食い逃げ犯・グウェイク
「おい、待てッ! 止まれと言っているだろう、この泥棒野郎!」
背後から響く怒号と、石畳を叩く重々しい靴音。グウェイクは口の中に残る最高級の鴨肉の余韻を楽しみながら、軽やかな足取りで路地裏を駆け抜けていた。
「泥棒なんて人聞きが悪いなあ。僕はただ、お代の代わりに『最高のスマイル』を置いてきただけじゃないか」
肩までかかる軽薄そうな金髪をかき上げ、グウェイクは余裕の笑みを浮かべて振り返る。追ってきているのは、顔を真っ赤にした恰幅の良い料理店店主と、彼に呼ばれた数人の警邏兵だ。
数分逃げていると逃げ道のない行き止まりに差し掛かる。だが、グウェイクの目に焦りの色は微塵もない。
「…… あーあ、せっかくの食後の散歩が台無しだ」
彼はわざとらしくため息をつくと、追っ手の先頭にいた若い女性警邏兵の前でピタリと足を止めた。彼女は荒い息をつきながら、腰の剣に手をかける。
「観念しなさい、グウェイク! 今度という今度は逃がさないわよ!」
「そんなに怖い顔しないでよ、お姉さん。近くで見ると、君、案外可愛いね?」
「なっ……!?」
怯む隙を逃さない。グウェイクは吸い込まれるような手つきで彼女の顎をクイと持ち上げると、至近距離まで顔を近づけた。
「口を閉じてれば、もっと素敵だよ」
触れるか触れないかの距離で囁き、そのまま彼女の唇を奪う。
一瞬の静寂。周囲の男たちが呆気に取られる中、グウェイクの瞳の奥で妖しい光が爆ぜた。
特殊技能、『魅了操作』
「――はい、10分間の魔法の時間だ」
唇を離すと、さっきまで鬼の形相だった彼女の瞳から理性が消え、とろんとした熱い悦びの色に塗り替えられる。
「……様、グウェイク様。私は、どうすれば……?」
「いい子だね。あそこにいるうるさいおじさんたちを、あっちの通りまで追い払ってきてくれるかな?」
「はい。仰せのままに」
彼女は機械的な、しかし恍惚とした笑みを浮かべて反転すると、あろうことか味方であるはずの警邏兵たちに掴みかかった。
「ちょっと、何してるのアンタ!? 目を覚ましなさい!」
「邪魔よ……グウェイク様の邪魔をしないで……!」
現場が混乱の渦に叩き落とされるのを横目に、グウェイクは悠々と壁に手をかけ、ひょいと屋根の上へと飛び乗った。彼は複数回に渡る食い逃げの逃亡経験によって一般人とは一線を画す身体能力を身につけていたのである。
彼は現在、19歳と少し。10歳程の時に自身の特殊技能の有用性に気づいた時からまともな職には就かず、今でも薄汚い服装を身に纏って、貧民街の一角で生活していた。
「さて、今日はこのくらいに……っと。そうだ、近場に住むおっちゃんから良い話を聞いたんだった」
そのおっちゃんが言うように、屋根の上から見上げる先には、この国の象徴である白亜の王城がそびえ立っている。そこには「月の姫」と謳われる、絶世の美女たる王女が住んでいるというのだ。
グウェイクは俄然、興味が出た。自分の「チャーム・オペレート」を用いれば、その王女をも手中にできるというのか。
「次は、お姫様を僕の虜にしてあげよう」
グウェイクは悪戯っぽく唇を舐めると、街にかかった夕闇へと消えていった。




