偽りの愛とその代償
国境沿いの寒村。旅の途中で立ち寄ったその村は、どんよりとした沈滞した空気に包まれていた。天気も生憎の曇り模様だ。
グウェイクが村の広場のベンチで休んでいると、鼻をすするような泣き声が聞こえてくる。
見れば、一人の若い男が地面に膝をつき、絶望した表情で天を仰いでいた。
「……ああ、リリィ。君がいない人生に、一体何の意味があるっていうんだ」
グウェイクは、いつものように軽薄な足取りで男に近づき、肩に手を置いた。
「おやおや、お熱いねぇ。愛に破れて死ぬ気かい? それとも、ただの食い逃げ失敗?」
「……誰だ、あんた。茶化さないでくれ。」
男はそう言って顔を伏せるも、思い直したのかグウェイクに顔を向けてその詳細を語った。
「リリィ……僕の婚約者は、この村の領主に無理やり連れ去られたんだ。愛し合っているのに、権力には逆らえない……これが『愛の結末』だっていうのか!」
聞けば、この村の領主は、目をつけた村人の女性の家に重税を課し、納められなければそれを理由にして女性を連れ去っていくのだと言う。
男は涙ながらに訴えた。自分よりも大事な人のために絶望する姿。それは酒場で老人が言っていた「愛」の形に近いものに見えた。
(ふーん、これが『愛』のために苦しむってやつか。……見ててイライラするな)
グウェイクにとって、愛とは「奪うもの」であり「操作するもの」だった。こんな風に無力に泣くのは、彼の美学に反する。
「いいかい、お兄さん。愛ってのはね、泣いて手に入るもんじゃない。力ずくで『分からせて』やるもんなんだよ。……ちょっと貸しを作っておこうか」
グウェイクは男にリリィが居るであろう領主の館の場所を聞き、そのままそこへと向かった。
警備兵を「魅了操作」で手なずけて潜入するのは、王城に比べれば赤子の手をひねるより容易い。
彼が辿り着いたのは、無理やり着飾らされ、冷たい瞳で窓の外を眺めていた令嬢リナの部屋だった。
「誰……? あの人の差し金かしら」
彼女の言う「あの人」とは、温度感的に領主のことであろう。
「いいえ、愛の救世主様さ」
そう言うとグウェイクは迷わず彼女の唇を奪った。
発動する『魅了操作』。
一瞬でリナの瞳から絶望が消え、グウェイクに対する熱烈な「依存」と「悦び」が上書きされる。
「さあ、お姫様。君のことを泣いて待ってる男がいる。そいつのところへ行って、世界で一番幸せな顔をしてあげなよ」
グウェイクは術をかけた彼女を連れ出し、広場で待つ男のもとへと送り届けた。
「リナ! ああ、無事だったのか!」
「ええ……! 私、あなたを愛してるわ! 今すぐにでも結婚しましょう!」
脈絡も無くいきなりそんなことを言うリリィに男は一瞬眉を顰めるも、こんな機会は二度と無いだろうと思い直したのか、彼女を腕の中へ向かい入れる。
熱烈に抱き合う二人。男は「奇跡だ」と泣いて喜び、グウェイクに何度も感謝を述べた。
しかし、グウェイクはその光景を冷ややかな目で見つめていた。
(……変なもんだな。男が愛しているのは『素のリリィ』だが、今ここにいるのは俺の術で『愛するように強制された人形』だ)
形だけでも愛し合ってさえいれば良いのか。第三者視点で自分の術を見たことが無かったグウェイクは、その光景がとても奇妙なものに見えた。
男は幸せそうだ。リリィも(術中なので)幸せそうだ。
客観的に見れば、愛し合う二人が結ばれたハッピーエンドである。だが、それはグウェイクが持ち込んだ「歪んだ支配」の上に成り立つ偽物だった。
「……これが愛を助けるってことなら、案外チョロいもんだ」
グウェイクは背を向け、村を去ろうとする。
しかし、彼の胸の奥にこびりついた「苦い味」は、全く消えていなかった。むしろ、目の前の偽りの幸福を見れば見るほど、月の姫に投げかけられた「貴方は空虚だ」という言葉が、呪いのように重くのしかかってくる。
「……さて、次に行こうか。もっとマシな『愛』が落ちてる場所へさ」
彼の意思は、この村を後にしようとする。
しかし、彼の身体は全く動かなかった。
何かが胸の奥に引っ掛かる。
「…この“偽りの愛”の結末を見届けてみることにしよう」
それもまた彼の意思か。それとも神の天啓か。
グウェイクは、その村に少し留まることを決めた。
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「いやあ、持つべきものは『愛に狂ったお人好し』だね」
村の外れ、街道沿いの切り株に腰掛けたグウェイクは、革袋の中身をぶちまけていた。中から転がり出たのは、男が「全財産です、どうか受け取ってください!」と差し出してきた数十枚の銀貨と数枚の金貨だ。
「これだけあれば、しばらくは食い逃げしなくても最高級の酒が飲める。愛を助けるっていうのも、案外実入りのいい商売じゃないか」
グウェイクは上機嫌で金貨を指先で弾き、その澄んだ音を楽しんでいた。
だが、ふと空を見上げる。ポツポツと、小雨が降ってきた。
(……そろそろ、10分か)
術が解ける時間だ。
普通なら、術が解ける頃には自分は遠くへ逃げている。だが、今回はなぜか気になった。あの「月の姫」に否定された自分の力が、愛に絶望していた二人に何をもたらしたのか。
グウェイクは恐ろしいものを見るような気持ちで、また少しの期待を込めた気持ちで再び村の広場が見える高台へと戻った。
そこにあったのは、彼が期待していた「幸せな余韻」ではなかった。
「……嫌。触らないで!」
リリィの鋭い悲鳴が響いた。
さっきまで熱烈に男の首にしがみついていた彼女は、今は後ずさるようにして男から距離を取っていた。その瞳に宿っているのは、愛ではなく、底知れぬ「嫌悪」と「恐怖」だ。
「リリィ!? どうしたんだよ、さっきあんなに愛してるって……!」
困惑し、縋り付こうとする男の手を、彼女は狂ったように振り払う。
「さっきの私は私じゃないわ! 誰かに心をかき乱されて、気持ちの悪い言葉を吐かされて……! あなたの顔を見るだけで、その汚らわしい記憶が蘇るの!」
男の手が止まる。
「愛している」という言葉を信じ、全財産を投げ打って彼女を取り戻したはずの男の顔から、急速に生気が失われていった。
「嘘だ……あんなに幸せそうに、笑っていたじゃないか」
「あれは私じゃない! 私は……私はただ、静かに絶望していればそれで良かった。第一、あの屋敷から逃げたとしても、私はアテも無いし、結局はあの人にまた捕まるだけ。そんなことも分からない人だったの?こんな形で無理やり偽物の幸せを押し付けられるくらいなら、まだあの屋敷に居る方がマシだったわ!」
リリィは吐き捨てるように言うと、男を一人残して走り去っていった。
広場に残されたのは、愛を取り戻したはずが、かえって取り返しのつかない「心の溝」を作ってしまった男の、亡霊のような立ち尽くす姿だけだった。
高台からその光景を見ていたグウェイクの手から、金貨が滑り落ちた。
乾いた音を立てて、石ころの間に消えていく。
(……なんだ、あれは)
術が解けた後の彼女の拒絶は、領主への怒りよりも、自身に向けられた「愛の言葉」そのものに向けられていた。
グウェイクが良かれと思って与えた「10分間の幸福」は、彼女にとっては自分の心を汚された屈辱であり、男にとっては一生消えない偽物の思い出という呪いになったのだ。
「……クソっ」
グウェイクは胸の奥が、焼けるように熱い何かで満たされるのを感じた。
それは今まで感じたことのない不快感。
「月の姫」が言っていた「貴方は“真実の愛”を知らない」という言葉の意味が、少しだけ分かった気がした。
自分の『魅了操作』は、人を幸せにするどころか、真実の愛を木っ端微塵に破壊する劇薬でしかなかったのだ。
「……全然、甘くないじゃないか。こんなの」
グウェイクは拾い上げた金貨を乱暴にポケットにねじ込むと、逃げるように村を後にした。このまま男に近づけば、彼に殺されるような気がして。
降り出した雨はグウェイクの頭と、男の背を濡らす。
背後で男の啜り泣く声が、いつまでも耳から離れなかった。
今回で重い場面は終わりです。次回からハッピーエンドらしくなります。




