22.ドリアスの影
ヴェーガの地下深くでの死闘から三日後。
銀河の未来が懸かる惑星ドリアスは、歴史的な『平和記念ホール』を中心に、異様なまでの厳戒態勢の中にあった。明日、この神聖な場所で、惑星連邦の存続と発展を決定づける平和条約調印式典が執り行われるのだ。
ホールの内外では、調印式に向けて最終の準備が慌ただしく進められており、数百もの警備スタッフ、技術者、そして各惑星からの代表団が入り乱れ、まるで巨大な蟻の巣のようだった。
記念ホールの正面エントランスには、最新鋭の重武装警備ドローンが絶え間なく巡回し、その光学センサーが周囲のあらゆる動きを捉えていた。ドリアスの上空には、連邦軍の巡視船が静かに浮かび、万が一の事態に備えてレーダーを稼働させている。
ドリアス時間の午前早く、人々は既に活動を開始していたが、要人たちは明日の式典を前に、ホールの周辺に点在する最高級ホテルなどで、水面下の会談や最終調整を行っており、その警備も通常以上に厳重を極めていた。主要道路は封鎖され、空域は制限され、ドリアス全土がまるで巨大な要塞と化しているかのようだった。
しかし、この平穏な光景の裏側で、『影の評議会』の恐るべきテロ計画が、静かに、そして確実に進行していた。彼らは、銀河の安定を根底から揺るがし、新たな秩序を構築しようと目論んでいるのだ。
そして、それを阻止するために、GRSIチームYとシャドウ・キャッツの共同作戦もまた、水面下で着実に実行に移されていた。それぞれの『正義』を胸に秘めた彼らは、あたかも異なる歯車が噛み合うかのように、その役割を全うしていく。
チームYのメンバーは、平和記念ホールの内部に深く潜入し、それぞれの持ち場で神経を研ぎ澄ませていた。
カケルは、式典の警備を担当するGRSI特別警備チームの一員として、身分証と腕章をつけ、冷静な表情でホールの通路を巡回していた。
彼は、ネイビーブルーの制服に身を包み、腰に提げた小型警棒が唯一の武装に見える。しかし、彼の視線は、周囲の人間、特に警備スタッフや技術者たちの微細な動きを捉えようと、常に注意深く動いている。廊下を歩く人々、清掃ロボットの動き、照明の微かな点滅……あらゆる情報が、彼の脳内で高速処理されていく。
彼の『連鎖反応予測』の能力は、不穏な兆候、例えば異常な体温分布、微細な心理的動揺、あるいはわずかな電気信号の乱れなどを早期に察知するために最大に引き上げられていた。
彼は、もしテロが起こるとすれば、その実行犯がどのような動きを見せるか、どのような経路を辿るか、頭の中で何百パターンものシミュレーションを行っていた。表面上は、ただ黙々と職務をこなす真面目な警備員にしか見えない彼だが、その内側では、銀河の命運を賭けた戦いが始まっていたのだ。
「こちらカケル、今のところ異常なし。ミリアムも、何か『音』は感じるか?」
カケルは、さりげなく通信機に触れ、離れた場所にいるミリアムとイヴァンにコンタクトを取った。彼の声は、周囲の騒音に紛れるように、ごく自然に発せられた。
「ううん、今のところ変な『音』はしないよ。ただ、人が多すぎて、たくさんの『音』がごちゃごちゃしてる」
ミリアムの声は、少し困惑気味だった。彼女は、式典の準備を手伝う会場設営スタッフの一人として、目立たない作業服にヘッドセットをつけ、工具箱を手に、忙しなく動き回る作業員たちに紛れていた。
彼女の鋭敏な空間認識能力は、壁の向こうの配管を流れる水の音、遠くで稼働する空調の振動、人々の足音、話し声、さらには彼らの心臓の鼓動や、微細な電気信号の乱れ……あらゆる『音』を拾い上げていた。
しかし、この広大なホールで、数えきれないほどの『音』が複雑に絡み合い、まるで巨大なオーケストラの不協和音のようになっているため、わずかな異常音を選別することが困難を極めていた。それでも、彼女の研ぎ澄まされた直感は、わずかな不協和音も見逃さないよう、全身で『音』を感じ取っていた。
一方、イヴァンは、ホールの裏側にある資材搬入口で、屈強な体格を活かして運搬作業員に扮していた。
彼は、重い音響機材や照明器具のコンテナを軽々と運び上げ、トラックから降ろす作業をしながら、周囲の警備体制や、資材の搬入ルートに不審な点がないか、その鋭い観察眼で注意を払っている。彼のガサツな話し方と豪快な動きは、いかにも肉体労働者といった風情で、誰にも怪しまれることはなかった。
時折、彼はわざとらしく大きなため息をつき、汗を拭う仕草を見せながら、搬入される機材の内部構造や、警備員同士の会話に耳を傾けていた。
「こっちは問題ねえな。警備は堅いが、裏方はけっこう緩い。荷物の中に何か仕込むなら、この辺が狙われやすいだろうな」
イヴァンの声は、通信機越しでもがさつに響く。彼が重いコンテナをトラックから降ろす、ドン、という鈍い音が通信の向こうで聞こえた。
一方、惑星ドリアスの周回軌道上、高度300キロを静かに飛ぶGRSIシャトルの内部では、ノアとエミリーがそれぞれの任務に集中していた。
シャトルのコックピットは、さながら最新鋭の管制室のようだった。無数のモニターが並び、ドリアス上空から平和記念ホールの広大な敷地、そしてその周辺の状況がリアルタイムで映し出されている。熱源センサー、X線透視、電磁波探知機など、あらゆる偵察機能が稼働し、地上のわずかな異変も見逃さないよう監視体制が敷かれていた。
「カケル、ミリアム、イヴァン、そちらの視覚情報と音声データは全て受け取っている。現在、ホールのセキュリティネットワークに深く潜り込んでいる最中だ。警備システムの盲点、隠された監視カメラ、不審な通信記録、電力系統の異常……全てを洗い出す」
ノアは、キーボードを叩く指を休めることなく、膨大なデータを処理していた。彼のモニターには、平和記念ホールの複雑なフロアプランと、警備システムの接続状況がリアルタイムで、まるで生き物のように動いている。
彼の顔には、微塵の隙もない集中力と、評議会のシステムを完全に掌握しようとする執念が浮かんでいた。彼は、評議会が使用するであろう暗号化パターンや、ハッキングの痕跡を予測し、その防壁を突破しようと試みていた。
「私のドローンは、ホールの外周部と、地下の排水システム、そして空調ダクトを中心に警戒しているわ。今のところ、不審な侵入経路は見当たらないけど、警戒は怠らない。熱源反応や、微細な電磁波の変化も感知できるよう、パラメーターを調整済みよ」
エミリーは、ノアの隣で、複数の操縦スティックとモニターを操作していた。彼女のドローンは、惑星上空のシャトルから精密に遠隔操作され、肉眼では捉えられないような小さな隙間や、地下の配管の奥深く、あるいはホールの壁のわずかな亀裂の中まで潜り込み、異常がないかを隈なくチェックしていた。彼女の瞳は、静かながらも確かな緊張を宿しており、モニターに映る一つ一つの点や線に、全神経を集中させている。
時間だけが静かに流れていく。カケルはホールのメインエントランス近くで、要人や警備員、そして一般の通行人が入り混じる人々の流れを観察していた。彼の目は、不審な挙動をする者、必要以上に周囲を警戒する者、あるいは顔色を窺う者を探し続けている。
その時、彼の『連鎖反応予測』が、ふと微かな違和感を覚えた。人混みの向こう、ホールの裏手にある、普段あまり使われていない非常階段の入り口付近を、一瞬だけ漆黒の影が横切ったような気がしたのだ。それはあまりに素早く、まるで幻影のように、確証を得るには至らない。まるで、空間そのものが一瞬だけ歪んだかのような、幽かな気配だった。その動きは、警備ドローンの死角を縫うように、あまりにも洗練されていた。
「今の……?」
カケルは、思わず視線を向けたが、そこにはただの通行人がいるだけだった。見慣れない警備員の姿や、不審な挙動をする者は見当たらない。しかし、彼の胸には、得体の知れない予感が広がっていた。
「どうしたの、カケル?何か異常な『音』でもした?」
ミリアムの声が通信機越しに聞こえる。彼女の感知する『音』に、何か変化があったのだろうか、とカケルは考えた。
「いや、何でもない。気のせいかもしれない」
カケルは答えたが、その胸の内には、確かな影の存在がちらついていた。それは、シャドウ・キャッツのメンバー、レオン・ヴァンスが、既に水面下で動き始めている証拠かもしれない。彼らは、決して表には姿を現さない。表舞台で動くGRSIが、テロリストを捕捉するための準備を進めている一方で、影に潜むシャドウ・キャッツが、見えない場所で『影の評議会』の足取りを追っている。
彼らの任務は、テロを未然に防ぎ、銀河の平和を守ること。GRSIチームYは、正規のルートで、シャドウ・キャッツは影から。それぞれの『正義』が、惑星ドリアスの夜空の下、複雑に交錯し、協調し始めていた。明日の調印式典まで、残された時間はわずかだ。彼らの連携が、銀河の命運を握る。




