伝説の存在
すぐそことはいえ、浮島までは10kmほどある。それまでの数分でとりあえずの侵入ルートを検討した。
「あの浮島は小さすぎてあんまり利用はされてなかったみたい」
イリエルがボストンバッグから浮島のマップを取り出した。俯瞰図になっていて、大体の地形と盛り上がっている部分が把握できる。島は真ん中が窪んでいる地形と、それを囲むように円形に山になっている、そこからわずかに足場がある程度だ。恐らくマーコアニス達が巣を作っているなら、真ん中の窪んだ場所だろう。
スピードボートの操縦室は甲板や正面をガラスで見渡せる作りになっていて、普段操縦している船よりは明らかにやりやすいようだった。
しかし今回は普段の状況とは違い、マーコアニスからの妨害が考えられた。だから指示を出せるようにと、イリエルが神軍の通信用に使われる小型通信機をエボットに渡してあった。
「ルートは検討したが……作戦はどうするんだ?」
「大丈夫考えてあるから」
「近づいてって、神軍の船みたいに撃墜される可能性は?」
サグが一番の懸念点を口にした。船底をやられたという話がある、心配になるのも当然だ。
「だからスピードボートよ」
普通の船と違いスピードボートは非常に小さい。だから出せる速度が比べ物にならないほど速いらしい。
それにマーコアニスの巨体とパワーを考えると、一部を攻撃されるなんて半端な事態は無く、沈められるか生き残るかの二択だそうだ。
「っておい!事前に話しとけよ!」
「あはは!断られると思って!」
ディオブが大声で叫ぶが、イリエルはヘラヘラと笑ってみせた。発進してしまった以上、もう引き返す事はできない。サグとテリンは操縦室でこの話を知ることがないエボットをある意味羨ましく思った。
浮島に近づけば近づくほど土しかないことがよくわかった。さっきまで自分たちが居たエストリテとはえらい違いだ。浮島の周りには周囲をいくつかのさらに小さな浮島が浮いていて、ジャンプで届くような距離の島もあれば、足場として利用できないほど小さなものもあった。
「近くにあるはずなのに、どうしてここまで違うんだろうね」
「さあ?」
テリンとサグには想像のつかない話だ。
島まで残り一キロといったところで、島から小さな鳥が飛び立ったのが見えた。双眼鏡を覗くと、見たことのある緑を基調とした毛色。
「マーコアニスだ!」
サグが全体に叫ぶ。ディオブとテリンが意味は無いだろうが、一応戦闘体制を取った。
マーコアニスは船に近づくとすぐに巨大化した。ものすごい速度でこちらに迫ってくる。強靭な足と爪を見た時、さっきのキツネを屠った光景を思い出してしまった。
「エボット!急速上昇!」
イリエルが通信機に向かって叫んだ。スピードボートはほぼ直角に上を向く、サグたちも吹っ飛ばされそうになるが、甲板の縁や船室の壁に体を支えて飛ばないように踏ん張った。あまりの勢いに、サグは右腕の肘を思いっきり甲板にぶつけてしまった。
マーコアニスもスピードボートを追って上昇した、二つの飛行物体は太陽を目指して急速に飛ぶ。
「降下!」
かなりの鋭角で空高くから島を目指して降下する。正面にマーコアニスが見えた。表情は流石にわからないが驚いてるのではないだろうか、必死そうな鳴き声を発していたのだから。
イリエルは手を離して、坂を超えた角度を持つ甲板を駆け降りた。そして目の前にいるマーコアニス向けてジャンプをする。風と恐怖で正確には見えなかったが、薄目の向こうに見えた気がした。
「イリエル!」
叫んだ声は風の音に遮られて自分の耳にもあまり聞こえなかった。
頭を下に、イリエルは落ちていく。手を前に出して、魔力を集中させる。
「ごめんね!」
イリエルの掌から、衝撃波の様なものが発射された。見えなかったが、サグの肌が良波の様なものを感じていた。
もろに受けてしまったマーコアニスは、そのまま力無く島へと自由落下した。イリエルも羽に捕まりながら一緒に落下していく。船も同じ速度で落下するが、こっちはまだ制御が効いた。エボットが全力で制御し、船体を持ち上げる。
「うわああああ!!!!」
体にかなりのGを感じていた、角度のせいで全く見えないが、最後に見た光景と時間から地面が近い事はわかっている。
一瞬だけ、体がふわっと浮かんだ感覚がした。船は想像していたよりも優しく、考えていたよりも荒々しく着陸した。ガリガリとうるさく地面を削りながら島の端っこに止まった。
体に響く振動が止んだ時、ポカンとしてしまって動けなかった。だがけたたましく船室の扉が開いたことで、ようやく正気を取り戻す。
「大丈夫だったか?」
現れたエボットも相当疲れているようだった。当然だ、あんな荒々しい操縦などやったことがなかっただろう。テリンもディオブもフラフラしていたが見る限りどこにも怪我は無い。とりあえず大丈夫そうで安心した。
「イリエルは?」
立ち上がって、甲板の上から周りを見回してみるが見当たらない。
一応これまでの流れは全て作戦通りだったが、あまりに負担のかかりすぎる作戦だったために、結局マーコアニスがどこに落下したのか見ていなかった。
とりあえず四人纏まって島に降り立つ。さっきまで緑に溢れた島に居ただけに、今土色しかないこの場に立っていること自体が何か不気味で仕方ない。恐怖に心を駆られながらも、とりあえず山を登る。坂になっているが、簡単に登れる程度の斜度だ。ものの10分もせずに頂上に辿り着いた。
山だったのだが、中は空洞で、巨大クレーターのような構造になっていた。
「イリエル!」
山の自分たちが登ってきたのと反対側にイリエルが立っていた。どうやらマーコアニスと共に反対側に落ちたらしい。声をかけると、人差し指を口の前に置いて「静かに!」と指示を出した。反対の人差し指で穴を指すので覗き込むと、少しだけ驚いてしまった。
中の空間では、到底生き物とは思えない紫のブヨブヨの醜い生物が、小さな鳥達、マーコアニスから野菜や植物を食べさせてもらっているようだった。
「あれって……何……?」
テリンがポツリとつぶやいた。確かに、あんな生物見た事がない。脂肪のせいで区切りが難しいが、頭部や歯は馬のように見えた。体毛は見える限り一切無く、足や手…いや四足歩行だろうか、部位も見えるには見えるが、とかく脂肪が多すぎる、どう考えてもあれでは動けない。羽も短く羽の少ない醜いものが背にある。正直見ているだけで人によっては不快感を催してしまいそうな見た目だ。
「天空生物、スカイストム」
いつの間にかそばに来ていたイリエルが神妙に言う。
「何!?実在したのか!?」
ディオブが大袈裟なほど驚いているが、三人は顔を合わせて疑問顔だ。全く聞いた事がないのだから。
「そのスカイストムって?」
静かに聞いた。するとイリエルが楽しそうに話し始める。
”スカイストム”
古くからおとぎ話の中に登場する空想上の生物。
その姿はどのお話でも美しき天馬として語られ、出会ったものに幸福の虹を見せるという。
話を聞いてから、三人はじぃい〜っと紫の塊を見つめる。しかしどうにも話と現実にギャップがありすぎる、目の前のブヨブヨが語られた美しき天馬にはどうにも思えなかった。
「初めてみるが……ああも伝承と違うものか?」
「私も見るのは二回目」
声は落ち着いているが、顔にはわずかに汗が伝っていた。頬は紅潮して目は面白いほど見開かれている。明らかにテンションがあがっていた。
「あのスカイストムは幼体なのよ」
「幼体?」
「ええ、スカイストムは幼体の頃、ああやって異常なほどの脂肪と栄養を溜め込むの」
穴に手を掛けて深く深く覗き込む。誘われるかのように四人も同じ体制を取った。
「溜め込んだ脂肪と栄養が多ければ多いほど、美しくそしてどこまでもタフに、スカイストムは飛んで行く」
あまりにうっとりとした口調で語るものだから、その美しさが気になってしまう。好奇心を刺激される、「知らないものだから知りたい」あの夜そう言った自分が、「気にならないのか?」と語りかけてくる。心のワクワクを抑えきれない。
テリンとエボットも同じ心をしているようだ。鏡がないからはっきりとはわからないが、きっと自分も二人と同じキラキラした笑顔をしているのだろう。
「だが、他種族のマーコアニスが、スカイストムの幼体を育てるなんて事があるのか?」
「あると思うわ……現に目の前にあるし……何より見ててわかった」
「マーコアニスは渡りの途中だったのよ」
「渡り?」
神妙かつ興奮した口調で呟いた。口に手を置いているせいで見えにくかったが、わずかに覗く口は明らかにニヤついている。
「ええ、この空間には一切巣作りの形跡が無いわ、二ヶ月も前なのにね、ということは居着く気がないということ。」
「多分だけど、渡りの途中この島で偶然スカイストムを発見したのね……それで居着いて成長するまで面倒を……」
ポツポツと聞こえる声で呟く間にも、マーコアニスたちは山のように積み上がった野菜を与え続けている。その光景はどこか優しく見えた、まるで母が自分の子に食事をさせる風景のようだ。イリエルの考察が見せた幻覚かも知れなかったが、自分のこの感覚を信じたかった。
後方から、パタパタと必死に羽ばたく音が聞こえた。普段なら気にも留めないが、状況が状況だけに恐る恐る振り返ると、そこにいたのは小さなマーコアニス、イリエルと出会った時に遭遇した幼体だ。
「あっ……!」
「バカ!」
驚いて叫びそうになるが、咄嗟にエボットがサグの口を塞いだ。ドッドッと強く心臓は鳴るが声を出さずに済んだ。しかし目の前の幼体には関係無い、可愛らしく小首を傾げながらぴょんぴょんと寄ってくる。
(鳴くな!)
(鳴くんじゃねえ!)
(鳴かないで!)
(鳴かないでくれ!)
(鳴きませんように!)
全員の心が一致した。しかしそんな願いが強すぎたのか、はたまた見すぎたのか。一瞬の沈黙の後、目の前の小鳥は盛大に鳴き出した。




