第50話 運命の日①
3月13日。俺の部屋に置いてあるデジタル時計が、今が午後11時58分だと教えてくれた。
いつもなら寝る準備をしているか既に寝ている時間だが、今日は違う。俺の両目はしっかりと開いていた。いや、開かされていた、といったほうが正しいか。目を閉じたとしても、心臓の鼓動で寝られないのだから。
「ひろくん……。運命の日、来るよ……」
「…………あぁ」
ベッドに腰掛ける俺の隣には祐奈がいる。あの日——俺が初勝利を収めた日に言ってくれた通り、1日中そばにいてくれるつもりらしい。なんとも心強い幼馴染だ。
タツや関口もそばにいると言ってくれたが、さすがにそれは断った。祐奈は俺を助けることを目的としているが、恐らく2人は違う。人生でやりたいことは他にもあるだろう。特に関口。彼女は俺と同じ未来とは何の関係もない一般人だ。俺が死ぬ運命だとしても、それに巻き込むわけにはいかない。
「3……2……1……」
祐奈のカウントダウンとともに、デジタル時計の数字が全て0へと変わる。そして、また新たに数字を刻みだした。数字が0という無に帰した代わりに、日付の欄は数秒前と違い、3月14日を示している。
ホワイトデーか、と俺はひとりごちた。ついに運命の日がやってきてしまった。俺は明日を迎えられるのだろうか。前々から予告されていたこともあって大パニックに陥る、なんてことはないが……俺の心には拭いきれないほどの影が夏の雲のようにもくもくと広がっていく。
そんな俺の心を知ってか知らずか、祐奈がそっと肩を抱いてくれた。支えられている安心感に、思わず寄りかかりそうになってしまう。
「いいんだよ、ひろくん。私に任せて」
「いやでも、俺男だし……」
「男の子が女の子に身を預けてはいけない、なんて決まりごとはないよ」
「でも——」
「もう、文句言わないの!」
ふと、目に映る景色が大きく揺れる。動いていないのにどうして——と思ったときには、すでに俺の身体はベッドに横たえられていた。俺を押し倒した犯人もまた、隣で寝てこちらを見つめてきている。
ベッドで寝る男女2人。男を見つめる女の心配そうな瞳。少し荒い息遣い。このまま大人の階段を上ったっておかしくないほど、とても良い雰囲気だ。
しかし、生憎今日は運命の日。死ぬ日かもしれないのだ。タツの話では俺は色々な方法で死ぬという。もし、そういう行為に及んでいる最中に死が訪れたら、なんて考えると、俺の身体はピクリとも反応しなくなった。死ぬならせめて、名誉を維持したまま死にたい。
「ひろくん、私と寝よう?」
「寝るって……祐奈……?」
これは……どっちだ? 俺は今、誘われているのか?
もしそうだとしたら、この先は俺がリードするべきだ。身体は反応しないとはいえ、好きな女の子に恥をかかせるわけにはいかない。ここはイチかバチか、そういう体で話してみるか。
「……俺、脱ごうか?」
「脱ぐ……って、そうじゃないでしょ! こんな時に何考えてるの!?」
ですよね。やっぱり違ったみたいだ。
「いや、俺も違うと思ったんだけど……雰囲気といい、言動といい、そんな感じっぽさが出てたから……」
「だからって死ぬかもしれないのに——」
何があったか、祐奈は言葉の途中で黙り込んで考えてしまった。うーん、などといいながら困惑の表情を少しだけ浮かべている。困らせてしまっていることは申し訳ないが、そんな顔もやっぱり可愛い。
「祐奈、どうした?」
「……いや、ね。死の危険があるからこそ、そういう——エッチなこと考えちゃうのかな、って思って……さ」
祐奈は耳まで赤くなった顔を背けながら、
「もしそうなら……私、頑張るよ?」
そっと俺の胸に手を押し当てた。
なるほど。人間は危機に陥ると生存本能でエッチなことを考えると聞く。俺もそうかもしれない、と祐奈は思っているのだろう。そして、彼女の目的は俺を助けること。だったら、そういう処理も、と。
「それなんだが……俺は例外みたいだ」
「え? 例外、って……は?」
「さっきはな、もしそういうことだとしたら祐奈に恥をかかせたくないからああ言っただけでさ……今の俺はそういうことができないんだよな」
「……つまり?」
「エッチな申し出は嬉しいけど、俺のは反応しないってこと」
ただでさえ赤かった祐奈の顔に、更なる赤が加わった。もう、湯気が出てもおかしくないほどの色をしている。言葉にならない声を上げた後、限界を突破したのか彼女が手元にあったスイッチを押し、部屋の電気を消した。
一瞬で今まで見えていたものが見えなくなる……だけならどれほど良かったか。胸に添えられた祐奈の手は俺の身体を滑り、下のほうへと降りていく。
「お、おい! 何をする気だ!?」
「何って、決まっているじゃん! こうなったらもうやるしかないよ!」
柔らかな手はついに俺のズボンにかかる。だが、俺がズボンを持って下げさせないよう抵抗しているので、それ以上進むことはなかった。
祐奈との行為が嫌というわけじゃない。むしろ、想い人とこういうことができるのは嬉しい。それこそ、天にも昇るような気持ちだ。しかし……さすがに何も反応しない俺のを見て幻滅されたくない。大切な人だからこそ、やるなら準備万端の時が良い。
「だから、俺の身体はそういう気分じゃ——」
「そんなの、やり始めたら変わるかもしれないから!」
「やり……って、なんてこと言ってるんだ!」
年頃の女の子とは思えない発言だ。いや、むしろ年頃の女の子だからこその発言か? 俺が知らないだけで、もしかしたら女子もそういう話をすることもあるのか?
まぁ、どちらにせよだ。祐奈が今、正気じゃないのは、何も見えない暗闇の中でもわかる。きっと、思い出したら恥ずかしさで後悔するだろう。
「あぁ、もう! こっちに来い!」
俺はズボンから手を放す。祐奈の下ろそうとする力が一気にかかるが、そんなことはもうどうでもいい。起き上がって祐奈を抱き寄せ、そのまま一緒にベッドへと倒れこんだ。
「ひろ、くん……? これじゃ、私、何もできない、よ?」
「いいから。祐奈は少し大人しくしといてくれ」
「でも……」
不満げな祐奈は文句を続ける。しかし、俺はそこで気付いた。祐奈が震えていることに。
そうだよな。バレンタインデーの時ですら怖がっていた祐奈だ。運命の日を迎えた今日なんて、怖くて仕方ないはず。それで、何でもいいから俺に何かしたいのだろう。
「そうだな……じゃあ、俺と一緒に寝てくれないか? ちゃんと、睡眠の意味の方で」
「………………それだけじゃ——」
「それだけじゃない。ほら、俺の心臓の音、聞いてみろ」
祐奈の頭を動かし、俺の胸に近づける。ぎゅっ、と抱きしめる形になったが、祐奈は一切の抵抗をしてこなかった。
「俺の心臓、バクバク言ってるだろ?」
「うん……。うるさいくらい音がして……振動も激しいね」
「だろ? 実はな、俺……このままじゃ眠れなさそうなんだ。だから、祐奈が俺を寝かせてくれないか?」
日付が変わるまでは、寝ない覚悟も一応はしていた。どうせ、眠れないから、と。でも、眠れるなら寝たほうがいい。今後の24時間、最悪な場面で眠気に襲われたらもう終わりだから。
「……そっか。ひろくんも同じ気持ちなんだね」
「当たり前だろ。取り乱しはしないけど、やっぱり不安にはなる」
「わかった。じゃあ、私が寝かせてあげるね」
何も見えない暗闇の中だが、祐奈の表情が和らぐのだけは感じた。
「寝かしつけと言えば……未来のお話でも聞かせてくれるのか?」
「ふふっ、なにそれ。子供の寝かしつけみたい。それに……私は引きこもっているか、タイムマシンの研究をしているかしかなかったからお話なんてできないよ」
「じゃあ、どうやって眠らせてくれるんだ?」
「そうだなぁ……歌でも歌ってあげるよ。子守歌じゃないけど」
祐奈が歌を歌いだした。俺も聞いたことがあるバラードだ。
黒に染まった世界が、祐奈の優しい歌声で色付けられていく。いや、これは俺の瞼が目を覆ったからか……?
そんなことを気にしているうちに、俺は祐奈が創り出した柔らかな光に包まれ、夢の世界へと運ばれていった。




