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果てなき空で”果て”を目指す物語  作者: 琉 莉翔
鳥と人 エストリテ編
34/304

奇特な女性

 さっきの街から少し離れた森へ来た。青々とした森の中で改めて思う、今日が晴れで本当に良かった。影と木漏れ日のコントラストがここまで美しい日もそうは無い。時折覗く木の根っこも、どれもこれも屈強で、頭を置くにはちょうど良い。


(ここが良い)


 できるだけ地面が草のカーペットで隠れている場所を選んだ、ちょうどよく日光が優しく当たる嬉しい場所だった。

 足を組んで手を組んで、頭を根っこに置く。日光が適度に体に当たって、自分でも恐ろしくなるほどのベストポジションだった。ポカポカとした陽気に当てられて、すぐに眠くなってきてしまった。いけないと思って片目を開ける。緑の葉っぱは太陽光に照らされて、緑の光のように見える。


(おっ)


 ふと膝に目をやると、そこにはスズメほどの大きさの緑の毛色に青色の筋が入った鳥が、ぴょんぴょんと、両足で跳ねていた。穏やかな今の心には、そんな様子がいつも以上に可愛らしく映る。なんとなく指先を鳥の方にやった。少しだけ警戒していたようだったが、敵意がないと察したのか、少しだけ尖った嘴を指に当てている。なんとも言えないその光景に、また少しだけ笑ってしまう。

 突然地面が少しだけ震え、低い音がする。ドドドドドドドという音は、こちらへとどんどん迫ってくる。

 鳥が逃げてしまわないように、むくりとゆっくり起き上がる。首を曲げて音のする方を見ると、見たことない白衣の女の子がこちらに向かってものすごい勢いで走ってきている。無駄に走るポーズが綺麗なのが余計に恐ろしい。


「わああああ!!!」


 流石にびっくりしてしまって大声で叫んだ。鳥は驚いて空へと飛び立っていった。


「あああああああああ!!」

「えええええええええ!?」


 こちらに走ってきた女の子は飛んでいった鳥を見ながら叫ぶ。それにもまた驚いてサグも叫んでしまう。叫びが森を包んだ。


「なんで叫んだの!!」

「走ってくるからだよ!!」


 真っ赤にして怒っている表情で叫んでくる。しかしサグからしても冗談ではない。穏やかだったあの時はどこへやら、喉など気にせずにひたすら叫んでしまっている。

 走ってきたせいで疲れているようで、胸に手を当てて何度か大きく息をした。落ち着いてすぐに、こちらに向かってまっすぐ人差し指を向けた。


「いい!?あなたが逃したのは!あのマーコアニスの幼体なのよ!!」

「マーコ……アニス?」


 内容からあの鳥の話だとわかったが、あまりに聞き馴染みのない名前に疑問符を浮かべてしまう。


「えっと、初めて聞いた」

「……そっか、そうよね、最近名付けられたんだもんね」


 落ち着いた女の子は、どかっとサグの隣に座った。


「ごめんごめん、暴走しちゃった」

「大丈夫」

「そ、名前は?」


 こういう初めて会った人間から、名前は?と聞かれた時、偽名を考えておいて良かったと改めて思う。


「サグ、サグ・スウィト」

「へ〜あたしはイリエル、イリエル・トントークよ」


 イリエルは両手で体を支えて天を仰いだ。喉から濁った音が漏れ出てきていて、明らかに不満そうだ。苛立った様子で頭をガリガリと、荒く引っ掻いている。


「ほんっと……テンション上げすぎて惜しいことした」

「えと……何が惜しいんですか?」


 まずい、そう思っても惜しい。言葉を認識した瞬間、キラキラした目でこちらを見てくる。さっきのお姉さんと全く同じ、聞いてほしかった反応だ。

 鳥の飛び去っていった方向を指で指した。


「あの鳥はね、この島で野菜被害を起こしてるマーコアニスっていう天空生物なの!」

「えっ」


 今度はまた違った驚きを味わった。さっき自分の膝の上で跳ねていた鳥が、この島で死亡事件さえ起こしていた鳥だったらしい。そう考えると少しだけゾッとする。自分がその死亡事件の被害者になっていたかもしれなかったのだ。

 だが冷静になってみると、明らかにおかしい点が思い浮かんだ。


「でもあの鳥、巨大化しなかったけど」

「そりゃそうよ、あの鳥はすずめサイズだったでしょ?」

「うん」

「つまりあの鳥は幼体なのよ」

「へ〜」

「へ〜じゃない!!!」


 また急に叫び出した。何度繰り返すのか、びっくりしてしまって目を見開く。


「大発見よ!今まで確認されていない幼体のマーコアニス!捕まえたい!」

「でも確認されてなかったのに……同じ種類だってわかるの?」

「それは大丈夫、一週間前にこの島の生息種類は全部確認したから」


 電流が走ったような感覚がした。いやもっと早く気づくべきだったのだ。島の住民が鳥に怯えているこの状況で、イリエルの行動がおかしいことに。そして、最近生態を全種確認したという言葉。結論は簡単だった。


「イリエルは……神軍なの?」


 動揺して声がおかしかったと、自分でも思う。だが精一杯絞り出した言葉だった。

 イリエルは少しだけ驚いていた。


「よくわかったね」

「そりゃね」

「でもあんたもこの島の人じゃないでしょ」


 ドキリ、心臓が強く鳴った。魔力を手に集められるように、体の中に集中しておく。だけど、表情に出さないように、極めて冷静かつ、落ち着いて。


「どうしてわかったの?」

「だって森に入ってるもん、みんな怖がって森になんて入らないよ?」


 綺麗な白い歯を見せながら笑った。同時にサグは安心した。どうやら自分が”ウィスト”であるとバレていないようだ。

 イリエルはぴょんと立ち上がった。そして何歩かフラフラと歩き、空を見る。


「サグ……って言ったわよね」

「うん」

「明日ここであの幼体探し手伝ってよ」

「えっ!?」


 急な話に、思わずまた叫んでしまった。


「なんで!」

「だってあなたが逃したんでしょ?」

「それは君が走ってくるから!」

「あ〜あ〜!あの幼体がいれば!この島からマーコアニスを追い出すきっかけになったかもなのにな!」


 何か刃のようなものが、サグの胸に突き刺さった。懐に忍ばせている自分のナイフよりも、ずっと鋭くて痛い。


「あの幼体がいればな!美味しい野菜も!住民たちの無念も!これから起こるかも知れない事件も!全部解決できたかもなのに!」


 わかっているのだろう。確実に胸に刺さる嫌な言い方をしてくる。実際、刃が心臓に刺さる感覚がする。

 食事をした店のお姉さんの態度と、町で聞いた不満と苦しみの声が相まって、さらに刃が心を抉ってくる。


「わかったよ……」


 口角を上げて、口を横に広げて、ピエロ宛らにニンマリと笑った。


「決まり!明日の十時にここに集合!」


 そう言って手を振りながら、森の向こうへと歩いていってしまった。

 嵐のように現れて過ぎ去った存在に、何をできることもなく、ただ後頭部を掻くだけだった。




 明るい森の中、イリエルはスキップで鼻歌まじりに歩いていた。ここまで上機嫌なのは、今日ほぼ初めて同年代の人間と接したからだ。しかも、少女の最近では珍しいほど対等に。まるでこのまだら模様の日光が、舞台上の自分という主役を照らすスポットライトのように感じる。眩く心地良いこの舞台で、まるでバレエダンサーのように手を広げ、優雅に一回転してみる。

 しかしそんな心地よさも、一度やめねばならない事態になってしまった。突如森の光が当たらない場所から、大きな体躯の猪が現れた。もはや草食獣でなく、猛獣と呼ぶべきその体躯と荒々しい牙。毛皮は逆立ち、獅子の立て髪を思わせる。


「へえすごい!天空猪(エア・ボア)特有の四本牙じゃないってことは!」


 イリエルは両手の指を合わせてカメラを作った。レンズに当たる部分から何度も何度も方向を変えて、指を組み替えて猪を覗き込む。


「君はこの島の野菜で異常成長した通常の猪なんだね!」


 イリエルはさっきと違った意味で大興奮していた。しかし興奮しているのは猪も同じ、口の隙間から涎を地面に垂らしている。飢えたケダモノの目は、真っ直ぐにイリエルを捉えている。

 イリエルは、自分が餌として見られている事を、よくわかっていた。だからこそ、その考察を確かなものにするために、顎に手を当てた。


「ふむ……あたしを餌として見てる?じゃ肉食?な訳ないよね、あまりの栄養素で独自進化を短期間で果たしたかも知れない……けど……メモメモ!」


 懐から小さいメモ帳を取り出した。ページをめくって考察を全てメモしようと必死に筆を走らせる。

 だが自然界において、それは絶対的な隙になる。猪は抉れるほど地面を強く蹴った。走り出す準備をしているのだ。目の前の獲物を喰らわんと、さらに目をぎらつかせる。


「あ〜待って待って、今ちょっと書いてるとこだから」


 イリエルは一切動揺していない。変わらずマイペースに筆を走らせ続ける。

 猪はついに走り出した。牙を突き出して、目の前の霊長類の心臓を貫こうとする。


「待ってってば」


 イリエルがペンを握る方の指を一本猪に向けた。すると猪の動きはぴたりと止まる。自分の意思とは別に、ぴたりと止まってしまった体を不思議がり、キョロキョロと自分の周囲を忙しなく見渡す。

 指を上に向けると、今度は体が空へと浮いた。地面を離れてしまった根源的な恐怖に、猪は焦ったような鳴き声をうるさく発する。ここで初めて、イリエルはメモから目を離した。


「ごめん集中できないからお口チャック!」


 ペンを持ったまま指を横に一を描くように動かした。すると猪の口は、接着されたかのように動かなくなった。鼻で息ができるから良かったが、自分の体が動かず支配されているという状況に、猪は困惑と恐怖を感じていた。


「おっけ〜、だいたい書いた」


 それだけ言うと、イリエルは指を引っ込めた。すると猪の体が解放されて、地面にぼとりと落ちた。やっと口が開き体の自由が効く。

 イリエルは目の前の猪に無造作に近づいた。目線を合わせるためにしゃがんだ。


「ありがとうね、だいたい新説と考えをまとめられたよ」

「でも……君は危険だから……」


 イリエルは掌を猪の頭に向けた。猪の目は、その不思議な手から離れなかった。


「バイバイ」


 最後に聞いた音だった。

 猪の巨体は吹っ飛び、水切りの如く何度か地面をバウンドした。そして頑丈な木に背を衝突させて死んだ。

 光景を全て見届けたイリエルは、無表情だった。


「ごめんね、これでも人を守るのが仕事……らしいから」


 それだけ言ってイリエルは森を去った。木漏れ日は、雲に覆われて薄くなっていった。

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