表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/13

エディスに託された答え

「……ここならもう安全だろう。少し休息をとるね」

 グウェイクは彼女を抱えたまま、街外れの古い風車小屋へとたどり着いた。

 月光が街全体を青白く照らし、追っ手の声はもう聞こえない。

「ありがとう……。本当に、助けてくれて。言っていなかったわね。私の名前はエディス。貴方の名前は?」

 風車小屋にあった古ぼけた椅子にエディスを下ろすと、一息つけたのか彼女は感謝の言葉を加えて、自分の身元を明かした。

「俺の名はグウェイク。でも、礼を言うのはまだ早いさ。君の心を守り通せたか、どうかは……」

 辺りを見回していたグウェイクがエディスの方に向き直ると--

 彼が言い終わる前に、エディスは一歩近づき、彼を抱き寄せた。

 そして、そのまま背伸びをして、彼の頬にそっとキスをした。

 

――それは、これまでのどんな口づけとも違っていた。


 月光のように冷たい苦みでもなく、相手の心を支配する魔性の熱でもない。

 ただ、温かくて、柔らかい。

 そして、まるで蜜のように「甘い」感触だった。

「っ……!?」

 グウェイクの体が硬直する。

 初めて、キスで体が動かなくなるという経験をした。

 エディスの唇が離れた後も、彼の心臓は激しく高鳴っていた。まるで、初めて人間らしい感情を揺さぶられたかのように。

「これが、今できる私の精一杯のお礼よ。……あなたのおかげで、私の心は守られた。だから、感謝の気持ちを伝えたかったの」

 エディスは少し照れたように微笑んだ。その純粋な感謝のキスは、グウェイクの心に、これまで感じたことのない温かい灯をともした。

(なんだ、これ……。これが『甘い』ってことなのか……?)

 初めて味わった「真実の甘さ」に、グウェイクは混乱していた。

 偽りの幸福を生み出す自分の口づけとは、全く異なる温かさ。

 彼は一度目を閉じ、大きく息を吐き出す。

 そして、改まったようにエディスを見つめ直した。

「……エディス。君に訊きたいことがある」

 グウェイクの顔から、いつもの軽薄な笑みが消えていた。真剣な眼差しは、彼女の本心を探っているかのようだ。

「君は、“真実の愛”を知っているのか? 月の姫も、あの老傭兵も……みんな愛を知れって言った。でも、俺にはそれがどんなものなのか、さっぱり分からない。君は、なぜ自分の心をそこまで守ろうとしたんだ?」

 エディスはグウェイクの問いかけに、真っ直ぐな瞳で答えた。

「“真実の愛”、ね……。私は、それは『自分の心と向き合うこと』だと思うわ。誰かの意見や、誰かの力で決められるものじゃない。どんなに苦しくても、自分の心の声を聞いて、誰を、何を愛するのかを自分で決める。そして、その決断に責任を持つこと……」

 彼女はそっと、自分の胸に手を置いた。

「それが、誰かを深く、そして偽りなく愛するための、一番最初のステップなんじゃないかしら」

 グウェイクはエディスの言葉を、まるで喉の渇きを潤すかのように、一言一句噛み締めるように聞いた。

『自分の心と向き合う』――これまでずっと、他人を操作して生きてきた自分には、最も欠けていた視点だった。

 窓から溢れる月光が、2人を照らしている。


-----------------------

 エディスを安全な隣街の祖父の家へ送り届ける。

 いよいよ、別れの時がやってきた。

 昇り始めた朝日の光が、二人の影を長く伸ばしている。

「ここまでで大丈夫よ。…本当に、あなたには救われたわ」

 そう切り出すと、エディスは晴れやかな笑顔で右手を差し出す。だが、グウェイクはその手を取ることができなかった。胸の奥におりのように溜まった罪悪感が、彼女の清らかさに触れることを拒んでいた。

「……エディス。君に、隠していたことがある」

 重い沈黙を破り、グウェイクは絞り出すように声を震わせた。彼は、自分が「食い逃げ常習犯」であったこと、そして何より、唇を重ねた女性を10分間だけ意のままに操る呪わしいスキル『魅了操作チャームオペレート』の持ち主であることを、包み隠さず打ち明けた。

「昨日、君を助けるために衛兵たちに使ったのもその力だ。……僕は、君が守ろうとした『心の自由』を、今まで踏みにじって生きてきた男なんだよ」

 エディスの表情が強張る。当然の反応だ。グウェイクは自嘲気味に笑い、天を仰いだ。

「この力は毒だ。使うたびに誰かの心を壊し、僕の心も空っぽになっていく。……なぁ、エディス。君ならどうする? こんな力は二度と使えないように『消失』するべきか?」

 エディスはしばらくの間、黙ってグウェイクを見つめていた。やがて、彼女はゆっくりと歩み寄り、今度は躊躇(ためら)うことなく彼の手を強く握りしめた。

「……力そのものに、善も悪もないわ」

 意外な言葉に、グウェイクは目を見開いた。

「確かに、あなたの力は恐ろしいものかもしれない。でも、昨日の夜、あなたが私を助けてくれた時、私の心は操られてなんていなかった。あなたは自分の意志で、私を自由にするためにその力を使ったんでしょ?」

「それは……」

「消失して逃げるのは簡単よ。でも、あなたはもう気づいているはず。その力が、誰かを救うための『盾』にもなり得ることを。大切なのは、力を消すことじゃなくて、あなたがその力を使う時に『相手の心』をどれだけ尊重できるかじゃないかしら」

 エディスはグウェイクの目を真っ直ぐに見つめ、力強く頷いた。

「もし、この先の旅で、愛や心を踏みにじろうとする『本当の悪』に出会ったなら……その時は、迷わずその力で戦いなさい。偽物の愛を壊すために、あなたの力を使いなさい。それが、真実の愛を探すあなたの贖罪しょくざいになるはずよ」

 エディスの言葉は、暗闇を彷徨っていたグウェイクの心に一本の光の道を通した。

 支配するためではなく、守るために。

 偽りを広めるためではなく、偽りを暴くために。

「……厳しい道だな」

「ええ。でも、今のあなたなら大丈夫。だって、私があげたキスの『甘さ』を、あんなに驚いて受け止めてくれたんだもの」

 エディスはいたずらっぽく笑うと、「これ、貴方にあげる」と言って少し年季が入ったマントをくれた。

 そして最後に、「じゃあね」と言うと手を振って去っていった。

 一人残されたグウェイクは、自分の掌でそっと唇を覆う。

 かつては他者を弄ぶための道具だと思っていたその唇は、今は少しだけ重く、そして確かな使命感を帯びているように感じられた。

「……“真実の愛”を知るための、贖罪の旅、か。悪くないね」

 グウェイクは軽やかに背を向けると、再び歩き始めた。

 背後のマントが風でたなびく。

 彼の視線の先には、まだ見ぬ世界と、そしていつか再び相まみえるであろう「月の姫」が待っている。

 いま彼を照らしている朝日は、その先の未来も照らしているのだろうか。

次回、雪の国編

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ