進化 エボットvsビシェイル
バシフォードは大欠伸をした。呆気のない結末に納得できない心を誤魔化すように。
もう一度次の浮島へジャンプする。落下しないように確実に狙い定めて。
着地した島の端っこで、さっきまで戦っていた少年は眠っている。恐らく気絶だろうが、もう楽しい喧嘩ができないことは間違いない。
すでにバシフォードはヌンチャクを腰の袋に仕舞っている。
これだけ神軍に抗ってしまったのだ、幽閉か死刑か、どれにせよ彼らの望まない方向に進む事は間違いない。
なぜだか少し寂しく感じながら、バシフォードは少年の元へと歩く。
(けっ、また退屈地獄かよ)
この後から続くであろう鬱々とした退屈な日々を想像しながら、バシフォードはポケットから手錠を取り出す。
さっきまでと同じように一歩を踏み出そうとした瞬間、バシフォードの肌に何かがビリビリ突き刺さった。
リラックスしていた体を、警戒心を使い支配する。腰を沈ませ、瞬時に動ける体制を作った。
バシフォードも戦い慣れている。肌に刺さった感覚が何か、すぐに察しはついた。
(殺気……!? 気絶してなかったのか!?)
魔力で強化した拳で綺麗に叩き込んだ。
戦闘中の感覚から死にはしないだろうと感じていたが、気絶くらいまでは追い込めるだろうと思っていた。
だがまさか気絶もしていないとは、流石に予想外だ。
「おい、起きろ」
意識してドスを効かせる。低く、それこそ地面に転がる少年のそばを這い回るような声を出した。
声に反応するように、少年は上半身を起こした。あまりにびっくりしてしまい、バシフォードは目を大きく見開き、ぬるい汗を流してしまった。
少年、エボット・ケントンは真顔だった。怒りも憎しみも、喜びや悲しみすらも感じさせない。ただ張り付いているだけのような顔だ。
「お前、どうして気絶しなかった?」
「さあ? たまたまじゃね?」
エボットは煽るような言い方をした。わかっているくせにわざとらしくて、バシフォードは若干腹が立ってしまった。
立ち上がるエボットを、バシフォードは一挙一動に至るまで観察する。カケラ程も情報を逃さぬようまるでカメレオンのように眼球を動かす。
血と砂、土で汚れている服、肌には傷がびっしりついて痛々しく、拳を叩き込んだ箇所なんかはさらにボロボロだ。立ち上がれる事自体が奇跡に近いはずなのに、なぜ目の前の少年が立ち上がれているのか。精神論以外に思いつかなかった。
(こいつ……どうして)
疑問は尽きないが、結局戦う以外に選択肢は無い。
仕舞っていたヌンチャクを素早く取り出す。武器の槍はさっき破壊した。リーチでもテクでも、間違いなくバシフォードが勝っていた。
そう、この瞬間までは。
魔力で強化した拳を喰らった時、エボットは朝サグとやった修行を思い出していた。
テンションが上がりすぎて、いつの間にかお互い拳に魔力を宿していた。
では同じ魔力を宿した状態だったのに、肉体を強化しているバシフォードと出来ていない自分たちの違いはなんなのか。
それはやはり、決定的なイメージ力の差だ。
魔力が自分に何を齎すのか、それをはっきりイメージできないことには魔力は魔法になり得ない。
『エボット、オメーは冷たさに囚われすぎてる、ただ冷たいだけの拳じゃ何も生まれん』
ディオブに小島で告げられたあの言葉が、脳内で今こだました。
(そうだな……あの時食器洗いさせたのもそうだろ?)
水と氷は近しい関係にある。だからさせたのかもしれない。今になって、ようやくなんとなくわかってきた。
掌に魔力を集中させる。力を集めて、イメージを固める。
(氷は決して流れない! それでも、柔軟な力にして見せろ!!)
エボットの手から氷が生成された。そしてその場には似つかわしくない冷気と共に、形を作っていく。
バシフォードは止めなかった。自分が勝てると思っていたのもあるが、何よりも目の前で起こっている少年の成長を、上から叩き潰したくて仕方なかった。あの退屈地獄に戻る前に、最上級のカタルシスを味わいたかった。
口が裂けてしまいそうなほど、無意識にバシフォードの口角は上がった。
やがて冷気は収束され、一本の棒、いや剣になった。
「アイスブレード」
なんてベタなネーミングセンスか、どこか的外れな感想を自分の剣に抱いた。
バシフォードは魔法こそ使えないが相手の力を察知することに優れている。だからこそ感じた、あの剣は普通じゃないと。
「おんもっしれぇ!! ぶち砕いてやる!!」
ヌンチャクを振り回した、回転がそのまま自分の興奮だ。
風切音が小さな島に響く。
二人はまるで睨み合うガンマン。しかし違うのは、お互いの隙を狩ろうと隙のない視線を向けていることだ。
やがて、その時は来た。
一瞬エボットが剣を揺らす、その瞬間にバシフォードは走り出した。
一手遅れ、エボットは剣を自分の頭上に構える。
お互いの間合いに入った瞬間、エボットはバシフォードを袈裟斬りにするべく振り下ろす。
バシフォードは振り下ろされた剣に向けてヌンチャクを振った。
(どうせ素材は氷だろ!)
自分に当たる前に砕いてしまえば関係ない、間違いの無い理論だった。
そしてバシフォードの狙い通り、武器と武器がぶつかった。
(え?)
まるでガラスが砕けたときのような音が聞こえた。狙い通りだ。
しかしバシフォードは驚きを隠せなかった。
驚きの次に感じたのは自分の体が切られた痛み。肩から腰のすぐ上まで、大きな傷を作られていた。
あまりの痛みに立っていられず前に倒れ込む。スローモーションの視界で見えたのは、エボットの握る赤色の付いた綺麗な氷の剣だった。
剣には血以外ひび割れも汚れもなかった。
瞬間、バシフォードは全てを察した。
(そうか……あんだけ氷を脆く感じたのはわざとだったのか!)
(氷を脆くし、砕かれ通り抜けてから再生する、それがあの剣か!!)
全てを理解して自分の完全敗北を察した。
ミスがあるとすれば、自分の欲を優先し、狩れる相手を狩らなかった。それだけだ。
さっきよりも優しく口角をあげて、地面に倒れ込んだ。衝撃で体から流れた血が飛んで広がった。
勝利したエボットは、自分の剣を眺めていた。
「ほんと……魔法ってのは全部が生きるんだな……」
他人事のように呟いた。まさかこんな経験が生きるとは思ってなかったからだ。
剣を氷のように固くするのではなく、壊れた瞬間に再生させる。この発想に至ったのは、ディオブに命令された食器洗いが元だ。
あの時流れる水道の水を手で横切った。すると一本の線のように流れていた水は、一瞬だけ切れて、再び一本の線のようになった。
なんのこともない光景、当たり前の事。何度も見てきて、その度気にしなかった事だ。
自分が完成させた魔法に満足しながら、痛いと叫ぶ体の声をいい加減に聞いてやることにした。
「ああ゛〜!しんどっ!」
大の字になって寝転ぶ。
流石に無防備すぎるのですぐに移動しようと思うが、今だけ、あと五分間だけ、寝ることにした。
だがそんな甘えは、自然界では許されない。




