10.廃墟への侵入
シャトルは、惑星ヴァイパーの荒涼たる大地に静かに着陸した。
地表に降り立つと、金属質の砂塵が容赦なく吹き荒れ、視界を遮る。ゴオオオと低く唸る風の音が、廃墟となった『アークライト』旧採掘基地の不気味さを一層際立たせていた。かつて銀河有数の資源を産出したこの地は、今やただ錆びついた鉄骨と朽ちた構造物が無限に連なる、銀河文明の墓標のようだった。
「風が強いな。これじゃ光学迷彩も効果が薄れるか?」
イヴァンが、防塵ゴーグルを装着しながら周囲を警戒するように呟いた。彼の屈強な体躯は、吹き荒れる砂塵にも揺るがない。
「この風と砂塵は、私たちにとっては視界を遮るが、シャドウ・キャッツにとっては、むしろ好都合かもしれない。私たちの視覚センサーを欺きやすいから」
エミリーが、冷静に答えた。彼女は手元の多機能端末で風速計と粒子濃度計を起動させ、周囲の環境データを収集している。
「それに、彼らの光学迷彩は、単に光を屈折させるだけの簡易なものじゃない。あらゆる電磁波や熱源の放出まで抑制する、軍事レベルをはるかに超えた複合素材でできているわ。この程度の自然現象で影響を受けるような代物じゃない」
ミリアムは、着陸したシャトルのハッチが開く前から、全身でヴァイパーの「音」を感じ取っていた。
「この風の『音』は、シャドウ・キャッツの『音』とは違う。彼らの『音』はもっと静かで、空間に溶け込むような感じ。でも、このアークライトの『音』は、なんだか……とても悲しい。たくさんの叫び声が、風に乗って聞こえてくるみたい……。まるで、この土地そのものが、何かを訴えかけているような『音』よ」
彼女は、両腕を抱きしめるように身をすくめ、その感受性の高さから来る痛みに耐えているようだった。
カケルは、全員の装備を最終確認しながら、静かに指示を出した。
「よし、いくぞ。ノアはシャトル内で待機し、情報支援と通信ルートの確保を最優先。外部からの不審な通信や、私たちの位置を特定しようとする動きがあれば、即座に報告、場合によっては強力な妨害シールドを展開してくれ」
「了解、いつでもハッキングの準備はできてる。シャトルのメインシステムを『アークライト』の廃墟に残るネットワークに接続を試みる」
ノアの声が、通信機越しに響いた。シャトル内部のディスプレイには、アークライトの簡易マップが起動されている。
「イヴァンとミリアムは先行して、ルート確保と危険箇所の特定。特に、シャドウ・キャッツが残したかもしれない罠や、隠蔽された通路を見つけてほしい。エミリーは後方支援と狙撃ポジションの確保。もしシャドウ・キャッツが、我々以外の第三者と交戦しているような状況があれば、君の狙撃能力が不可欠になる。俺は全体を指揮し、状況に応じて指示を出す。常に連絡を取り合い、単独行動は厳禁だ。この場所は、見た目以上に危険な可能性が高い」
「任せろ!どんな罠が仕掛けられてようが、俺が全部ぶっ飛ばしてやる!」
イヴァンが拳を握り、闘志を露わにした。彼の荒々しい言動とは裏腹に、その目は周囲を注意深く見渡し、わずかな異変も見逃さない。ミリアムを先導するように、巨大な廃墟の入り口へと向かう彼の足音は、砂利道をしっかりと踏みしめ、その存在感は周囲の荒涼とした風景に全く引けを取らなかった。
彼らが一歩足を踏み入れると、錆びた鉄骨が軋む音が、風の唸りと混じり合って耳に届いた。内部は予想以上に広大で、かつての採掘作業で使われていたと思われる巨大な掘削機や輸送用のレールが、錆びつき、原型を留めない姿で横たわっていた。埃と金属の匂いが鼻をつく。まるで時間の流れが止まったかのような、荒廃した光景が広がっていた。
「この先、構造が複雑に入り組んでるわ。特に古い坑道は地盤が脆く、崩落の危険があるから注意して」
ミリアムが、慎重に足元を確認しながら進む。
「でも、なんだか、新しい『音』がする場所もある。古い機械の隙間から、かすかに電子機器の作動音みたいな、規則的な『音』が聞こえる……。まるで、この廃墟のどこかで、今も誰かが活動しているような『音』よ」
彼女は、目を閉じ、その微かな音の発生源を特定しようと集中した。
その時、イヴァンが前方の地面に、奇妙な痕跡を発見した。それは、複数の光の残像が残したような、微かな焦げ跡だった。砂塵に薄く覆われた地面に、点々と続くその跡は、まるで誰かが高速で移動した後に残ったかのように、不自然に鮮明だった。
「おい、カケル!これを見ろ!」
イヴァンが指差す先には、砂塵にまみれた地面に、わずかに残る電子的な焦げ跡が点々と続いていた。その痕跡は、まるで誰かが高速で移動した後に残ったかのように、不自然に鮮明だった。通常の移動では考えられない、エネルギーを消費した移動の痕跡だった。
エミリーがその痕跡に近づき、グローブのセンサーで分析を始める。
「これは……特殊なエネルギーフィールドの残渣ね。非常に高出力の加速装置、あるいは短距離の空間転移装置を使用した場合に発生する痕跡と酷似しているわ。しかも、これだけ連続して痕跡が残っているということは、複数の人間が、かなりの速度で移動した証拠よ。一般人が使えるような技術じゃない。これは、まさしくシャドウ・キャッツの移動痕跡ね」
「シャドウ・キャッツか!」
カケルが眉をひそめた。彼らの使う技術は、GRSIの予想を遥かに超えている。『アークライト』の内部で、彼らが何らかの活動を行っているのは確実だった。彼らがこの場所に留まっているということは、ここが彼らの拠点、あるいは目的の場所である可能性が高い。
「ミリアム、この痕跡から、彼らの移動経路を特定できるか?」
カケルが尋ねた。ミリアムは、目を閉じ、集中した。彼女の研ぎ澄まされた空間認識能力が、残されたエネルギーの「響き」と、それに伴う空気の微細な乱れを捉えようとする。やがて、彼女はゆっくりと目を開き、ある方向を指差した。
「この『音』は、奥へ、奥へと続いている。どうやら、地下へ向かっているみたい。すごく複雑な、でも規則的な『音』がする……まるで、誰かが私たちを『こっちだよ』って道を示しているみたいに、はっきりと聞こえる」
「地下か……ノア、アークライトの地下施設に関する情報はあるか?構造図でもなんでもいい、内部の詳細データが欲しい」
カケルが通信機に問いかけた。
「現在、ハッキングを試みているが、メインシステムは完全にシャットダウンされている。だが、旧式の緊急バックアップシステムにアクセスできそうだ。解析にはもう少し時間がかかるが、電力供給ルートから、地下には広大な区画が存在することが確認できた。データセンターや、さらには隠蔽された保管庫のような施設も示唆されている」
ノアの声が、わずかに苛立ちを含んで返ってきた。彼にとって、システムが機能しないことは、最大の障壁だったが、この新たな手がかりに希望を見出しているようだった。
「急げ、ノア。シャドウ・キャッツは俺たちを待っているかもしれない」
カケルはそう言うと、イヴァンとミリアムに視線を送った。
「地下へ向かう。警戒を怠るな。彼らが我々を誘導しているのだとすれば、その先には彼らが我々に見せたい『真実』が隠されているはずだ」
彼らは、薄暗い通路を奥へと進んでいく。風の唸りは次第に遠ざかり、代わりに、どこからか水滴が落ちるような音と、金属が不規則に軋む音が響き始めた。空気はひんやりとし、湿り気を帯びてきた。そして、ミリアムが感じた「悲しい音」が、通路の奥からより鮮明に、より強く聞こえてくるような気がした。
アークライトの深部には、ヴァルガスが隠蔽しようとした真実と、シャドウ・キャッツの狙いが、静かに、そして確実な足音を立てて、彼らを待っていた。