絶対の慈愛
両者が激突しようとした瞬間、太陽に照らされた明るい空間が、さらに大きな光で覆い尽くされた。
まるで稲妻の起こすフラッシュ、空間ごと覆われ、視界が一瞬だけ真っ白に染まった。
今にもぶつかりそうだった両者の意識を逸らすのに、その光は十分以上だった。お互いの視線と意識が光へと向かい、拳と嘴は激突することなく逸れた。
勢い余ってマーコアニスの方は岩壁に激突してしまった。しかし大したダメージはなかったようで、魔法を解き、小さくなった状態で大空へと戻っていった。
マーコアニスは周りの仲間達に呼びかけたようだった。そして魔法を解き、光の前で横一列に並ぶ。並び終えた瞬間、全てのマーコアニスが首を垂れた。まるで王の前で跪く家臣。小説でしか見たことのない情景が、目の前で再現されていた。
ディオブもイリエルもテリンも、光から全く目が離せないでいる。眩しくて今にも目を閉じたいのに、瞼が下がることを拒否しているかのようだ。
光源は位置からはっきりしている。スカイストムだ。
あのブヨブヨが真っ白な光を放っているのだ。
「どうなってる?」
ぼんやりした声で、間抜けにディオブが呟いた。
少しでも事情を知っているかもしれないイリエルは何も言わない。いや言えなかった。光に慣れてきた目が捉えたあまりに美しい光景に、心がすでに奪われてしまっていた。
白い光は意外にも太陽のように目への刺激は少なかった、ほぼ皆無と言ってもいい。
そんな光の中で、紫のブヨブヨは徐々に萎んでいっていた。
小さく縮み、引き締められる。体の各部は目で見てわかるほど、蓄えていたエネルギーを吸収し密度を上げている。
細くなった箇所から見えなくなっていく。薄ぼんやり見えたシルエットでなんとか細いことを認識できたのだ。
色が白いから見えなくなってることを、生物学の経験豊富なイリエルのみが理解した。
「ん……」
「ぐ……」
喉を震わせただけ、そんな感じの弱々しい声が聞こえた。少しだけ驚いて声の方向を見る。
サグとエボットが目を覚ましていたのだ。二人とも高山での戦いよりも大怪我だったというのに、二人は普通に上体を起こしていた。
「サグ! エボット!」
目に涙を滲ませて、テリンが二人の側に寄った。
勢い余ってサグに激突してしまうが、意外なほどしっかりサグはテリンを受け止めた。
身体中に攻撃を受けただろうに、テリンがぶつかった時一切顔を歪めなかった。
ふと、ディオブは自分の腕を見つめた。
さっきもずっとヒリヒリしていた火傷の傷、マーコアニス達につけられた大量の切り傷、どれも回復の兆しを見せている。どころか、徐々に徐々に傷が消えていっているように見える。
その時、すっかり忘れていたある事実を思い出した。スカイストムも天空生物であるということだ。
天空生物と分類される生き物達は、多くがマーコアニスのように魔力を宿している場合がある。ならばスカイストムもそうだということなのだろう。
「癒し……」
過酷な自然界で、多くの生物は効率的に生きるために進化を遂げた。
初めに集団生活を、人ならば知恵、鳥ならば翼、そして多くの生物は獲物を取るための力を得た。
だがその中でも、スカイストムはとてつもなく異質な進化をしたらしい。
その最たる部分が非効率的な脂肪を溜め込む幼年の期間と、今の癒しの力だ。
厳しい自然で得たものが、生き残るための純粋な力では無く、周囲の者への慈愛。
だからこそ、人間たちがその存在を伝説として語り継いできたのかもしれない。この世界で一番優しい動物を。
「キィ」
頭の上で鳴き声がした。
声の主は、ある意味当然ながら、マーコアニスだった。船の中で見た、目の側に緑色のラインが入っているマーコアニスの長と呼ぶべき個体だった。
ゆっくり、羽ばたき音ひとつ起こさないように、柔らかく優しく翼を動かし、横一列に並ぶマーコアニス達の前に降り立った。そして同じように首を垂れる。
やがて体の痛みをほぼ感じなくなった頃、光が消えた。
光の消えた場所にいたそれが何か、目で見て認識した瞬間、サグ達五人も跪いていた。まるで初めからそうするつもりだったかのような自然な動きで、何度も練習してきたかのように澱みなく。
それほどの、それほどの行動を示すべき相手だと、癒やされた傷が教えてくれたからだ。
跪く前、一瞬だけ見えた姿は、驚くほど鮮烈に脳に刻まれていた。
美しく伸びた四本の足、純白に伸びた毛はしなやかなシルエットを彩り、尻尾の毛は人間の持つどんな物でも例えられないほど美しい。少なくとも若い五人は、それを例える言葉を見つけられなかった。
特筆すべきはどんな鳥よりも逞しく美しい背中の翼とどんな物でも突き通せそうなほど強く見える額の角。
それぞれを持つ幻獣ならば、ファンタジー小説の中で何度も見たことがある。だがまさか両方を持つ生物を、現実に自分の目で見ることになるとは思わなかった。
サグの好奇心という欲は今までにないほどに打ち震え、今にも頭を上げたくてしょうがない衝動と、このまま頭を下げていたいという冷静な心が闘っていた。勝利したのは冷静な心だ。今自分の体が動いてくれることに感謝する、純粋な気持ち。旅を始めてから初めて感じるこの感情に、今は従うことにした。
翼を動かす音がした。小さい状態のマーコアニスとは違う。明らかに大きく、明らかに力強いもの。
ゆっくり頭を上げた。目だけで周りを見ると、鳥達を含めた全員が頭を上げていた。
(……!!!)
出す言葉が見つからない。初めてはっきり見るその美しい姿に、サグは自分の浅い人生経験を呪った。
日記を付けよう、今日この日のショックを、忘れないように書き留めておこう。そう固く決意できるほど、美しい衝撃があったのだ。
一歩、スカイストムが前へ踏み出した。踏み鳴らす蹄の音すら鈴の音のように美しい。
鳥よりも遥か高い馬の頭、その頭がゆっくりと地面へ近づいていった。
マーコアニス達に、深々と礼をしているようだった。
”守ってくれてありがとう”人間の言葉に表すならばこれだ。
マーコアニス達もそれに応じて頭を下げた。
また一歩、スカイストムが前に出た。マーコアニス達はそれに応じて道を開ける。王に通り道を作るように。
何歩か進んで、サグ達五人の前に立った。何も声を発せない、あまりの美しさと気高さに、ぼんやり見つめることが限界だった。
またゆっくり頭を下げた。それに応じ、サグ達も頭を下げる。
全員が頭を上げた時、スカイストムとサグの目が合った。
サグの髪の色と同じ、吸い込まれそうな空の色の瞳。心臓が肋骨を押すほどに大きく跳ねた。
「ありがとう」
呟いてしまった。この静寂が包む空間で。
スカイストムは一度だけ目を閉じ、大きく翼を広げた。
立った一度の羽ばたきで、マーコアニス達以上の突風が巻き起こった。しかし春風のような優しさを含んでいた。
(どこまでも……優しい生き物だな……)
どこか他人事のようにサグは心で呟いた。不思議なものだ、自分もその優しさに触れた一人だというのに。
天空へと飛び立ったスカイストムは、大空で一度だけ、大きく鳴いた。
鈴の音のような音だ。
そしてどこかへと飛び去っていった。一度羽ばたいたと思ったら、一瞬で視界から消えていたのだ。
成体に至る瞬間、至った後の態度、あえて言うならば立ち振る舞い、その全てが、まさに伝説に相応しい姿だった。
圧倒的な光景に、ぽやんとした頭のまま五人は動けずに居た。しかしすぐに頭を切り替えることになる。
幾重にも重なりまるでオーケストラのような翼の音。正体は言うまでも無い、マーコアニス達だ。




