また明日
僕はある公園でタバコに火をつけた。今時、ベンチの傍に吸殻缶が置いてある公園なんてないよ。
「久しぶりに地元に帰ってきたな。」
僕は仕事の関係で故郷を離れていた。
夏休みをもらい地元へ帰ってきて、一番最初に訪れたのがこの公園である。
「おはよう。少年」
毎朝、同じ時間。
吸殻缶の置かれたベンチに座って、煙を吐きながら、僕にだけそう言う。
僕はもう一度この声を聞きたくて、ここに帰ってきたのかもしれない。
* * * * *
数年前。僕がまだ小学4年生の頃だ。
みんなより少し早起きな僕は1人で小学校に向かう。その時、通学路の途中にある公園で、不思議な女性を見た。朝日を浴びながら煙を吐き、どこか遠くを見つめている。
その姿に幼いながら魅了された。
「きれい...」
思わずそうつぶやいた。
「...おはよう。少年」
「あっ...。聞こえてましたか?」
「...うん。聞こえた」
「お姉さんはここで何してるの?」
お姉さんは吸殻缶に灰を落とした。
「...仕事終わり。ぼーっとしてた。少年こそ何してるの?」
「僕はこれから学校に行くよ」
「そうか...」
お姉さんは僕と目を合わせてくれない。
吸殻缶に短くなったタバコを押し付けた。
「...遅刻、するんじゃないぞ」
「うん。わかった」
お姉さんはすっと立ち上がって歩いていってしまった。
その日から、毎朝この公園に来る理由ができた。
* * * * *
今日の朝は一段と冷え込んだ。
僕はそんなのお構いなしで家を飛び出した。
公園まで来たくらいでやっと寒いことに気がついた。朝はやっぱり冷え込むな。
相変わらずお姉さんは煙を吐いていた。
「...おはよう。少年」
「お、おはよう。お姉さん...」
僕の体は隠せないほど震えていた。
「...寒いだろ。薄着で」
「そ、そんなことないよ。お姉さんも寒いでしょ」
「...まあ、ちょっとだけな」
「強がってるんでしょ」
「...別に」
ポケットにしまわれたお姉さんの手も少し震えていた。
「...無理すんじゃねぇぞ」
お姉さんタバコの火を消して去って行った。
「お姉さんもだよ!」
僕は去っていく背中に叫んだ。
お姉さんはひらひらと片手をあげた。
* * * * *
「おい。ジジイ!」
最悪だ。いつも通りの時間に家を出たのに、学校で有名なめんどくさい二人組に絡まれてしまった。
「今日も早起きだなジジイ。朝公園に行ってるんだってな」
「さすがジジイ。朝の運動は欠かせないもんな」
なんでこんなこと言われなきゃいけないんだろう。ちょっと朝が早いってだけで。
「お前みたいなジジイは小学校に来ちゃいけないんだぜ?」
「おい無視すんなよジジイ。まさか、耳も遠いのか?本当にジジイじゃん」
僕は無視を貫いたまま、公園まで歩いた。
お姉さんに迷惑はかけたくない。そのまま公園を過ぎようとした。
「おい。朝からうるさいんだけど」
お姉さんの声がした。
振り返ると、お姉さんが僕の後ろをつけていた2人組に声をかけている。
「は、はい!ご、ごめんなさい」
2人組は逃げていった。
お姉さんはただ、真顔でうるさいって注意しただけなのに。2人とも怯えたんだ。
僕はベンチに走っていった。お姉さんもベンチに座った。
「お姉さん!ありがとう!」
「...別に」
お姉さんはいつもより荒々しく、吸殻缶にタバコを押し付けた。
「ああいうの、嫌いなんだよ。弱い奴に当たるの。つまんないだろ」
お姉さんから話し始めるなんて、珍しかった。
「...あんなのに、なるなよ」
「わかってるよ」
お姉さんの歩くスピードがいつもより速い気がした。
* * * * *
「お姉さん。名前教えて」
「...やだ」
僕はこれまでずーっとお姉さんと話してきたけど、そういえば名前を知らなかった。
「なんで教えてくれないの?」
「やだから」
タバコはもう短い。
そろそろ帰ってしまう。その前に聞き出さないと。
「じゃあ。僕が名前言うからお姉さんも名前言ってね」
「...。」
「僕の名前は上之保 周。お姉さんは?」
「...三郷 永」
「いい名前だね!なんで嫌なの?」
「...別に」
お姉さんはふと目線を逸らした。
「...少年。あまねっていうのか」
「お姉さん。あまねって呼んでよ。一回だけでもいいから」
「やだ」
「お姉さんのケチ」
「...ケチじゃないし」
お姉さんはいつも通り、吸殻缶にタバコを押し付けた。
「...また明日。あまね」
「うん!また明日!はるかお姉さん!」
お姉さんは小走りで公園を出た。いつもより早かった気がする。
* * * * *
今日はなぜかいつもよりも早く目覚めた。いつも早起きなのに、さらに早く起きるなんて...。
何かあるのかもしれない。そんな予感がして早く家を出てみた。
「いつも違う時間だからお姉さんいないよな」
なんて思いながらいつもの公園に来てみた。
「あ。いた。お姉さ...ん?」
いつも僕を見つけたらおはようと言ってくれるはずなのに、今日はベンチに体育座りをして膝の上で腕を組んでそこに顔を埋めていた。タバコの匂いもしない。
「お姉さん。大丈夫?」
僕は心配になって駆け寄った。
お姉さんは突っ伏したままだ。
「...おはよう。少年。...早いな。今日」
お姉さんのこえがしゃがれていた。しゃっくりもしている。
「お姉さん。なんかあったの?」
「...少年には関係ないよ」
お姉さんは組んだ腕に埋めた顔をあげて目だけを出した。
目が赤い。少し腫れている。
「お姉さん。もしかして泣いてた?」
「...うん」
ないで泣いているかはわからない。それでも元気にさせたい。僕は小さな頭で考えを巡らせた。
「そうだ!お姉さん。こっち来て」
僕は少し乱暴にお姉さんの腕を引っ張った。
「ちょ。え?」
さすがのお姉さんも困惑している。
「僕。お姉さんに何があったかわからないけど、少しでも元気づけたくて一個いい考えを思いついたんだ。ブランコに乗ろうよ」
「ブランコ?」
「そう。なんか元気出るじゃん」
「...」
僕はブランコに乗った。お姉さんもブランコに腰掛けた。
「どう?ブランコって落ち着くでしょ」
「そうだな」
お姉さんは強く地面を蹴った。
靴底が砂と擦れる音がする。
初めてお姉さんの笑った顔を見た。
「よかった。お姉さん笑顔になった」
「...あまり。こんなとこ見せたくなかったな」
「ん?なんかいった?」
「...なにも。ありがとな。少年」
僕は嬉しかった。少しお姉さんを元気づけることができたと思う。
「なあ。少年」
「なに?」
「...ここに来れるの。今日で最後なんだ」
「え?なんで?」
「仕事...。もう無理だ」
「仕事?」
「...少年には関係ないこと」
お姉さんはブランコを降りた。
「なんで関係ないの?僕はお姉さんともっと話したいよ」
「...今までありがとな。少年」
お姉さんは振り返らなかった。
僕は何もできなかった。
ただ、その背中を見つめることしかできなかった。
最後の言葉は優しかった。
その日を境に、あの公園でお姉さんに会うことはなかった。
* * * * *
僕はあの日を後悔している。最後くらい。バイバイと一言言えたらどれだけよかったことか。
あの時、僕に関係ないと言って消えてしまったお姉さんにまた会えないかな、という淡い期待に胸を膨らませていたが、もう無理だろう。
ああ。いかんいかん。思い出に耽っていたらもうこんな時間だ。
やっぱりお姉さんには会えないや。少し期待しすぎた。僕はベンチから勢いよく立ち上がり、実家に戻ろうとした。
「少年。ライターないか?」
背後からの突然の声にびっくりした。聞き馴染みのある声だ。ゆっくりと振り返った。
「お姉...さん?」
いるはずがないと思っていた。
「大きくなったなぁ。少年」
そう言いながらお姉さんは僕の頭を強く撫でた。
「...おはよう。少年。久々だな」
「久しぶり...」
「...火」
「ああ。はい 」
久しぶりでライターをつける手が震えた
あの煙の吐き方。間違いない。
「...タバコ吸うようになったんだな」
「お姉さんのおかげでね」
風の音が聞こえる。
蝉も鳴いている。
「ねぇ。お姉さん。なんでいなくなっちゃったの?」
「...転職だよ。前までは夜勤バイトだったけど、ちゃんと定職に就いたんだ」
「もう無理だって言ってたね。今ならなんでかわかるよ。関係ないとも言ってたけど、もう関係ないことないしね」
「...そうか」
「...ねぇ。彼氏とかいるの?」
「な、なんだよ急に...」
「聞いてみただけ」
「どうだと思う?」
「いないと思う」
「...。不服だけど正解だよ」
ここはのどかだ。騒がしいものは一つもない。
「...。じゃあさ」
ぼくはベンチから立ち上がった。
「また明日って言える関係になりませんか」
周りを静寂が包む。お姉さんは一言も話さない。
「...もう、少年とはお別れだな」
「え?」
お姉さんはすくっと僕の目の前に立ち上がった。
「...よろしく。周くん」
「それって...」
「そういうことだよ。少年」
彼女は笑った。
今まで見たどんな笑顔よりもずっと綺麗な笑顔だ。
* * * * *
また、あの頃の日常が戻ったような気がした。
数日の間はここで過ごすつもりだ。だからその期間はお姉さんに会える期間でもある。
「おはよう。お姉さん」
「...おはよう」
相変わらず煙を吐いていた。
「...まだお姉さんって呼ぶ気なのか?」
「う〜ん...。なんか、お姉さんって呼ぶのが一番しっくりくるから、そうやって呼んでる。お姉さん呼び嫌だ?はるかって読んでほしい?」
「...そう言う関係なのに、お姉さんっておかしくないか?」
「そう言う関係?」
「...。わかるだろ。そのくらい。言わせんな」
僕に向かって悪態をついてくる。
「エェ?ワカラナイナァ」
「...ガキが...。こ...恋人だよ...」
「キコエナイナァ」
「恋人だよ!」
...。
「なんで黙るんだよ」
「お姉さんの大きな声初めて聞いたかも...」
「...少年といると気が狂うわ」
「お姉さんだって少年呼びじゃんか」
「もうどうでもいいよ。私仕事行くから。じゃあな」
まだ吸える長さのタバコを吸殻缶に捨てて、逃げるように公園を出て行った。
少しからかいすぎたかもしれない。
* * * * *
「おはよう」
「おはよう。周」
「周って呼んでくれるようになったんだね」
「...まあな」
太陽が僕らを見ている。何か伝えたいのかより光が強くなった。
タバコの煙がゆらゆらと揺れているのがよくわかる。
「...見過ぎ。近い」
「きれい...」
お姉さんの顔は朝日のせいか、赤くなっていた。
お姉さんは顔を逸らした。僕と目を合わせてくれない。
「...おい。手握んな」
「あっ。こっち見てくれた」
本当に美しくて綺麗だ。
「周。そんなことどこで覚えたんだ」
「永を振り向かせたくてね」
「まただ...」
僕らは手を握ったまま、朝日に照らされ揺れる煙を、静かに眺めていた。
心地の良い沈黙が2人を包んだ。
* * * * *
連休の最終日。いつもより早く起きた。
お姉さんと毎朝会えるのは今日が最後になる。
いつもお姉さんの方が先に公園にいる。今日くらいお姉さんを待とうと思い、早めに家を出た。
いつものベンチには相変わらず人影があった。
公園に近づくにつれてその人影は鮮明になっていった。
「お姉さ...ん?」
お姉さんはベンチに座っていた。いや体育座りをしていた。膝の上で腕を組み、そこに顔を埋めていた。
僕は妙に嫌な予感がした。
「お、おはよう。お姉さん」
「周。今日、連休最終日だったよな」
「そうだよ」
僕はお姉さんの隣に腰掛けた。
「...ちょうどいいな」
お姉さんは何か決心したのか、しっかりと座り直して遠くを見つめた。
そして僕の方を向いた。
「私たちの関係は歪だ」
「なに?急に」
「私は30歳。少年は20歳。10歳も年が離れてる。世間的に見て歪なんだ。少年には未来がある。私にはない未来が...」
そんなことない!って否定したいのに、喉に何かがつっかえて、うまく話せない。
「私たち、別れよう。今まで楽しかったよ。ありがと」
お姉さんは僕に微笑んで見せた。
その笑顔は今まで見た中で1番辛く、1番苦しかった。
「じゃあな。少年」
お姉さんは立ち上がった。
だめだ。行かないで。呼び止めなきゃ。
「...ねぇ。永」
僕は永の腕を硬く掴んだ。
「少年。もうお別れなん...っムグッ...」
永の口にタバコをねじ込んだ。
「それ...。ほんとに僕のため?お別れが本当に僕の未来のためなの?」
僕はお姉さんの返事を待たずに続けた。
「僕は、永が好きだ。いなくなってから10年。ずっと永を探してた。やっと会えたのに、未来のためなんて...。僕にとって永と付き合えることは夢でしかないんだよ。世間なんて関係ない。僕は、僕たちは、自分たちの世界で生きていけばいいんだよ」
永をまっすぐ見る。
「周りなんか気にしないで。僕を見て。10年。永をずっと愛した僕を」
自分でも驚くほど、言葉が溢れ出た。
「だから。あの時みたいに行かないで。僕の隣にいて」
もう涙で前が見えない。
お姉さんはフッと笑った。
ねじ込まれたタバコを手に取った。
「行かないで...か...。周。火、くれないか?」
「...うん!」
カチッ
火はタバコを焦がした。
「ずるいな。ほんと」
お姉さんはふっと煙をはいた。
僕はこの姿に魅了されたのだ。
この作品を読んでいただきありがとうございました。
どうも。雨樋朔です。
お姉さんと少年の大変純粋な恋を書きました。暗めなお姉さんとお姉さんに懐いた少年。書きたいものを書いてみたらこうなりました。
実はこの作品、別のエンディングを考えておりました。お別れエンドです。お姉さんは少年の未来を自分の手で壊したくないとずっと思っていて、少年もその意図を汲み取って、別れたくない気持ちを押し殺して、お互いに別の道を歩む。というものでした。しかし、この作品を書いている途中、2人に感情移入しすぎた結果、どうしても幸せになって欲しくてこのエンドが嫌で泣きました。書きたいものを書いているのに、泣くほど嫌な結末を書くのはどうだろうかと思い、エンディングを変えました。皆さんはそっちの方が見たかったり?
僕が良ければそれでいいんです。
お姉さんと少年の良さが全国民に伝わりますように。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう。
以上!雨樋朔でした。




