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03.ランチタイム

 GRSI本部のカフェテリアは、ランチタイム特有の賑わいに包まれていた。


 宙に浮かぶメニューボードからは食欲をそそる香りが漂い、最新の合成料理や伝統的な宇宙食を選ぶエージェントたちの声が響き合う。


 チームYの面々は、普段から彼らが利用する窓際のテーブルを囲み、それぞれのトレイを前に座っていた。先ほどの定例訓練での肉体的疲労と、アラン局長が投げかけた哲学的な問いが、まだ彼らの心に重くのしかかっているようだった。


「いやー、今日の訓練もきつかったな!特にイヴァンのやつ、シミュレーター壊すんじゃないかってヒヤヒヤしたよ!」


 ノアが、高性能な自動箸で正確に栄養バランスの取れた合成肉と彩り豊かな野菜を口に運びながら言った。彼の声には、僅かながら安堵の色が混じっていた。ノアはいつも完璧なデータ分析を好むが、身体を動かす訓練は彼の最も苦手とする分野の一つだった。


「ふん、あれしきで壊れるシミュレーターの方が欠陥品だろ。もっと手応えのあるやつを用意しろってんだ!」


 イヴァンは、通常のエージェントの三倍はある特大のプロテインバーガーを一口で平らげながら、不満げに鼻を鳴らした。彼の筋肉質な腕は、たった今激しい格闘訓練を終えたばかりであることを示していた。


 彼の隣では、ミリアムが色とりどりのフルーツとハイドロゼリーが層になったデザートを頬張り、きらきらと目を輝かせている。彼女の快活さは、カフェテリアの活気と見事に調和していた。


「イヴァンはいつもパワフルだね。でも、シミュレーターを壊しちゃうと、ノアが修理で徹夜しなきゃいけなくなるんだから、ほどほどにね?」


 ミリアムが、快活な声でイヴァンをたしなめた。彼女はスプーンでゼリーをすくい上げ、楽しそうに笑った。


「それでも、壊れそうなくらい頑張るイヴァンの『音』、なんだかかっこよかったよ!」


 エミリーは、淡々と栄養ドリンクを飲み干すと、普段通り冷静な声で口を開いた。


「局長の言葉……『法が常に正しいのか』。あの言葉は、少し考えさせられるわね。私たちの任務は、常に法の枠内で遂行されるべきだと教わってきたけれど……」


 エミリーの言葉に、テーブルの空気が少しだけ変わった。

 ノアが箸を止め、手元の携帯情報端末のディスプレイから目を上げた。彼は、その言葉をすでに多角的に分析していたようだ。


「論理的に言えば、法は社会秩序を維持するための基盤であり、正しいとされるべきだ。しかし、局長の言う通り、全ての事象が法で網羅されているわけではない」


 ノアは言葉を選びながら、更に続けた。


「特に倫理的な問題においては、必ずしも法が最適解とは限らない、ということになる。例えば、ある惑星の資源採掘において、企業が法の抜け穴を利用して住民の権利を侵害した場合、法的には問題がなくても、倫理的には許されない行為と判断できる。我々はそうした状況で、どちらの側につくべきなのか、あるいはどう行動すべきなのか、ということだろう」


 ノアは腕を組み、いつものように分析的な口調で語った。


「俺は単純だからよくわかんねえな。悪いやつはぶっ飛ばす、それが正義だろ?法律が何だって関係ねえ。目の前で困ってる奴がいたら、助ける。それが俺の正義だ」


 イヴァンが、力強く拳を握りながら言った。彼の言葉は粗野に聞こえるかもしれないが、その眼差しには揺るぎない信念が宿っていた。


 ミリアムは、デザートのスプーンをくるくる回しながら、カフェテリアの窓から見えるセントラル・オービタルの空を見上げた。


「私ね、局長の言葉、わかる気がするの。空間もそう。真っ直ぐな道だけが正しい道じゃない時もあるんだよ。例えば、迷路の中で壁にぶつかった時、無理に壁を破るんじゃなくて、見えない隙間や、少し回り道をする方が、早く目的地に着くこともある。それって、ただ効率がいいだけじゃなくて、新しい発見があるかもしれないってことだよね?きっと、正義もそういうものなんじゃないかな」


 カケルは、自分のトレイの食事にはほとんど手をつけず、じっとアラン局長の言葉を反芻していた。


 彼の予測能力は、常に最も効率的で論理的な「解」を導き出してきた。例えば、複雑なテロ組織の拠点に潜入する際、彼は最短ルートと最小限の被害で任務を遂行する「連鎖」を完璧に描き出すことができた。


 しかし、アラン局長は、その「最適解」の定義を揺るがせた。感情や倫理、そして「影」。それらは、彼の予測モデルには組み込まれていなかった変数だ。


 そして、彼は、過去の失われた記憶の中で、何かを「守れなかった」という漠然とした不安を再び感じていた。あの、顔を思い出せない保母の記憶が、再び心の奥底でざわめく。守れなかったもの。それは、単なる物理的な被害だけではなかったのかもしれない。


「……正義の形、か」


 カケルが、静かに呟いた。彼の視線は、遠く宙を漂う貨物船の影を追っていた。


 その時、カフェテリアの壁に設置された巨大なホログラムテレビから、派手なオープニングと共に銀河ニュースネットワークの番組が始まった。画面には、昨夜グランド・コスモス・ライナーが華麗に航行する姿が映し出され、続いて、満面の笑みを浮かべたゼノス・ヴァルガスの顔が大写しになった。


「――お伝えします。現在、銀河鉄道の最高級豪華列車、グランド・コスモス・ライナーで輸送中の巨大宝石『ヴェリディアン・エコー』が、来週にも銀河有力者ゼノス・ヴァルガス氏によって、盛大なお披露目パーティーで公開されることが決定しました!」


 ニュースキャスターの高揚した声が響き渡る。ヴァルガスが、ヴェリディアン・エコーの鮮やかなホログラムを背景に、自信満々にメディアに語りかける映像が流れる。


「このヴェリディアン・エコーは、私が長年探し求めた、まさに宇宙の神秘を宿した宝石です。その起源は遥か彼方、失われた文明の地にまで遡ると言われています。来週のパーティーでは、銀河のVIPの皆様、各星系の代表者、そしてメディア関係者を招き、その輝きを存分に堪能していただく所存です!これは、私が銀河社会にもたらす、新たな繁栄の象徴となるでしょう!」


 彼の言葉には、宝石の持つ歴史的価値や、それを手に入れた自身の功績を大々的に喧伝しようとする、隠しきれない傲慢さがにじみ出ていた。


 画面が切り替わり、ニューススタジオのコメンテーターが真剣な表情で語り始めた。彼は、ヴァルガスの言葉とは裏腹に、厳しい表情を崩さない。


「しかし、皆様ご存じの通り、このヴェリディアン・エコー、そしてゼノス・ヴァルガス氏には、これまで数々の黒い噂が囁かれてきました。その取得方法については、多くの不明瞭な点が指摘されており、一部では、違法な手段や、力なき者からの強奪、あるいは詐欺が用いられたのではないかとの声も上がっています。過去には、ヴァルガス氏が関与した特定の辺境惑星での不透明な資源採掘事業や、その土地に住む少数民族への不法な立ち退き、そして関連企業の不法な土地収奪といった疑惑も浮上しており、今回のヴェリディアン・エコーの入手経緯も、その延長線上にあるのではないかと、専門家は指摘しています。果たして、この豪華なお披露目パーティーは、彼の不正を覆い隠すための煙幕となるのでしょうか……」


 コメンテーターの言葉が、カフェテリアの喧騒の中に、小さく、しかし確実に響き渡る。


 ノアはニュース画面に目を凝らし、ヴァルガスの表情を分析するような視線を送った。彼の指は無意識のうちに、テーブルの下で携帯情報端末を操作し、ヴァルガスとヴェリディアン・エコーに関する情報を検索し始めていた。


 イヴァンは「ちっ、やっぱり怪しい野郎だな。こういう権力者が一番性質が悪いんだ」と吐き捨て、プロテインバーガーの残りを強く噛み締めながら、画面のヴァルガスを睨みつけた。


 エミリーは表情を変えずに、テレビに映るヴァルガスの顔と、その隣で輝くヴェリディアン・エコーをじっと見つめていた。その瞳の奥には、彼らの任務の潜在的な標的に対する冷徹な分析があった。


 ミリアムは、ヴァルガスの言葉の「音」に、どこか不協和音のようなものを感じ取っていた。「なんだか、この宝石、悲しい音がするみたい……」と、彼女は誰にともなく呟いた。


 カケルは、ニュース画面のヴァルガスと、輝くヴェリディアン・エコーを交互に見た。彼の脳内で、ヴァルガスを取り巻く「黒い噂」と、アラン局長の言葉が、まるでパズルのピースのように繋がり始めようとしていた。ヴェリディアン・エコー。その美しさの裏に隠された真実とは一体何なのか。そして、アラン局長が語った「影の奥に潜む巨悪」とは、まさか――。ヴァルガスの顔が、カケルの脳裏に焼き付いた。


 彼は、無意識のうちに拳を握りしめていた。まだ、その「連鎖」の全体像は見えない。だが、何かが、確実に動き出そうとしている予感が、カケルの心に強く芽生えていた。それは、単なる事件の予感ではなく、彼自身の、そしてチームYの「正義」が試される、大きな戦いの序曲のように感じられた。

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