26.緊迫の夜明け前
平和記念ホールに夜明け前の静寂が訪れる頃、GRSIチームYは動き出していた。メインサーバー室での激しい戦闘の痕跡を素早く処理し、カケル、ミリアム、イヴァンは、それぞれが警備スタッフや作業員として、事態がなかったかのように振る舞っていた。だが、彼らの胸中には、ガス兵器という新たな脅威への緊迫感が渦巻いていた。
カケルは、ホールの警備本部へ向かった。彼の顔は、夜通しの警戒で疲労を滲ませているものの、その瞳には強い意志が宿っている。警備本部長のブライアン・クロスは、疲れた顔でデスクに座り、コーヒーを啜っていた。彼は元連邦軍の軍人で、その厳格さで知られている。
「本部長」
カケルは敬礼し、毅然とした態度で報告を始めた。
「夜間の巡回中に、ホールの地下空調システムに異常な熱源反応と、微細な化学物質の痕跡を発見しました。私の部隊がシャトルから分析した結果、それはテロリストが持ち込んだ可能性のあるガス兵器だと思われます」
クロスの眠気が一瞬で吹き飛んだ。彼はカップをデスクに叩きつけ、身を乗り出した。
「ガス兵器だと!?なぜこれまで警備システムが感知しなかった!?」
「非常に巧妙に隠蔽されており、我々の専門的な分析装置と、特殊な感知能力があって初めて特定できました。これは、従来のテロ対策では予測しえないレベルの脅威です」
カケルは、シャドウ・キャッツの存在を伏せつつ、GRSIの能力を最大限にアピールした。ノアが事前に流し込んだ偽の情報が、カケルの言葉に説得力を持たせる。
クロスの顔に、焦りと怒りが浮かんだ。
「馬鹿な……。すぐに全警備部隊に非常配備を命じる!ガス兵器の正確な位置は特定できるのか!?」
「現在、シャトルから精密な位置特定を行っています。おそらく、ホールの地下、空調システムのメインダクトに直接接続されている可能性が高いです」
カケルが答えた。
「また、そのガスは無色無臭で、吸い込んだ要人の呼吸器系に重篤な損傷を与える可能性があります。防護服なしでの接近は危険です」
「すぐに特殊部隊を編成し、ガス兵器の無力化に当たらせる!周辺の空調システムを一時的に停止させ、ガス拡散の対策を講じる!各要人には、まだ公にせず、万が一の事態に備えた避難経路の再確認を指示する!」
クロスは、次々と指示を出し始めた。彼の顔には、深刻な事態に直面した指揮官の冷徹さが戻っていた。
イヴァンとミリアムは、ホールの別の場所でその様子を通信越しに聞いていた。
「よし、これでガス兵器の対処はGRSIの正規ルートに乗ったな」
イヴァンが、ホールの通路の陰で安堵の息を吐いた。
「これで俺たちの仕事は一つ片付いたってわけだ」
「でも、まだ不安だよ……。ガス兵器だけじゃないんでしょ……?」
ミリアムは、周囲の『音』に耳を傾けながら、不安げに呟いた。彼女の感知する『影』の評議会の『音』は、ガス兵器以外にも、何か別の不穏な計画が進行していることを示唆していた。
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一方、平和記念ホールの外郭、人目につかない高層ビルの屋上では、シャドウ・キャッツの三人が静かにドリアスの夜空を見下ろしていた。彼らの漆黒のスーツは、夜闇に溶け込み、その姿を完全に隠している。セラフィナは、狙撃銃を構え、ホールの主要な入口と、周囲のビル群を監視していた。彼女の狙撃スコープは、夜間でも鮮明にターゲットを捉える。
「GRSIが動き出したな。ガス兵器の排除は、彼らの範疇だ」
カレンが、傍らに立つレオンに言った。彼女の視線はホールに向けられているが、その意識は、遥か彼方の『影の評議会』の真の狙いに向いていた。
「これで奴らは油断する。ガス兵器が排除されれば、GRSIはこれでテロは阻止できたと考えるだろう」
レオンが静かに答えた。
「だが、奴らが本命を隠している可能性は高い。我々の任務は、その隠された『本命』を炙り出し、首謀者を捕捉すること」
「ホールの警備は厳重になっているが、私たちが行ける場所は限られている。評議会は、別の場所から、別の方法で、式典を狙うかもしれない」
セラフィナが、スコープから目を離さずに言った。彼女の冷静な分析は、常に的確だ。
「我々が追うべきは、評議会の議長ゲイル・ゾルダン。彼は、このテロを計画した真の首謀者だ。ガス兵器は、あくまで陽動に過ぎない。奴は、必ず別の場所から、この混乱を監視しているはずだ。そして、その混乱の先に、奴自身の目的を達成しようとするだろう」
カレンの瞳が、夜空の彼方を見据える。ドリアスの空に、微かに夜明けの兆しが見え始めていた。




