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果てなき空で”果て”を目指す物語  作者: 琉 莉翔
果てへの導き編
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イリエルの心

「イリエル、どうしてあんなにミラを警戒する?」


 ドアの向こう側から聞こえてくる声、それが今ドアを開けようとした少女の手を止めた。このたった一文を、はっきり聞き取れていなければどれだけ良かったことか。

 ディオブに指摘されたイリエルは、今物干し竿にタオルをかけようとした手が止まった。

 真剣そのものの目をこちらに向けるディオブに、イリエルはヘラリと笑って見せた。らしくない緩い笑い方だ。


「どうしてそんなこと聞くのよ、警戒なんてしてないわ」


 笑い混じりの優しい言い方。そこに嘘なんて存在しようがない、誰だってそう思う。普通なら。

 ディオブは違っていた。逆にそこに決定的なものを感じていた。


「嘘だな、お前はミラを警戒している、そして信用もしていない」


 ディオブの言葉は断定型、疑問はもう存在していなかった。確信のままに言葉を発している。

 イリエルはタオルを物干し竿に引っ掛けながら聞いていた。イリエルを見つめ続けるディオブとは違い、目線は完全にタオルだけを見ていた。

 隣のカゴからもう一枚タオルを取り出し、振って皺を伸ばした。くちゃくちゃの状態からピンとしたそれを、できるだけ伸ばしながら物干し竿に掛ける。もちろん飛ばされないように、特別強力な洗濯バサミで挟むことも忘れない。強力な分少し開かせにくいのが問題だが。

 イリエルは魔力と身体強化は使えても、素の身体能力は非力だ。従って強力な洗濯バサミを開かせるのは苦労する。

 今も必死に指に力を込めている。


「くっ……どうしてこれってこんなに開きにくいのかしらね」


 適当な雑談以下のつもりで放った言葉。

 残念ながらその言葉を拾い上げる人間は居なかった。


「どうしてあんなにミラを警戒する?」


 どこかへ消えていく言葉を無視して、ディオブは飽きもせず同じ言葉を繰り返す。

 全く同じように、イリエルは動きを止めた。そして、一つため息をこぼした。


「じゃあ、どうして私が警戒してると、そんなに! 思うの?」


 若干の嫌味を含んだ。しかしイリエルの口角は上がっている。怒っているわけではない、イリエルはただ聞いている。

 ディオブはエボットのシャツにハンガーを通しながら、目だけでイリエルを捉える。


「この間、ミラの過去を掘り下げようとしたろ? あの時の様子がどうにも厳しく感じてな」

「? やってることは普通でしょ? 安全のために情報を求めようとして」


 ディオブがハンガーを物干し竿にかけた。そして大きなため息を、わざわざ長く吐いた。


「お前と出会ってからそう期間は長くないが、ずっと一緒にいれば様子の違いくらい感じる」


 今度はテリンのシャツにハンガーを通した。


「スピードボートの話をした時、お前はもう少し優しげだったぞ?」


 ディオブが思い出すのは、スピードボートを使い、マーコアニスの調査に出た時の記憶。あの時のイリエルは自分なりに譲れない信念を掲げ、そのためには柔軟に動ける人間だった。そしてその中に垣間見える優しさがあったのだ、命に対する平等さや優しさが。

 しかしミラに対してはそうではない。どこか冷たさや無機質さを感じさせていた、恐ろしいほどにだ。

 少しずつ感じていた違和感が、時間をかけてディオブの中で言葉となった。それが今だ。

 イリエルも投げかけられた言葉をゆっくり噛み砕く。そして、自分なりに言葉を紡いだ。


「怖いのよ」

「えっ」

「単純明快、怖い、そして信用できない、それだけ」


 イリエルの瞳に一切の嘘は無い。ディオブの経験が告げている。その事実が、逆にディオブの背筋を凍らせるのだが。

 凍っているのはミラも同じだ。扉の向こうで自分も気づかぬ間に汗を流している。


「私がエストリテで体験したことはわかってるでしょ?」

「……裏切り」

「ええ、しかも思い当たる理由もないわ、私の考えつかないところで何かあったのかも知れないけど」

「だから怖いのか? ミラがか?」

「怖いのはそこじゃないわ、みんなが危険に巻き込まれることよ」


 ディオブは眉間により深く皺を寄せた。言っていることがピンと来なかったのだ。

 イリエルはその心境をほぼ正確に察しくすくす笑っている。ひとしきり笑い終わると、一転静かな顔で青空を見上げた。


「私にとって、このリエロス号のみんなは恩人以上だわ」


 イリエルの顔は恐ろしいほど爽やかだった。

 

「孤児として育った私にとって初めての家族……」

「結果として、あの魚がなぜああなったのかも分かっていない以上、私はミラを信用しきれていないわ」

「……」

「ディオブ、あなたの言うことも正しいわ、けど……今の私は、恐怖から変われないの……」

「許して」


 間を置いて放たれた最後の一言、誰にとっても毒にしかなり得ない地獄の言葉。わかっていて吐き出したイリエル自身にも、最悪の毒となって跳ね返ってきている。

 ディオブはため息一つで毒をできるだけ振り払った。拭い切れるわけもないのに、それしかできなかったのだ。


「ありがと……」


 二人はそれだけで会話を終え、洗濯物を干し続けた。なにせ五人、いや六人分は多い。

 だが二人は気づいていなかった。毒は知らないところで、少女の傷に染み込んでいたことに。

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