怒りの濁流、その矛先
「もう九時五十五分、とりあえず間に合ったか……」
大通りに神軍たちがスピーチするための台が置かれていた、それを中心にして人々がわらわらと集まり、神軍から何が告げられるのか、今か今かと待っている。
イリエルも群衆の中に入ろうとしたのだが、ディオブが神軍の顔をあまり見たくないと言ったので、見えにくい暗めの路地に隠れて見ることにした。
(本当はディオブがいることがバレないようにするため)
イリエルはあまり納得していないようだったが、群衆の中ではさらに疲れる、というと素直に下がった。
「来たぞ!」
群衆の中の誰かがそう言った。誰もが向いている方向からは、あの黒をベースとした礼服のような見覚えのある軍服、三人纏まってズカズカと歩いてくる。
男二人と女の三人だった、それぞれが武器を持ち、物々しい雰囲気を隠しもしない。
「あれ上司か?」
「ええ全員ね、真ん中のがホウド・ビシェイル隊長、ナイフや剣を持ってるのがストル・バシフォード副隊長、隣の銃を持った女性がカフォ・ティトルさん」
目の前の神軍をじっと見る。戦闘経験はあまりないが、目の前の三人が自分たち三人よりも強いことはよくわかる。ディオブはどうかわからないが、流石に三対一の状況なら勝てないだろう。
神軍に道を開けたというよりは、持っている武器を怖がって群衆が二つに割れた。生まれた道を堂々と歩いてゆっくり壇上に上がる、ある種の余裕感さえ漂ってくるが、市民を守る神軍がなぜ街で武器を持っているのか、そこに対する疑問が尽きない。民衆を警戒させるだけのはずなのに、スピーチの場でなぜそれを持っているのか不思議だった。
壇上で懐から書状らしきものを取り出した。喉を一度鳴らして、調子を整えてから話し始めた。
「あ〜エストリテの皆様、本日は晴天に恵まれ、絶好の日となりましたことを喜ばしく思います、今日という日を神も祝福くださっていることでしょう」
「昨日、我々の仲間があの浮島へと調査へ行き、あの鳥たちの実態を掴むことに成功いたしました」
騒がしくなってきた。思ったよりも早く確信へ迫る話に、民衆も動揺を隠せない。
スピーチを壁にしがみついて見守るイリエルは、背中を見てもわかるほどに緊張していた。自分の調査結果をもとに、今後の動きが決まるのだ、緊張も仕方ないだろう。
「結果として」
いよいよだ。この場にいる誰もが、うるさく鳴る心臓を、次の言葉を聞き逃さないために黙らせる。
「鳥たちはあの浮島に住み着いたことが判明いたしました」
「この結果を受け、我々神軍は本日中に対照生物の駆逐を発表いたします」
民衆が歓喜に沸き立つ、所々から「やったあ!!」「これで誰も死なずに済む!」「やっと野菜を育てられるんだね…!」などの言葉が聞こえてくる。中には泣き崩れ、裏返った声もあった。
反対に裏路地の五人の空気は冷え切っていた。あまりに自分たちが確認していた事実と違う。視線がイリエルに集まるが、イリエルの呆然とした表情から何も知らないことは察せた。
「何……それ」
呆然としながら、こぼれ落ちたような言葉だった。
フラフラと導かれるように大通へと出た、しかし誰も気づかない、当然だ。視線は全て真反対の神軍たちへと向いている。
「ちょお……」
サグたちにすら聞こえない声で、ポツリ呟いた。群衆の歓喜にイリエルの絶望は潰される。しかしこれじゃ終われなかった、歯を砕けそうなほどに噛み締めて、拳を血が出るほど握りしめて、吹っ飛ばないように足に力を込めて叫ぶ。
「ビシェイル隊長!!!!!」
イリエルの叫び声が喜びの歓声をかき消した。視線が一斉にイリエルに注がれる、視線は疑問一色ではなかった、経験の浅いサグではうまく形容できないような、渦巻くような悪意を感じた。歓声の輪を乱された怒りなのだろうか、考えてみるが結局答えは出ない。
気づいているのかいないのか、イリエルは向けられた視線を全く気にすることなく、怒り一色の顔をビシェイルへ向ける。
「隊長!!マーコアニスの駆逐には反対です!!もうすぐ鳥は飛び立ちます!それを待つべきです!!」
イリエルは自分の主張をぶつけた、昨日行った内容とほぼ変わらないがそれで十分だと確信していたからだ。しかしこちらへ向けられるビシェイルの目は、異常なほど冷たかった。ゾッとする嫌な感覚がイリエルの背中を駆け抜ける、本能的な直感が”逃げろ”と叫ぶが、足が金縛りにでもあったかのようにガチガチだ、後ろへ倒れようとすることすらできない。
「誰だね?君は」
サグもテリンもエボットもディオブも、言われたイリエル自身も、はっきり聞こえていたのに耳を疑った。幻聴だと五人全員が思った。しかし記憶は正しかったようだ、続ける言葉が不快なことに、それを証明した。
「神軍の人間でも無いのに、我らの任に口を出すな」
「!!私は」
「その白衣は?」
イリエルの反論をピシャリと封殺した。民衆の目はさらに疑惑に染まった、イリエルの服は白衣で、確かに一般に知られる神軍のあの黒服とは違う。しかしそれはイリエルが生物研究班の所属だからだ、立派に神軍に所属する人間の一人なのだ。
だが民衆の目は恐ろしいほど冷たい、せっかく纏まった解決策に邪魔が入ってしまったからだ。バレないように民衆の方を見つめる。
「!!!」
目を大きく見開いてしまった、視線の先にいたのは最初この島に来た日に食事をした店の二人、看板娘に店主のお父さんだった。二人とも全く暖かさを感じない恐ろしい目つきでイリエルを睨んでいる。そして同時にサグは理解した。それほどにこの島、エストリテに訪れた絶望感は大きかったのだ。やっと与えられた希望に水を刺された、それがどれだけ島民たちにとって不快なことか、やっと理解できたのだ。
そしてさらにもう一つのことを理解した。それはビシェイルの顔を見た時だ。わずかに、しかし確実に口角が上がってニヤついているように見えた。わかっていたのだ。島民たちの絶望も、自分が言ったことにイリエルがどういう反応をするのかも。全て分かった上でやっている、そのすべてが隠しきれず顔に現れていた。
「島民がどれだけ苦しい日々に喘ぎ、耐え忍んできたか!それを知らず無責任な発言を!そしてその発言は、あの恐ろしい天空生物に立ち向かうという!我らの勇気への愚弄にもあたるぞ!!」
ビシェイルの叫びに同調し、島民たちも「そうだ!」「黙れよ!」と怒りの声を上げる。イリエルはたじろぎ、やっと石のようだった足で何歩か後ろに下がることができた。下がった先で、背中を何か硬いものにぶつけてしまう。黒い服を着た集団、神軍の兵士たちだ。
「島民たちよ!皆の恐怖を侮辱したあやつを!許していいのか!?」
ビシェイルが島民たちを煽る。島民たちの意思は一つだった。
「私の夫は農作業中に殺された!」
写真、いや遺影を握りしめる老婆が言った。
「俺の畑は奴らが荒らし!金が作れなかったせいで病気の息子は死んだ!」
子供服を抱きしめる中年の男が叫んだ。
「野菜が無いせいで島同士の交易はめちゃくちゃだ……この島がもとに戻ることも無い……!!!」
メガネの男性が悔しそうに言った。握った拳から血が流れた。
怒り、悲しみ、殺意、憎悪、恐怖によって蓋をされていたあらゆる負の感情が、神軍という矛とビシェイルという先導者を得たことで一気に解き放たれた。そして感情の向かう先は、わかりやすく悪役となってしまったイリエルだ。普段肌では感じることのできない感情だが、こうも強く多いと話は変わってくる。グサグサなんて優しい表現では足りないだろう、当事者のイリエルはどれだけに晒されているのか、全く想像がつかない。
「同胞よ!その愚か者を捕えろ!」




