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客のいないラーメン屋

作者: あ

頑張りました

 繁盛しないラーメン屋があった。

 テーブルはいつも綺麗で、店主の気前は良く、肝心の麺も文句が無かった。特に店おすすめの味噌ラーメンが良かった。豚骨や醤油ベースのスープばかりが店頭に並ぶ東京で、味噌ラーメンを看板メニューにしているのは珍しかった。具材は細かく刻まれた玉ねぎと、スープのそれとはまた違った種類の味がする味噌に細かく切った肉を混ぜこんだものだった。

 おそらく豚肉なのだが、不思議と豚特有の臭みを感じなかった。何度か通った後に店主に聞いてみたが、店の極秘と濁されてしまった。

「親父さん、どうやって豚肉の臭みを抜いてるんだい」

「教えて真似されたら、ウチみたいな小さい店は勝負できなくなっちまうよ」

 嫌な言い方をしない店主をもっと好きになった。


 春になって、仕事が忙しくなった。

 朝の八時から夜の二十四時まで働きづめで、いつの間にか例のラーメン屋には行かなくなっていた。

 二カ月ほど経った頃、社内でちょっとした問題が起こった。営業部の二課の課長をやっている人間が職場に来なくなった。小林と言って、私の同期だった。

 誰も小林と連絡がつかないから、みんな小林が鬱になったとか飛んだとか言っていた。確かに仕事が忙しくなると、鬱になったり、逃げたくなったりする。

 忙しくなるとみんなイライラしてコミュニケーションが雑になってくる。そういう時に、ちょっとした意見のすれ違いで人間関係をこじらせることがある。特に課長、リーダーとなればたくさんの人間とやり取りをしているから、部下や上司と上手くいかなくなって会社から逃げ出してもおかしくないだろう。でも私には納得できなかった。だって小林はそういうみんなが辛くなる時期をちゃんと分かっていて、そういう時期にこそ周りに丁寧に接する奴だったから。

 小林が鬱になりにくい人間であるのと同時に、私は刑事ではない。真実を広報する役目は警察に任せて、私は自分の仕事に集中した。


 定時後のオフィスにオレンジ色の光が差す。

 小林が消えてから三週間が経った。飽きてしまったのか、社内で小林の噂をする者はほとんどいなくなり、その流れに逆走するように私は小林の現状が気になって仕方が無かった。警察は何をしているんだろう。普通はどの程度の期間で失踪した人間は保護されるのだろうか。

 一瞬、実は事件は解決済みで、家族や重役以外には情報を公開しないようにしているのではないだろうかと考えたが、社員が百名を越える我が社でそれはあり得ない。新しい事実が見つかれば、必ず誰かが噂を広めるものだ。

 私はオフィスを見渡して誰もいないことを確認すると、小林のデスク周りを確認することにした。何か手がかりになるようなものは残っていないだろうか。机上は整理されて書類すらない。次に、三段ある引き出しを一つ一つ空けて、中身をなるべく荒さないように確認する。

 一段目、文房具ばかりで気になるものはない。

 二段目、包装されたチョコレートと飴を発見。少し気になるが、次に行こう。

 三段目。三段目には何もなかった。三段目は、元々書類や本を入れるための大きな引き出しだ。きっと何も入れてなかったんだろう。私は二段目を再確認するために三段目の引き出しを閉めた。

「カンっ」

 引き出しが閉まりきる前に、三段目から物音がした。ゆっくりと三段目の引き出しを引くと、中に名刺のような紙が入っていた。手に取るまでもなく、私はそれがなんなのか理解した。それは例のラーメン屋のポイントカードだった。ラーメン屋にポイントカードなんて似合わないと、店主と話したのを思い出した。小林もあのラーメン屋に通っていたのか。

 ラーメン屋と小林が失踪したことには全く関係性がないため、私はすぐに三段目の引き出しを閉じて二段目の引き出しを引いた。


 木製のドアを開けると半年前と変わらない光景が広がっていた。とは言え、ただのラーメン屋なのだが。

 事件から四ヶ月が経過したが、結局小林は見つかっていない。同期と言うことで私も何度か署に呼ばれた。狭い取調室に連れて来られ、何を言われるのかとドキドキしたが拍子抜けだった。警察も全く尻尾がつかめていないらしい。ただ、『よくあること』とのことだ。本人や家族のプライバシーのため、あまり口外しないでくれと言うと、警察はため息をついて書類にバツを書いた。

 仕事も佳境が過ぎ、残業することも少なくなった。今日は定時上がりできたから、久しぶりに大好きな味を堪能しに来たというわけだ。

 カウンターに着くと、店主に注文した。

「おすすめ味噌ラーメンひとつ」

「はいよ」

 店主はこちらを見ると懐かしい笑顔を見せた。大人は嫌だ。仕事で忙しくなると、好きな場所に半年も来れない。

「久しぶりだね」

「B社が客になったから上が喜んで、しばらく忙しくて来れなかったんです」

「あら、そうかい」

 店主が真剣な顔で鍋に麺を入れる。お喋りじゃないところがまた良い。ドアを開けて入ってきた新しい客に、店主はキレ良くいらっしゃいと声をかける。

「ところでよ」

 店主が切り出す。

「はい」

「小林さんの件は残念だったね」

 私は眉をひそめた。私は一度だって、店主に小林の話をしたことはないのだ。その店主がどうして私に『小林さんの件』と話すのだろう。何より言葉遣いが気になった。

「残念というのは?」

 小林はまだ警察が捜索中のはずだ。

「おや」

 店主は湯気が立ち上る鍋にすくいを入れると、湯切りをして麺を器によそる。みじん切りにされた玉ねぎと肉みそが加えられると、おすすめ味噌ラーメンが私の目の前に出される。

「へいお待ち!次の方、何にしましょう」

 私は出された味噌ラーメンをしばらく食べないでいた。店主の言う『残念』という言葉が妙に引っかかった。しかし店主は次の客のラーメンを出すと、椅子に座って新聞を読み始めてしまった。会話のテンポの良い店の雰囲気を壊したくない私は、渋々とラーメンをすすった。

 ところで、やはりこの肉は何の肉なのだろうか。麺は珍しくかためんになっていた。


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