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 低地へ進むほどに鉄錆の匂いは濃くなっていった。

 草地を踏む足に、積雪を踏んだ時にも似た、ギュ、という感触が混じる。

 錆だ。

 霧として広がりつつ、飛んでもいられなくなった粒子が降り積もっている。

 それがかつては人間の肉体であったことを考えれば、踏んで歩くのさえ気が引けた。が、進む先は全てが同じような赤黒さで染まっている。拝み手を添えつつ草原を降りていくフェイネルは、少し首を回して後方の様子を伺った。


 リリィはかなり思い詰めた顔をしている。

 手を振ると少し和らいだけど、足はまだ動かせない。

 ノアが近寄って何かを話しかけた。

 首を振る。

 胸元の小さな手で、懸命に心の中の何かを握り締めて、離してしまわない様にしているのかもしれない。


 次いで、まっすぐ草原を降りてきてしまったフェイネルを追って、荷馬車が二台、迂回するように窪地への道を通ってやってくる。

 御者と護衛の神殿騎士二人は強張った顔をしていた。

 付き合わせて悪いな、などと思いつつ、ふと先頭を進む男が馬を走らせ村へ駆け込んでいく。


「ん?」


 馬から飛び降り、助け起こした()()は、既に全身が赤黒く錆で侵された老人だった。


「息はあるか」


 駆け寄って声を掛けると、騎士は強張ったまま首を振った。

 眼球まで錆付いたその状態では、瞼を閉じて安らかさを与えてやることも困難だ。

 彼がそっと老人を地面へ横たえると、フェイネルは騎士の肩に手をやって強く握った。


「急ごう。状況はかなり拙そうだ」


 せめて、と月を拝めるよう仰向けにしてやり、道ではなく傍らの草地に寝かせる。

 手に付いた赤錆を払うべきか、そんなことを考えた自分に苦笑し、しっかりと払い落とし、騎士にもそうしてやる。


「助けに来たんだ。俺達まで錆化病でやられちゃ面倒増やしに来たようなもんだ」


 感傷に足を引っ張られてはいけない。

 ここは、理想の住める場所じゃない。

 常に現実的であらなければ、騎士もフェイネルも病に絡め取られ、この老人のようになってしまうだろう。


「そうだ。何か目の細かい布とかないかな? 口元を覆うんだ。霧が原因かは分からないけど、この錆は喉をやる。全員で身に付けておこう」


 紛れ込んでいたリリィの衣服を遠慮無く刃物で裂いて、全員へ配った。

 高そうな品だが、彼女なら喜んで提供してくれるだろう。


 そうやって準備を整え、老人の這いずった跡を辿り、進んでいく。

 民家の立ち並ぶ区画へ差し掛かった所で、人影が一行の前へ現れた。


 霧が濃い。


 目の痒みを覚えながら、その向こうに居る人物を目に留め、はたと気付く。


「ええっと、たしか」


 年の頃は五十前後。

 けれど背筋は鉄骨でも入っているようにピンとしていて、顔付きもまた険しく隙が無い。

 フェイネルにも覚えのある人物だった。


 聖域から出て、リリィと真っ先に会話をしていた女。

 道中でも一度だけ話題に上がった。

 ノアを気遣ってそれ以降語られることはなかったが。


「どちら様でしょうか。ここは外部の者を歓迎する余裕などございませんので、どうかお引取りを」


 侍従長、そう呼ばれていた筈の女は、赤錆に包まれた村で、アキレアの花の如く凛と佇んでいた。


    ※   ※   ※


 物資を譲りに来たことを伝えると、彼女はフェイネルや神殿騎士達に気付きつつも、質問を飲み込んで中ヘと促した。

 視線が一瞬だけ高所を掠める。

 釣られてフェイネルも目を向けたが、ノアの説得の甲斐あってか一行は動き始めている。


 二人の関係性を知らないフェイネルは、単純に侍従長とお姫様という単語から親密な様子を連想していたが、彼女の反応は慈しむようなものではなく、淡々と確認し、判断を留め置いたまま先へ進むようなものに感じられた。

 底意は知れない。

 解雇されたとの話だったが、何故こんな所に居るのかも。


「フェイネル様は無事聖域を出られたのですね」


 先行する侍従長が淡々と聞いてきた。

 言葉通りではない、そう感じながらもフェイネルは朗らかに応じる。


「フェイでいい。なんとか信じて貰えてね、今はリリィに同行している感じだ」

()()()()()()は古ルデーテルを名乗っておられましたが、神殿がそれを認めたのでしょうか」

「さあどうだろう」


 実際、誰かにハイその通りですね、などと認められた覚えが彼にはない。

 別の目的と、別の成果があり、判断保留というよりは放り捨てられたような状態だというのが正直な感想だ。

 異端審問官であるノアは、本来の職分を全うするならばもっとフェイネルを問い質すべきである。リリィの証言がそこまで重視されているのか、あるいは彼女からの取り引きを持ちかけられたと考えているのか。

 ゼオールなる人物の所へ行って、初めて裁定が下されるのかもしれない。


「現在は姫様とご同行されているとのことですが、どのような目的かお聞きしてもよろしいでしょうか」

「あぁ。まずはこの国を見て回りたいな。錆化病の現場についても興味がある。だからここへ来たのもあるけど、あの子が気にしていたから、代わりに様子を見に来たんだよ。それに、リリィが抱えているものを少しでも理解したいと思って」

「厚意を軽々に口にする者は嘘が上手に決まっていると冥ロルドは説いています。貴方が発言に誠実な方であれば喜ばしいのですが」

「古ルデーテルだからね、気紛れくらいは起こすかもしれない」


 彼女は小さく吐息を落とした。

 元より法国から差し遣わされた見張りであって、尋問官ではない彼女は、早々にフェイネルへの詮索を諦めたようだ。

 思えば姿を消したという三日目になるまで、彼女はリリィの側仕えとして働いており、尋問にはやってこなかった。


「それで、侍従長さんのお名前は?」


 問えば、彼女は視線を揺らす事無く歩を進め、民家の所で立ち止まった。

 ちょうど法衣を纏った老人が出てくる所で、見た限り彼の身体に錆は無い。

 外には数名の男達が居て、健康そうに思えた。

 だが、ここまでの道中を含めて、女子どもは誰一人見ていない。

 加えて男達も村の人間には思えなかった。剣や手斧を腰に帯び、楽に寛いでいるようで、しっかりとフェイネル達を警戒している。


 そして広場では、ありったけの薪を詰め込んで、火が轟々と燃やし続けられている。

 薄っすらと見えるのは、おそらく遺体だ。

 折り重なり、最早数を確かめることも出来ない。


 視線の逸れていたフェイネルの前で、侍従長は振り返って小さく礼をする。


「私はシャーレイ=ベル=ノルトーチカと申します。親しい者はシャルと呼びます」

「了解、()()()()()さん」


 そこでようやく彼女、シャーレイは片眉を僅かにあげた。

 どういう反応かは図れない。

 齢五十を越えた女の面の皮は、年輪のように重なり続け、容易に中身を覗かせないものだ。


 片手を挙げて民家から出ていく法衣の老人を見送り、シャーレイは改めて言う。


「この国の現状をご覧になりたい、ということでしたね、フェイネル様」

「あぁ。錆化病が蔓延した土地に来たのは初めてだ。力になれるならなりたいし、それをあの子も望んでたんだけどね」


 大人の理屈を押し付けて、先へ行けと背を押してしまった。

 その事に罪悪感を覚えつつ頭を掻くと、シャーレイは脇へズレて中へと促した。


「ならばどうぞ。この中に居るのが、この村最後の住民です。もし本当に貴方が古ルデーテルの化身であるのなら、中の者へ安息を与えてやって下さい」


 法衣の老人は背を向けたまま、赤黒い霧の中で空を見上げていた。

 青の帳に隠されていようと、聖アティアの月は今も彼らを見守っている。


 神官なのだろう老人は簡素な手振りで祈りを捧げた。


    ※   ※   ※


 屋内へ入るとまた一層錆の匂いが濃くなった。

 いや、とフェイネルは思う。

 血の匂いだ。

 錆と血の匂いが混ざり合い、濃密なものとなって鼻腔へ襲い掛かる。


「っ」


 同行していた神殿騎士が呻いて口元を抑える。

 もう一人が肩を叩き、外へと連れ出した。


 垂れ幕一枚潜るだけでこうも変わるものか。

 努めて表情や仕草へ出さない気を付けるも、やはり生理的な忌避感は強い。

 足を止めたフェイネルを追い越してシャーレイが奥へと進んでいく。その後と彼は追った。

 土床を踏み、幾らか薄くなった赤い霧の中を進むと、扉もない小部屋の奥で床に寝かされている男を発見した。

 シャーレイはその傍らへ膝を付き、男の額へ乗せられていた布切れを取って、脇にある水桶で洗う。水はすっかり赤錆で汚れていたが、男の肌はそれ以上だった。


 頭の中で、聖域で見た巨狼を思い浮かべる。


 全身を錆で侵され、苦しみながら狂気と正気の中に居たユラハは、おそらく彼以上に症状が進行していた。

 それでも全身が錆化し、崩れて穴だらけになることを考えれば、無事な肌の方が斑紋のように見える状態の男が、既に末期であるのは明らかだ。

 包帯が目元を覆い、口元のそれは血とも錆ともつかないもので変色している。目尻に大量のめやにが付着しているのは、眼球すら錆付き始めているからか。他にも異常を探せばキリがない。

 先ほどこの家を出て行った老人は、おそらくは神官であると同時に医者だ。

 彼が離れ、月へ祈るばかりとなった時点で、この男の命運は決まっている。


 連れて来なくて正解だった。最初に浮かんだ言葉がそんな言葉だったから、フェイネルは改めて自分のことを詰る。決して間違ってはいないけれど、気に入らないことはあるものだ。


 フェイネルもまた男の傍らへ膝を付き、濃密になった血と錆の匂いに眉を下げる。


「彼はもう、自ら喋ることは出来ません。手にはまだ感覚が残っているそうですし、耳は聞こえています」


 シャーレイは静かに死に行く男を見詰め、その肌を優しく拭いた。


「彼へ安らぎを与えることが出来ますか」


 嗚呼。


 自身の語った妄言に強烈な忌避感を覚えながら、フェイネルは赤錆塗れの手を握った。

 笑ってみせる。


「やあ。目は見えているのかな」


 ピクリと指が動いた。

「小指側が多く動けば否定、人差し指側が多く動けば肯定です」

 隣から得た捕捉に頷きを返し、両手で男の手を包む。

 目は見えていない。

 だが、声は届く。


「俺は古ルデーテルの化身だ。君を助けに来た。もう大丈夫だ」


 嘘で塗り固めた己へ、更なる嘘を塗りたくり、より強固なものへと作り上げていく。


「安心してくれ。君はもうすぐこの苦しみから解放される。本当は秘密だけど、実は月ってのはさ、飢えも病も無い、とても温かくて心地良い、皆が笑い合って暮らせる世界なんだ。だから、大丈夫だ。安心していい。こんなに頑張って来た君を、古ルデーテルや、他の三つの月だって見捨てたりなんかしない。祝福はいつも君の頭上にある」


 僅かに男の胸が膨らみ、小さな、軋むような吐息が漏れた。

 そうして流れた涙が果たしてフェイネルの言葉を聞けたからなのか、単に錆への反応から流れ出たものであるかは分からなかった。


 しばらくフェイネルは話し続けていたが、最初の反応を最後に、その指は否定も肯定も示さない。


「今、君達のお姫様がさ、皆を助けようと必死に頑張っているんだ。だからきっと、この村も昔みたいな姿を取り戻すよ」


 錆化病により、サーフィラス王国は人口を三分の一にまで減らしたと言われている。

 この日、また一つの村が壊滅した。


    ※   ※   ※


 「頂いた物資は近隣の感染が確認されている村へ回してもよろしいでしょうか。どちらにせよ、錆が付着した品です。無事な村では扱えないものですので」


 家を出て、男達へ薪の準備をさせながら、シャーレイは表情の読めない顔で淡々と言う。


「構わない。そうか、近くにもまだ、こんな場所があるんだな」

「ここはまだマシな部類です。長く無事な状態が保たれて来ましたから、治安が保たれています」

「成程」


 行くべきか、と考えた所で息を落とした。

 たった今味わったばかりの無力感、それを味わい続けることの意義が見い出せなかった。


 所詮フェイネルには医術など無い。銃も、カートリッジが使えない為に賢狼ユラハの墓へ一緒に埋めてきた。使えもしないのに持ち続けて、依存するようになる方が問題だと考えたからだ。

 ポットからも離れた今、彼は限り無くただの一般人。

 行く先々で嘘をばら撒き、信仰でも集めようというのならまだしも、現実的に一人分の食料を浪費させることに見合うかといえば当然否だ。

 救いの象徴なら既に居るのだから。


 ならば、無力感を抱えて感染の地を渡り歩くより、別な行動を起こした方が遥かに建設的だろう。


「それで、シャーレイさん」


 彼女から離れていく様子が無いので、フェイネルは自分から話を振る。


「はい」

「貴方が、まあ、ノアがやってきた影響で立場を追われたのは分かってるつもりだけど、他に行くアテが無いなら、いっそ戻ってリリィを世話してやったらどうかな。彼女、今侍女の一人も居なくて大変みたいなんだよ」


 返答はすぐに来なかった。

 積み上げた薪に男達が火を点け、村の家々を残らず焼き始める。


 炎が表情を照らすようになった所でようやく言葉が漏れる。


「私はこの地を管理する領主の妻です。ここが、私の行く場所です」


「そうか。そいつは悪い事を言った」


 男達が撤収し、家々が崩れ落ちるのを待って、二人はその場を離れた。


 法国からの間諜がこの王国で家庭を持っている。


 それが領主の妻であるのは、より王国の深い場所へ接する為と思えば当然の地位だ。だから何も気にならなかった。数代前から潜入して地位を確立していく、なんて使い古された方法に文句を言っても仕方無い。一方で、嘘で作られた家庭というのはどんなものなのだろうかと、先行く彼女の動かない表情を盗み見て、フェイネルは少しだけ眉を落とした。


 今更ながら、彼女の名乗っていたノルトーチカという単語が、今日リリィ達が世話になる予定の領主の名前だったことを思い出し、またうぅんと唸り、口端を広げた。


 少なくとも彼女は、自らこの村へ乗り込み、出来る事をやろうとしていた。





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