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果てなき空で”果て”を目指す物語  作者: 琉 莉翔
幕間 謎と魔力編
73/304

外伝 動き出す男

 男は薄暗い廊下を歩いていた。

 ここは神軍本部、男は普段あまり来ることのない本部で、憂鬱だった用事を済ませ、わずかな疲れと共に歩いていた。

 しかし側から見て疲れを感じさせないほど、彼の歩き姿は姿勢がいい。服にはヨレや余計なシワなどは一切無く、真面目を形にしたような人間に見えた。


「お疲れ様だな、ティコラ」


 後ろから声をかけられる。男、カルモ・ティコラは、声の下方へゆっくり振り返った。

 居たのは老齢の男。白髪に長い髭を携えているが、スーツの上からわかるほど筋肉がしっかり付いている。戦士として戦ってきた証拠だ。黄金に似た綺麗な色の目は、殺しを越えても汚れきらず、誇りによって輝きを保っている。彼が携える剣は、自分の腰の物と全く同じもののはずだが、放つオーラのようなものが違いすぎて、全く別の業物のように感じる。

 肩からボストンバッグをかけている。膨らみから、かなり重量があるように見えるが、疲れている様子は無い。


「お久しぶりです、アロント……()()()()()、会議お疲れ様でした」


 少しだけ残念そうに相手の名を呼んだ。

 呼ばれた相手、アロントはこめかみのあたりをカリカリと引っ掻いた。


「そんな残念そうに言うなよ、大した差じゃねえさ」

「いえ……あなたは優秀な人間です……だというのに……最悪のタイミングで……」


 カルモは悔しさに歯軋りしながら、ゆっくりと下を向いた。拳は目に見えて震えている。

 アロントは少しだけ呆れ混じりに息を吐いた。

 そして豪快にカルモの肩を叩く。バシバシ、という音がやかましく廊下に響いていた。


「気にするな! 俺よりも優秀な男が居ただけのこと!」

「それよりも嘆くべきは仲間の死の方だ」


 一言目と二言目で、大きく表情と雰囲気を変えてアロントは話を続ける。

 下を向いていたカルモは、声の変化に驚いて素早く顔をあげた。いつに無い真剣な顔がカルモを迎えた。


「……申し訳ありません、そちらの方が重要でした」

「その通りだ、仲間の死ほど重いことは無い」


 アロントはカルモ以上に手に力を入れている。肩に走る痛みが、その悔しさを雄弁に語っていた。

 それもそのはずだ、最近アロントの管理する範囲では、死亡事件が相次いでいる。

 アロントの一軍総隊長とは、詰まる所一定範囲の支部の管理長という意味だ。

 神軍は管理範囲をいくつかに分けて、それを本部の部隊で管理させる。これが”総部隊”と呼ばれている。

 さらにその範囲を細かく分けて、一定距離に支部を設置し、そこにも支部長や末端部隊などの管理を作る。そうすることで人の管理がしやすくなる。

 つまり支部が管理する範囲もなかなかに広いが、総部隊という単位での管理範囲を考えると比にならないほど広いし、その比にならないほど広い範囲を総合したのが、神軍の管理するすべての範囲になる。

 部隊や特別任務を扱う班などによって例外はあるが、これが神軍の基本システムだ。

 カルモの所属する支部はアロントが隊長を務める管理範囲にあり、アロントの管理範囲に所属する兵士たちを”一軍”と呼んでいた。

 カルモにとっては、アロントはかなり上の上司に当たる。


「最近の事件はどうでした?」

「ああ、エストリテの一件か」


 エストリテにはストル・バシフォード率いる部隊が向かったと聞いていた。

 直接の面識はなかったが、離れた支部に所属するカルモの耳にも入るほど、バシフォードは高い実力を持っているとされている。

 神軍の研究という面でも、戦力という面でもマーコアニスの捕獲は重大な任務だった。

 だからバシフォードの部隊と聞き、安心していたのだが、つい最近部隊と連絡が途絶えたと聞いていた。


「どうにも、殺されたようだ」

「えっ!?」


 思わず目を見開いて叫んでしまった。

 バシフォードの部隊の実力はよく知っている。最近では天空生物、天空猪を倒したというのも有名だ。

 だというのに殺されたというのはあまりに予想外だった。


「いっ一体!? マーコアニスにですか?」

「いや、どうやら冒険者ディオブとその仲間に殺されたようだ」

「なっ!」

「調査の結果なんだが」


 アロントが腕を組みながら語った。

 曰く、島では確かにマーコアニスと神軍の戦いは起こったらしい。だがその直前、白衣を着た神軍を名乗る少女が水を差したそうだ。

 もちろん神軍たちはマーコアニスと戦ったらしいが、その後帰ってきた神軍は若い兵士一人、妙に堅苦しい口調とわかりやすい動きで結果を報告してくれたそうだ。

 スピードボートに乗り込み、神軍の基地へと帰っていったらしい。


「……なるほど、聞く限りではわかりやすい筋書きですね」


 島民たちも、今のカルモと同じ感想を抱いたはずだ。

 ”神軍たちはマーコアニスと必死に戦い、なんとか一人だけ生き残った”と。被害に遭い、救いを求めているだけの島民たちはそれで納得するはずだ。


「ああ、だがスピードボートでたった一人帰還した若い兵士、そんなのはどの支部にもいなかった」

「!!」

「恐らく、その若い兵士もディオブの仲間だろう」

「では裏切り者が!?」

「いや、戦いに勝ち、筋書きに違和感を持たせないため、神軍の服を着用したと考えるのが自然だ、それは奴の乗り物が証明している」


 そう言って、アロントはボストンバッグを地面に置いた。ドスン、と中々重い音がした。

 中を漁り、出したのは資料だった。


「これは?」


 受け取ったカルモはそれに素早く目を通す。書いてあったのはどうやら、ある船に積まれていた荷物の詳細のようだった。


「さっきの会議で使用した資料だ、あの日のバシフォード部隊の船に積まれていた荷物を記録してある」

「ああ、神軍の船は出航前に荷物の管理が必要ですからね」


 言いながら記録に目を通す。そしてすぐに違和感に気づいた、スピードボートの表記がどこにも無かったのだ。


「気づいたな?」

「はい、スピードボートの記述がありません」

「つまり、どこか別の島で手に入れたということだ、心当たりは無いか?」


 確かに、カルモには心当たりがあった。

 あの、オリアークの資料を求めた任務で訪れた島、サーコス島で、部下であるレイゴスのスピードボートがいつの間にか消えていた。調査に集中しすぎて気づくこともできなかったが、後から資料を持って逃げた誰かを追いかけたのだろうと推測した。

 結局現在は行方不明で、スピードボートすら見つかっていない。返り討ちにあって、淵に落とされたのが妥当だというのが、調査中の今最有力の推察だった。

 それらを報告すると、アロントは顎に手を当てた。しばらく考え込むような顔をしてから、ゆっくりとバッグを漁り出した。


「これは最近ボルカという島の鉱山であった、ディオブとその仲間たちによる事件の記録だ」


 見た瞬間、眉間に皺が寄ってしまった。

 内容は生き残った兵士たちによる報告をまとめたものだ。報告したほとんどの兵士たちは、ディオブにより鉱山内で気絶させられたと書いてある。


「!! ヘリオ・ポルトナク隊長が死亡している!?」


 ヘリオとカルモは同じ支部に所属していた。

 時折剣の修行に付き合ってもらうこともあり、彼の風の魔法は特に素晴らしく、毎回苦戦させられた。

 次期支部長とも呼ばれていた彼が、まさか死亡していたとは思わなかった。行方不明とだけ知らされ、隊員の回復待ちで情報が止まっていたのだ


「この資料が! なぜ同支部の我々に流れてこなかったのですか!」


 カルモは怒りに声を荒らげた。

 ヘリオとは現場で共に戦ったことさえある。同じ支部に所属し、日々仕事をこなした仲だ。

 だというのに、自分たちに情報が降りてこないのは、全く納得できない事態だった。


「すまんな、情報の精査と会議が必要だった、それほどに冒険者ディオブは重要視されている」


 怒り狂うカルモに対し、非常に冷静にアロントは返した。

 あまりに冷静すぎて、カルモは怒りを続けられなかった。


「いえ……申し訳ありません……冷静さを欠ました」


 何もできないが、相手の正論だけを理解してしまい、悔しさに頭を下げた。

 二人を一瞬の沈黙が包んだが、アロントにはまだ語るべきことがあった。

 カルモから資料をもらい、バッグにしまいながら再び語り始めた。


「それも仕方ないさ、恐らく最近の死亡事件はほぼディオブの仲間に関連している」

「えっ!?」

「情報のある島の位置関係と現地の人々からの情報でそう推測した、他にも理由はある」

「ですが、ディオブとオリアークの資料を持っている集団を同一と仮定するのは」

「……鉱山で目覚めたメンバーの証言だ、ポルトナクは三人の子供と戦闘していたと、ディオブは兵士たちの足止め役だったそうだ」

「バカな! ポルトナク隊長の相手を子供が!?」

「ああ、事実だ」


 カルモには到底信じられなかった。

 冒険者ディオブならばともかく、子供相手にあのヘリオ・ポルトナクが倒されるとは。


「報告した兵士は途中で気絶してしまったようだが、報告が正しいのなら殺したのは子供たちの方だろう」


 その理由については、カルモも大体察しは付く。

 冒険者ディオブは、神軍において最大の犯罪者の名称、冒険者と呼ばれるだけあって、今までに大量の兵士を送り込まれていた。

 しかし、送り込まれた兵士たちは皆重傷こそ負ったものの、誰一人として死亡までは至っていなかったのだ。

 だからこそ、殺されたという状況が、ディオブ以外の誰かがいることを暗示していた。


「ですが……子供が殺しなど」

「いや? むしろ自然まであり得る」

「えっ?」

「お前の仮説を思い出せ」


 カルモの立てていた仮説。

 それは”オリアークの資料を持っている集団は、少なくとも一人は子供である”というものだった。

 サーコス島の焼けこげた家で、状況を整理した結果導き出された答えだった。しかしだ。


「あまりにも主観的な仮説です」

「だが、この殺しを推測に加えることで、その推測は真実味を増す」

「……」

「”情報を与えたく無いから殺した”」


 アロントのセリフは、この上なくあっている気がした。

 もちろんこれだって主観だ、しかし筋は一応通っている。オリアークの資料は、守る側からすれば、今最も守りたいものだろう。


「どちらにせよ、ディオブはいずれ捕えなければならない」

「例の子供がオリアークの資料を持っているのかいないのか、捕えた後で調べても良い」

「はい、確かに、必ず奴を捕らえて見せましょう!」


 カルモはやる気に満ち溢れていた。死した仲間たちの敵もそうだし、何よりも自分のミスでオリアークの資料を逃してしまったのだ。ならば、自分の手で決着をつけたいと願うのが当然だ。

 だがカルモのやる気に反し、アロントの表情は非常に面倒くさそうだった。

 なんだかやる気の炎に水をかけられた気がするも、なんとか立て直して話を続ける。


「一軍総隊長?」

「あ〜すまん、いやお前のやる気はもっともだ、私もそう思う、だがなぁ〜」


 腕を組みながら唸っている。ひどく悩んでいるようだ。

 カルモには、現状悩む要素が無いように思えた。いつも通り警備体制を敷き、発見時の連携を綿密に計画しておく。それで済む問題だと思っている。

 しかし、どうにもそれだけでは無いようだった。


「いったい他に何の問題が?」


 居ても立ってもいられず、手っ取り早く問題の正体を聞いてみることにした。

 すると、今まで見たことがないほどの、困った苦笑いを向けられた。


「実はな……もうすぐ我らの管理範囲を抜けるんだ」

「…………えぇ……」


 蚊の鳴くような、なんて比喩でも大袈裟なほど小さい声だった。アロントが聞き取れたことはほぼ奇跡だ。

 カルモの反応が予想通りだったのか、苦笑いしながらまたこめかみのあたりを掻いた。

 何せ神軍の管理する範囲は一つ一つが極めて広い。自分たちの支部の範囲で精一杯で、所属する総部隊の範囲から抜けるなんて知らなかった。


「でっですが! 次の管理範囲の総隊長に頼めば!」

「いやあ……それが次の範囲は五軍の範囲でな……」


 言われた瞬間に全てを察した。

 五軍の総隊長とアロントは仲が悪い。二人とも大人なので仕事には出さないが、支部でも話を聞くほど仲が悪くて有名だ。


「わかりました……こちらで交渉します」

「すまんな、どうにも奴とは……」


 自分のせいで手間をかけている自覚のあるアロントは、ひどく申し訳なさそうだった。

 カルモは空を見つめた。

 この果てのない、青いだけの空のどこかに、仲間を何人も殺した奴が旅を続けている。その状況が何よりも耐え難かった。

 ディオブが神軍に追われている理由はよく知らない。上層部の命令とした言いようが無い。

 理由によっては同情もできるのかもしれないが、仲間を殺されているのだ。もう同情も手加減もない。

 サーコス島を襲った時、レイゴスを止めたが、今度は自分が止められることになるかもしれない。

 最悪の気分だ。あの日綺麗だった手をしていた者たちが絶望し、自らの手を赤黒く汚し、今度は自分が、その赤黒い手のために殺すのだから。


(全く、最悪の因果だな、殺しとは)


 この日、神軍の若き才、カルモ・ティコラは、静かに動き出した。

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