不思議の世界へ
誰かの声が聞こえた気がして、僕はうっすら目を開けた。
誰か、いる。そのくらいしか分からないほどに体は異常だらけだった。
声が、出ない。立ち上がることすらできないし、体中が馬鹿みたいに痛む。
なぜ自分がこんなところで倒れているのかすら、思い出せなかった。
体の輪郭がベリベリと音を立てて剥がされていくようだ。
そうして、僕の意識は途切れた。
「息はあるな・・・かろうじてだが。」
「このままほっといたら、すぐに死んでしまう。そうでなくても、奴らに見つかれば、未来はないよ。・・・家に連れて行こう。」
「連れて行く!?正気か・・?」
「お願い、スイ。協力して」
「・・・分かったよ。あんたはそういう性質だよなぁ。良いよ、うん。協力するよ。まぁ、面倒事は起きてから考えればいいか。」
意識が戻ったあと、真っ先に目に飛び込んできたのは見慣れぬ天井だった。人気のない部屋のベッドに僕は寝かされていた。壁沿いに置かれた棚には怪しげな、見たこともない道具がずらりと並んでいた。何か作っているのだろうか。今まで嗅いだことのない不思議な匂いが、開いていた窓を抜け、僕のいるベッドまで漂ってきていた。
「あ、目が覚めた?良かった、ひとまず安心だね」
扉が開き、人が入ってきた。女の人だ。目が覚めていることに気がついたらしい。
透き通るような柔らかい声で僕に尋ねる。それほど大きな声でもないのに、どういうわけか、すっと内へ入ってくる。なんとも不思議な感じがした。
「身体の方はどう?まだ痛む?」
ローブの袖から出た華奢な手を、僕の首元に当てて、顔をのぞき込んだ。
「その様子だとやっぱり、あまり良くなってないみたいだね。」
その人は少し遠くにあった丸椅子の方向へ手を伸ばすと、手招きをした。すると、椅子はカタカタと少し揺れた後、四本の足を器用に動かして、ベッドのそばまでやってきた。
不思議な光景に僕の目は釘付けになった。けれど、彼女は気づいていないらしい。
「君ほどの重傷者を即治療できるほどの素材は持ち合わせがなくてね。応急措置くらいしかできなかったんだ。でも、私が手当てしてる間にスイに頼んで採りにいってもらったから。たぶん、もうすぐ戻ってくると思うよ。」
しばらくしてまた人が入ってきた。今度も女の人だった。
お盆へのせられた容器(確か、吸い飲みっていうんだっけ)にはさらさらとした透明の液体が入っていた。淡く、光っている。先ほど嗅いだ不思議な匂いの正体はどうやらこれだったらしい。
「得体の知れない奴が持ってきた、得体の知れない物を口に入れるのは、まあ、抵抗あると思う。けどな、だまされたと思って飲んでみてくれ。すぐに良くなるから。まあ、飲まなきゃ良くから選択肢はないんだけど。」
そう言って、つかつかとやって来ると有無もいえないうちに吸い飲みの口を僕の口に差し込んだ。あまりの出来事に混乱しつつも、誤嚥しないように僕は必死になって喉を動かした。みるみるうちに痛みは引き、異常は治り、すべて飲み終える頃にはむしろ前より元気になった気がした。
「凄い、ほんとにすぐ良くなった。」自然に声が出た。
「当ったり前だろ、大魂果を煎じたんだ。直らねぇほうが不思議だね。」
僕の驚く顔を見て、ニッと笑っている。
(ダイコン・・?聞き間違いか?)
「やり方少し乱暴すぎるんじゃない?」
「どうせ飲ませるんだ。ぐだぐだしてた方がこいつもしんどいだろ?」
どちらも僕のことを慮ってくれている。悪い人達じゃないみたいだ。少しだけほっとした。けれど、それ以上に先ほどからの不思議が僕の心を落ち着かせてはくれなかった。
「助けてくれてありがとうございました。僕、三条 光希です。」
ベッドから起き上がり服装を正してお礼を言った。
「自己紹介がまだだったね、私はショウ・ルミナー。よろしくね。」
透き通るような肌に銀色の髪を持ち、黒のローブを着ていた。繊細と言う言葉がよく似合う人だ、というのが第一印象だ。水晶玉のように輝く目には人の考えを見通してしまいそうな迫力があった。
「私はスイだ、よろしくな。」
大柄で、長い髪を後ろで縛っている。質素な着物に身を包んだこの人はショウさんとは対照的な、豪快と言う言葉がよく似合う。口調は些か乱暴だけど、言葉の節々には優しさが見え隠れしていた。
「さて、自己紹介もすんだことだし、ちょっといいかな?」
ショウさんがパチンと手をたたき微笑みながら言った。僕はベッドに座り直した。
「突然だけど、一番重要なことをきいておきたい。君がどこから来たのか、教えて欲しいんだ。ええと、そうだな。出身地はなんて名前の国?」
ドクンと、心臓がはねた。いやな予感がする。どうして、わざわざ解答を国に指定したんだ?震える声で尋ねた。
「日本って、知りませんか?」
「知っているよ」ショウさんが答えてくれた。
「これで、確定だな。」真剣な面持ちでスイさんが言った。
「もしやと思ったが、やっぱそうだったか。」
「あの、確定って・・?」恐る恐る聞いた。
「三条君、落ち着いて聞いて欲しい。私たちは、二人とも日本という国名は知っている。けどね、この世界に日本という国は存在しないんだ。」
「何を、言って・・」声がうまく出ない。
ショウさんはゆっくり、僕を落ち着かせるように言う。
「ここは、君が元いた世界とは別の所にある世界なんだ。普通、そんなことはあり得ないんだけど、だけど、君はどういうわけか渡ってきてしまったんだよ。あのひどい怪我も多分そのときできたものだと思う。」
いやな予感が、今、確信に変わった。手招きされて歩く椅子、怪しげな道具、あらゆる異常に効く薬。ここが不思議だらけの世界だという事を知るにはこれだけでも《《十分すぎるもの》》ばかりだ。
「ショウの言うとおり、普通は次元の壁に阻まれる。だから界渡りなんて、こちら側からも、まともにできた試しがないんだ。体が焼き切れる。おまえ、なにか覚えてないか?」
手がかりを探るためか、スイさんが訪ねた。
「こっちに来る直前の記憶がなくて。気がついたら倒れていたんです・・・」
それから、不安な気持ちを少しでも落ち着けようと、二人はいろんな事を僕に話してくれたし、聞いてくれた。おかげで話しているうちに、心の整理がついたし、ずいぶん気持ちが楽になった。おかしな世界で最初に出会ったのがこの二人だったのが何よりの幸運だと思った。
「なあ、ミツキ、学校へ行く気はないか?」しばらくして、スイが尋ねた。
「学校・・?」
「そう、カルメン魔導学校。この世界で暮らすなら入っておいて損はない。それに、そこでなら、帰還魔法でも取得できるかもしれねぇ。」
「帰還、魔法?」帰る手段があるのか?しかも今、魔法って確かに言った。
心をくすぐられるフレーズに、つい、繰り返してしまった。
「このまま何もしないで待っているより、ずっと良いと思うんだ。私たちも協力するから!」ショウが両手を握った。
断る理由なんてあるわけない。不安はいつしか、期待に変わっていた。
「おねがい、します!」僕の声に活気がもどった。
終盤で主人公がショウ、スイと二人を呼び捨てにしているのは話を聞いて貰ったときに一気に距離が縮まったためです。見ず知らずの土地で、初対面の人を、どうしてこうも容易く信用したのか。そこら辺も追々書いていきたいです。