修行(喧嘩)
「やろうぜ?朝の運動だ」
エボットが好戦的な表情をした。こういうエボットの血気盛んなところは少しだけ呆れてしまう、けど物足りないトレーニングをしていたところだったので、助かったのも確かだ。
それっぽくカッコつけてお互いに構えを取る。目を合わせて、なんとなく雰囲気でタイミングを推し量る。
風が一度頬を撫でた瞬間が合図だった。二人で駆け出して、拳を突き出した。昨日と違って明るいので相手の動きがちゃんと見える。
拳と拳がぶつかった、ジンジン痛かったが、それでもと蹴りを繰り出した。エボットは後ろに飛び退いた、そのせいで繰り出した蹴りは空を切る。体制が崩れたことを、エボットはしっかり見切っていた。足を完全に振り切った、一番無防備なタイミングで攻撃を仕掛ける。
(やべ!)
急いで体を回転させるが、隙としては大きすぎた。急いで走り寄って、体の柔らかさを生かし大きく足を振り上げる。未だ背中を見せた状態のサグに、全力のかかと落としを叩き込もうとする。しかしサグも負けてはいない。蹴りの勢いのまま、軸足で地面を蹴ってクルリと一回転した。高く上がっている足にサグの回転蹴りが命中し、エボットのかかと落としは地面を抉った。
かなり良いタイミングと、エボットの想像以上の威力のついた蹴りだっただけに、外してしまったストレスは普段の比にならない。
「かわすなよ」
思いっきり不快そうな顔をしたエボットに、してやったりの笑顔で答える。
「ざまあ」
言いながらも、チラリと地面を見てしまった。地面はエボットのかかと蹴りの軌道のままに抉られ、二、三センチ凹んでいた。あんなものが当たっていたらと思うと、ゾッとしてしまう。朝でまだ寒いはずなのに、僅かな汗が頬を伝った。
(そんな威力の技やるなよ!)
元々エボットは父親の船に乗って、荷運びを手伝っていた。実際に見たわけじゃないが、本人から聞いたところによると、相手が不快にならないように急いで、重い荷物を、早く運ばなくてはならなかったらしい。つまり力仕事に慣れていて筋力が三人の中で一番高く、そもそも天性の体の柔らかさがあった。毎回ハイタッチでは痛い思いをさせられてきたし、喧嘩した時に毎度泣かされて良い思いをした事がない。
((やだなあ、こいつの相手))
二人の考えが重なった。トレーニングとはいえ、やり合うのを嫌がっているのはお互い様だった。
エボットから見れば、サグは天才の類だった。島にいた頃は、ちょっと年上の子供からおとぎ話の人物の子孫として、バカにされてしまっていた。それが嫌で嫌で仕方なくて、サグは自分から喧嘩を挑んだことも少なくなかった。
エボットにとって何よりも驚きだったのは、おとなしそうなサグの見た目とは裏腹に、年上の体の大きな相手に勝ってしまっていたことだった。細身で、エボットのように明らかな原因のなかったサグがなぜ強かったのか、不思議で悔しくて、ずっと一緒にいながらサグの観察をしてきた。結果わかったのは、何もしていないという事実だけだった。要するにサグはただ単に喧嘩が上手なのだ。隙や急所を狙い、時として作戦を使い、時として相手を利用して、喧嘩に勝利するやり方を、天性でわかっていた。
今この旅の中でも、それは全く変わっていない。最初逃げ延びた島の夜、あの神軍を倒す作戦を思いつき、一番危険な囮という役回りをやってのけた。そして鉱山での戦いでは三人で挑んでもボコボコにしてきたヘリオを殺すための作戦を、一瞬で立てて実行してみせた。今まで平和な島にいたとは思えないほどの大胆さと容赦のなさは、ただ天才としか言いようがないだろう。
(だから……負けたくない)
みっともないと自分でも思うが、知力でも才能でも敵わないのならば、何か一つでも勝ちたい。それだけだった。
「いくぞサグ!」
「おう」
走り出した。今度は握り拳に力を込める、腕にも力を入れて、走りの勢いを拳に乗せる。
(やばい!)
サグも油断はしない、エボットの本気度を見抜き、腕を十字に組んでガードを作る。そしてすぐにちょうど腕がクロスしている場所に拳が叩き込まれた。
叩き込まれた時に分かったが、あまりに集中しすぎて魔力が集まっていたらしい。腕がまるで雪に触れたように冷たかった。
一瞬両足が地面を離れ、浮遊感があった。少しだけ後ろへ飛んで着地するが、思ったよりも飛んでしまってバランスを後ろに崩す。ふらついたところに更にエボットの追撃だ。
「ニャロ!!」
腹筋と両足の筋肉を全力で使って頭突きを繰り出す。よくわからなかったが眉間あたりに当たったらしく、眉毛辺りを押さえながらフラフラとしていた。その隙に体制を整えて反撃に出る。
「オラっ!」
「ぐっ!」
よろめいている間に、警戒できていなかった腹あたりに拳を入れる。綺麗に拳が入り、エボットは想像以上の痛みを味わった。
サグを狙うべく顔を向けるが、その瞬間に頬に拳を叩き込んで無理やり顔の向きを変えさせた。拳の勢いのまま体を捻って、掌と拳を合わせて肘を胸の辺りに突き出す。当たって後ろに下がるが、サグの攻撃した感覚には、拭いきれない違和感があった。
「お前……読んで後ろに飛び退いたな?」
サグのニヤついているが、少しだけ腹立たしい感情を込めた目に、エボットは非常に元気な笑顔で応えた。
「飛び退くやり方と体制制御はお前の得意技だろよ、フィジカルモンスター」
正直、あの肘を突き出した時、”完全に決めてやった!”という感覚があった。それだけにエボットのドヤ顔は腹が立つ。
「まだまだいくぞ!」
「オーケー!」
今度は殴り合いと掴み合い、拳を交わしぶつけ合い、体を掴んで狙い撃つ。側から見れば完全に喧嘩だが、二人からすればトレーニングでしか無い。まるでアクション小説のような展開に、二人の男の子の心が激しく刺激されてしまった。白熱し、撃ち合いそのものが勢いを増す。
サグは完全にエボットの顔を狙った。それこそが、エボットの待っていた一撃だとも知らずに。
(来た!昨日試した動きは……)
エボットはサグの拳を読み切り、首を曲げて拳を回避する。その時、エボットも、サグも気づかなかったが、サグが興奮していたせいで魔力が漏れ出し、拳に集まって雷属性の攻撃性が発現していた。拳は魔力で光っていたのだが、お互いしか見えていなかった上に、朝の光で見えにくく雷の閃光は気づかない間にエボットの頬を切った。傷そのものは深くないが鋭かった、ほんの僅かな血が頬を伝う。しかしエボットは痛みそのものを感じていない、アドレナリンに隠されて、ひたすらサグにだけ集中している。
(ここだ!)
サグの拳と同じ方の手で手首を捕まえる、こちら側へと思い切り引っ張って、口の前で曲げておいた腕を、思いっきり振る。位置は完璧、タイミングも、顎をとらえた拳が、クリーンヒットすると思っていた。だがサグは、完全に反射で拳を捕まえていた。
「マジかお前!」
「当たり前じゃん……!昨日練習してた技でしょ!」
つくづく目の前の親友が天才であると理解させられる。悔しいが、それでもやり抜こうと腕に力を入れる。エボットの変化に気づいたサグも、全力で腕に力を入れた。目が合った瞬間、二人は同じ行動に出た。グン!と後ろに頭をやって、思いっきり前へと突き出す。頭突き勝負。
「ラア!!」
「オラア!!」
「はいそこまで」




