08.痕跡
グランド・コスモス・ライナーでの初動捜査を終えたチームYは、GRSIのシャトルで一路セントラル・オービタルへと帰還した。
煌めく光の環が眼下に広がる本部の研究室で、彼らはシャドウ・キャッツが残した微細な痕跡のさらなる解析に没頭していた。部屋の大型ホロディスプレイには、ガラスケースの傷から採取されたナノ粒子の構造式が複雑に表示され、ノアの指が高速でデータを操作している。周囲の壁には、最新の銀河航路図や、過去の犯罪データが投影され、彼らの捜査を視覚的にサポートしていた。
「特定した。ガラスケースの傷に付着していた極微量の有機物粒子から、その発生源が割り出せた」
ノアが、わずかに興奮したような声で告げた。彼の完璧な論理回路が、ようやく突破口を見つけたのだ。彼の瞳は、ディスプレイに映し出された複雑な分子構造式と、それが指し示す座標を瞬時に読み取っていた。
「特定の地質を持つキルディア星系の惑星ヴァイパーの、旧採掘基地『アークライト』だ。この有機物粒子は、そこでしか確認されていない特殊な菌類のものと一致する。過去の地質調査データとGRSIの動植物データベースを照合した結果、この菌類は極めて希少であり、他の場所での自生は確認されていない。ヴァイパー星系の中でも、特に『アークライト』周辺の特定の環境でのみ繁殖が可能な種だ。しかし……」
ノアは言葉を区切ると、不審な表情でディスプレイを拡大した。
「この痕跡は、あまりにも明瞭すぎる。シャドウ・キャッツの犯行は常に完璧で、このような単純な手がかりを残すことは極めて稀だ。彼らは通常、証拠となりうるものを徹底的に消去する。例えば、過去の『クリスタル・バンカー襲撃事件』では、彼らは数キロ四方の電子記録を完全に消去し、わずかな空気の揺らぎさえも残さなかった。それに比べると、今回の痕跡はあまりにも露骨だ。まるで、意図的に残された誘導尋問のようだ。彼らが我々を特定の場所へ誘い込もうとしている可能性がある」
「わざと残したってことか?俺たちを罠にかけるつもりか、それとも何かを伝えたいのか……」
イヴァンが、腕を組みながら低い声で唸った。彼の直感は、この「分かりやすさ」に潜む裏を感じ取っていた。その言葉には、敵の裏をかくことへの警戒と、同時に、何が起きるかという好奇心が混じっていた。
「シャドウ・キャッツは単なる犯罪者じゃない。彼らは、常に目的のために動く。もし罠だとしても、そこには必ず意味があるはずだわ」
エミリーが、冷静に分析する。彼女はスコープを覗くかのように、ディスプレイ上のデータに鋭い視線を送っていた。
「彼らが残した『足跡』は、私たちを誘い込むための餌なのかもしれない。しかし、彼らが狙うのは権力者の不正。もしかしたら、彼らが私たちに暴いてほしい『真実』が、その場所にあるのかもしれない。例えば、ヴァルガスが惑星ゼファで行っていた不正の、具体的な証拠がそこに隠されている可能性も考えられるわ」
エミリーの視線は鋭く、状況の裏側にある可能性を冷静に推測していた。
ミリアムは、静かに目を閉じていた。ノアが示した「アークライト」という名が、彼女の空間認識に奇妙な「響き」を与えていた。
「アークライト……その名前から、なんだか、古い悲しい『音』がする……。惑星ゼファでの不正採掘と繋がってるような、過去に何かが隠されているような、そんな『音』。ただの廃墟の『音』じゃない。まるで、そこにあった悲劇の残響が、今も空間に染み付いているみたいに感じるんだ」
彼女の感覚は、表面的な情報だけでなく、その場所が持つ歴史の重みまでをも感じ取っていた。
カケルは、ノアの解析結果と、ミリアムの言葉に深く頷いた。
「意図的な痕跡……。それは、シャドウ・キャッツからのメッセージだと考えるべきだ。彼らは、私たちに『アークライト』へ行けと示唆している。そこには、ヴァルガスの不正を暴く手がかりがあるのかもしれない」
彼の予測は、この誘導が「罠」である可能性と同時に、「真実への道標」である可能性も示唆していた。そして、ヴァルガスの焦燥を考えれば、後者の可能性の方が高かった。
その時、ノアの端末に、ヴァルガスに同行している特定旅客対応チームの担当者から緊急の連絡が入った。担当者はGRSIのベテランエージェントで、日頃から権力者相手の交渉に慣れているはずだが、画面に表示された彼の顔は、どこか困惑しているようだった。
「ノアさん、緊急で報告したいことがあります。ヴァルガス氏の秘書の一人、リン・リー氏についてです。彼女が提供した情報に、明らかな矛盾が見つかりました」
ノアの眉がぴくりと動いた。
「矛盾ですか?詳しく説明してください」
「はい。ヴァルガス氏がヴェリディアン・エコーをグランド・コスモス・ライナーに持ち込んだ際のセキュリティプロトコルの説明と、彼女自身の証言に食い違いがあります。特に、警備員の配置や巡回ルートに関する詳細で、彼女だけが他の警備員の証言と全く異なるルートを主張しているんです。まるで、何かを隠蔽しようとしているかのように……」
担当者は言葉を選びながら続けた。
「彼女は長年ヴァルガスの下で働いているベテランのはずなのに、初歩的なミスをしているように見えたんです。何度も確認しましたが、彼女の答えは一貫してその『間違った』ルートでした。例えば、他の警備員全員が『通路Aは警備員Xが監視していた』と証言しているにもかかわらず、彼女だけが『いいえ、通路Bでした』と主張する、といった具合です。彼女の行動は、極めて不自然でした」
担当者の声には、明らかな困惑と不審の色が混じっていた。
「長年ヴァルガスの秘書を務める者が、そのような初歩的なミスを犯すとは考えにくい。これは意図的な虚偽供述の可能性が高い」
通話を終え、ノアが冷静に分析する。彼の指がリン・リーの経歴を検索し始めた。彼女の過去の勤務評価や、ヴァルガスとの関係性、そして彼女の家族構成に至るまで、あらゆるデータが瞬時にディスプレイに表示される。
「彼女はヴァルガスと共に、今回のヴェリディアン・エコーの輸送にも深く関与していたはずだ。彼女が知っている情報は、私たちが手に入れたものよりもはるかに深いものだろう」
カケルは、その情報にハッと息をのんだ。ヴァルガスの秘書。そして、その人物が「明らかな嘘」をついている。
「なぜ、彼女は嘘をつく?シャドウ・キャッツの協力者か、それとも別の思惑が?」
「おそらく、シャドウ・キャッツに協力しているか、あるいは何らかの形で事件に関与している可能性が高いわ」
エミリーが即座に結論付けた。
「シャドウ・キャッツは、時に内部の協力者を得て犯行を行うことがあるとされている。彼らは単独で動くよりも、内部の腐敗を暴くために、その組織に不満を持つ人間を利用することも辞さない。ヴァルガスの不正に嫌気がさした内部の人間が、彼らに情報を提供した、というケースも十分に考えられるわ」
彼女の狙撃手としての洞察力が、状況の裏側にある人間関係を鋭く見抜いていた。
「なるほどな、それでヴァルガスがあんなに焦ってたってわけか。宝石が盗まれた上に、信頼してた部下に裏切られたかもしれないってなったら、そりゃあんな顔にもなるわな。まったく、因果応報ってやつだな!」
イヴァンが、どこか納得したように呟いた。彼の声には、ヴァルガスへの嫌悪感がはっきりと見て取れた。
ミリアムが、不安げな表情でリン・リーのデータを眺めた。
「リン・リーさんの『音』は……なんだか、すごく複雑な感じ。悲しい音と、強い決意の音が、混ざり合ってるみたい。彼女も、きっと何か背負ってる……。まるで、何かを諦めたような、でも、何かを成し遂げようとしているような、そんな二つの『音』が聞こえる」
カケルは、リン・リーの情報と、惑星ヴァイパーの旧採掘基地『アークライト』という手がかりが、一直線に繋がっていくのを感じた。シャドウ・キャッツが残した「意図的な痕跡」と、ヴァルガス秘書の「意図的な虚偽」。これらは、彼らが事件の真実を暴くための二つの道筋を示しているかのようだった。
「ノア、リン・リーの調査については、特定旅客対応チームに引き続き密に連絡を取り、情報を共有してもらうように手配してくれ」
カケルが指示した。
「彼らの専門分野だ。我々は、彼らが得た情報を分析する形で、リン・リーの真意を追うことにする。もし何か大きな動きがあれば、即座に報告を受けるように」
「承知した。定期的な情報共有プロトコルを確立し、必要に応じて詳細なデータ解析を行う。彼らの捜査状況をリアルタイムで把握できるように設定する」
ノアが素早く返答した。彼の指が端末上で複雑なコマンドを入力し、特定旅客対応チームとの連携を強化するシステムを構築していく。
「よし」
カケルが、立ち上がった。彼の表情は、これまでの逡巡を振り払い、明確な決意に満ちていた。
「我々の最初の優先目標は、シャドウ・キャッツが意図的に残したと思われる手がかり、惑星ヴァイパーの旧採掘基地『アークライト』へ向かうことだ。そこには、シャドウ・キャッツの目的、そしてヴァルガスが隠蔽する不正の決定的な証拠があるかもしれない。リン・リーの件は、後方支援として情報収集に努めつつ、我々チームYはアークライトでの直接捜査に全力を注ぐ」
「了解!」
イヴァンが力強く応じた。彼の瞳には、荒廃した採掘基地での新たな戦いへの期待が宿っている。
「早く行こうぜ、カケル!あいつらの隠してるもんを、ぶっ壊してでも探し出してやる!」
エミリーが、淡々と頷いた。
「アークライトに隠された真実。それがヴェリディアン・エコーの失われた歴史と繋がっているはずよ」
ミリアムもまた、決意を秘めた表情でカケルを見つめていた。
「アークライトの悲しい『音』。それを、私たちの手で止めてあげたいな!」
チームYは、事件の複雑な層を剥がし、その深部に隠された真実へと迫るため、惑星ヴァイパーの『アークライト』へと向かうことを決めた。彼らの目の前には、シャドウ・キャッツの影と、ヴァルガスが隠蔽しようとする闇が、複雑に絡み合っていた。これは、単なる奪還任務を超え、真の「正義」を問われる旅の、新たな局面の始まりだった。




