感謝の価値
工場ではすでにテーブルの準備がされていた。料理と人が並べるほどの大きなテーブルに人数分ぴったりの椅子、そしてテーブルには大量のサンドイッチにおにぎり、野菜ばっかりのサラダが二種類に大量のよく知らない魚の刺身、極め付けはこれまた大量のローストビーフだ。自分たち含めてこの場には15人いるが、それでも食べ切れるか怪しいほどの量だ。
「びっくりしたでしょ?流石に今日は多いですが、これくらいの量はみんな食べちゃうんですよ」
「へっへえ〜……」
流石に呆気に取られてしまった。さすがは小さいとはいえ船を作り、整備するドックの食事だ。量が普通と比べ物にならない。
「紹介しましょう、彼女がこのドックの料理担当、ヘイゼル・ダスポウです」
「ヘイゼルです、どうも」
筋肉、という印象は全く無い。田舎の端っこで、休日のよく晴れた日に近所の子供達のためにクッキーを焼いている優しいおばあちゃん。そんな印象だった。少し長いが、そんな印象だった。
というよりも、サグには一つだけ引っかかった部分があった。
「イーオートさんもダスポウじゃ?」
「ああ、私は婿養子なんですよ」
「私はこのドックの代表、アーリオ・ダスポウの妻です」
納得した。というよりも、今初めてあの親方の名前を知った、アーリオというらしい。
「一晩お世話になります」
「いいえ、おかげさまで今日は気合が入ってしまいましたわ」
優しい笑顔で言ってくれた。優しくされすぎて、若干の罪悪感さえもある。しかし、ここはわずかな罪悪感をぐっと飲み込んで、美味しく食べさせてもらうことにした。突然、テリンにトエリコが抱きついてきた。
「どうしたの?」
不思議に思って聞いてみるが、トエリコは少しだけ恥ずかしそうにもじもじするだけで何も言わない。困った顔でサグやエボットを見つめるが、二人とも全くもって何も心当たりが無く、手と首を横に振ることしかできない。
「一緒に食べたいんだってさ!」
後ろからイーオートの妻、セイルが現れてトエリコの頭をワシワシと強めに撫でた。側から見ていると強すぎでは無いかと、少しだけドキドキしてしまったが、日常茶飯事のようで照れた表情のまま頭を左右に揺らされていた。
どうやら年の近しい女の子であるテリンに甘えたいようだったが、弟の手前うまく表現できなかったらしい。そんな姿がとても可愛く見えて、テリンはトエリコを強く強く抱きしめた。
「いいよ〜!!一緒に食べよう!!」
ひどく照れくさそうな顔をしていたが、悪い顔ではなかった。
「おう……メシ……か」
「ディオブ!?どうしたの!?」
なぜかディオブは面白いほどに疲れた顔をしていた、対照的に遊び相手をしていたイーグの顔は満足気だ。話を聞いてみると、どうやらイーグは相当なわんぱく坊主だったらしく、危険だと言っても作業中の船に近づいて行ったり、どれだけ遊んでも走り回っても疲れ知らずだったりで相手を心配しながら遊ぶという初体験の状況に異常なほど体力を使ってしまったそうだ。故郷にいた頃、似た感覚をしたことがあったのでディオブの気持ちはよ〜くわかった。だからこそ、肩に手を置いて苦笑いという形で答えた。
「ほら君たち!食べるぞ!」
親方の娘さん、旦那であるイーオートから聞いた名はセイルだったか。セイルに呼ばれて、それぞれ席につく。
席に着く前から四人以外は全員すでに座っていて、待たせてしまっていたようだった。
「すみません、待たせてしまって」
「いいんだよ!ただ食事ってものはみんな座ってから食べるものだからね!!」
声は大きく強いが、言葉には優しさがあった。
自然と全員が手を合わせる。
『いただきます!』
揃って挨拶をしてから食べ始める。
食事はどれも美味かった。昨日の昼食でも感じたことだが、この島エストリテはとにかく野菜が美味い。この島で育てた野菜が食べられないのは残念だったが、正直島民では無い自分たちからすれば、満足のいく味だった。
野菜だけでなく他の料理も相当美味しい、特にサンドイッチなんて最高だ。マスタードのさりげない刺激がちょうど良く、具材のバランスも良いおかげで食べ進めても形が崩れず最後までストレスなく食べ切る事ができる。
チラリと隣の方を見てみれば、島民であるドックの人間には物足りないようで、他の料理はともかく、サラダを食べた時なんて明らかなほどの不満感が表情に滲み出ていた。親方であるアーリオも不満そうだった。少しの間見ているだけだったつもりだったが、視線を感じてしまったのか、アーリオもこちらを見てきて目線が合ってしまった。
(やべ)
素早く視線を逸らす。しかし完全に目が合ったことは間違いない。横目でアーリオを見ると、やはりまだこちらを見ていた。おにぎりを一口食べてから、ゆっくり噛んで飲み込んで、重々しく口を開いた。
「そこの空色の髪の子供……」
アーリオが突然話し出したことで、話し声や食器の音であちこちから音がしていた食事の場が一気に静かになった。
「はい?」
「肘、怪我でもしたのか? 腕の動きが変だぞ」
確かに。今日サグは浮島に行く時の急上昇と急降下が原因で肘をぶつけてしまっていた。大騒ぎするほどではなかったが、腕を動かすと多少痛い程度の感覚だった。
「ああ……はい、今日ちょっとぶつけてしまって」
「……浮島に行った時か」
一気にサグに視線が集まった。正確には四人全員を見ようとして視線が集まったのだろう。アーリオを見る視界の端っこに、テリンに抱かれながら見上げているとエリコの姿が見えた。
視線からは悪意は感じなかった。しかし警戒心や驚き、わずかな疑いの感情も混じっていたように思う。嘘をつくことも考えたが、アーリオがいる以上、下手な嘘をつけば話が面倒な方向に拗れるのは間違いなかった。
「はい、神軍に協力するために」
「そうか、だからあの小さなボートを取りに来たのか」
エボットの事だ。
サグには見えなかったが、エボットは強くうなづいた。
「なぜ神軍に協力した?」
「なぜ……と言われると…街で、野菜を育てられず苦しんでいるから、としか」
サグの答えは真実だった。実際、昨日あの食堂であのお姉さんに会っていなければ、イリエルに誘われたとしてもわざわざ危険を犯そうとはしなかっただろう。
怪しく聞こえてしまったのか疑いの目線でしばらく睨まれていたが、嘘でないとわかったのか、すっと視線を逸らした。
「この島は最近……最悪の雰囲気に包まれている」
「エストリテじゃ珍しく畑をやってねえ俺たちにゃあまり関係無いが、一番の産業だった野菜被害と動物被害による人の死で、島はダメダメの状況に追い込まれちまった」
「お義父さん」
少しだけ咎めるようにイーオートが言ったが、それ以上は何も言えなかった。何一つとして間違っていないのだ仕方ない。
「挙句……その問題を片付けるために神軍に頼み、なけなしの金を使い依頼してももだもだと長引くばかり」
ポツリ、ポツリ、アーリオは虚しそうに呟く。酒の入ったコップを、側から見ても分かるほど力を込めて握る。
「その神軍がお前たち子供を頼り、島民は何もできていない……」
「なんと情けないことか……」
なんとも言えないほどに、虚しそうで、恨めしそうな言葉だった。大人たちの表情が暗く沈んでいく、子供たちは対照的に少しだけ戸惑っているようだった。
「もうすぐ、この島は平和になりますよ?」
サグはあの浮島で見たものを、イリエルの考察を交えて話した。話の中で、大人たちは何も言わなかったが、よく考えながら聞いている様子だった。
話し終えたのに、誰も口を開かなかった。空気が重く伸し掛かるかのようだった。
「そうか」
ポツリと呟かれた、アーリオの一言にも見た無いほど小さく重い言葉、誰も反応することができなかった。
「しかし……島が元に戻ることは無いだろう……」
「えっ!?」
「儂等島民は、思い知らされたんだよ……このエストリテが……今まで胡座をかき続けていたということをな」
喋っているアーリオは俯いて表情がよく見えなかったが、そのすぐ正面のイーオートの表情はよくわかった。アーリオの意見を表情から肯定していたのだ。
アーリオが顎をしゃくった。どうやらイーオートに残りの話を全て任せる気らしい、イーオートの肩が大きく跳ねたから、意図したところは伝わっているのだろう。
「野菜一つに頼りすぎたんですよ、だから野菜が育てられなくなった瞬間、この島はガタガタになってしまった」
「言葉に出さずとも、島をわかっている大人ならばこの事実を感じているはずです」
「新しく何かを始め、一つがダメでももう一つを生かし島を守る、この島は変わらなければならないのでしょう」
イーオートの言葉は、恐らく正しい。島の運営管理などしたことはないが、このまま野菜という気候などに左右されるものに頼っていては島が続かない。その事実の正しさは、サグにもよく理解できた。
「そしてその結果を神軍が正しいとするならば、明日確実に何かが起こるでしょう」
「明日……ですか?」
イーオートが言った言葉は、ほぼ確定しているように聞こえて、しかも内容も追われる身であるサグたちからすれば、聞き逃せるものでは無い。
「今、島では神軍たちに対する、不満の感情が高まっています、そして神軍は不満を持たれていることも、理由もはっきりわかっています……」
「だからこそ、”自分たちは仕事を果たした!”とアピールする必要があるんですよ」
「なぜです?」
言わんとしていることはエボット以外はよく理解できている、しかし神軍の情報は少しでもよく知っておきたい。
「神軍の活動資金は、各島から提供される金なんですよ」
「そうやって金を納める島を警備の範囲に加えて、犯罪者の拿捕や治安維持を、時として今回のような特例の案件があればさらに金を貰い案件の解決に努めるんです」
「金を払う理由は神軍の働きに対する信頼、”この人たちなら自分たちを守ってくれる”と」
「ですが、神軍の働きが信頼に値しなければ、島は金を払うことをやめてしまう、治安は多少荒れますが、自分たちで島を守れるほどの力を持った島ならば大丈夫なんです」
「力を持った島?」
「それこそ、”魔法”とかね」
魔法というものは、自分たちが思っているよりもだいぶメジャーな存在だったらしい。そして同時に、自分たちがどれだけ常識から遠ざかっているかをまた理解してしまった。
「そうなると活動そのものが立ち行かなくなる、一度失敗したことは成功よりも声高に伝わり、後から目立つものです」
「だから……アピールをする必要があると……」
「その通りです、まず間違い無く、明日、何かが起こる」
重苦しい空気が食卓を包んだ。
ダンッ、アーリオが勢いよくグラスをテーブルに置いた。
「とにかくだ、俺が言いてえのは」
まっすぐサグを指差した。プレッシャーから少し体を後ろにひかせてしまった。
「ありがとうだ」
一瞬、ものすごく気が抜けた。肩に乗っていた錘が一瞬で消えたような感覚だ。
「お前たち若いのが行動してくれた、その事実に俺ら島民は感謝しなければならん」
「明日何が起ころうとも、お前たちが……イリエルとかいう神軍の若いのを含め、島のため必死になってくれたことを、少なくとも俺らは忘れんよ」
そうだ、ありがとう、自分たちを見る大人たちから、次々にそんな言葉が飛んでくる。大人たちの目線は、とても暖かかった。正直サグからすれば、今日の行動はイリエルに振り回されていただけの側面もある。しかし、島のことに同情し、そのために行動したのも事実だった。そんな自分が、どうしようもなく誇らしく感じた。他人から褒められている、それだけの事実が、どこまでも偉大に感じた。だけれど、そんな感情が少しだけ恥ずかしくて、後頭部を引っ掻いて「ども…」と少しだけつぶやいて答えてみせた。
ちら…と正面を見ると、テリンもそんな表情をしていた。多分エボットもディオブも、照れているのだろう。特にテリンは大変だろう、なぜなら膝に乗っているトエリコが、自分を見上げて目を合わせて、ありがとうと連呼してくるからだ。
今日の夕食は、なぜかいつもよりも美味かった。だって周りの人たちが褒めてくれて、認めてくれる。人の為に頑張ってよかったと、心の底から、思えてよかった。




