逃走
「同胞よ!その愚か者を捕えろ!」
ビシェイルがそれっぽい言葉遣いで命じる。イリエルの背後に立つ兵士が肩を掴んだ、恐怖に顔は歪み、対照的に島民たちの顔は喜びに変わっていく。恨むべき相手はマーコアニスなのに、対照がすっかりイリエルに変わってしまっている。
軋むほどに歯を噛み締める、しかし今の自分では何をすることもできない。どうやっても現状を変える力がなかった。
「三人とも、できるだけ路地を走ってドックに戻れ」
腕を組んで静観していたディオブが言った。低く怒気を孕んだ恐ろしい声だ。
「ディオブ?」
「いいから行け」
これ以上言う事はない、向けられた目はそう言っていた。
三人で一度顔を合わせてから、大きく一度うなづく。そして後ろを向いて走り出した。路地から路地へ、大通りへ出ないように工夫しながら、港にあるドックへと向かう。
「……俺は理不尽が……大嫌いなんだよ」
地面に跡が残るほど強く蹴って、暗い路地から明るい地獄へ飛び出した。
目の前でイリエルの肩を掴む名も知らない神軍の男をぶん殴る。殴られた男は、まるでペットボトルロケットのように弾かれて、そのまま建物へと突っ込んだ。誰もが時間が止まったかのように動けず、言葉を発することもできない。壇上の神軍たちは別だ、驚くべき事態に動揺せず、唐突に訪れた事態を正しく理解していた。
「ストル、彼を知っているな」
「ああ、ディオブ・テンベルタム、神軍が定める”冒険者”だ」
「だからなんだよ!その冒険者って!」
イリエルを視線から背中で隠しながら吠えた。
「冒険者は神軍において最大の犯罪者の呼び方だ、”冒涜”と”危険”の略語でね」
ビシェイルの説明に、島民たちが目の前の男に恐怖を抱いた。そして後ろへ後ろへ、人の波が寄っていった。そんな島民たちにディオブはイラつきが隠せない。しかしそんなことに時間をとっている場合でもなかった。
「やっと意味が知れたぜ、ありがとよ」
「どういたしまして、ついでに君の身柄も、捕らえておこうか?」
軽い口調だったが、目は真剣そのものだ。兵士として戦ってきた男の覇気を感じる。だがディオブもまた強い、そんな覇気に恐れはしない。ニヤッと笑って煽って見せる。
「やだね、バーカ」
手のひらに音がなるほど拳を叩きつけて、一瞬だけ集中する。
「ブラックミスト!!」
叫びと同時に拳を開き、真っ黒い煙を周囲に撒き散らす。島民たちも神軍たちも視界を塞がれ、煙を吸い込んでしまった者は息苦しさに咳き込んだ。
「くっ」
ビシェイルが掌に魔力を集中させた、小さな竜巻のようなものが手に起こる。
「行けぇ!」
掌から放たれたミニ竜巻は、一気に広がって、全体を包んだ黒い煙を吹き飛ばした。煙が晴れた場所には、もう追うべき二人はいなかった。残っているのは同胞たちと、苦しみ咳き込む人たち、それを心配し寄り添う島民たちだけだ。わかりやすい作戦とも言えない事象だったが、見事にしてやられた状況になってしまった。
「……」
しかしビシェイルには一点の動揺もない。ただ起こった事実を事実として受け止め、次のことを考えている。
(邪魔が入る可能性があるか)
「隊長」
「ブラックミストは闇属性では有名な技だ、人体に被害は無い、我々はすぐに作戦を決行に移す、ストルとカフォは準備を進めてくれ」
「了解」
ビシェイルの指示を受けて、バシフォードとティトルの二人が港へ向かう。
壇上から降りて、苦しむ島民たちの真ん中を抜けて港へ歩く。咳き込み苦しむ島民の一人が、救いを求めて空を見上げた。偶然、ビシェイルの顔が見えたのだが、彼が後に語った話では、その時、全く表情が無かったのに、恐ろしいほどの怒りを感じたという。




