だけれど明石先生に『おめでとう』って言ってほしいから」
「モチベが上がるんなら何でもいいと思います。僕もこれから図書室に行って勉強してきます。僕は御幸さんみたいに頭がよくないから」
それだけ言うと、僕は頭を下げて御幸さんに挨拶し、生徒会室を出た。
(は…初めてのリアル生BL…)
生徒会室を出た僕は図書室に向かいながら色々考えた。御幸さんが実央先生を好きになったきっかけは?前年度役員だけれど選挙があったのは5月だから、引継ぎ時に関わることが多かったのかな。実央先生も新卒で着任したばかりで、慣れていなかっただろうし。まあ実央先生のあの笑顔には、やられる人は多いよな。
それにしても2年生になって急に妄想対象が豊富になった。金谷先生×実央先生・藤原先生×実央先生・井上さん×実央先生・御幸さん×実央先生…御幸さんは振られちゃったけれど、妄想対象としてはまだ有効だ。諦めきれずに遠くから「受け」を見つめる「攻め」…これはこれで十分有り、十分萌える。
(でも、やっぱり…)
広瀬さんだよなあ。実央先生の隣にはあの人が一番しっくりくる。「ザ・執着攻め」ってカンジ?僕が夏休みに見た二人の様子を思い出していると、
「もう閉室になりますけれど、返却の本とかありますか?」
図書委員に声を掛けられ、我に返った。僕は図書室の前で物思いに耽っていたらしい。
「ないです…」
その日は結局図書室で勉強できずにすごすごと下校したが、僕の頭はクリアだった。実央先生を守るという使命感を改めて実感したからだ。そう、いうなれば騎士だ。お姫様に対する騎士というより、お姫様と王子様を守る騎士だ(御幸さんはジャマしちゃったけれど)。三輪春祭の盗撮者や旅館でのナンパ男たちなんかは、BL的には面白い素材だけれど所詮はモブ。ああいうモブからお姫様を救って王子様とのハピエンに導く!
一人で勝手に盛り上がった僕は、その日帰りの電車を一駅乗り過ごしてしまった。
進路希望調査
年が明けて3学期。2年生になって2度目の進路希望調査票が配られた。
「どーするよ、これで決定ってわけじゃないけど、そろそろ真剣に絞らないとだよなあ」
桑原がシャーペンをクルクル回しながらそんなことを言う。
「なっちゃんはいいよなあ、成績だいぶ上がったし」
「お前まで”なっちゃん”呼びはヤメロ、河野」
C組の高橋が始めた僕への「なっちゃん」呼びが広がりつつあって、少々困っている。それは置いといて、僕は2学期の期末でかなり成績を伸ばした。テストの成績は上位20位まで張り出される。そこには及ばなかったものの、僕は31位まで急上昇した。ただ僕は理数科目が弱いので、そこがネックだ。ここが克服できれば20位圏内も夢じゃないんだけどなあ。
「将来の事とか考えてる?」
桑原がふいに聞いてきた。
「いやー、そこまでは考えられないっしょ、目の前のことでいっぱいだわ」
河野が答える。そうだよなあ。僕は何に向いてるんだろう。追及…いや追究癖?があるから、ジャーナリスト?新聞記者?それで政治家の不正をとことん暴こうとして、密かに消される…いや、消されたくはない。妄想はBLだけにしておこう。
その日の帰りはたまたま一人だったが、駅に向かう途中予備校の前で「新年度募集」のポスターを見つけた。
(予備校、塾…もう通っている生徒もいるけれど、お金がかかるしなあ。大学だって国立はキツイけど、私立はやっぱりお金がかかる…どうしたもんか)
ポスターの前でぼんやり立っていると
「あれ、君…」
声を掛けてきた人がいた。
「広瀬さん…」
「覚えててくれたんだ、うれしいな」
平日だけど広瀬さんは私服だった。うわ、やっぱりかっけーな、この人。
「今日はお休みなんですか?」
「うん、振り替え休日でね。予備校通うの?」
「あ―…もうすぐ3年生になるので…僕理数系が弱くてそれだけでも受けたいけれど、お金もかかるし迷ってるんです」
「理数系…今時間ある?ピンポイントでよければ今わからないところだけでも教えるけど」
広瀬さんにいきなり言われて驚いた。驚いたが、僕はこの人に興味があったのでつい
「えっ、いいんですか」
と、言ってしまった。実央先生じゃなくて、実央先生の知り合いに教えてもらうんだから問題ないよな。
「いいよ、ちょっと時間潰したかったし。親御さんにはちゃんと連絡してね」
時間を潰す?まあいいや、二人で近くのファミレスに入って、とりあえず今つまずいているところだけを教えてもらった。数学・物理・化学ついでに英語も。広瀬さんの教え方はとても上手だった。
「広瀬さんすごくわかりやすいです。家庭教師や塾講師のバイトをしていたんですか?」
「いや…大学時代は実央と同じドラッグストアくらいで」
わざわざ実央先生と同じとか言う。ちょうどいいと思って実央先生の話題を振った。
「10月の三輪春祭に来て頂いたんですね。偶然お見掛けして…お姉さんとてもきれいな方で見とれちゃいました。実…明石先生とはご親戚なんですか?」
できるだけ自然な感じで聞いてみた。
「うん、まあ、そうかな…」
(「うん、まあ、そうかな」!?親戚にそんな表現する?遠縁てことなのか?)
「実央は学校でうまくやってる?」
「はい、明石先生は大人気でモテモテです」
「モテモテ?…」
広瀬さんは眉をひそめた。え、僕なんかいけない事言ったかな?
「学校にはすぐに馴染んだみたいです。広瀬さんは先生とは同じ学部だったんですか?」
「違うよ、実央は経済学部だけど俺は理工学部」
「ちなみにどちらの…」
「実央に聞いてないの?K大だよ」
K大の理工学部!?めっちゃ偏差値高いとこじゃん。やっぱり頭いいんだ、この人。学部が違うのに先輩後輩ってことは…親戚だから?部活繋がり?僕の追究癖が頭をもたげたが、さすがに遠慮しておいた。
「実央は…仲のいい先生とかいるのかな?」
「先生ですか?どの先生とも仲いいと思いますけど、担任の金谷先生とはいいコンビですね(BL妄想的にも)」
「いいコンビ…」
さっきからこの人は何に引っかかっているんだろうか。もしかしてヤキモチなのか?(※そうだよ)ヤキモチならBL的にはおいしい展開だが、いくら何でもそうあちこちにリアルBLは存在しないよなあ。そうだったら理想の「執着攻め」なんだけど…広瀬さん、女装未遂とか盗撮とか旅先のナンパ、御幸さんの一件とか知ったらどういう反応するんだろう(※コワイです)。どれか知ってるのかな…なんて考えていたら、ファミレスのドアが開いて、慌てた様子で人が入ってきた。
(実央先生!?)
「実央、こっち」
広瀬さんは立ち上がって実央先生の方を見て、手招きした。
(すげー笑顔…)
「暁人さん」
実央先生は僕たちのテーブルに来ると、
「あれ、沢田君!?」
僕の顔を見て驚いた。
広瀬さんはファミレスに入ってすぐスマホで誰かに連絡を取っていたようだが、実央先生だったのか?
「今日振り替えで休みだっただろ?迎えに来たんだ。近くの駐車場に車を停めてあるから。実央が少し残業になるって言うからここで待っていたんだ。沢田君とはたまたま近くで会って、付き合ってもらっていたんだよ。実央も何か注文したら?」
「(え、今『迎えに来た』って言った?)付き合うなんて…広瀬さんに勉強教えてもらってたんです。僕理数系が弱いから…すごく助かりました。K大の理工学部だったそうですね」
僕の話を聞きながら実央先生は椅子に座って、
「驚いた。暁人さんが来たのもびっくりだけど、沢田君までいるなんて」
そう言った。
「別に俺が教える分には問題ないよな」
「うん、平気だけど、沢田君は時間大丈夫なの?」
「はい、元々図書室が閉まるまで勉強してたし、広瀬さんに言われて親にもちゃんと連絡入れました」
「それなら、よかった。沢田君には色々助けてもらっていたし、間接的にだけどお礼になったかな」
「色々?お礼?」
広瀬さんが実央先生の言葉を捉えた。表情も変わった。
「色々って、どんなこと?」
「え…重たい資料を一緒に運んでもらったりとか…」
「他には?」
「他にって…必要な書面を預かってもらったりとか…学校には結構雑用が多いんですよ」
「ふぅん」
実央先生の説明に広瀬さんは納得したようなしていないような、そんな顔だ。この人の地雷はどうもわからないな。実央先生もさすがに盗撮その他は話していないだろう。
「今日は広瀬さんに勉強を見てもらえて、本当にありがたかったです。家庭教師になってほしいくらいです」
僕は話題の方向転換を図って、改めて広瀬さんを持ち上げた。
「コツを掴めば理数も楽しいよ、うちに来れば教えてあげるのに」
冗談半分だろうが広瀬さんがそんなことを言うと、
「ダメですよ、暁人さん。生徒が教師の家で勉強なんて。僕が教えるわけじゃなくても、それはまずいです」
(…ん?広瀬さんの家で教わる=実央先生の家に行くってこと?この人今「実央先生と一緒に住んでます」アピールした?)
実央先生は広瀬家でお世話になっているという事か?きれいなお姉さんや大学生らしい弟さんとも同居してるのか?学校から家が近いのかな。まあ親戚ならそれもありか…。でも僕の心中には、何か釈然としないもやもやしたものが残った。
「あ、僕そろそろ失礼します。外も暗くなってきたし。ええと食事代を…」
そう、僕は広瀬さんに勧められてピザを食べていた。
「いいよ、俺が誘って食事も勧めたんだし。沢田君にはいろんな話を聞けたから」
そんなにたくさん話したか?まあいいや。
「ありがとうございます。ごちそうさまでした。勉強もありがとうございました。お先に失礼します」
僕は立ち上がって頭を下げた。
「引き止めちゃってごめんね、気を付けて帰ってね」
「さようなら、沢田君。進路や予備校のことはご両親によく相談するといいと思うよ」
実央先生がにっこり微笑む。広瀬さんも笑顔だが、なんか違う。僕はファミレスを出た。なんとなく僕は「邪魔者」のような気がしたからだ。
その夜僕は広瀬さんに言われた通り、お父さんとお母さんに進路について相談した。初めてではなかったけれど、今まであまり具体的な話はしていなかった。
「正直学部はまだ決められていない。でも進学させてほしいと思っています。国立はさすがに厳しいだろうけれど、受けてみようとは考えてる。それで…できれば理数科目だけでも予備校に行けたらと思ってるんだけど…大学は奨学金を使わせてもらってもいいと思っています」
僕は両親に対して中途半端に丁寧な言い方で、お願いをした。
「最初からそのつもりでいたよ、改まって相談とか言うからなんだと思った」
お父さんは笑っている。
「そうよ、お姉ちゃんだって大学行ってるんだし、子供の頃から学費の積み立てはしてるしね。せっかく三輪春に入れたんだから、大学行かないっていうのはないでしょう。奨学金の心配までしなくて大丈夫よ」
お母さんもあっさり言ってくれた。正直私立高校に通っただけでも親に負担を掛けていると思っていたので、ホッとした。僕はお父さんのお給料がどれくらいかなんて知らないけれど、一応戸建てには住んでるし、そこまで低くないのかもしれない。
「予備校も取りたい科目申し込みなさい。それくらいお母さんのパート代でどうにかなるわよ。受付には親も行った方がいいの?」
「あ…わからないや、今度資料もらってくるし、友達にもどこがいいか情報もらってくる」
なんだかとんとん拍子に話が進んだ。広瀬さんの何気ない一言が後押しになってくれたみたいだ。僕もバイト代を全部BLマンガにつぎ込むんじゃなくて、たまには参考書に使うことにした。
春休みの衝撃
3学期の期末テスト、僕はさらに順位を上げた。それでも20位にはもう少し及ばなかったのだが…。お父さんが冗談交じりに「国立も狙えるんじゃないか」なんていうくらいだった。
(上杉、すごいな…)
漫研で多分腐男子の上杉は、必ず20位以内に入っている。
(BL読みつつ、この成績…心の中で呼び捨てにしていたけれど、これからは「上杉君」にしよう)
御幸さんは第一志望の国立大学に無事合格した。卒業式前たまたま廊下で御幸さんに会った時、僕は「合格おめでとうございます」とお祝いの気持ちを伝えた。
「ありがとう、君の言葉で吹っ切れてあの後勉強に集中できたよ。明石先生にも『おめでとう』って言ってもらえたしね」
御幸さんは笑ってそう言っていた。僕の言葉が少しは役立ったのなら、嬉しいことだった。
春休みに入っても、図書室が開いている日はできるだけ学校に行った。受験を控えた同学年が結構利用している。2時近くになって、少し休憩しようと廊下に出た。
(どうしようかな…今日はバイトを入れていないけれど、キリがいいからこれくらいにしておこうかな…)
そんなことを考えていると、向こうから実央先生が歩いてきた。
「実央先生、こんにちは」
つい声を掛けてしまった。学校は春休みでも、先生たちは新年度の準備などがあるんだろう。
「沢田君こんにちは、今日も図書室?熱心だね」
ああ、この笑顔…癒される…
「そうなんですけど、今日はおしまいにしとこうかなと…時間ありますけれど、何かお手伝いすることありますか?」
実央先生の騎士を自認する僕は、何でもいいから役に立ちたい。
「手伝い…そうだなあ、じゃあお言葉に甘えてちょっとだけ」
「はいっ」
僕は図書室からバッグを引きあげて、実央先生の後に付いて行った。声掛けてよかったー!実央先生は僕を社会科教室に連れてきた。
手前に机と椅子、奥に向かって図書室みたいな書架が並んでいる。
「これなんだけど、新年度に使う紙の教材が追加で来ちゃってね」
学校にもよると思うけれど、三輪春の場合は電子黒板を利用し、生徒はタブレットを一台持たされている。必要な資料は大体そこに納まっているのだが、それでも紙の資料がゼロというわけではない。黒板の写真撮影は禁止されていて、ノートへの記入が必須だ。三輪春は校内へのスマホの持ち込み自体は禁止されていないが授業中の使用は厳禁で、破ると厳しい罰則が科せられる。
「手前から3番目の棚が開いているから、そこに学年別に並べといてくれるかな。そんなに時間はかからないと思うから、終わったらそのまま帰ってくれていいよ。鍵は僕が後で締めておく。お礼はまた今度ね、ジュースだけど」
そう言って、実央先生は笑った。お礼なんていりませんっ、その笑顔で十分ですっ!
資料の収納が終わってほっとした僕は、そのままそこに座り込んだ。
(新年度かあ…実央先生と出会って早や1年…実央先生とお別れしたくないなあ。新入生はどんな子たちが来るだろう。いい「受け」素材が入るといいな。実央先生一人だけでは、負担が重すぎる…)(※何の?)
程よい疲れのせいか、そのうち僕はうとうとと居眠りをしてしまった。どれほど時間が経ったのか、人の話し声で目が覚めた。
(うん?ここどこだっけ…ええと…実央先生に会ってそれから…)
「明石先生」
あれ、金谷先生の声だな…ここ、社会科教室だったよな。僕寝ぼけて…
「好きです、明石先生」
!!!!!?????今、なんて言った!?僕はまだ夢でも見てるのか!?
「金谷先生…」
「友情とかじゃありません。恋愛的な意味です」
BL展開もここまで真正面からくると、喜ぶことも忘れてしまう。御幸先輩に次ぐこの衝撃、実央先生1年で2度男に告られるとか、さすが「受け」のクイーン!!(※ちょっと混乱しています)
「すみません、僕、お付き合いしている人がいます。金谷先生のお気持ちにはお応えできません」
えー、彼女いないんじゃなかったの?ひょっとして…
「それは…あの…広瀬さんという方ですか?」
( !! )
「はい…でもどうして?」
「わかりますよ、だって…」
金谷先生の声が少し笑いを含んだようだった。
「三輪春祭でお会いした時、俺の事すごい目で見てましたから。ああ、そういうことなのかなって、なんとなく」
「…そうですか…」
「明石先生と広瀬さんはその…」
「僕たちは同性愛者ではないです。でも大学で知り合ってお互い好きになって…今一緒に暮らしています」
「そうでしたか…」
だめだ、あまりにも急展開過ぎて腐男子の僕でも理解が追い付かない。もしかしてまだ都合のいい夢でも見てるのか?実央先生と広瀬さんがノンケカップル!?
「明石先生…僕は…ゲイなんです」
( !!??)
いやもう、どういう流れなんだよ、頑張って勉強した僕に神様が贈り物をくれたのか!?(※贈り物って…)
「だから伯父に…三輪春の理事長にここに来てくれと言われた時は、断るつもりでした。断りたかった」
金谷先生の声は辛そうだった。
「もちろん、ゲイだからと言って男子生徒とどうにかなるなんて、そんなことは考えていません。するつもりもない。でも、もしどこからか僕のことが知られてしまったら…ゲイが男子校の教師をしているなんて、世間からは非難されるでしょう。僕だけの問題でなく学校側の管理責任も問われてしまう。だからここへは来たくなかったんです」
そうだったのか…金谷先生がここに着任したがらなかったという噂は本当だったけれど、そんな理由だったなんて…
「でも去年の入学式の日にあなたを見て…あなたに会って『まずいな』と思いました。直感で好きになりそうだと」
まさかの一目惚れー!!実央先生って「魔性の男」か!?
しばらくの沈黙が流れた。僕どうしたらいいんだ?先生たちは僕がここにいる事知らないよな。出るに出られないし、出たら大変なことになるし…
「明石先生」
金谷先生が沈黙を破る。
「初めから諦めた上での告白でした。明石先生の気持ちに負担を掛けてしまって申し訳ない」
「そんな…」
「ただ、一度だけ…」
えっ、一度だけ何を!?まさかのキス!?まさかその先!?今ここで!?
「明石先生のこと、一度だけ抱きしめていいですか」
さすがにキス以上はないか…。それに対する実央先生の声は聞こえなかった。僕はそうっと資料の隙間から先生たちの方を見た。資料が邪魔で金谷先生のジャージが少し見えただけだったが、多分抱きしめているんだろうなと想像できた。金谷先生が何か言ったようだが、僕には聞き取れなかった。僕の心臓は今までで一番の早さで動いているようだった。
多分それから1分も経っていなかったと思う。金谷先生が先に部屋を出て、その後実央先生が部屋を出て…カシャッ…鍵が閉められました。はいー、こうなるよなあ。鍵自体は中からも開けられるので外に出られるが、問題はその後だ。鍵が開いたままだと実央先生の落ち度になってしまうし、社会科教室は1階なので窓から出るという手もあるが、やはり防犯上よろしくない。
(仕方ない、ここは演劇部になったつもりで…)
僕はとりあえず鍵を開け廊下に出た。春休みだから辺りに人影はなし。思いっ切り走って息せき切って職員室に行った。
「実央先生!あー、いてくれてよかったー」
「え、沢田君、帰ったんじゃなかったの?」
「すみません、僕社会科教室にスマホ置いてきたみたいで…鍵貸して下さい。締めたらまた返しに来ます」
ハァハァ息を吐きながら、そう言った。
「そそっかしいなあ、はい」
実央先生は鍵を貸してくれた。
「沢田君」
(げっ、教頭先生)
「『実央先生』とはなんだね。ちゃんと明石先生と呼びなさい。明石先生もちゃんと注意するように。まったく最近の生徒は実央君だの松センだの…」
「すみません、よく注意しておきます」
実央先生はそういうと僕に「行っていいよ」という目配せをした。僕は社会科教室に戻って鍵を閉め、先生に鍵を返して学校を後にした。もうだいぶ日が傾いて、図書室を出てからの時間の経過がよくわからなかった。
(実央先生、驚くほど落ち着いてたな)
僕は現実に起こったことと妄想の間で揺れ動き、しばらくは勉強が手に付かなかった。
アップデート
3年生になってすぐ、僕は漫研に入った。クラブ活動には親の許可がいるのでお母さんに頼んだが、
「なんで3年生から?普通やめる時期でしょう?受験勉強するんじゃないの?」
さすがにすぐ許可は下りなかった。
「たまに顔出してみんなとマンガやアニメの話をしたりするくらいだから。漫研に上杉君ていう同学年の子がいて、いつも成績上位なんだよ。予備校も行くけど、彼にも勉強見てもらうことになってて」
僕はそう説明した。これはウソではない。上杉君にはわからないところを教えてもらうようお願いして、OKをもらったのだ。
ここで姉ちゃんがまた、
「いいじゃない、メリハリ付いた方が案外勉強にも集中できるわよ」
と、援護射撃したくれた。ちなみに僕にも絵心は全くない。姉ちゃんの遺伝子を受け継いでいる(※それを言うなら親の遺伝子では?)。お母さんは渋々入部届にサインしてくれた。
遡ること2日前、僕は漫研を訪れて入部したい旨を上杉君に伝えた。
「えっ、今から?」
上杉君も驚いていた。ちょうどその日は新入生勧誘で他の部員が出払っていて、部室には上杉君一人だった。
「上杉君て、腐男子だろ?」
僕は思い切って聞いてみた。上杉君はちょっと動揺したようで、
「どうしてそれを…」
不思議そうに僕を見た。
「去年の夏休み、会川先生のサイン会に行ってただろ、その時見かけたんだ」
「ああ…」
上杉君は困った顔をしている。
「実は、僕も腐男子でさ。サイン会に参加する度胸はなかったんだけれど、一目会川先生を見てみたくて。そこで上杉君見つけて驚いた。勇気あるなって」
「勇気なんて…あの時か…本当に沢田君も腐男子なの?」
「うん、三輪春に来てからだからまだ歴は浅いけど。上杉君はいつから?」
「僕は中学から。うっかり買った2次創作がきっかけで。あ、でもそれで三輪春に来たわけじゃないよ」
「僕は姉ちゃんの持ってた漫画がきっかけ。姉ちゃんは腐女子じゃないみたいだけど」
上杉君は少し安心したようだった。
「沢田君は…コ〇ケとか行ったことある?」
「コ〇ケかあ、興味はあるけど行ったことはないな」
「じゃあさ、今年は無理だけど来年二人とも大学生になったら、一緒に行こうよ。会場に入るまでがちょっと大変だけど、楽しいよ。会川先生も初めは同人作家さんで、それで評価されてプロデビューしたんだ。先生の同人誌持ってるから、今度貸すね。ちょっと刺激が強いけど…」
「マジで?すげーうれしい、来年絶対行こうな」
そう言いながら彼の手元に目をやると、描きかけのイラストが置いてある。
「これ、上杉君が描いたの?すげーうまいじゃん」
「いや、そうでもないけど。さすがにBLはここでは描けないから家でこっそり描いているんだ」
上杉君は恥ずかしそうに、メガネをかけ直した。
「すげーうまいって、僕絵の方はさっぱりでさ、今度読ませてよ」
「それが…読んでもらう程のものがないっていうか…こんなふうにイラストは描けるんだけとストーリーの方がダメなんだよ。既存の作品みたいになっちゃって」
「妄想とかしないの?腐女子は色々妄想も楽しむじゃん、ここ男子校だよ」
「妄想…はあまりしないかな、2次元はいいけど3次元になるとなんかリアル過ぎてうまく想像できなくて」
「俺も1年まではそんな感じだったけれど、去年実央先生が来たじゃん」
僕は前のめりになった。
「実央先生?ああ、明石先生…確かにわいい先生だけど」
「三輪春にはあんな『総受け』の逸材がいるのに、宝の持ち腐れだよ!?」
僕は一体何を熱く語っているのだろうか。
「でも、明石先生と誰を…」
「いるじゃないか、金谷先生とか保健室の藤原先生とか、なんなら生徒の『攻め』で!」
「なるほど…でも設定ができてもストーリーが…」
あーっもう、上杉君も理系の方か!僕なんかつい最近実央先生を巡る広瀬さんと金谷先生の三角関係で1本ストーリーができちゃったよ(※あの勉強は…)。
「それならさあ…」
上杉君がおもむろに口を開いた。
「沢田君がストーリテラーになってよ、僕が作画するからさ。漫画家さんには、ペンネームは一つで実は複数人で創作してるって場合があるんだ。BL作家さんにもそういう人いるよ」
「よし、それで行こう」
…「よし」とは?まあいいや。聞けば上杉君のお父さんは設計事務所を構えていて、彼もいずれはそれを継ぎたいという。医者や弁護士でなくてよかった。仕事のペース配分は自由が利きそうだ。万が一僕たちがBL作家として大成してもやって行けるだろう(※設計士さんに失礼では?)。
そうなると僕はやはり文学部か経済学部だな。話を作るという事なら文学部だが、もしうまくいった暁にはマネジメントも大切になってくる。もちろんちゃんと職にも就くが、2足の草鞋でも可能なものにしよう。K大経済学部…僕でも狙えるだろうか。
「ところでもう一つ相談があるんだけれど…」
僕は上杉君に勉強を教えてもらうことをお願いした。お互い予備校もあるので、空いた時間だけになる。
「それくらいなら任せてよ。3年になってフル活動はできないけれど、僕も週2くらいで部室に顔を出すつもりだしさ。受験で3年生が抜けたから、たとえ1年間でも沢田君が入ってくれて嬉しいよ」
上杉君はそう言ってくれた。どうして僕は上杉君が同好の士だとわかった時に、すぐ漫研に入らなかったんだろう。それだけは悔やまれる。でも、かけがえのない腐男子パートナーを得られたことは事実だった(お互い腐男子であることは周囲には秘密だ)。
新年度、実央先生は1年生の担任になった。金谷先生は去年と同じ2年生の担任だった。
(今年は分かれちゃったな…その方がよかったのかも)
僕はあの日社会科教室で、金谷先生がどんな顔でどんな表情で実央先生を抱きしめていたんだろうと考えることがある。
(きっとすごく切ない顔だったんだろうな)
それを思うと胸がきゅっとなる。それとは別に、あの一日で広瀬さんの諸々の言動の謎が解明できてすっきりしたのも確かだ。もやもやが晴れて勉強に専念できる(※ホントに?)。
ただあの日のことは誰にも言えない。腐男子パートナーの上杉君にも話せない。墓場まで持って行くっていうやつか?いや、僕が80過ぎのおじいちゃんになって、孫相手に「高校生の時にこんなことがあったんだよ」って話すくらいは、許されるかもしれないな。僕は昭和のドラマに出てくるような家の縁側で、日向ぼっこしながら孫と話す自分の姿を妄想…じゃなくて、想像してみた。
終わり
*おまけ もう一人の腐男子の呟き
その日、広瀬暁人・明石実央のスイートホームは大騒ぎになっていた。
「はい、じゃあ3人でじゃんけんね、いくわよ」
姉の綾乃が仕切り始める。広瀬暁人は俺の兄貴で綾乃には弟だ。
「ちょっと待て、なんで3人でじゃんけんなんだ?チケットは2枚、1枚は当然実和子さん、もう1枚は俺に決まっているだろう」
何を今更という感じで、兄貴が不服を申し立てる。
「それじゃあ私が行けないじゃないのよ」
「行かなくていいだろう、姉さんも篤紀も」
篤紀というのは俺のことです。兄貴と実央君は大学で知り合った同性カップル。二人ともノンケだが、ごくごく自然に惹かれ合い愛し合って、現在同棲中。兄貴は社会人3年目になるが、実央君は春から都内の名門私立男子校、三輪春学園の社会科教師として頑張っている。
それで今何を争っているかというと、10月に行われる「三輪春祭」という文化祭のチケットを誰が獲得するかということだ。学校にもよるが昨今文化祭の入場はチケット制になっているところがあり、三輪春も例に漏れない。教員の場合割り当ては一人に付き2枚で、1枚は実央君のお母さん実和子さんに決定している。お父さんの匠さんは当日都合が悪くて行けないらしい。残り1枚枠を巡って激しい争奪戦が繰り広げられているというわけなのだ。
「俺が行かなくてどうするんだ、姉貴も篤紀も行ったってしょうがないだろう」
兄貴は憤慨している。いや、行きたいんだよね…なぜなら俺は…「腐男子」だから!
カワイイ系男子の実央君の職場というだけでも興味深いのに、男子校だよ?行くっきゃないでしょ。大体なんで姉貴がそこまで行きたがるのかが、わからない(※腐女子だからです)。
「とにかく俺とお母さんで行くから、二人は遠慮して…」
兄貴が言いかけたところで、
「あの…私が遠慮します」
実和子さんがポツリとそう言った。
「お母さん、なに言ってるんですか。お母さんが行かなくてどうするんです。お父さんにも学校の様子を教えてあげたいでしょう?」
兄貴が勢い込んで言う。兄貴は実央君の両親のことは、普通に「お父さん・お母さん」呼びしている。
「それは…そうなんだけど…」
「あの―…」
そこで当事者の実央君がようやく口を開いた。
「皆さん熱心に来ようとして下さるのはありがたいんですけれど、僕が言うのもなんですが、そこまで面白い催事はないかと…」
実央君は遠慮がちに言う。先生だから二日間の文化祭で何が行われるかは大体把握しているだろう。
「催事がどうとかじゃないのよ、実央君の職場(男子校)が見たいの」
姉貴は頑として譲らない。
「実央に関して一番権利があるのは俺…お母さんと俺だろう」
兄貴も当然譲らない。今「お母さん」より先に「俺」って言ったよね?
「それじゃあ…誰か他の先生に聞いてみます…」
実央君が言い出した。
「聞いてみるって?」
「チケットは譲渡が可能なんです。あまり推奨はされていないけど。チケットを使わない先生がいたら相談してみます…でも、あまり期待しないで下さいね」
結果譲ってくれる先生がいたということで、無事4人で三輪春祭に行くことができたという次第である。俺も高校は私立だったが共学だった。
(まあ造りは似たり寄ったりだな)
校舎同士を繋ぐ渡り廊下に差し掛かった時、姉貴が実央君の姿を見つけた。
「あっ、実央くーん!」
姉貴がけっこうデカい声で実央君を呼ぶ。恥ずかしいな。
「暁人さん」
実央君がこちらに気付いて近づいてくる。新鮮だ、ジャージ姿の実央君。
「お母さん、綾乃さん、篤紀君も…」
「姉貴声でけえよ」
俺は苦言を呈したが、あっさり無視された。
「広くてキレイねえ、さすが名門私立」
「実央がこんなところで働けてうれしいわ」
姉貴と実和子さんが続けて言うと
「明石先生、ご家族ですか」
実央君の後ろから同じくジャージ姿の男の先生が声を掛けてきた。
「あ、はい、うちの母と…」
「明石実央の母でございます。息子がいつもお世話になっております」
実和子さんが頭を下げる。
「こちらこそお世話になっています。新任ながら明石先生はすごく頑張ってくれています。そちらは…」
その先生は俺たちの方を見た。
「ええと…」
実央君が説明に困っていると、
「親戚です」
姉貴がいけしゃあしゃあと答えやがった。ほんと、神経図太いな。
「広瀬暁人です。実央が大変お世話になっています。これは姉の綾乃と弟の篤紀です」
兄貴が挨拶をする。俺も頭を下げた。兄貴…なんか圧がすごい。同僚の先生威嚇してどうすんだよ。その先生は背が高く、体育教師なのかスポーツ体型でカッコイイ。
「こちらは2Bの担任でとてもお世話になっている金谷先生。みんなのチケットを譲って下さった先生だよ」
「ご挨拶が遅れました。明石先生と同じクラスを受け持つ金谷と申します。よろしくお願いします」
改めて男の先生が名乗った。これが前に聞いた金谷先生か。兄貴、睨むのやめて下さい、お願いだから。
「まあー、チケットを譲って下さった方?ほんとーにありがとうございます!おかげ様でみんな来られました。2枚だけだと争奪戦になって大変で…」
姉貴がまた大きな声で言う。そんな説明してどうするよ。
「姉さん…」
「はあ…?ど、どういたしまして…?」
金谷先生は困惑した表情を見せている。そりゃそうだよな、なんだこの一団はって思うよな。
「あ、じゃあ、僕金谷先生と巡回中だからもう行くね。みんなゆっくり楽しんで下さい。行きましょう、金谷先生」
実央君はそう言って金谷先生と一方の校舎の方へ入って行った。
それを見送る兄貴の顔が、まー怖いこと。でもそれを見ている俺と姉貴はなんだかニヤニヤしてしまった。
(兄貴面白れぇ、嫉妬心丸出しでやんの)
その日三輪春学園を出た後、俺たちは一旦近くのファミレスで休憩した。
(かっこいい男子が何人かいたけれど、いかんせん「受け」素材が足りてないなー。実央君の一人勝ち?じゃん。実央君のクラスはメイド喫茶だっけ、実央君がメイドになった方が可愛かったのに)
俺は内心そんなことを思っていた。
「暁人、あんたずっとそんな顔してるなら来年から来なくていいからね」
姉貴がアイスティーを飲みながら兄貴に言った。
「来年て…まさか姉さん来年も来るつもりじゃないだろうな」
兄貴は姉貴に向き直った。
「当然来るわよ、毎年。実央君が三輪春にいる限りは」
姉貴は平然と言ってのけた。
「私は…毎年でなくてもいいかしら…」
実和子さんの方が消極的だ。
「俺も毎年来たい、じゃあ来年は俺と姉貴だね」
俺が言うと
「ちょっと待て、俺は来ないとは言ってない」
兄貴が反論する。
「だったらその仏頂面どうにかしなさいよ」
姉貴の一言に兄貴は黙り込んでしまった。
後日、俺と姉貴はまた兄貴達の所に行った。
「…ちょっとうちに来る回数が多くないか?バラで来る時もあるよな」
「バラとは失礼な言い方ね。姉が来てあげるのがそんなに迷惑なの?」
「来てあげる」って…まあ迷惑だとは思うよ。
「それより実央君、金谷先生にチケットのお礼をしたいのだけど」
姉貴は実央君の方を向いて、そう言った。
「そういうのは禁止されているので…学食一食分とかは、大目に見ているみたいですけど。大丈夫ですよ、僕がお礼をしておきましたから」
「実央君が?何を?」
「一回だけお弁当を作って差し上げました」
うわー、兄貴そっぽ向いて明らかに不機嫌そう。
「お弁当って…実央君お弁当作るの?」
「毎日じゃないですけどね、夕飯のおかずを多めに作った時とかに。二人分の時もあるし、1食しかできないときは暁人さんの分だけ」
実央君がそういうと兄貴はいきなりデレた。簡単に想像できる。オフィスか社食か知らんけど、嬉々として自慢げに実央君の作った愛妻弁当を広げる兄貴の姿が。それだけに他の男が実央君のお弁当を食べるのは、気に入らなかっただろう。
「実央君の料理で一番好きなのは?」
俺が聞くと
「…みんなおいしいけど、生姜焼きかな」
兄貴は答えたが、
「ああ、それ金谷先生も美味しかったって言ってくれました」
無邪気に応じる実央君。実央君…君さあ、もう少し「空気を読む」ってことを覚えた方がいいと思うよ。
「でも実央君、すっかり先生の顔になってたね。頼もしかったよ」
珍しく姉貴がまともなことを言った。
「そんな…まだまだです」
照れる実央君が可愛い。
「実央は頑張ってるよ」
隣に座る兄貴はポンポンと実央君の頭を軽く叩いた。はい、ごちそうさまです。でも実央君は首を横に振る。
「年頃の男の子は悩みも多いですから、相談されても僕なんかまだ力になれなくて」
「悩み?」
俺は聞いた。実央君の口から「年頃の男の子」という言葉が出るのはなんだか妙な感じだった。
「性の悩みとか…」
実央君はちょっと言いにくそうだった。実央君の頭に置いた兄貴の手が固まる。
「性の…悩み?なんでそんなこと実央に聞くんだ?保健体育の教師でもないのに」
「さあ…教員の中で歳が一番近いから話しやすいのかな。でも僕も曖昧なことは言えないから、近いうちに養護教諭の藤原先生に相談に行こうと思ってるんです」
ふーふーとお茶を冷ましながら、真面目な顔で実央君は話す。うーん、歳が近いからっていうより、意図的に実央君に聞いているんじゃないのか、その生徒。俺はそんな気がした。兄貴が自分の頭に手を置いたままなので、実央君はちょっと困っている。兄貴、親父に「どんなに腹立たしくても冷静に対処できる男になれ」って言われたよな?
そうは思いつつも
(やっぱり面白いわ、男子校の実央君、兄貴の百面相)
俺は下を向いて笑いをこらえた。俺の隣で姉貴も口に手を当て、笑いをこらえているようだった。やっぱりここに遊びに来るのは、やめられないや。
おしまい
お楽しみ頂けましたでしょうか。昨今の学校事情には疎く一応調べて描いたつもりですが、実際とずれている所があったらご容赦下さい。また最近の学校では生徒の呼称を「さん」で統一しているという話も聞いております。私の作品では過去作も含め、「君」・「さん」を併用させて頂いています。親しい間柄では呼び捨ての場合もあります。不快に思われる方がおられたら申し訳ありませんが、筆者に差別的な意図はございません。気楽にお読み頂けると幸いです。




