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04.召集

 ランチを終えたチームYのメンバーは、各自のデスクに戻り、午後の業務に取り掛かっていた。


 カケルは、午前中にアラン局長が投げかけた「正義の形」という問いと、ニュースで流れたゼノス・ヴァルガスとヴェリディアン・エコーに関する黒い噂が頭から離れず、資料のデータ解析に集中しきれないでいた。彼の脳裏には、ヴァルガスの傲慢な笑みと、それに不穏な影を落とすコメンテーターの言葉が、まるでエンドレスループのように繰り返されていた。


 ノアは黙々とコンソールに向かい、複雑な暗号を解読する作業に没頭していた。彼の指がホログラムキーボードの上を忙しなく動き、スクリーンには意味不明な文字列が高速で流れていく。


 イヴァンは、気分転換にとばかりに、デスク横に設置された簡易トレーニング器具で静かに腕立て伏せを始め、鋼鉄のような筋肉が波打つのを見て取れる。


 ミリアムは、自身のデスクで小さな銀河模型を宙に浮かせて遊ぶ練習をしていた。彼女の集中は、模型が描く不規則な軌道に注がれ、まるでその動きが奏でる「音」を聴いているかのようだった。


 エミリーは、淡々と報告書を打ち込んでいる。彼女の表情は常に冷静で、感情を読み取ることは難しいが、その瞳の奥には、任務への深い集中が宿っていた。


 普段通りの、GRSI本部の午後の業務風景。誰もが、この日常が突如として破られることになるとは、予想だにしていなかった。


 その時、彼らの個人端末が一斉に鳴り響いた。緊急警報のようなけたたましい、高音のサイレン音ではない。しかし、その通知音は、普段の定例会議の召集を知らせる事務的なそれとは明らかに異なる、どこか緊迫した、不吉な予感を孕んだ低いブザー音だった。画面には、アラン局長室への即時召集を示す、赤文字のメッセージが点滅している。通常であれば、数時間前の事前通達があるはずの召集だ。


「局長からの召集?この時間に?」


 ノアが眉をひそめ、作業の手を止めた。彼の高性能な頭脳が、スケジュールデータを瞬時に検索するが、この時間に予定されている会議は存在しない。


「これは、緊急性が高いことを示唆するイレギュラーなパターンだ」


「なんだか、いつもと雰囲気が違うね……もしかして、なにかあったのかな?」


 ミリアムが、宙に浮かせていた模型をそっと机に置き、不安げな声で呟いた。彼女の研ぎ澄まされた空間認識能力は、室内の空気のわずかな変化、エージェントたちの間のざわめき、そして見えない「感情の波」までも敏感に感じ取っていた。普段は快活な彼女の表情にも、微かな影が差した。


 イヴァンは腕立て伏せをぴたりと止め、大きく息を吐き出した。その呼吸は、まるで嵐の前の静けさのようだった。「ちっ、面倒なことにならなきゃいいがな」と言いつつも、彼の顔には、退屈な日常から解放され、本物の任務に臨めることへの、わずかながら期待の色が浮かんでいるのが見て取れた。


 エミリーは無言で端末を閉じ、素早く立ち上がった。彼女の動きには一切の迷いがない。


 カケルは、自分の胸の中に、漠然とした、しかし強い予感が広がるのを感じていた。午前の局長の言葉。ニュースで流れたヴァルガスの顔。そして、ヴェリディアン・エコーを巡る黒い噂。それらの点と点が、まるで一本の線で結ばれていくような、背筋が凍るような感覚だった。彼の予測能力が、まだ漠然とした情報しかない中で、未来の危険な「連鎖」の可能性をぼんやりと示唆し始めていた。


 一同が局長室の重厚な扉をノックすると、「入りたまえ」というアラン局長の、いつもよりわずかに低い、しかし落ち着いた声が聞こえた。部屋の中に入ると、局長はすでにメインディスプレイの前に立っていた。彼の表情は厳しく、いつもの穏やかな笑顔は影を潜めている。部屋の空気は、張り詰めた緊張感で満たされており、まるで嵐の前の海のようだった。


「座りたまえ、諸君」


 アラン局長が手で示すと、チームYは一列に並んでソファに腰を下ろした。彼らの視線は、一点に集中する。局長はディスプレイのリモコンを操作する。


 ディスプレイには、先ほどカフェテリアのニュースで見たばかりのゼノス・ヴァルガスの顔が大写しになった。しかし、その表情は昼間のテレビで見せた傲慢な笑みとはまるで異なる。怒り、焦り、そして隠しきれない狼狽が、彼の顔に醜悪なほど張り付いていた。その額には汗がにじみ、顔色も青白い。


「GRSI局長、アラン・フォード氏に告ぐ」


 ヴァルガスは、ひどく苛立った声で、しかし言葉を選びながら話し始めた。その声には、怒りとは裏腹に、ある種の必死さがにじんでいた。


「わ、私が所有する至宝、『ヴェリディアン・エコー』が盗まれた。グランド・コスモス・ライナーの厳重なセキュリティを突破し、まるで影のように。警備員にも乗客にも、誰一人として気づかれずにな……信じられん!」


 彼の両手は画面の外で、苛立ちを隠せないように震えているのが見て取れた。


 イヴァンが思わず唸った。


「なんだと!?あの厳重な列車からかよ!?」


 ノアの目が、ヴァルガスの言葉に反応して瞬時にディスプレイの情報を解析し始めた。グランド・コスモス・ライナーのセキュリティデータ、ヴァルガス個人の警備プロトコル、輸送ルートのログ。それら全てに異常がないことを確認するが、盗難の事実は覆せない。


 エミリーは無言で目を細め、ディスプレイのヴァルガスの顔を注意深く観察していた。


 ミリアムは息をのんだ。彼女の空間認識は、ヴァルガスの「音」が、恐怖と傲慢の間で揺れ動いているのを感知していた。


 カケルの顔には、やはりという表情が浮かんでいた。彼の直感は、既にこの事態を予見していたかのようだった。


「私は来週、この宝石のお披露目パーティーを予定している。それが中止となれば、私の名誉は地に落ちるどころか、ビジネスパートナーや政敵に付け入る隙を与えることになるだろう」


 ヴァルガスは声を荒げた。画面越しでも、彼の怒りと焦りがひしひしと伝わってくる。彼の視線は、ディスプレイの端に映る、自分の株価を示す小さなグラフへと向けられているかのようだった。株価は、既にわずかに下落し始めていた。


「貴様らGRSIの怠慢だ!貴様らの銀河鉄道の警備に問題があったからだ!ふざけるな!」


 アラン局長は、ヴァルガスの罵倒にも冷静に対応する。


「ヴァルガス閣下、詳細な状況を――」


「黙れ!」


 ヴァルガスはディスプレイ越しに手を振り払うような仕草をした。彼の表情は怒りで歪んでいる。


「言い訳は聞きたくない。私の要求は一つだけだ。パーティーまでに、ヴェリディアン・エコーを取り戻せ。何としてもだ!そして、この件は一切外部に漏らすな。極秘に、極秘に捜査を進めろ! 私の手元を離れたことが知られれば、私の権威に傷がつく。私の長年の努力が、一瞬にして水の泡になる!貴様らは、誰にも気づかれずに、この宝石を奪還するのだ。もし失敗すれば、銀河鉄道は、貴様らGRSIは、その全責任を負うことになるぞ!私の全権力をかけて、貴様らを潰すことも辞さないと肝に銘じておけ!」


 ヴァルガスは一方的にメッセージを終え、映像がプツリと途切れた。ディスプレイには、再びGRSIのロゴが表示される。まるで嵐が去った後のように、局長室には重い沈黙が降りた。その沈黙は、ヴァルガスの苛立ちと脅迫めいた言葉が、どれほどの重みを持つかを物語っていた。


「ご存じの通り、ヴァルガス氏は銀河政界に非常に大きな影響力を持つ人物だ」


 アラン局長が、静かに口を開いた。彼の声には、ヴァルガスの言葉に対する憤りが、わずかににじんでいた。


「今回の盗難が公になれば、銀河鉄道全体の信用問題にも発展しかねない。それに、彼の言葉の裏には、世間には知られたくない何かがある、ということだろう。例えば、この宝石の取得経緯や、隠された秘密が明るみに出ることを、彼は何よりも恐れているのかもしれない」


 ノアが端末を操作しながら言った。


「グランド・コスモス・ライナーのセキュリティデータに異常はない。侵入形跡も、警報履歴もゼロ。通常の犯行では考えられない。まるで、幻のようだ……」


 彼の声には、これまでのデータ分析では説明できない事態への、僅かな動揺が感じられた。


「誰がやったんだ?幽霊じゃあるまいし、こんな芸当ができる奴らがいるのか?」


 イヴァンが唸った。その言葉には、困惑と、それ以上に未知の敵への挑戦心がこもっていた。


 アラン局長は、その言葉にゆっくりと頷いた。


「謎の犯行だ。しかし、この事件は、ヴァルガス氏自身の『黒い噂』と、ヴェリディアン・エコーの秘密が深く関わっている可能性が高い。彼は、その真実が暴かれることを何よりも恐れている。それが、今回の極秘任務の真の目的となる」


 アラン局長の視線が、カケルに向けられた。


 カケルは、思考を巡らせる。ヴァルガスからの命令は、法と秩序の枠内で事件を解決するというGRSIの基本原則を逸脱する可能性があった。極秘に、そして何としても。


 アラン局長の午前の言葉が、脳裏をよぎる。「影の奥に潜む巨悪」――。ヴァルガス自身の「黒い噂」と、ヴェリディアン・エコーの秘密が、この事件の真の核にあると、カケルの直感が強く囁いていた。彼の予測モデルが、ヴァルガスとヴェリディアン・エコーを巡る、複雑で危険な「連鎖」の可能性を急速に構築し始めていた。


「では、諸君。任務だ。ヴァルガス氏が指定した期日までに、ヴェリディアン・エコーを取り戻せ。ただし、決して世間に知られることなく、そしてその過程で、ヴェリディアン・エコーとヴァルガス氏を巡る真実を、徹底的に解明するのだ。この任務は、単なる宝石奪還ではない。君たちの『正義』が試されることになるだろう。君たちの心に問いかけ、真の『最適解』を見つけ出すのだ」


 アラン局長の言葉に、チームYの面々は顔を見合わせた。それぞれの瞳の奥には、新たな任務への決意と、複雑な真実への探求心が宿っていた。


 これは、単なる宝石強奪事件ではない。彼らの能力、信念、そして倫理が問われる、銀河規模のミッションの始まりだった。


 彼らはまだ、この事件が、彼ら自身の運命を、そして銀河の未来を大きく左右する、壮大な「ヴェリディアンの残響」に過ぎないことを知る由もなかった。

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