幼馴染が拾った鍵を「あげる」と言ってきたが、何の扉も開かないそれを鍵と呼ぶのはお前だけだよ ~只見線、朝霧の車内にて~
なんかこう、書くしかない夜ってないすか。
「新しいボクの鍵なんだけど」と雪乃が言って、指先でぶら下げた。
ミリ単位で綺麗に整えられた前髪が揺れた。車窓の光が真鍮の表面を撫でて、錆が一瞬だけ金に見えた。
古い鍵だった。輪郭が磨り減って丸い。どれだけ長く、土の中にいたのだろう。
「また拾ってきたの、雪乃?」と、燈。
「おう」
「今度はどこ」
「川沿いの廃屋。玄関の外」
燈は受け取った。裏返した。刻印は潰れて読めなかった。
「何の鍵かわかる」
「わかんない」
「わかんないか」
「わかるほうがおかしくない?」
「じゃあゴミだよ。ただの金属片だよね」
一拍。
「開く扉がなくなっただけで、鍵は鍵だ」
「扉のない鍵を鍵って呼ぶの、雪乃だけだよ」
「ボクだけで何かマズい?」
「よくないよ。雪乃の棚の上のやつ全部——割れた漆器、錆びた金具、誰のかわからない写真。雪乃ただ一人が意味を認めてるだけのコレクションだよ。他の全員にとってはゴミだよ」
雪乃の銀色の目が、動かなかった。
「ボクは、他の全員とかいう、架空の人の話はしてない」
「してる。自分以外が全員間違ってるって宣言しないと、あの棚は成立しない。それ信仰って言うんだよ」
「ボクはそれでいいよ」
「雪乃がそう言うの、いちばん怖いんだけど」
雪乃はポケットに鍵を戻した。何事もなかったように。
山が深くなってきた。林が暗く、朝の光がまだ届かない。只見川が、霧ごと景色になっていた。水面は見えない。川があることだけが、音でわかる。
しばらく、ディーゼルエンジンの音だけが続いた。
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燈がリュックから弁当を取り出した。
「また食べるの」
「腹減った」
「まだ七時前だよ」
「胃に時計はついてない」
タッパーの蓋が開いた。白米と、梅干しが一個。雪乃はそれを横目で見た。
「また一個?」
「また一個」
「増やさないの」
「増やさない」
「ボクに嘘つかないでよ」
箸が止まった。
「嘘?」
「最初は節約だった。今は違う。少なくても平気な身体を作ってる。髪をショートカットにしたのも、そう。出ていくために」
エンジン音が、急に大きく聞こえた。
「出ていくって、どこに」
声が平らだった。平らすぎた。
「東京でしょ。霞が関。燈の再建計画のフェーズ1」
空気が変わった。
「あれ、途中までしか見せてない。フェーズの話は書いてない」
「書いてなくても読めるよ。ボクだよ? 燈の頭の中は地図みたいに見える」
「それ、褒めてんの」
「事実を言ってる」
「事実の出し方に殺意があるよね、雪乃。いつも」
少し間があった。
「それは、たぶん、そう」
否定しなかった。燈は白米を一口食べた。梅干しには手をつけなかった。
「燈が出ていくのは正しい」と雪乃が言った。窓の外を向いたまま。ガラスに映った銀色の目は動かなかった。
「燈の計画は正しい。この谷を残すには、この谷の外に出なきゃいけないっていう判断も正しい」
「でも?」
「でもはない。全部正しい」
間を置いた。
「ただ、あの数字の中に、この霧はないよね」
燈の箸が止まった。
「燈が外で作るモノは、ここの人間の顔をしない。どうしたって」
静かな声だった。静かなのに、正確に深く刺さった。剣道と同じだ。雪乃が本当に打つとき、力はむしろ全部抜ける。
「じゃあ訊くけど」
「おう」
「雪乃はここに残って、何を守るの。壊れた鍵と、割れた漆器と、床に落ちたままの写真を棚に並べて、まぁいろいろ下品だけど元気な若い移住者を追い出して——一人ずつ減っていくのを見届けて——でっかいかぼちゃと一緒に、最後の一人になるまでそこに立ってるの」
雪乃は外を見ていた。
「それ守るっていうの、それとも」
「沈むっていうの?」
「先回りしないで」
「退路が見えたから塞いだだけだ」
燈の奥歯が鳴った。
「雪乃はさ」
「おう」
「私の言葉を使って私を刺すのやめてくれない?」
「やめない。燈が正確な言葉を使うから、正確に返してるだけ」
列車が速度を落とし始めた。ホームが見えてくる。
朝靄の中に小さな屋根と、誰もいないホーム。
扉が開いた。冷たい空気が入ってきた。朝の匂いがした。閉まった。また山の中へ入る。
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梅干しが弁当箱の隅に転がっていた。
「小学三年のとき」と燈が言った。「天野喜孝が作ったっていう像を、見に行ったことがある」
「急だね」
「梅干し見てたら思い出した」
「どう繋がるの」
「繋がるかはわかんない。でもそのときは、平日の昼間で、誰もいなくて。山も谷も橋も全部静かで。像だけがあった」
ショートカットの後れ毛が、ひとすじだけ耳にかかっていた。
「きれいだなって思った。アレは私がいなくても、普通にそこに存在してた。見られてなくても成立してる」
「梅干しとどう繋がるの」
「足りてなくても、成立してるものがあるんだなって」
「それ、燈の計画の話? それともこの谷の話?」
燈は答えなかった。白米を一口食べた。
「あの再建計画も」と雪乃が続けた。「誰にも読まれなくても成立してたんでしょ」
「うん」
「でもボクには見せたよ」
箸が止まった。
「あれは例外」
「なんで」
「雪乃はカウントに入ってない」
「どういうカウント」
「見られてない、のカウント。雪乃に見せることと、存在することは、たぶん同じ側にある」
雪乃が燈を見た。燈は窓の外を見ていた。
「じゃあ訊くけど」
「うん」
「見られてなくても成立してる。ボクに見せることと存在が同じ側にある」
「うん」
「なんで出ていくの」
声が静かだった。静かすぎた。
「雪乃に見せることと存在が同じ側にあるから、出ていくんだよ」
トンネルに入った。窓が暗くなった。ガラスに二人の顔が映った。
十七歳の、知りすぎた顔が二つ、並んでいた。
「なにそれ」
「わかってるなら聞かないで」
長い沈黙だった。エンジンの振動が身体の底に響いていた。
雪乃が口を開いた。
「見せることと存在が同じ側にあるなら、自分の目に映る場所を守ることが、存在の条件になる。だからこの場所ごと守る仕組みを作りに行く。霧は掴めなくても」
「正解」
「それ」
雪乃の声が、わずかに震えた。すぐに消えた。
「究極の詭弁だよ」
「詭弁じゃない。事実」
「事実の使い方が」
「詭弁っぽい。知ってる」
トンネルを抜けた。光が車内に戻った。只見川が、霧の下でゆっくり蛇行していた。
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しばらく、エンジン音だけが続いた。
雪乃がポケットから鍵を出した。指の上で転がさず、まっすぐ燈のほうへ差し出した。
「これ、あげる」
「いらない」
「いらなくても持ってて」
「何の鍵かわかんないって自分で言ったじゃん」
「そうだね。でも燈が持ってたほうがいい」
「なんで」
「出ていった先で、扉を見つけるかもしれない。星新一の短編みたいに」
燈は鍵を見た。何年も、何年も、誰にも使われなかった、真鍮。
「見つけなかったら」
「そしたら金属片だよ。燈の言う通り」
「すごくずるい」
「こちとら武道家だぞ」
燈の手のひらに、鍵が置かれた。冷たかった。錆の感触が指の腹に食い込んだ。握った。
「雪乃はさ」
「おう」
「いなくなったあとも、この谷で一人で立ってるんでしょ」
「一人じゃない。扉のなくなった鍵と、鍵のなくなった扉が、あるよ」
燈は口を開いた。何か言おうとした。言えなかった。言ったら壊れるものがあった。それだけは、壊してはいけないものだった。
列車が揺れた。肩が触れた。
どちらも、避けなかった。
会津若松はまだ遠かった。
ところでタイトルはマジで思いつかなかったので(「鍵」でいいじゃんって思ったけど)、面白半分にAIで自動生成しました。燈の立場で書かれているのに、雪乃の気持ちになれます。




