07.疑惑
グランド・コスモス・ライナーの「ギャラクシー・パノラマ」ルームでの初動捜査を終えたチームYは、列車内に用意されたGRSI専用ブリーフィングルームに集まっていた。
部屋には、最新の情報解析ディスプレイが備え付けられ、ノアが収集したデータが次々と投影されている。彼らの目の前には、ヴェリディアン・エコーが収められていた空っぽの強化ガラスケースの精密な三次元スキャンデータが浮かび上がっていた。空中に浮かぶホログラムは、宝石がただ消え去っただけの、あまりにも完璧な「空白」を提示していた。
「エミリーが見つけたガラスケースの微細な傷。それを起点に解析を進めた結果、やはりGRSIのデータベースに保管されていた過去の事件記録と完全に一致した」
ノアが、ホロディスプレイに複数の事件現場の痕跡を重ね合わせて見せた。それぞれの画像は異なる惑星、異なる時期の事件だが、そこには共通して、肉眼ではほとんど識別できないほどの微細な傷が映し出されていた。
しかし、その特徴的なパターンは紛れもなく同一で、まさに犯人の「署名」とも言えるものだった。ノアは、その詳細な解析結果を、複数のデータグラフや統計モデルと共に提示した。
「つまり、シャドウ・キャッツの仕業ってことか」
イヴァンが、腕を組みながら低い声で唸った。彼の表情には、強敵との対峙への高揚と、不可解な現象への苛立ちが入り混じっていた。
「まさか本当にいるとはな。あのニュースでしか聞いたことなかった伝説の連中がよ。銀河鉄道のセキュリティをやすやすと突破するなんて、まさに絵に描いたような手口だな」
「伝説ではなく、現実の脅威ね。彼らは常に、私たちの予測を裏切る」
エミリーが、冷静に付け加えた。彼女の視線はディスプレイのデータに固定されており、分析を続けている。
「この傷から検出された微量の残留物も、彼らが使用する特殊な光学迷彩スーツの素材と一致するわ。ナノ繊維と、特定の電磁波を遮断する極秘の複合素材。市販されているものとは全く異なる、軍事レベルをはるかに超えた技術が使われている。例えば、通常の光学迷彩が光の屈折を利用して物体をぼかす程度なのに対し、彼らのスーツは環境光を完全に吸収・再放出することで、文字通り『存在を消す』ことができる。これにより、あらゆるセンサーを欺き、警備システムを無力化していると考えられるわ」
ミリアムが、真剣な表情でディスプレイを見つめた。
「あの静かで、冷たい『音』……。彼らがヴェリディアン・エコーを盗んだ時の『音』を、シミュレートしてみたんだけど、本当に気配がなかったの。まるで、そこに空間がなかったみたいに。普通、どんなに隠れていても、空気のわずかな振動とか、重力の微細な乱れとか、何か『音』がするはずなんだけど……。こんなことができるのは、確かにシャドウ・キャッツしかいないかも……」
彼女は、目を閉じ、当時の「音」を再現しようと努める。彼女の感覚は、音波だけでなく、空間そのものの「ゆがみ」や「ひずみ」までを捉えることができた。その異常なまでの静寂こそが、彼らの存在を示す唯一の「音」だった。
カケルは、思考を巡らせる。シャドウ・キャッツ。彼らの行動原理は「権力者の不正を暴くこと」。
そして今回、標的となったのはゼノス・ヴァルガス。ヴァルガスがヴェリディアン・エコーを取り戻すことをあれほど急ぎ、極秘に捜査するよう厳命した理由。それは、宝石そのものよりも、その裏にある真実が明るみに出ることを恐れているからに他ならない。
「ヴァルガスの不正について、ノア、何か新しい情報は?」
カケルが尋ねた。彼の視線は、ノアのディスプレイに映るヴァルガスの顔に向けられていた。
ノアは素早く端末を操作し、ヴァルガスに関する追加情報をディスプレイに表示した。
「局長も示唆していたが、ヴァルガスは過去に複数の辺境惑星で不法な資源採掘を行ってきた疑いがある。特に、キルディア星系の惑星ゼファでは、先住民の居住区を強制的に立ち退かせ、その土地に眠る希少鉱物を独占したという報告書が、水面下でGRSIにも届いていた。法的抜け穴を利用した巧妙な手口で、表向きは合法的な買収を装っているが、実態は脅迫と搾取に近い。例えば、表向きは公平な契約を結んだとされているが、その陰では、先住民の食糧供給ルートを断ったり、ライフラインを停止させたりといった間接的な圧力がかけられていたデータも確認できる」
ノアの声は淡々としているが、その内容の重さは全員に伝わった。
「惑星ゼファ……」
カケルが静かに呟いた。
「そのゼファで採掘された鉱物の中には、ヴェリディアン・エコーのような、特殊なエネルギー特性を持つ宝石が含まれていたという噂もある。ヴァルガスはその中でも最大級のものを独占し、今回のヴェリディアン・エコーとして世に知らしめた、ということになる。また、その採掘過程で、ゼファの生態系に回復不能なレベルの汚染が発生したという極秘のレポートも存在する。ヴァルガスは、その事実を徹底的に隠蔽しようとしていた」
ノアが付け加えた。
イヴァンの顔が怒りで歪んだ。
「ちっ、やっぱりか!あんなクソ野郎、自分でぶっ飛ばしに行きてえぜ!先住民を追い出して、惑星を汚染して、宝石をかっさらうなんて、最低のやり方だ!俺たちの正義は、こういう奴らを叩き潰すことだろ!」
彼の拳が、机を叩きそうになるのを、カケルが目配せで制した。イヴァンの激情が、ブリーフィングルームの空気を震わせた。
「ヴェリディアン・エコーからは『悲しい音』も聞こえてきたの。それは、きっとゼファの人々の悲鳴と、この宝石に込められた憎しみの音なんだね……」
ミリアムが、瞳を潤ませながら言った。彼女の能力は、時に、事件の背後にある人々の感情を、あまりにも生々しく感じ取らせてしまう。
「シャドウ・キャッツがこの宝石を盗んだのは、もしかしたら、その不正を暴くためだったのかもしれない……彼らは、私たちGRSIでは直接手を出しにくい、法の隙間に隠れた悪を暴くために動いているのかもしれない」
「だとすれば、彼らの目的は、単に宝石を取り戻すことだけではない。ヴァルガスが隠蔽している真実を、私たちに解明させること、あるいは彼ら自身が暴露すること、どちらかでしょうね」
エミリーが分析した。彼女の狙撃手としての冷静な視点は、常に状況の核心を捉えようとしていた。
カケルは頷いた。アラン局長の言葉が蘇る。『君たちの能力は、そのための道具に過ぎない。重要なのは、君たちの「心」がどこにあるかだ』。
彼らの任務は、単なる奪還ではない。シャドウ・キャッツの狙いを見抜き、ヴァルガスの不正を暴き、そして、真の「正義」を見出すことだ。
「よし」
カケルが、立ち上がった。彼の表情は、これまでの逡巡を振り払い、明確な決意に満ちていた。
「最初の目標は、シャドウ・キャッツがヴェリディアン・エコーをどこに運び去ったかを探ることだ。彼らの手口から見て、物理的な隠し場所ではなく、情報的な隠匿、あるいは、不正の証拠としての保管が考えられる」
カケルはメンバーを見ながら指示を始めた。
「ノア、彼らが残したかもしれないあらゆる電子的な痕跡を洗い出せ。特に、彼らの手口が似ている過去の未解決事件の共通点を徹底的に解析し、次の動きを予測するんだ。例えば、彼らが過去に利用した可能性のある特定の周波数帯や、データ転送プロトコルなど、微細なパターンを特定できるかもしれない」
「エミリー、彼らの侵入痕から、使用された道具の製造元や技術提供元を逆探知できる可能性はないか?もし、その技術が特定の軍事企業や研究機関に限定されるなら、そこから新たな手がかりが得られるはずだ。ミリアムは、このグランド・コスモス・ライナーの航行記録や、ヴァルガスが滞在していた時間帯のあらゆる微細な『音』の変化を再構築してくれ。船内の微気流の乱れや、普段は聞こえないような音の反響など、人間には聞こえないレベルの情報が、彼らの動きを示している可能性がある。イヴァンはヴァルガス側の人間、特に彼の私設警備員や秘書について、不審な動きがなかったか、もう一度確認してほしい。何か、彼らが隠している情報があるかもしれない。例えば、ヴァルガスが今回の事件に関して、部下たちに何か特別な指示を出していないか、彼らの会話のトーンや行動パターンから探ってくれ」
カケルは、淀みなく指示を出した。彼の声には、すでにリーダーとしての確固たる決意が宿っていた。




