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 フェイネル達が通された部屋は、今まで彼が尋問を受けていた所と比べて非常に広く、落ち着いた雰囲気のある場所だった。

 壁は青みの差した石造りに木枠をはめ込んで補強と装飾を施しており、各所に細かな掘り込みが見て取れる。

 透明な窓ガラスから差し込む澄んだ陽光を当たり前に背負って、ノア=ロサリアと名乗った異端審問官の女は奥の座に腰掛ける。


 立場を言えば次期女王であるリリィがそこに座るべきだが、今は審問という場とあって序列が変化する。

 神の代弁者となった神官は、王よりも高く扱うのが慣例だ。


「まず最初に確認を取らせて頂きます」


 しんしんと、降りしきる雪のように女は言葉を紡ぐ。


「そちら、フェイネル=オコーネルは聖域内部の遺跡へ正式な手続きを踏まず侵入し、賢狼ユラハの死に関与した。よろしいですか」


「発言をよろしいですか」

「どうぞ」


 リリィの言にすんなりと頷き、ノアは視線を向けた。

 カトレアの花を思わせる凛とした居住まい、なのに華々しさよりも重苦しさを感じさせるのは、その雰囲気が雪に閉ざされた夜の街並みのようであるからだ。


「彼は聖域へ侵入したのではなく、最初から聖域におりました。また、ユラハ様の死に関与したというのは、彼も治療に携わって、その死を苦痛から遠ざける為に尽力したというものです。手を下した、と取れるような表現はお止め下さい」

「わかりました」


 差し込む陽光の中で埃が浮いている。

 ノアの周囲ではほんの僅か、吐息が揺らすだけ。


 次に彼女の視線が向いたのはフェイネルだ。


「貴方は賢狼ユラハの治療に尽力するも、快癒させるに至らず、その死を看取った。それでよろしいですか」

「あぁ」

「また王女リリアーナ様の証言により、元から聖域に居たということですが、それについて伺っても?」

「俺は古ルデーテルの化身だ。森へ侵入したという点では同じだが、方向は上から。月から降りてきたんでな」

「そうですか」


 まるで信じていなさそうな反応だったが、彼女はそれ以上踏み込むことは止めたらしい。

 興味が無かったのかも知れない。

 既に聖域が閉ざされた本当の『聖域』ではないことを、この場の三人は知っている。


 そして、本題が出た。


「錆化病の治療法を持っているという話ですが、ご提示頂いてもよろしいですか」

「さて、どうしたものかな」

「この国は病に苦しんでおります。古ルデーテルの化身ともあろう方が、知識を秘匿し、見過ごすを良しとされるのでしょうか」

「隠し事が好きでね。探し当ててくれるのを待っているのかも知れない」

「そうですか」


 沈黙が降りる。


 ノアは筆を手に持ち、羊皮紙を広げているが、恰好だけで何一つ記録を付けていない。

 筆先は乾いたまま、壺も蓋が付いたまま。

 最初から何かを残すつもりがないのだろう。


「数日前、天より流れた星が聖域のある場所へ降って行ったという話を道中耳にしましたが、何か関係がございますか」


「へぇ、もしかしたら降りてくる時にそう見えたのかも知れないね。悪いけど自分じゃよく分からないんだ」


「そうですか」


 では、と再びノアの視線がリリィへ向いた。

 色合いの読めない瞳のまま、風に吹かれた花のように言葉を差し込む。


「ゼオール様から、継承の儀の準備は整ったとのお言葉を預かっております。サーフィラス王国が約束を履行される誠意ある文明国家であることを、我が法国は期待しております、と」


 それを聞いてフェイネルは、この三日が彼女によって放置された結果であることを悟った。

 遅延工作を受けて到着が遅れたのさえ意図的だろう。

 状況が勝手に二人を分断し、身動きが取りづらい状態となっている。ならば、下手に動かすよりも内情を探る時間に当てれば良い。それはあの神官を失脚させるべく、数々の不正を暴くことも含まれるだろうが、彼女の本命は途中で錆化病の治療法へと切り替わった。


 リリィが法国へ身売りするのは、錆化病で国が病んでいるからだ。

 治療法が確立されればそんなことをする理由は無い。


 せめて彼女と話せていれば、と後悔せずにはいられなかった。

 ユラハの死を抱え込んでいるのは明らかだったので、そちらの持ち直しが先だと、陽気な話にばかり逃げてしまっていたのか。


 どちらにせよ、選択肢は無かったのかもしれなかったが。


「そうですね。冥ロルドも約束は守るべしと教えられていますし」


 言ってリリィは立ち上がった。

 腕を伸ばして、包帯を解く。


「いいのか」

「治療法があったとしても、既に王国は疲弊しています。法国の支援はきっと民を慰撫し、安堵を与えてくれるでしょう」


 白い肌へ浮かびあがる痛々しい文字列を見て、ノアは僅かに眉を寄せた。


「読みは」

「イル メイ ヤハト オーフ」


 一音一音、はっきりとした発音で告げたが、寄せた眉は戻らなかった。

 同時に、やや警戒したフェイネルを置いて、あの白百合は咲いてこない。

 刻印術は発動しなかった。


「……申し訳ありません。私には扱えないようです」

「そうですか」

「一度、試して頂いてもよろしいでしょうか。多少危険が伴いますが」

「構いません」

「ありがとうございます」


 話はそこまでだったようだ。

 ノアは立ち上がり、礼を言って部屋を出た。


 異端審問、などと言われた時には身構えたが、実利的な話が本題で、フェイネルの素性については流されたまま。


 認められたと思うほど楽天的ではない。

 とはいえ、今はまず安堵した。


「よかったのか」


 再びの問い掛けに、白百合のような少女は瞼を落とし、ほんの少しだけ顔を俯かせた。


「法国ならば私がやるよりもずっと早く、あの刻印術を普及させてくれるでしょう。自国のみを救うのではなく、より多くの人々に安寧を齎してくれます」


「……そうか」


 脚の上で組んだ手を解き、少女は指先を遊ばせる。


「でもちょっとだけ、悔しいです」


「そうだな」


 吐き出した弱音の分だけ、声には笑みが戻っていた。


    ※   ※   ※


 昼過ぎには患者が数名連れてこられ、ノアの監視の元で治療が行われることになった。

 あの肥満の神官が神殿へ穢れを持ち込んだだのと喚いていたが、気に留める者はもう居ない。


 賢狼の叡智自体を知らされていなかったとしても、法国からの異端審問官が彼を排したまま状況を進めていることや、彼の失脚を悟った共謀者達がこぞってノアに擦り寄っていることなどから、周囲も情勢を察した結果だ。

 元からあまり好かれていなかったんだろうな、というフェイネルの感想もある。


 それよりも、聖域の近隣でこんなにも早く適した病人を集めてこれるとは思わなかった。

 国内に蔓延する錆化病、それは、フェイネルが思っているよりもずっと近くにあるのかもしれない。


イル(花よ) ヤハト オーフ(宿りてお護り下さい)


 待っている間に用意した木板へ刻まれた、錆化病治療の刻印が光を放って起動した。

 最初に見たような激しい変化は起きない。リリィの発案で一画を落とし、効果を薄めて行使している為だ。


 対象は椅子に座った老人。

 やつれてはいるが、健康そうではある。

 その腕に僅か、爪先ほどの赤錆が浮いていなければ。


 切除しても癌のように別の場所から錆が浮き始めるという話もある上、一度症状が出た者が回復した例は無いという。

 落ち着いているのは年齢故か、ここが聖域に近い神殿であるからか。


 老人の足元から、またも土壌に依らず白百合の花が咲いた。

 延びた茎が腕へ絡み、咲かせた無垢な花弁が錆へ触れると、嘘のように吸い取られ、肌の上から消え失せた。

 変わりに赤黒く錆び付く花弁が落ちても、人々の注目はそこにはない。


「確かに消えているようですね」


 枯れた花弁を踏んで老人へ歩み寄ったノアが、腕を取って患部を確認する。

 症状が極めて初期であった為か、ほんの少し皮膚が赤くなっているだけだ。

 ただの腫れ、皮膚に剥がれた痕もあるが、虫に刺されて引っ掻いたようなものでしかない。


「おぉ……っ」

「どこか、気になる所はありますか」

 感嘆を漏らした老人へリリィが問いかけると、彼は心なしかほっとした様子で微笑んだ。

「ありがとうございます。なんともございません。強いて言えば、長年の野良仕事で腰が痛いことくらいですな、はははは」


 神官に連れられ元気良く老人が去っていった後で、ノアの静かな声音が部屋を打つ。


「本当に、治療出来ましたね」


 感情を読ませないノアと、ほっとしたように笑うリリィ。

 対照的に見えて、事へ挑む真剣さは似ているとフェイネルは感じた。


「良かったです。本当に」

「ただ、再発する恐れは残っていますので、彼はあのまま一月程度神殿で様子を見させて貰います」


 妥当な判断だろう。


 ところが、淡々と事態を進めていた彼女が顎元に手をやって間を作った。

 あれを広めることで得られる神殿の利益、名声、そんなことを考えているのかと思ったが、どうやら違ったらしい。


 凍りついたように動かなかった女の表情が僅かに和らいだ。


「もし。もし本当に治療出来るのなら、歴史に残る偉業です、リリアーナ様」


 それだけ言って、雪解けに見えた春の気配はすぐに消え去った。

 彼女はそれを、立場上取り上げる必要がある。


「そう思うのなら、功績に見合った待遇を考えて欲しいね。何も無かった時とは違い、リリィの国はそっちに差し出せるものが増えた。何もかも取り上げるのは、誠意ある文明国家としての行動なのかどうか、君達の神へ問い掛けるべきだ」


 あまり口出しすまいとしてきたが、フェイネルとしては流石にこの程度は言わせて貰いたかった。


 疲弊した国を任せるだけだった以前とは違う。

 黙っていれば都合良く扱われる。

 発言は、自らの価値を主張するのは決して間違った行いじゃない。


「私はその判断をする立場にありません」

「異端審問官なのにか」


「異端審問官は教義に反するか否かを判断する者のことです。それに勘違い為さっているようですが、神殿と法国は別物です」

「あぁそうなんだ。いやぁ、古ルデーテルってば適当な所あるからさ」

「どこまで本気なんだか」


 悪態を一つ置いて、異端審問官は男へ向き合った。

 飄々と流言を発する彼へ向ける目は厳しい。

 元より古ルデーテルと冥ロルドは仲が悪い。

 真偽は別としても、平然と嘘をつくフェイネルと、白黒を付ける立ち位置にあるノアがすんなり手を繋いで歩けるかといえば当然無理だろう。


「貴方についてはリリアーナ様が身元の保証を立てられた為、一時的に判断を保留しているだけです。その意味を胸に刻んで行動して頂けると、先程の要請についてゼオール様へ伝える言葉の並びが変わるというものです」

「その言い回しは嫌いじゃないね。リリィの身を案じてるのは俺も同じだから、安心してくれていいよ」

「そういう言い回しは好きではありません」


 では次を、という言葉を締めくくりとして話は終わり、その日は五人の患者を治療した。

 いずれも軽微な者達ばかりで、その全てをリリィの刻印術は癒し切った。


    ※   ※   ※


 「アンタ達は叡智を頼って治療法を聞き出そうとしなかったのか」


 最後の一人が退室していった所でフェイネルが問い掛けた。

 

「先にこちらの話をよろしいでしょうか」

 対し、ノアの反応は淡々としている。

「おや残念。どうぞ?」


 異端審問官と聞かされた当初は狂信的な人間を思い浮かべていたフェイネルだが、ここへ来て印象は変わりつつある。


 ノアは先程の患者が首へ巻いていた包帯を丁寧に折り畳み、机へ置く。


「まず、治療法に一定の効果があることが確認できました。経過観察は必要でしょうが、切除する以外で錆を取り除ける、というだけでも意味はあるでしょう」


「はい」

 応じるリリィにはやや疲れが見える。

 賢狼ユラハを治癒した時ほどではないものの、刻印術には体力を消耗するらしい。

「それで?」

 代わりに、とでも言うようにフェイネルが問えば、ノアはまた少し考えるような素振りを見せた。


「……これは、治療法が発見される以前に伝えるよう命じられた内容なのですが、リリアーナ様には禊ぎが終了し次第、継承の儀へ移って頂きたいと」


「で、今はどうなってる? 君の意見を聞きたいね」


 吐息が落ちた。


「いえ。むしろより急いで向かっていただければ、と」

「理由を聞いても?」

「危険だからです」


 ノアの視線は扉へ向いた。

 彼女は単独でこの神殿へやってきている。

 供回りも無く、手足として信頼出来る部下は居ない。

 患者を連れて来たのも、その世話をするのも、元々この神殿に居た者だ。


「患者は全て経過観察として神殿内で保護を行います。ですので、その間の情報漏えいは防げます。ただ、神官達は別です。口を塞げと命じた所で、すべての者が冥ロルドへ誓いを立てられる訳ではありません。特に今は」

「治療法を巡って奪い合いが始まるって? そんなにきな臭いのか、神殿組織って」

「神殿の歴史は長いのです」

「歳を取るにもいろんなのがあるさ。皆してあの肥えた神官みたいになることはないだろうに」


 異端審問官とはいえ、神殿を預かる者を排して状況を進めているのは、ノアとあの神官が別の派閥に属しているからだ。

 賢狼ユラハの叡智を利権として振るってきた彼も、流石に歳若い審問官一人でどうこう出来るほど無防備ではない。利権を分け合った誰かさんを頼れば事実の揉み消しくらいは出来るだろう。最悪ノアの身を聖域の土深く埋めてしまうことだって。それが通用しないということは、こことは違う場所で権力の構造が書き換えられたから。ノアはその先駆けとしてやってきたに過ぎない。


 最初の質問の答え。


 何故今まで叡智を頼らなかったのか、だが、それはノアが口にしていたゼオールなる人物が、ユラハへ接触できる利権を得ていなかったからだ。

 得ていた者達が聞かなかった理由までは不明だが、彼女はむしろ、その問いを持ってここへ来たのかも知れない。

 聖域へ入る巡礼者に同行する者が居るのは、フェイネルも聞いた話だ。


 どこまで既定の流れだったのかは推測するしかない。

 肝心なのは、リリィがその新しい勢力図の代表者からしっかりと庇護を受けられるのかどうか。

 当然それには彼女が統治者として名前だけでも君臨することになる、サーフィラス王国への支援も含まれる。

 病理に蝕まれた国土など得ても利益にはならないから、おそらくは聖域を始めとした宗教的な理由が多いのだろう。宗教とは往々にして合理性とは程遠い。いや、宗教的合理性の中にある、と言うべきか。

 解決よりも満足を選ぶ判断は、あまりフェイネルの得意とする結末ではないが。


「私は構いません。王国には、少しでも早く支援が必要です」

「それについてはご安心下さい。ゼオール様は、既に法国から多数の支援物資が送り込まれていることを確認しています」


「若いな」


 思いついたような発言にリリィが眉をあげた。

 フェイネルはどこか、楽しげな雰囲気を放って言葉を続ける。


「神殿ってのは意外と、降り積もった歴史を舞わせる程度には風通しがいいのかね。そのゼオールってのは、若手の急先鋒だろ」

「どうでしょうか」

「リリィ、通したい要求があるなら今だ。派閥争いで勢力図が変わったばかりだから、実績を欲しがっているんだよ。勇んで動く時ほど空手形を切って貰い易い」

「随分と明け透けですね。悪巧みなら二人の時にすれば良いでしょう」

「どうせ盗み聞きしてるんだろ」

「神殿は神の坐する場所ですので」


 言い合う二人を置いて、リリィの判断は彼女らしいものだった。


「要請に応じます。煩わせてしまうより、そちらの誠意を信じます」


 その声音を聞き、吟味して、ノアはジトリとフェイネルを見た。


「同じ言葉も、人によって三者三様だな」


 返答はため息一つ。

 ノアは濃紫色の髪を耳に掛け、リリィへ向き合った。


「では明日の朝、二の鐘で出発致します。性急になってしまい申し訳無いのですが、よろしくお願い致します」


    ※   ※   ※


 寝台に腰掛けて、しばらくリリィは背筋を伸ばしていたものの、次第に曲がるのを堪えきれなくなり、後ろに身を投げた。

 あまりに乱暴な動きだったからだろうか、木組みの寝台が僅かに軋み、綿の向こうにある板に頭をぶつけた。

 さしたる衝撃ではなかったのか、くっと目を閉じただけで、後は静かになだらかな胸を上下させる。


 近くにあるランタンが眩しく感じられて、腕で光を遮りつつ、薄目で天蓋をぼんやりと眺めた。


「静かですね」


 呟きが部屋を僅かに打った後は、また耳鳴りがするような静けさに包まれてしまう。


 ここ数日であまりにも多くの事が彼女の周りで起きて、いろんなことが変わった様に思えて、やはり行き着く場所は同じだった。

 錆化病の治療法が、人間相手にも通用することが分かったのは嬉しい。フェイネルが自分の国に興味を持ってくれて、それを見たいと言ってくれたことも。異端審問官と聞いて最初は緊張しながら様子を伺っていたノアも、回復者を見た時は心から喜んでくれていたように思える。法国での動きがあり、少女の身柄に関する担当者が変わり、ゼオールという者の名前が出てきた。

 こんなにも何かが変わり始めているというのに、あと少しの歩みで人生が止まってしまう。

 女王なんて分不相応だとリリィは思っている。

 偶然生まれた場所が良くて、人より安心を得て生きてこれた。

 それだけで十分なのに、あるいはそう思える彼女だからこそ、この疲弊した時代に飾り付けられたのか。


「とりあえず、フェイが火刑に処されずに済んで良かったですよね」


 彼の行動が身分を保証した自分に返って来るのだとは聞かされたが、特に心配などはしていなかった。

 まず、殺されなくて良かった。

 お飾りの立場が思わぬ効果を発揮して、少しだけ誇らしくもあった。

 相変わらず読めない所のある男で、もっともっといろんなことを聞いてみたいけれど、聞いた先に、彼の進む先を見ている事の出来ない自分が居る。


 彼は本当に古ルデーテルの化身なのだろうか。


 考えてみて、答えの出ない現状に妙な高揚を覚えているのに気付いた。


 不思議なこと、分からない事、想像もしなかった出来事、それらはいつも少しだけ怖いけれど、それ以上に面白い。


 リリィは自分がこんなにも好奇心が強いとは思っていなかった。

 歴史書や神学書を読み、それを書いた人物がどういう意図でこの本を書いたのかと、益体も無い妄想に耽るのも好きだった。ただ、今までは趣味と呼べる程度で、果たすべきことを前にすればすぐ脇へ置いて頭から消し去れたのだ。


 ここしばらく、ずっとフェイネルのことばかり考えている気がする。


 無論、衝撃の出会いから、神殿へ戻ってきての三日は彼への心配もあったので当然のことではある。

 では今はどうだろう、と考える。


 結局リリィは有耶無耶になったまま彼と離れるのが惜しいのかも知れなかった。

 別れならばこの一年半で散々経験してきた。

 なのに、あの頭上を駆け抜けていった強烈な光は、今も心の奥深くに焼きついている。


 知りたい。


 あれは、本当はなんだったのか。


 放置してきてしまったが、今も聖域にあるだろう鉄の卵は、一体どういうものなのか。


 彼は、フェイネルは何者なのか。


 心配事も概ね無くなり、後は儀式を失敗してみせれば終わるだけになったのが大きいのかも知れない。

 錆化病はノアやその上役がどうにかするだろう。

 リリィは身を委ね、無為の日々を送るのみ。


 これから延々と続く日々の中で、ずっとこの疑問を抱えたまま生きていくのかとなれば、それはとても辛いことのように思えた。

 おかしなもので、大きなものを見据えている時には浮かびもしなかった小さな疑問が、こんなにも尊く思えてくる。


 ため息を寝台へ押し込んで、少女は勢い良く立ち上がった。

 明日からまた長い移動が始まる。今日は早めに眠って身体を休めよう。そんなことを思っていたら、部屋の扉がノックされた。リリィは髪を整え、衣服の乱れを直して椅子へ座るが、そこでようやく気付いた。


「侍従長?」


 いつも部屋の隅に控えていた熟年の女性が、姿を消していたのだ。


「おーい、リリィ? 入っていいかなぁ?」

「フェイ? あ、はいっ。あ、いえ、ちょっとお待ち下さいっ」


 普通ならば侍従長が対応し、リリィへ相手と用件を伝え、許可を出すことで部屋の扉は開けられる。

 なのに彼女が居ないどころか、他の者達まで姿が見えない。


 余程疲れていたのだろうかと思いつつ、改めて自分の身なりを確認した。

 前髪がちょっとおかしい気がする。

 うんうん唸りながら直したので、結局扉を開けたのはしばらく経ってからだった。





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