僕だけのおもちゃ箱
父が死んだ冬、団地の取り壊しが決まり、母と二人で荷物を整理していた。押し入れの天袋の奥に、ほこりをかぶった木箱があった。油性ペンで父の字が書かれている。一一僕だけのおもちゃ箱
鍵はかかっていない。開けると、色あせたミニカー、片目の取れたぬいぐるみ、へこんだ怪獣が並んでいた。どれも見覚えはあるが、自分のものだった記憶は曖昧だ。
怪獣の背中には、マジックで小さくこう書かれていた。
ーーゆうた
僕の名前だ。胸の奥が、じわりと熱くなる。あの夜の光景が蘇った。
保育園で泣きたくても泣けず、帰宅したら怪獣を投げつけた夜。父は怒らず、床に転がった怪獣の腹を押し戻していた。不器用で、ぎこちなくて、間に合わない手つきだった。
僕は襖の隙間からそれを見ていた。泣きたい気持ちは胸に溜まったまま、布団に潜るしかなかった。あのとき、父の目には僕がどう映っていたのだろうか。
箱の底にレシートの裏が一枚。父の字だ。
――あいつ、きょうも泣かなかった。
がまんばっかりさせてるな。
父は、僕の孤独も、強がりも、全部見抜いていたのに、何もできなかった。言葉は酒と新聞の向こうに消えていた。
箱の中のおもちゃは、父が伝えられなかった愛情の代用品だった。壊れて、直されて、投げられて、また直される。それだけが残った。
僕にとっての宝物ではない。残るのは罪悪感と手に届かない温もりの感触だけだ。
団地は取り壊される。箱も燃えるだろう。
怪獣だけをポケットに入れた。へこんだ腹はもう戻らない。
父は死んで、僕は泣かない。母はただ淡々と荷物をまとめるだけだ。
胸の奥にひりつく感覚だけが残った。
父の不器用な愛情と、僕の抱えきれない孤独と、失われた時間の味だ。
幼少期の記憶を思い返すたび、父の影はどこか冷たい。抱きしめてもくれない、言葉をかけてもくれない、ただ見ているだけの存在。
それでも、この箱は父なりの愛情の形だった。
不器用で遅くて、手遅れだったけれど、確かに存在した愛。
けれど、僕の胸にはその温もりは残らない。残ったのは、後悔の欠片と、触れられなかった時間だけだ。
団地は壊され、箱も灰になる。
怪獣を握った指先に、へこんだ腹の感触だけが残る。戻らない。もう戻らない。
僕はそのまま歩き出す。
父も母も、何も変わらない。すべてが無情に、冷たく、僕だけに残る。
そして、ようやくわかる。あの箱は、僕のためのものではなかった。
父の不器用な愛と、手遅れの後悔が詰まった、
――僕だけのおもちゃ箱。
その名前通り、触れることも救いもない孤独だけが、僕の胸に残された。




