27.平和条約調印式典
惑星ドリアスの夜が明け、穏やかな朝陽が平和記念ホールを照らし始めた。
昨夜の緊迫した空気とは裏腹に、ホールの周囲は一層の晴れやかさと、どこか浮かれたような期待感に包まれていた。ホールの正面に敷かれたレッドカーペットは、まるで銀河の未来への架け橋のようだ。
そこには、真新しいリムジンや、豪華な浮遊車両が次々と滑り込み、各惑星から到着した代表団と要人たちが、カメラのフラッシュを浴びながら、悠然と、そして誇らしげに足を踏み入れていく。彼らの顔には、歴史的な瞬間に立ち会う高揚感と、長く待ち望まれた平和への確かな希望が満ち溢れているようだった。その光景は、あたかも銀河全体がこの一日を待ち望んでいたかのように、まばゆいばかりだった。
ホールの内部は、さらにその熱気を帯びていた。天井から吊るされた、宇宙の星々を象徴するかのような巨大なクリスタルシャンデリアが、磨き上げられた大理石の床に煌めく光の雨を投げかけ、会場全体を厳粛かつ華やかな雰囲気に包み込んでいる。
空気は、高価な香水の匂いと、微かな消毒液の匂いが混じり合い、そこに数千人の人々のざわめきが加わって、独特の緊張感と興奮が入り混じった、他に類を見ない空間を作り出していた。
要人たちは、互いに笑顔で挨拶を交わし、時に軽く抱擁を交わしながら自席へと向かう。彼らの間では、過去の紛争や対立は忘れ去られたかのように、穏やかな会話が弾んでいる。
GRSI特別警備チームの腕章をつけたカケルは、メインロビーの柱の影に溶け込むように立ち、人々の流れを監視していた。彼の目は、警備員、報道関係者、そして要人たちの顔を一人ひとり、まるで記憶に焼き付けるかのように確認していく。
イヴァンは会場の裏手に、資材搬入担当として重い機材の運搬を手伝いながら不審な点を警戒し、ミリアムはホールの二階席、音響ブースの近くに配置され、ヘッドセットを介して会場全体の微細な『音』を拾い上げていた。
彼らGRSIチームYの三人は、表向きは式典の円滑な進行を支えるスタッフの一員として振る舞いながらも、その内側では、水面下で蠢く脅威に対し、神経を研ぎ澄ませていた。
「ノア、エミリー、そちらの準備は万全か?地上の状況は全てクリアに見えているか?」
カケルは、耳元の通信機に、周囲に悟られないようごく自然に囁いた。彼の声は、会場の喧騒に紛れて、誰にも聞き取られないように配慮されている。
「いつでもいける。ホールの全ての監視カメラは私たちの制御下にあるし、空調システムも異常なし。ガス兵器の無力化も確認済みだ。昨夜のデータから、兵器の設置場所は完全に把握し、 GRSI正規部隊に座標を送った。彼らは夜明けまでに無力化を完了させたはずだ」
ノアの声が、惑星ドリアスの周回軌道上を静かに飛ぶシャトルから、まるで隣にいるかのようにクリアに届いた。彼の声には、ガス兵器の脅威を排除したことによる、確かな自信と、微かな安堵が滲んでいた。シャトルのメインモニターには、ホールのフロアプランが映し出され、隅々まで異常がないことが示されている。ホールの換気システムも通常通り稼働しており、空気は清浄に保たれていることを示していた。
「私のドローンも、会場内外の不審な動きを監視し続けているわ。特に、地下の未開放区域や、ホールの屋上など、肉眼では見えない場所まで隈なくチェックしているから、問題ないはずよ」
エミリーの声も続く。彼女は、シャトルのコックピットで複数のモニターを操作しながら、地上のあらゆる情報に目を光らせていた。彼女のドローンは、光学迷彩を施され、鳥や清掃ドローンに偽装されているため、地上からはその存在に気づかれることはない。
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午前10時。定刻通り、平和条約調印式典が始まった。
会場の照明が一段と明るくなり、厳かなファンファーレが鳴り響くと、ざわめいていた会場は瞬時に静まり返った。それは、まるで指揮者のタクトに合わせて、一糸乱れぬハーモニーを奏でるオーケストラのようだった。
惑星連邦議長が、白と金を基調とした威厳ある衣装を身につけ、演壇にゆっくりと上がった。彼の背後には、惑星連邦の象徴である星と翼の紋章が、まばゆく輝いている。会場の要人たちが固唾を飲んで見守る中、歴史的な瞬間が刻まれようとしていた。
議長の演説が始まり、その言葉は銀河の平和と繁栄への希望に満ちていた。彼の声は、会場の隅々にまで響き渡り、出席者たちの心に深く染み渡り、新たな時代の幕開けを予感させた。誰もが、これから訪れる平和な未来に思いを馳せていた。
カケルは、メインロビーの柱の影から会場全体をざっと見渡し、異常がないことを確認した。ミリアムの『音』も、今のところは会場を包む平和な喧騒、人々の穏やかな心臓の鼓動、そして希望に満ちた演説の響きだけを伝えている。イヴァンからの報告も入らない。すべてが順調に進んでいるように見えた。ガス兵器の脅威も去り、誰もが安堵の息を漏らしていたその時だった。
調印のために各惑星代表が次々と壇上に上がり、議長から手渡された条約文書にサインを始めた矢先のこと。議長席の近くに座っていた、とある惑星の代表が、突然、不穏な動きを見せた。
その代表は、これまでの式典でも目立たない存在だった。常に控えめで、影の薄い印象を与える中年男性。彼の名は、リチャード・カーター。惑星連邦の加盟国の一つ、惑星ケレスの代表であり、その惑星は資源輸出で知られていたが、政治的には常に中立の立場を取っていた。
カーター代表は、これまで穏やかで、どこか自信なさげだった表情を突如として歪ませ、不意に壇上の議長に掴みかかったのだ。彼の顔は赤く染まり、その目は血走り、口元には邪悪な笑みが浮かんでいる。まるで何かに憑りつかれたかのような変貌ぶりに、会場は一瞬にして静まり返った。
その静寂は、数千人の人々が同時に息を呑んだかのような、重苦しいものだった。何が起こったのか理解できない人々が、呆然と壇上を見つめる。
「惑星連邦の平和など、欺瞞に過ぎない!」
カーター代表は、普段の彼の温厚な口調からは想像もできない、冷たく響く、まるで別の人物が喋っているかのような声で叫んだ。その声は、会場の隅々まで響き渡り、人々の耳に不気味にまとわりつく。
「真の秩序は、我が『影の評議会』がもたらす!お前たちの時代は終わりだ!」
彼の言葉は、まるで鋭い刃のように、会場に張り詰めた平和な空気を切り裂き、希望に満ちた式典の雰囲気を一瞬で凍りつかせた。会場は、まるで時間が止まったかのような錯覚に陥った。
警備員たちが直ちに壇上へ駆け上がろうとしたその時、カーター代表は、服の中に隠し持っていた小型の爆弾を取り出し、何の躊躇もなく壇上の調印台に叩きつけた。爆弾は鈍い光を放ち、カウントダウンが始まった。その光が、会場全体の雰囲気を凍りつかせ、人々の顔に恐怖の影を落とす。
「テロだ!」
会場のあちこちから、まるで堰を切ったかのように悲鳴が上がる。人々はパニックに陥り、出口へと殺到し始めた。調印式典は、一瞬にして混沌の渦へと呑み込まれていく。人々の怒号と悲鳴が入り混じり、椅子が倒れる音、ガラスが割れる音が響き渡る。
カケルは、その光景を目にして、全身に雷が走ったような衝撃を受けた。彼の『連鎖反応予測』は、この突然の事態に警鐘を鳴らし、予測不能な未来の可能性を次々と示していた。彼の脳内では、何百もの緊急対応シミュレーションが高速で実行されていた。
「リチャード・カーター……まさか、奴が『影の評議会』の幹部だったとは!」
カケルは、自身の『連鎖反応予測』が、なぜこれまで彼を危険人物として感知しなかったのか、その理由を探ろうとした。彼は、あまりにも表舞台に溶け込みすぎ、その存在を完全にカモフラージュしていたのだ。まるで、背景に溶け込むカメレオンのように、彼の存在は完全に巧妙に隠蔽されていた。
「カケル!カーター代表の生体反応に、急激な変異が見られるわ!彼の皮膚の下で奇妙な模様が浮かび上がり、瞳の色が変化していく!まるで、別人格が表出したみたいに!」
シャトル内のエミリーが、ドローンが捉えた鮮明な映像を見ながら叫んだ。彼女の声には、動揺が隠せない。彼の生体偽装技術は、これまでのGRSIのいかなるデータベースにも記録されていない、全く新しいレベルのものだった。
「ミリアム、カーター代表の『音』は!?何か変わったか!?」
カケルはミリアムに問いかけた。
「『音』が……まるで、深い闇の底から響くような、冷たい『音』に変わった!違う、これはカーター代表の『音』じゃない!もっと、複雑で、禍々しい『音』だ!人間の『音』じゃない……!」
ミリアムの声には、明確な恐怖が混じっていた。彼女は、目の前で人間の『音』が、全く別の、異質な存在の『音』に変貌していく様を感知していたのだ。それは、まさに『影』そのものが顕現したかのような、ぞっとする『音』だった。
ノアの声が続く。
「カケル!緊急解析の結果、カーター代表の個人情報に、高レベルの偽装が施されていたことが判明した!彼は『影の評議会』の幹部の一人、『カメレオン』ゼオンだ!特殊な生体偽装技術と、精神操作技術を組み合わせて、長期間にわたりリチャード・カーターになりすましていたんだ!奴は、自分のDNAレベルから、行動パターン、声質に至るまで、完全にカーター代表を模倣していた!そのため、我々のいかなる監視網にも引っかからなかったんだ!データベースの照合も、全て偽装されていた!」
ノアは絶叫するように伝えた。
「奴は、ガス兵器が陽動だと知っていた。我々の動きを読み、ガス兵器の対策にGRSIの注意が向いている間に、式典の警備が手薄になると判断した上で、本命のテロを仕掛けてきたのだ!」
カケルは、評議会の周到さ、そしてゼオンの恐るべき変身能力に戦慄した。彼らは、常に我々の一歩先を行く。ガス兵器の件でGRSIが慢心するであろうことまで、奴らは計算に入れていたのだ。




