トラウマ
壁を壊した先には下と降りる雑な階段があった。そこから背筋に冷たい物が走る感覚がしてくる。
「アリサ」
「うん。気配はないから、誰かがいる事はないと思う」
ヌートリアの廃教会の地下には、アリサがいた。だから、異常に大きな気配がしていたけど、ここは違う。ただの嫌な感覚って感じだ。
「何もいないと思うけど、警戒しながら進もう。明かりお願い出来る?」
「うん」
アリサが魔法で光源を用意してくれる。そうして階段を見ると、本当に雑な階段という事が分かる。階段の幅や高さがバラバラだから。
「足元気を付けてね」
「うん」
所々でアリサに手を貸しながらゆっくりと降りていくと、二十メートル程降ったところで一番下に着いた。そこからはまた通路が続いている。ここはウォンバットよりも地下に存在する場所だ。
「方角的には、ウォンバットと逆方向だね」
「そうだね。大分奥まで続いているみたい。完全に山の向こうだと思う。ヒナって、ウォンバット周辺の地図持ってなかった?」
「一応買ったけど、目印とかが一切ないから、どこかは分からないと思うよ」
私は地図を出してアリサに見せる。アリサの明かりに照らされているので、ちゃんと地図も見える。
「壁の向きと階段の勾配とかから考えて……ここら辺まで来ていると思う。このまま真っ直ぐ進んで行ったら、ここら辺まで来そうかな」
「縮尺的には、そんな感じかな。あるのは森だね。ミノタウロスが抜けて来た森……今、ハヤトさん達が調べているのもここら辺だと思う」
「ここから繋がる先があるのかもしれないね。大体の距離を覚えて進んで行こうか」
「うん」
道を進んでいくと、段々もやもやとした感覚に襲われる。まるで、この先にあるものを身体が拒絶しているかのように。しばらく歩いて行った時その正体が分かった。
「っ……」
息が詰まる。そこには、岩肌に鉄格子が填められた牢屋があった。それは、私が詰まっていた牢屋とほぼ同じようなものだった。頭の天辺から足先の方に向かって血が下がっていくのを感じる。
同時に胃の内容物が逆流してきた。
「おえっ……」
「ヒナ!」
アリサが駆け寄って背中を摩ってくれる。そのまま中のものを全部吐き出す。
「アリサ……あの中……多分……誰か死んでる……」
「確認してくる。ヒナはお水飲んで」
アリサが壁際に運んでくれる。アリサが牢屋を確認している間に、私は水を飲む。
(水が飲める……そうだ。あの時とは違う。大丈夫。大丈夫)
早まる心臓を押さえつけて、私は深呼吸をしつつ水を飲んで落ち着かせる。ただ牢屋なっているというだけならマシだった。でも、形状が酷似し過ぎている事に加えて、そこから漂ってくる死の臭い。それが、私の精神を一気に蝕んだ。
精神を落ち着かせようとしていると、アリサが牢屋の鉄格子を力技で破壊して中に入っていった。何かを回収してから中を焼いた。ここで炎を使うのは良くない事だけど、アリサなりに弔いの意味を込めているのだろう。
燃やした後に風魔法でその煙を全て坑道の方に向かって流して行った。そして、私の方に戻ってくる。
「手記みたいなのがあったよ」
「見せて」
アリサと一緒に手記を読む。そこに書かれている内容から、この人はモンスターの行動研究をしていた事が分かった。最初の方は、純粋に研究をしているような内容が続いていったけど、途中から血文字のようなものに変わっていった。
『これを読んでいる者がいるのなら、すぐにここから逃げろ。奴は人間じゃない。姿形は人間でも中身は人間ではない。あれを人間と呼ぶ事は出来ない。あれは人間の敵だ』
最後に書かれていた文章はそこで終わっていた。他に血の汚れとかは見当たらない。
「刺されて死んだとかじゃない?」
「多分毒か餓死だと思う」
「そっか……よし! 先に進もう。多分、この先に他にも情報があると思う」
「でも……」
「大丈夫。乗り越えよう。いつまでもこのままにしておくのも良くないから」
荒療治にはなるし、実際に治るか何てことは分からない。でも、ここで止まるよりも進む方を選ぶのが重要だと思う。情報的な意味でも自分の精神的な意味でも。
「…………でも、無理は無しだよ?」
「分かってる」
アリサは少し迷っていたようだけど、私の意思を尊重してくれた。アリサの手を借りながら立ち上がった私は、踏み出したくない一歩を力強く踏み出す。逃げ出したくなる心を身体でねじ伏せる。
そうして進んで行くと、牢屋の前を通る。アリサが燃やしたから黒炭になっているけど、ここが牢屋になっていたというのがよく分かる。机と椅子や布団が置かれていた跡がある分、私よりもマシな環境だったと分かる。
「ヒナ……」
「大丈夫。正直、もっと来るかと思ったけど、直接全部を見たらそうでもないね。ここは私がいた場所じゃない。私が居た場所はあそこにしかない。こんなところにある訳ないって事がよく分かったよ」
そう。私の地獄はあそこにしかない。だから、こんなところには存在しない。例えそれが酷似していても。それを認識した途端に、精神的に楽になった。
「結局は認識の問題なのかな。ふぅ~……もう大丈夫」
両手で自分の頬を叩いて気合いを入れる。私のトラウマは、あの坑道の牢屋に置いていく。あそこ以外の場所に私のトラウマはない。だって、私が死んだ場所は、こことよく似た場所であって、ここではないのだから。
「そっか。でも、今後ヒナが捕まっても大丈夫だよ」
「ん?」
アリサは飛びっきりの笑顔を私に向けてくる。
「だって、私が助けられるから」
それは私を安心させようとした一言だった。アリサの目論見通り、その一言は私を安心させるのに十分だった。竜の力を持っているアリサなら、あんなところに捕まっていても簡単に見つけて助け出してくれそうだし。
「アリサが居てくれるなら安心だね」
「でしょ」
アリサはそう言って私にキスをしてから、真面目な表情になって前を向く。同時に私も気配を感じて前を向く。奥から来る人数は一人。ハヤトさん達ではない。なのに、ここにいる。つまり、あの手記に書かれていた人間で有りなら人間ではない精神をしている者が来ていると考えられる。
私達は即座に戦闘準備をして正面を睨んだ。