新たなる謎
ドックに入ると、すでに船のマストは外されていた。何人かの作業員が乗り込んで機械や船の装備をいじっているようだ。現に若い見習いらしい作業員があっちにレンチを運ぶと次はこっちに釘の入った箱を運ぶ。錨には三人ほどの作業員がいて、レンチでボルトを外している。
「おかえり!」
元気のいい声がする。声をかけてくれたのはかなりガタイの良い女性だった、見える肌の筋肉量はディオブに迫るほどで、重そうな工具の大量に入った木箱を楽そうに抱えていた。
しかし、サグとエボットにはこんな一度見たら忘れることのないであろう女性から”おかえり”と言われるような記憶は無い。一瞬だけ、ポカンとして放心してしまった。そんな二人の様子を察したのか、テリンが二人にぽそっと囁く。
「あのお爺さんの、娘さん!」
確かに言われてみれば、あのノコギリを向けてきたお爺さんと少しばかり顔が似ている。
娘さんは囁かれてから納得したように変わった二人の表情を見て、かっかっかっと大きな声で笑った。
「あのジジイと私は似てるだろ?」
「えっ」
「あ〜っとぉ!えと!」
否定するべきなのか肯定するべきなのか、できるだけ失礼でないのがどちらなのか悩む。そのせいで面白いほど挙動不審になってしまった。そんな様子を見てまたカラカラと笑った。
「すまないね、こんな筋肉と顔が似てるもんで色々よく言われるんだよ」
サグの頭をワシワシと撫でた。腕に見合った筋肉質でゴツゴツした手だった、それもパワー自体が中々だったためにサグの頭があっちこっちに揺れる。
「今日は部屋を貸してあげるよ、今旦那と子供達が部屋を整えてくれてるはずさ、も少ししたら飯も出すからね」
「あっありがとうございます!何から何まで」
あまりに至れり尽くせりな状況に、思わずサグは90度の礼をした、中々見ないほどの綺麗な角度だ。それに合わせて三人も礼をした、サグに比べてバラバラで綺麗では無かったが、十分感謝の意思は伝わる。
「良いんだよ、こんな若いのに船に乗って旅なんて大したもんだ」
船を見つめながら呟く。声や表情から、本当に感心してくれていることが伝わってくる。殺伐とした状況が多かった今までだけに、純粋な関心は本当に心地の良い感覚だった。
「ありがとうございます」
少しだけ顔を赤くしながら言った。娘さんは優しく微笑みを返してくれた。
「それに、今日は大仕事が終わったもんで暇だったんだよ」
「大仕事……ですか?」
気のせいかも知れなかったが、”大仕事”と言った時に、なぜか娘さんの表情が大きく歪んだように見えた。本当に疲れたって感じの顔だった。
「ああ、神軍の船の修理をね」
無意識に指が、表情筋が少しだけ動いてしまったのがわかった。それだけ聞き逃せる名前では無いと言うことだ。しかし今はイリエルのおかげか、ほんの少しだけ印象が柔らかい。
おそらく思っている以上に様子が変わってしまって居ただろうが、娘さんが偶然下を向いて居てくれたおかげでその変化がバレずに済んだらしい。頑張って表情筋を支配して、機転を効かせ誤魔化す言葉を考える。
「それは大変でしたね」
「ああ、しかも神軍の奴ら、内部に入り込んでの修理を拒否しやがったんだ」
「え?」
「何か機密書類があるとかで入っちゃいけないと言われちまってねぇ、船底はともかく、真ん中あたりに受けたダメージもわざわざハシゴかけて修理したのよ」
語ってから、娘さんはまた大きくため息を吐いた。
いくら神軍では無い者に見せられない書類があったとしても、そんな聞いただけで大変だとわかる作業をこなさせるとは。船の修理は船そのものが常に浮いているため、最悪”淵”の向こう側までも落ちてしまう可能性がある。つまり修理の場所によっては普通と比べ物にならないほどの危険が伴う作業なのだ。
「ひでぇな、死ぬ可能性もあるじゃねえか」
船に一番詳しいエボットは顔をひくつかせていた。旅の途中、何度かエボットが船の面倒を見ているところを見ている、メンテナンスの大変さを分かっているエボットだからこそ、より強く共感しているのだろう。
「おい!この子達部屋に案内してやりな!」
「へいお嬢!」
一番若いであろう作業員に、吠えるかのように指示を出した。さっきまでの優しい雰囲気とは全く違う声に、少しだけびびってしまう。
「ちょっと待て!」
「親方?」
案内しようとした作業員を止めたのは、昨日島に来たばかりの時に自分たちを出迎えたお爺さんだ。どうやらこのドックの親方だったらしい。年寄りらしい嗄れた声だったが、そこには確かな覇気があった。
親方は工場の端っこでちょいちょいと四人を手招きした。若い作業員と一度顔を見合わせてしまう、作業員にも全く心当たりはないらしく、勢いよく横に首を振った。仕方ないので僅かに緊張しながら親方が座っている場所へと向かった。
「すまんな……休もうとしているところを……」
「いえ、大丈夫です」
ファーストコンタクトのインパクトが凄すぎて、わずかにビビっている心を隠しきれない。
横に置かれている工具用の箱をゴソゴソ漁った。そして何やら古めかしい小さな木箱を取り出した。大して立派にも見えないありきたりな木箱だ。
「これ……なんだか分かるか?」
四人ともじっとそれを見つめるが、全く見たことのない箱だった。四人がほぼ同時に首を横に振ると、親方は「そうだろうな」と最初からわかっていたように呟いた。
「一日、船の調査のために預かったろ」
「はい」
「実はな、あのマストは船のバランスを保つのに、全く必要のないものだとわかった」
「えっ!?」
それでは昨日言っていた話と矛盾する。つまりあのマストはなんの意味もないものだったということになるからだ。
「不思議に思ってな……取り外したマストを分解してみたんだ、そしてこれを見つけた」
木箱を優しく撫でる。
「しかしだ、この箱はいくらやっても開かなかった、ペンチで殴ろうと、バールで引っ掛けようと、また単純な力だろうと開くことはなかった」
「そこの筋肉、やってみろ」
お爺さんはディオブに木箱を放り投げた。驚きつつもそれを丁寧に受け取り、とりあえず蓋に指をかけてぐっと力を込める。
「んっ……あれ?」
見る限り相当な力が入っている様子だったが、箱には全く変化が見られない。投げ渡された状態と同じままだった。
「通常ではありえん硬さだ……それ以外にも、あの船は不思議だ」
「?」
「お前ら、あの船に違和感を感じたことはないか?」
言われてから、船をもう一度見る。島を出てからずっと住居としても役立ってもらっていた船だが、エボット以外が船に詳しく無く、古い船だし…ということで大抵の疑問点は飲み込んでしまっていた。エボットも魔法修行やスピードボートの改造やらで、船そのものに注目する暇がなかったらしい。
これらを説明すると、とても呆れた表情を、わざわざ大袈裟なアクション付きでされてしまった。しかし何も言い返せない。自分たちも逆の立場ならすると思うからだ。
「まずだ、あの船の接岸方法は非常に古い、それこそ各島に港が整ってなかった時代の接岸法だ」
「しかし、あの船のシステム、特に自動航行システムは近代に開発されたもんだ、それこそ、あの接岸法がメジャーだった時代とは1000年近く時代が離れている」
そう言って親方はもう一度船をジロリと見た。明らかにおかしいものを見るような、疑っているような目線だ。
「何もかもが常識とは違う……異質な船だ、よくここまで来れたな」
改めて、自分たちの旅が非常に綱渡りだったことを自覚した。旅を始めてからの期間が非常に短いとはいえ、船そのものにいる時死ぬ可能性だってあったのだ。空の移動中に巨大生物に襲われなかったのが言葉で表せないほどの幸運だったらしい。
「今語ったことを聞いても……まだこの船に乗りたいか?」
言ったその目は、今まで見たことがないほどに真剣な目だった。全く根拠の無い、サグ個人の推測になるが、長年船というものに携わってきた職人として、これ以上不安定で怪しさ満点の船に乗っていくことを許せないのだと思う。そしてこの推測は当たっている。それ以外に理由が思い当たらないのだから、当たっている。
あまりの眼力に、一瞬だけ固まってしまうが、それでもこれ以上の答えがなかったので、さっさと返答する。
「乗って行きますよ、この船しかないんでね」
自然にサグの顔が綻んだ。現実的な話、最近の立派な船を買って旅を続けられるほど、今自分たちは資金を持っていない。それにこの船と出会ってからの時間は短いが、すでに愛着のような感情が生まれてしまっている。そこもあって、今この船を手放す気にはなれないのだ。
サグの表情が嘘でないと見抜いたのか、親方の表情が一瞬だけ厳しいものから柔らかく変わった気がした。そして次に、他の三人に目を向ける。
「お前たちは」
ジロリと睨まれて一瞬だけ戸惑いを見せるが、三人の態度はしっかりとしたものがあった。
「サグに同じくです」
「ま〜俺らにはこの船しかねえしな」
「俺は後から船に乗った、これでいいなら同意するさ」
三人の答えを受けて、少しだけ難しい表情をした。何かまずいことを言ってしまったのだろうか、内心ドキドキするが、すぐに難しい顔をやめて大きな、そう大きなため息を吐いた。
「仕方ねえんだろうな……これ以上の答えもねえだろ……」
ポツリと聞こえないほどの声で何かを呟き、呆れ顔で頭を引っ掻きながら立ち上がった。
「わかった!あの船!明日明後日にゃあしっかり改造してやるよ!」
老人とは思えない気合の入った声で、はっきりと工場中に響く声量で宣言した。
「お前らのその歳で旅してる根性に、こっちも答えてやるよ」
四人組の間を割って、作業へと確かな足取りで戻っていった。その背中は、老人とは思えないほどの大きさと頼もしさを持っていた。あれが長く仕事に携わってきた職人の背中というものなのだろうか。少しだけ、胸が熱くなったのを感じた。
「あ〜……話、終わったっすかね」
案内するはずだった若い作業員が気まずそうに話しかけてきて、こちらも申し訳ない気持ちになってしまった。




