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 リリィが意識を取り戻した時、陽はすっかり落ちて青の帳から聖アティアが顔を出していた。


 美しい真円を描き、仄かに青白い光を放つ月は、身を起こした白百合のような少女の瞳に、僅かながらも揺らぎを与えた。


「やあ」


 陽気な声に釣られて視線を室内へ落とすと、記憶喪失を騙るフェイネルという名の男が立っていた。

 倉庫にでも使われそうな小部屋だが、寝台があり、机と椅子があり、男が一人腰掛ける程度の隙間はあった。

 彼は遠慮も無く椅子を引くと、寝台の脇に置いて腰を降ろす。

 子供用の椅子だからか、脚が余って仕方無いようだった。


「ユラハ様は」

「埋葬したよ。墓は裏手の森にあるから、明日にでも手を合わせに行こう」

「…………はい」


 男は幻ではなかった。そして、巨狼の死も、幻ではなかった。


 何もかも嘘のような出来事の連続で、一度眠った今となっては夢のように感じられるのに、どうしてかこの男はここに居続けている。


「助けられませんでした」


 ぽつりと、涙が落ちた。


「あぁ」


 男は否定しない。

 慰めの言葉も無く、椅子の上でゆったりと月を眺めている。


 思い出したように言葉が続いた。


「あれが聖アティアなんだろ。メリク達に聞いたよ」

「メリク?」

「最後、わんこに乗ってきた奴が居たろ。アイツだ」

「あぁ」


 灯かりの無い部屋の中で、月明かりだけが二人を照らしていた。

 聖アティアの化身。

 そう呼ばれていた巨狼は今、土の中に居るという。

 伝承が本当なら月へ登って行く筈なのに。


「月が四つもあるなんて、欲張りな話だ」

「月が四つ無ければ、季節の巡りを感じることが出来ないじゃないですか」


 最も生命が強く溢れる夏を司る、聖アティア。

 命の終わりを鮮やかに彩る秋を司りし、古ルデーテル。

 冷たく閉じた、眠りの季節である冬を司る、冥ロルド。

 そして目覚め行く始まりの春を司る、新フェスカ。


 およそ九十日で月は巡り、季節の到来を告げる。


「そういうもんか」

「はい。でも、そうですね。確かに四つもあるのは幸運かも知れません」

「だろう? 唯一の月ってのも特別で良いけど、色々あるのは面白い」

「まるで四つ以外の月を知っている様なことを仰いますね」

「うん、まあな」


 嘘でもなく、誤魔化しとも少し違う、曖昧だけど答えに近く、けれど定めては貰えない。


「フェイネルは古ルデーテルの月に生まれたのでしょうね」

「ほう? どうしてか気になるね」

「四つの月の内、古ルデーテルは唯一気紛れで、年によって高く昇ったり低く登ったりします。高い年は冬が暖かく、低い年は寒くなると言われていますが、他にも悪戯好きな少年神としての逸話も多いのです」


 落ち葉はよくものを覆い隠してしまうから、とか、木々が本来の色を失わせるのは古ルデーテルの悪戯が原因だとか言われている。派手好きで無計画で、けれど人々をほっこり笑わせてくれる、秋を司る月。

 聖アティアの化身は獣である場合が多く、古ルデーテルは大抵が人型だ。


「つまり隠し事の多い悪戯好きってこと? う~ん、否定出来ないな」


 おどけつつも冗談と本音の境が曖昧で、本当に古ルデーテルの化身と言われたら信じてしまいそうになる。


「それでもさ、遺跡で君に話したことは本当だよ。俺は君の国を、君が作っていく国を見てみたい。きっと、俺の目的にも繋がっているんだ」

「目的は何か、答えて下さいますか」


「新たな友人を歓迎したい」


 即答だった。

 が、意味する所は分からない。


「フェイは、とても友人が多そうです」

「いっぱい欲しいんだよ。ここじゃあまだリリィくらいだろ?」


「私はフェイの友人ですか」

「今更無しは簡便してよ。一緒に遺跡巡りをした仲じゃないか」

 リリィは笑った。

 それならいっそ、命を預け合った仲と言った方が重く意味を持たせられるのに、彼はあくまで思い出を語るのだ。

 明け透けなようで気遣いがあり、間合いを計る癖に平気で押し込んでくる。

 出会ったばかりだというのに、彼らしい、とそう思った。

「はい。友人です。出来れば素直で正直な友人であって欲しいのですが」


「あー、そういえばメリクに屋根の修理頼まれてたんだった。急いでやらないと雨漏りになるぞー」


 分かり易過ぎる嘘を言ってフェイネルは立ち上がった。

 背凭れに肘を置いて、手に顎を乗せてリリィを見る。

 子ども用の椅子だから、それでも十分に背が曲がっていた。


「何もかもこれからだ。リリィ、君は無茶のし過ぎで気絶なんてしたんだから、今日はゆっくり休みなさい。いいね?」

「はーい、嘘吐きの友人さん」


 言えば愉しげに笑い、彼は部屋を出て行った。


 静かになった寝室で、ようやく身体が疲れているのに気付く。

 彼が居るとそれだけで部屋が明るく感じられたし、きっと遊び始めたら時間だって忘れてしまうだろう。


 改めて、現状を確認した。

 ここは入り口付近にあった休息所だろう。

 不審者でしかない彼がどうして堂々と出入りしているのかは不明だが、明日になれば分かる事。


 錆化病に罹った全ての者を救うには程遠いものの、治療法は手に入った。

 今はまだ、それを喜べばいい。


 そっと息を抜いて、また少し眠った。


    ※   ※   ※


 翌朝には快癒し、少女はそれが本来の役目と言わんばかりの少年少女らに歓迎されて、実に豊かな朝食を摂っていた。

 屋外での食事には驚かされたが、雲一つ無い青空の下でカラトリーを手にしていると、何故か胸の内まで澄んでくる。


 何故か、庭先でフェイネルが三匹の狼から揉みくちゃにされているのだが、内一匹のしっぽがぶるんぶるん揺れているので仲直りしたのだろう。


「何か不便がございましたら、遠慮無く仰ってください」


 先日遺跡へ狼に乗って現れた少年、メリクは慎ましやかに礼をして後ろに控える。


「では、あれからのことを聞いても良いですか?」


 五人の少年少女を侍らせ、甲斐甲斐しくも食事の補佐を受ける少女リリィ。その振る舞いは慣れたもので、作法の一つ一つにそつがない。

 何せこの少女、リリアーナ=フォン=サーフィラスは、聖域を預かるサーフィラス王国の次期女王である。

 当人としては椅子へ座っているなら本を読み、立ち上がったなら遺跡へ突撃したくなる性分なのだが、困った事に王族なので突撃はやめろと周囲が止める有り様だ。


 代表者なのだろうメリク少年が頷いて、ゆっくりと話し始める。

 立ち並ぶ者達は皆、目が赤くなっていた。

 遺跡への出入りは公然の事実なのだろう。

 少なくとも今、あの狼三匹は当然のようにここに居る。

 ならば彼らが受けた衝撃も相当なものだった筈。表向き知られてはいないとはいえ、聖域の主とも言える巨狼が死んだのだから。


 その上で彼の声は、しっかりと地を踏み締めるようなものだった。


「ユラハ様が亡くなられた後、リリアーナ様は意識を失われ、その身をフェイネル様が抱いてここまでお連れしました。後にご遺体を、再び遺跡から持ち出し、埋葬したのも彼です」

「大きなお身体です……その、どうやって?」

「火葬致しました。骨は壺へ収め、裏手の森へ」


 それでも容易いことでは無かっただろう。

 幾度も往復し、あの階段を昇り降りした筈だ。


 感心していると、やはりというか、想定外の所から矢が飛んで来た。


「あの方は……リリアーナ様の騎士様、ということでよろしいのでしょうか」


「……………………はい」


 咄嗟に否定しなかった自分を褒めよう、思うだけでは足りなかったので、お腹のぷにぷにを気にして手を付けていなかった蜂蜜漬けの桃を上品に口の中ヘ投げ込んでいく。ご褒美は必要だ、いつだって女の子は甘いご褒美を求めている。因みにこの査定は極めて甘く、数日後に判決を悔やむ場合が多い。

 とにかく、甘いものも甘いことも好きだと言う事だけ覚えておけば良い。後は知らん。


 リリィからの確認も取れて、ようやくメリクも安心したらしい。

 立ち入り禁止の聖域へ勝手に踏み入っているだけでも問題なのに、王女の騎士を名乗って平然と居座っているのだから、彼らとしても混乱があったのだろう。


 幸いにもここは巡礼を誤魔化して酒池肉林する為の場所なので、メリク達も細かい所は気にしない。

 俗世を知らないからこそ、こうだと言われたら素直に応じる。

 むしろ、そう出来ない者ではここに配置される筈もないだろう。


「昨日の内に外へご相談申し上げたのですが、曖昧な返答しかなかったもので、余計なお手間を取らせてしまい、申し訳ありません」

「はい…………えぇ、問題ありませんよ」


 どうやら蜂蜜漬けのおかわりが必要そうだった。

 出来ればわんこと戯れる能天気男へカラトリーの一つでも投げ付けてやりたいのだが、王女たる者がそのような振る舞いは許されない。許されなくてもいいから一本いっておきたい時もあるのだが。


「なんでも、幼少期よりリリアーナ様をお支えしてきて、今回の巡礼でも特に同行を望まれた為、仕方な……いえ、喜び勇んで忍び込んでしまったのだとか。その、聖域へ従者を連れて入る方は過去にもいらっしゃったようなので、お咎めなどはおそらく無いものと思います。ご安心下さい」


 問題はその騎士が現地調達であることなのだが、もういっそここで二・三日ほど逗留できないかと本気で悩む次期女王。


 昨夜の時点ではこっそり何処かから抜け出して貰い、後で合流すればなどと皮算用をしていた少女だが、既に報告が入っている為どうにもならない。


「因みに、巡礼者とも全くの無関係で、勝手に聖域へ入った方はどうなるのですか。いえ、フェイは間違い無く私の騎士なのですが」

「特に決まりはありませんが、ユラハ様から聞いた話だと、瞼を縫い付け、縛り上げて樹に吊るされるのだとか」

「へぇ……」


 やはりというか、少年が結構頻繁に遺跡を出入りし、あの巨狼ユラハとも交流を持っていたことも発覚した。

 彼は自覚もないのか普通に接しているが、この無防備さは少々危なっかしい。


 色々と聞いてみたいことはある。

 ただ、神殿の内情へ踏み込み過ぎるのもよろしくない。

 何より傷付いた少年少女らを追い詰めるようなことになってしまうのは、リリィの本意ではなかったから。


 カラトリーを置いた。


「あちらには、私の騎士が無断で忍び込み、同道していることが伝わっている。そうですね?」

「はい」

「あっ、そういえばユラハ様の死は伝わっているのでしょうか」

「それは、その……私達は奥へは行けないことになっていますので」


 化身の死を伝える重たい責任と不審者が一人。

 そもそも巨狼の存在すら一般には知られておらず、叡智を授かる云々も王家の書物から偶然発見したようなもの、追及されたのならば話せば良し、そうでなければ、などと考えたが、やはりフェイネルの存在が問題となる為、全てを明らかにするべきかとも思う。


 とりあえず、食べてから考えよう。


 蜂蜜漬けをおかわりして、お腹がぽっこりしてきたお姫様は後の自分に丸投げした。色々を。


    ※   ※   ※


 「大丈夫、俺にいい考えがある」


 なんてフェイネルが言ってくれたので、肩の荷を降ろし、なのにお腹が妙に重いことを気にしながらもリリィは安堵した。

 メリク達と別れた道中、昨日は出来なかった故郷の話などをし、和気藹々と歩を進める内に聖域の出入り口へ差し掛かる。


 青みの差した石造りの建物を脇へ置き、整えられた街道の先で物々しい一団が待ち構えていた。

 先頭に立っているのは眉の釣り上がった侍従長と、聖域を管理する神官一同と、神殿騎士団。

 見送りには数名の神官だけだったので、これは相当に警戒されている。気になったのは、あの肥満の神官が顔を出していない事だ。会いたい相手でも無かったので好都合とも言えるが、問題の先送りな気がして居心地は悪い。


 ところで脳に大量の糖分を送り込んだ筈の少女だが、すっかり『いい考え』の内容を聞き忘れていた。


 フェイネルがあまりにも自信たっぷりだったのもある。

 彼は神殿騎士を見ても平然と歩を進め、一応は名乗った騎士らしく、少し下がってリリィへ侍る。

 本物を知る彼女からすれば、距離が近く、実に無遠慮な間合いであるのだが、あくまで仮なので気にはならない。


「お待ち申し上げておりました、姫様」


 まず侍従長が言葉を発した。

 従者に過ぎない立場とはいえ、彼女の正体は大法国セヴィアからの監視役だ。本来の立ち位置ならば、この場の誰よりも権力を持つのだろう。


「巡礼の折、体調を崩して一夜を野で過ごされたと聞き、一堂心を痛めながらお待ち申し上げておりました」


 あの休憩所は表向き存在しないことになっている為、なるほど少女は野宿をしたことになるらしい。

 恭しい礼の後、仮面のような無表情が向かうのは当然フェイネル。

 彼は視線を受けたことで、水を向けられたのだと思ったらしい。

 実に彼らしく、身軽な声で言った。


「やあ、俺はフェイネル。四つある月の一つ、古ルデーテルの化身だ。聖アティアの要請を受けて地上へ降り立ち、人の世が再生していく様を見せて貰いに来た」


 実に、彼らしく。


 実に、荒唐無稽な言い草で。


「あっ、名前が違うのは、仮の名ってことでよろしく頼むよ」


 侍従長は何の反応も見せないまま少女へ向いた。


「姫様」

「はい」

「彼を拘束しますがよろしいですね」

「いえ、その、不思議さということで言えば古ルデーテルにも匹敵すると言いますか」

「貴方が聖域へ引き入れたのですか」

「いえ、彼はあの、聖域の中で……銀に輝く卵から生まれたという感じでして、決して怪しい者では無いと思うのですが」

「分かりました。では拘束するのではなく、部屋でしっかりとお話を伺いたく存じます。よろしいですね」

「出来れば私も同席していいですか」

「姫様には巡礼後に行うべき儀式が多数ございます」

「はい」

「全て終わりましたら、会う機会は作りましょう」

「はい」


 駄目そうだった。

 恨みがましくフェイネルを見ると、一連の流れを見ていた彼は何故か自信ありげに親指を立てて笑うのだった。


 少女としては、物言わぬ姿となった彼と再会するのだけは避けたいと思うのだが。


「分かってくれたみたいで良かったよ。そうか、月での暮らしについて聞きたいんだな? 話せないこともあるけど、出来るだけ面白いのを用意しておくよ」


 化身とはいわば月そのもので、別にそれぞれの月に住んでいるのではないことを、よくよく彼に言って聞かせるべきだった。

 少女は侍従長にそっと肩へ手を置かれて、男は神殿騎士団によって両脇を固められて分断される。


 結局二人が顔を合わせるまで三日も掛かった。


    ※   ※   ※


 胃痛を抱えた三日を越えて、ようやく許されたフェイネルとの面会にはリリィも一定の緊張があった。

 神殿にとって未教化の異教徒は慈悲の対象だが、教えを知りながらそれを愚弄する異端者は八つ裂きにしても構わないとする考えが割と一般的だ。

 立ち入り禁止の聖域へ踏み込み、古ルデーテルを名乗って神殿を謀ろうとした。

 そんな解釈をされたらもうお終いだ。

 一応、生存しているらしいことは侍従長から聞き及んでいたが、だからこそ心配が喉を詰め、食事も忘れて無事を祈っていた。


 膨らみかけていたお腹がすっきりしたと思う一方で、成長途中の胸元には栄養が届かず平原を成している。

 思うままとはいかない世の中で、せめて志を打ち明けた者の無事をという祈りは、幸いにも届いたらしい。


「やあ」


 というか、届き過ぎていた。


「そろそろ話のネタにも困っていた所だから、開放されるみたいで良かったよ」


 フェイネルは無事だった。

 傷一つ無く、三日に渡って尋問を受けたにしては飄々とした態度のまま、むしろ対面に座る神殿騎士が疲弊し切った様子で頭を抱えていた。


「……大丈夫、なのですか?」

「うん? 彼らと楽しく会話していただけだよ。食事もちゃんと貰えた。暴力も振るわれていない。中々に得難い体験だったね」


 どうにも話を聞いてみると、彼が古ルデーテルを名乗ったことが神殿側を混乱させる一助にもなったらしい。

 聖域は巡礼者以外立ち入り禁止とされているが、十二歳以下の少年少女を対象に巡礼もどきを行う者達を入り口付近で歓迎するような構造を持っている。またあの少年メリクが遺跡へ出入りしていたことも、もしかしたら一部の神官は把握していたのかも知れない。

 叡智を持つ巨狼ユラハを独占的に利用出来る、そういう利権があってもおかしくはなかった。


 喋る狼を知る者ならば、古ルデーテルの化身が現れたことにも一定の可能性を感じるだろう。


 どこまで信心に根差しているかは別として、ユラハを看取り、その肉体を恭しくも埋葬した男、そんな話が伝わっていると仮定したら、安易に彼を犯罪者と決め付けるのは危険だ。

 うっかり本当に古ルデーテルの化身を始末したならば、悪戯好きの逸話の中に、悪党への凄惨に過ぎる報復も語られる存在から敵視されるかも知れない。

 神の不在を胸に抱くリリィですら、祭壇を蹴り付けろ、祈りを嗤えと言われたら嫌な気持ちを覚えるものだ。

 信仰を当たり前とする者達にとって、フェイネルは迂闊に触れない神となった。

 勿論、嘘が罷り通るほど神殿も甘くないので、もしここに異端審問官が居たのなら徹底した質疑応答が行われて、曖昧な知識しかなかった彼が火あぶりにされたことは明らかだ。

 平穏な聖域を管理する神殿だけに、茨の中へ手を伸ばして果実を得ようとする者が居なかっただけ。


 記憶喪失を名乗り、古ルデーテルの化身を名乗り、こうして神殿騎士団の尋問から平然と帰還した。


 色々と係わって来たリリィですら、彼の(かた)りを信じてしまいそうなほどの幸運だった。


「三日間楽しかったよ。君の事は、月へ戻ってからも他の者達に伝えよう。きっといいことがあるさっ」


 ははは、と笑いながら尋問官の肩を叩き、フェイネルはリリィの前までやってきた。

 何か言おうとしたようだったが、その前に彼女へ同行していた神官が前へ出た。


 事ある毎に少女を汚らわしい目で見てくる肥満の男だ。

 どうしてか、心底疑わしいのだが、彼はこの聖域を管理する神殿の責任者である。


「貴様が例の男か」


 彼は古ルデーテルへの畏怖も敬意も無くフェイネルへ話し掛けた。


「話は聞いている。錆化病への治療法を持っているそうだな。すぐに出せ。さもなくば牢へぶち込むぞ」


 言えた義理ではないが、信仰心があるとはとても言えない態度にリリィは呆れた。


 なるほど聖域内の出来事は口外が禁止されている。

 あの調子ではどこまで守られているかは不明だが、仮にも王女であるリリィを尋問に掛けることも出来ず、フェイネルを介して探っていたらしい。

 メリクはリリィが錆化病を治療する所を見ている。

 叡智の独占者はもしかするとこの神官なのかも知れなかった。

 けれど今日まで治療法が出回っていないのは、単に興味が無かったか、質問が許されなかったか。


 目の前に栄誉があると分かった途端に食いついてくるのだから、その勤勉さには世界を白一色に染め上げようとする冬の月、冥ロルドも手を叩いて称賛するだろう。因みにこれは皮肉である。


 とはいえ性急に過ぎる問い掛け。

 あの手この手で神殿騎士団の追求をかわしてきたフェイネルが動じる筈もなかった。


「さてな。気紛れさと忘れっぽさで謳われた古ルデーテルの化身としては、君の質問へ答えるのは少々億劫だ。ツィンクルの嘴でその腹つついてやれば、さぞいろんなものが飛び出しそうだ」


 民を騙して肥え太った者へ、古ルデーテルが下したとされる審判を口にし、彼は分かり易く肩を竦めた。

 ツィンクルの嘴で腹に穴を開けられた代官は、そこから溜め込んだ財の全てを吐き出し痩せ細る。


 尋問とは会話することだ。

 一方的な質問になる場合も多いが、些細な言い回し一つ一つへ気を回していれば、こんな言葉も覚えられる。

 彼の場合は会話の流れで聞き出したとも考えられるので、今も頭を抱えている神殿騎士には同情しかなかった。見れば朴訥とした顔付きで、いかにも面倒事を押し付けられそうではある。


「ふんっ。貧者の嫉妬だな。古ルデーテルの化身を騙るに相応しいうつけぶりだ。豊かさの象徴である聖アティアは起伏豊かな美女であると言われておるぞ」

「なるほど豊かな美は男の夢だな。でも不健康にはご注意を、実りの後には枯れるが定め。歳食ってからもソレだと、どこかでガタが来ちゃうからね」

「神々の加護を受ける我ら神官に病などあり得ぬわ。下らぬことを言っとらんで、奪った叡智をとっとと出せっ」


 要するにコレが逆尋問。

 優位に立っていると思っている者ほど油断して情報を溢していくものだ。


「そんなに叡智が欲しいのなら、自分で巡礼すれば良かっただろう? 教えて貰えたかは知らないけどさ」

「獣風情にこの私の頭を垂れろと? 馬鹿を言え、病持ちというだけで迷惑だったのが、碌に知恵も寄越さぬ獣など死んで清々するわ」


 あぁもう出るわ出るわ証言の山、とリリィはそっと距離を開けて頭に手をやった。


 滅多に巡礼者が訪れることの無い、名前ばかりは大きな聖域の管理者。

 さぞやりやすい環境が整っていたのだろう。

 齢十四のリリィですらもう少しまともに政治が出来るというのに。


「いいからとっとと治療法を寄越せっ!! 素直に話せば罪を揉み消す程度のことはしてやるぞ?」


「ッはは!!」


 フェイネルは笑った。

 けれど、直後に怖ろしく冷めた目を彼へ向けた。


 男のこんな表情を見たこともなかったリリィは少し寒気を覚えたが、そんな彼女に気付いたのか、こっそりと片目を閉じて笑ってみせる。


 その上で、神官へ向ける目は尚も冷たい。


「どうした、随分と焦ってるな。お山の大将気取っていられたのは、ユラハの叡智を利用出来る立場があったからだろう? 宗教も政治が絡めば利権争いに明け暮れるもんだが、だからこそ彼女の死はお前にとって致命傷の筈だ。教義だか戒律だかを破って放置されていたのは、いざって時に切り捨てられる都合の良い駒だったからじゃないのか? 分かっているから焦っているんだろう。あれから三日、随分と待たされたが、こういう場所に異端審問官が不在なんてあり得るのかな? 三日っていうのは、アンタが審問官を遠ざけておける限界時間だったんじゃないのか? 叡智の後ろ盾を失った以上、いざ話が外へ広まれば失脚は避けられない。その準備を進める為の三日だ。しかもリリィとの面会に合わせてやってくるなんてな、俺が漏らすのを期待したのか? それとも、一国の王女を交渉材料にしようとした? あぁそれより、身元不明な俺を巻き込んで、ユラハを殺したことにして吊り上げれば誤魔化せると本気で思ってるのかな? なにせ神殿は大法国との繋がりが深いもんな。そこと密約結んで面倒見て貰う予定の姫なら、多少の事故があっても許されると思ったか? なあ神官、自分の立場を思い出せ。お前は神への祈りにとても近い場所に居るんだ。せめて彼女の十分の一でも真剣に祈ってみたらどうだよ」


 まるで見てきたような言い方だった。

 捲くし立てる彼に、神官も最初は余裕の表情を浮かべていたが、内容が的中したからか、徐々に青褪めていくのが分かった。

 いや、この場合は内容よりも、彼の持つ異様な迫力が原因だろうか。


 それと、少しだけ誤解があった。


 フェイネルは治療法を自分だけが持っているように証言している。


 立場の弱いリリィが知っているなら、法国はそちらを締め上げればいい。

 腕の傷も休憩所で治療を受け、今は包帯を巻いている。口外無用の聖域で、彼の情報源となっているメリク達も、そう忠実という訳ではないらしい。


 思わぬ所で、思わぬ形で助けられていたことを知った少女は、腕の傷をそっと握り、口元に小さな、それでいて温かかな、少しだけ困ったような笑みを浮かべた。


「なあ神官?」


 まるで本物の古ルデーテルのように、穢れた人間を追い詰めていくフェイネル。

 神官の男は黙り込み、脂汗を浮かべて身を引いた。

 背をぶつけて振り返った先には、尋問の際に嘘偽り無い証言を誓わされる、審判者としての側面もある冬の月、冥ロルドの紋章が刻まれたタペストリーが飾ってあった。


「ふんっ、ふざけおって!! おい貴様!! こいつを牢へ放り込んでおけ!!」

「おいおい、そんなことしてる暇があるのかい? 時間がないんだろう?」

「調子に乗るな!! いざとなればあんな小童など幾らでも――――」



「あぁ、それは自白と取りますがよろしいですね」



 突如として、だった。

 皆の死角から浮き上がるようにして、闇が人型を取ったような女が現れた。

 驚きひっくり返る神官、居住まいを正して立ち上がる神殿騎士、それだけで彼女の立ち位置が分かろうというもの。


 陽を受けてさえどこか揺らめき、忽然と消えてしまいそうな印象がある女は、フェイネル以上に冷え冷えとした目を一同へ向けている。

 可憐と呼ぶにはあまりにも怪しげな気配を漂わせつつ佇む女。

 夜闇の静けさを思わせる声音が再び緊迫した部屋を打った。


「本来なら姫殿下が聖域へ入る以前に神殿を清める予定だったのですが、度重なる妨害を受け今日まで到着が遅れてしまいましたこと、お詫び申し上げます」


 カトレアの花の如き凛々しさをその瞳に湛えながら、恭しくも礼をする。

 彼女の胸元には冥ロルドの紋章をあしらった首飾りがあり、


「ノア=ロサリアと申します。リリアーナ姫殿下」


 それを身に付ける者は、異端審問官として知られている。


「お話は全て伺いました。彼への審問は、この私がお引き受け致しましょう」





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