28.光と影の共演
平和記念ホールは、一瞬にして厳かな静寂から阿鼻叫喚の坩堝と化した。
リチャード・カーター、いや、『カメレオン』ゼオンの咆哮と、カウントダウンを刻む小型爆弾の鈍い光が、会場を恐怖で支配する。まるで、銀河の平和を祝うはずだった式典が、突如として地獄の業火に包まれたかのような光景だった。
人々は我先にと出口へ殺到し、怒号と悲鳴が飛び交う。椅子がなぎ倒され、大理石の床に花瓶が砕け散る音が響き渡り、会場は瞬く間に制御不能のパニック状態に陥った。要人たちはSPに抱えられ、半ば強引に避難させられていく。
「イヴァン!壇上の爆弾を止めろ!奴に触らせるな!ミリアム、避難誘導を優先しろ!ノア、エミリー、ホール全体のセキュリティロックを解除して、避難経路を確保するんだ!」
カケルは、騒然とする会場の中心で、しかし驚くほど冷静沈着に指示を飛ばす。彼の『連鎖反応予測』は、この混沌の中から、何百通りもの可能性を瞬時に分析し、爆弾解除、要人保護、そして一般市民の避難という、複雑に絡み合った最善の打開策を弾き出していた。
彼は、壇上へと続く階段を駆け上がりながら、既にゼオンが、自身の変貌に驚愕し、呆然と立ち尽くしていた警備員数人を、その俊敏な動きと怪力で無力化しているのを見た。警備員たちは、まるで手足を縛られたかのように、なすすべなく倒れていく。ゼオンの動きは、先ほどの温厚なカーター代表とは別人のように、俊敏で残忍、そして一切の躊躇がない。
「任せろ!こんなもん、あっという間に止めてやる!」
イヴァンは、その巨体からは想像もつかないほどの俊敏さで壇上へと跳び上がった。彼はゼオンの動きを予測し、その猛攻を身体で受け止めながら、爆弾へと向かっていく。
ゼオンは、その偽装された肉体とは思えないほどの怪力でイヴァンを吹き飛ばそうとするが、イヴァンは大地に根を張った巨木のようにびくともしない。彼の肉体は、まるで鋼鉄の盾のようだ。ゼオンのパンチがイヴァンの腕にめり込むたび、鈍い衝撃音がホールに響き渡る。イヴァンは、その攻撃を耐えながらも、ゼオンの注意を爆弾から引き離すことに徹していた。
「みんな、落ち着いて!出口はこっちです!押さないでください!」
ミリアムは、混乱する群衆の中央で、その声を最大限に張り上げた。彼女の空間認識能力が、パニックに陥った人々の動きが生み出す『音』の波を読み取り、安全な避難経路を瞬時に特定していく。例えば、奥にある非常口への道が空いていることを『音』で感知し、そちらへ誘導する。彼女は、人々を誘導しながら、同時にゼオンの放つ、禍々しい『影』の『音』と、その動きを常に監視していた。彼女の声は、パニックの中で響く唯一の道しるべのように、人々の耳に届いていた。
周回軌道上のシャトル内では、ノアが全神経を集中させていた。
「エミリー、ホールの全自動ドアのロックを解除する!それに、予備の非常用通路も開いて、避難経路を最大化するぞ!制御システムへの干渉は感知されているが、今すぐ対処はできないはずだ!」
ノアの指がキーボードの上を猛スピードで駆け巡る。瞬く間に、ホールのセキュリティシステムが書き換えられ、これまでロックされていた扉が次々と開いていく。避難を促すアナウンスが多言語で流れ、天井に設置されたプロジェクターからは、緑色の矢印が床に投影され、人々は混乱しながらも、開かれた出口へと向かい始めた。
「よし!避難ルート確保!これで少しは混乱が収まるはずよ!残りのドローンを避難誘導の支援に回すわ!」
エミリーは、避難ルートの状況をモニターで確認しながら、安堵の息を漏らした。彼女は、残りのドローンを避難誘導の支援に回し、天井から光の矢印で通路を指し示すように誘導を始めた。ドローンは、パニックの中で足を踏み外した人々をサポートし、障害物を除去しながら、混乱の緩和に貢献していく。
壇上では、イヴァンがゼオンの爆弾への接近を命がけで阻んでいた。
「てめぇの好きにはさせねえ!銀河の平和を、こんな奴に壊されてたまるか!」
イヴァンは、ゼオンの容赦ない攻撃を腕と肩で受け止め、肉を切らせて骨を断つ戦法で、爆弾からゼオンを引き離そうと試みる。ゼオンは苛立ち、その鋭い爪でイヴァンを切り裂こうとするが、イヴァンはその屈強な肉体で耐え続ける。彼の体には、複数の深い傷が刻まれ、鮮血が滲み始める。
カケルは、イヴァンが作り出したわずかな隙を突いて爆弾へと肉薄した。彼の『連鎖反応予測』が、爆弾の複雑な構造と解除コードを瞬時に読み取る。ディスプレイには、点滅する数字が表示され、残り時間は刻一刻と迫っていた。残り30秒。汗が額を伝い、彼の指先が震える。しかし、その動きに迷いはなかった。
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その間、ホールの混乱をよそに、遠く離れた高層ビルの屋上では、シャドウ・キャッツの三人がその様子を静かに見つめていた。彼らの漆黒のスーツは、ドリアスの景色の中に溶け込み、まるで存在しないかのようだ。
セラフィナの狙撃スコープが、壇上で変貌を遂げたゼオンの姿を鮮明に捉えている。彼女の目には、ゼオンの皮膚の下で蠢く、生体偽装システムの微細な稼働が映し出されていた。その光景は、まるでSFホラー映画の一場面のようだった。
「『カメレオン』ゼオン……やはり動いたな。ガス兵器は陽動、そして奴が本命の捨て駒か」
カレンが冷徹な声で呟いた。彼女の顔には、この展開を予期していたかのような、微かな笑みが浮かんでいる。それは、計算通りに事が運んでいることを示す、確かな笑みだった。
「GRSIは、これで公衆の面前でテロ犯と対峙することになる。我々が手を出さずとも、彼らの『正義』は果たされるだろう。むしろ、我々が介入すれば、彼らの行動の邪魔になる上に、我々の存在を公にすることになる」
「だが、評議会の真の目的は、このゼオンを囮にして、さらに別の何かを成し遂げようとしている可能性が高い。彼は、単なる派手な花火に過ぎない」
セラフィナが、狙撃銃を構えたまま、まるで囁くように言った。彼女の視線は、ゼオンではなく、彼の周囲、そして会場の各所を注意深く探っていた。彼女は、ゼオンが壇上で爆弾を投擲した瞬間、ごく微かな信号がホールのどこかから発信されたことを感知していたのだ。それは、ゼオンからの何らかの「合図」、あるいは遠隔操作の痕跡かもしれない。
セラフィナは、その信号の発生源を突き止めようと、周囲の電磁波パターンを解析していた。彼女の瞳は、まるでレーダーのように、微細な信号を追っていた。
「ああ。ゼオンは捨て駒だ。奴は、この混乱の中で、ゲイル・ゾルダンをこの場に誘い出すための、最後の鍵になる」
カレンの瞳に、獲物を狙うかのような鋭い光が宿った。彼女の脳内では、ゼオンの行動が引き起こすであろう「連鎖反応」が、複雑なパズルを組み立てるかのように展開されていた。彼女は、ゲイル・ゾルダンが、この混乱の中でどのような行動をとるか、そしてどこに姿を現すかを予測しようとしていた。
「我々の本当の獲物は、まだ『影』の中にいる。奴は、必ずこの混乱のどこかに姿を現すだろう。レオン、セラフィナ、ゼオンからの信号を追え。そして、その信号の発信源を特定しろ。評議会の真の幹部たちは、まだその顔を見せていない」
「了解だ」
レオンは短く答えると、迷いなくビルの屋上から飛び降りた。彼の体は、まるで漆黒の鳥のように、夜明け前の空気を切り裂いていく。彼は、ビルとビルの間を、ワイヤーアクションと卓越した身体能力で軽々と飛び移り、ホールの東側へと向かっていった。彼の動きは、夜闇に溶け込み、誰の目にも触れることはない。まるで、風に舞う木の葉のように、その存在は完全に隠されていた。
セラフィナは無言で頷き、狙撃スコープをレオンが向かう連絡通路へと固定する。彼女の目は、わずかな動きも見逃すまいと、その集中力を極限まで高めていた。彼女は、遠く離れた場所から、レオンの動きを完全に把握し、彼に迫るあらゆる脅威を排除する準備を整えていた。
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ホールの壇上では、カケルが爆弾の解除コードを高速で入力していた。残り10秒。赤い数字が点滅し、会場のパニックをさらに煽る。
イヴァンはゼオンの猛攻をギリギリで食い止め、その巨体でカケルに盾となり、時間を稼いでいる。彼の体からは血が滴り落ちているが、その闘志は衰えていない。
ミリアムは、会場の端で、最後まで避難を促し続けていた。彼女の表情には、恐怖よりも、人々の命を救おうとする強い意志が宿っていた。
「解除完了!」
カケルの指が最後のキーを叩き込んだ瞬間、爆弾のカウントダウンが止まり、その鈍い光が消えた。会場に、一瞬の静寂が戻った。爆弾の停止を悟った人々は、安堵の息を漏らし、そのまま崩れ落ちる者もいた。
その隙を見逃さず、イヴァンが渾身の力を込めた一撃をゼオンの顔面に叩き込んだ。ゼオンは、その強靭な体躯を揺るがし、よろめいた。カケルは、すぐさまゼオンに接近し、特殊な電磁拘束具を彼の両腕に装着する。ゼオンは激しく抵抗したが、カケルの素早い動きと拘束具から放たれる高出力の電磁パルスによって、その動きを完全に封じられた。彼の偽装された肉体は痙攣し、本来の顔が微かに覗く。
「リチャード・カーター、いや、『カメレオン』ゼオン。銀河鉄道特別情報部が、貴様を、惑星連邦の法の下に逮捕する!」
カケルの声が、会場に響き渡った。警備員たちが駆けつけ、ゼオンを取り囲み、その場に組み伏せた。
しかし、カケルの心には、勝利の安堵よりも、一層の警戒心が広がっていた。ゼオンは、あまりにもあっさりと捕まった。まるで、彼自身が捕まることを予期していたかのように。そして、シャドウ・キャッツが追う『影』の存在が、彼の脳裏をよぎる。ゼオンは、やはり捨て駒だったのだ。
その頃、東側の連絡通路に到達したレオンは、その内部に潜んでいた『影の評議会』の兵士たちを音もなく無力化していった。通路の奥、厳重にロックされた扉の向こうから、複数の足音と、低い声での会話が聞こえてくる。その声は、緊張と期待に満ちていた。
「……ゲイル・ゾルダン、ついに姿を現すか」
レオンは、その扉に手をかけながら、静かに呟いた。セラフィナの狙撃スコープが、扉の奥に、複数の人間が動いているのを鮮明に捉えていた。そして、その中に、圧倒的な存在感を放つ『影』の『音』を、ミリアムの代わりにカレンが遠くから感知していた。それは、このテロの真の首謀者、ゲイル・ゾルダンそのものだった。影の評議会の議長が、自ら姿を現そうとしている。




