テーブルで問う言葉
良い匂いのする静かな船室の中で、イリエルは一人警戒を強めていた。
部屋を彩るテーブルもカップも、今自分が座っている柔らかい椅子も、全て賊には似合わない程高級そうな物だった。
イリエルが残った魔力を集める中、目の前に座るアリオットはいい匂いの原因である紅茶を、慣れた様子で優雅に飲んでいる。
イリエルはその光景を少しだけ憎らしく思いながら、自らの前にある紅茶を見つめた。
「飲まないのかい? 中々いい紅茶なんだがね」
「……あいにく、コーヒー党なのよ」
端正な顔立ちを存分に生かした爽やかな笑みに、イリエルは眉間に皺を寄せて返した。
それすらも想定内なのか、アリオットは喉の奥を鳴らし、下を向いて笑った。
「好みの違いは仕方ないね」
「…………」
どこかずれた感想に、イリエルはさらにイラつき、アリオットを睨みつけた。
顔を上げたアリオットは、睨みつけるイリエルを笑顔で見つめ、にんまりと口角を上げた。
「なぜ私をここに捕まえたの?」
「君が一番強かった事と、聞いてみたい事があったからね」
言いながらアリオットは再び紅茶を飲む。
どこか掴みどころの無い、お互いのピリついた空気に似合わない態度に、イリエルは苛立ちや不信感を隠せず、奇襲への警戒を強める。
そんなイリエルを察してか分からないが、アリオットは立ち上がり、ゆっくりイリエルへと近づく。
「ディオブは、成長しているかな?」
イリエルの座る椅子の背もたれを撫でながらそう言った。
まるで、というかそのままなのだが、弟の成長を心配する兄、弟子という言葉を除いてもそのままそんな雰囲気を持っている。
「ええ……成長しているわ……あなたの知る昔よりもずっとね……!」
イリエルの脳裏に浮かぶのは、エストリテでのディオブの覚醒だ。
人殺しを恐れ、中途半端な戦いしかできていなかったディオブが、たった一人の強敵との戦いを乗り越え、命を対等とする戦士に成長したあの日。今でも忘れない鮮烈な光景が、イリエルの脳裏には浮かんでいたのだ。
イリエルはアリオットどころかサグ達以上に付き合いが短いが、あれを成長と言わずしてなんというのか。イリエルにはそれ以外の言葉が無かった。
上目遣いに睨んできたイリエルに少しだけ意外な顔を返しながら、アリオットは上機嫌に笑った。
「はっはっはっ!! あの甘ったれも強くなったか!」
極めて上機嫌なその姿に、一切の嘘偽りは感じない。飢えた動物が目の前の食物に食らいつくのに同じ、むしろ本能的なものを感じた。
だからこそ、サグを仕留めた時の冷徹さと相まって、余計な不気味さを感じさせられた。
「いやぁ、ごめんごめん、弟弟子の成長が嬉しくてね」
「……あなたが気絶させた人よ?」
「武術じゃあままあることさ」
なにがままある事なのか、と怒りに塗れた愚痴を、イリエルは心の中で吐き捨てた。
「弟弟子の成長も嬉しい事だが、それ以上に興味があるのが君さイリエル君」
「……?」
アリオットは次の言葉を発さず、ゆるりゆるりと周りを歩き、正面からイリエルの顔を見つめた。その表情はなぜか、これからイタズラをする楽しそうな笑顔だった。
「君、イリエル・トントークって名前……本当かい?」
「!!」
イリエルは、小さく目を見開いてしまった。それが答えだ。
自分の疑問を確信したアリオットは小さく口角を上げた。
「ずっと不思議だったんだ、君は戦いの時、雰囲気をガラリと変える」
イリエルは自分の口の中を噛んでいた。悔しさ故というのもあったが、これ以上相手に情報を与えないようにというのが大きい。与える情報によっては、最悪の場合これからの戦いを左右する可能性がある。
「確かに、そういうタイプの戦士はいるさ、戦った事あるしね」
「けど、君の場合は若干違う、雰囲気を変える事によって戦闘スタイルそのものも大きく変わっていた、ゾッグとの戦闘がいい例だね」
その時、イリエルはすでに自分が多くの情報を与えてしまっていた事に気づいた。
戦闘を見られていたという事は、サグの魔法や得意属性に関する情報も与えてしまっている事になる。
自分の迂闊さ、そして甘さに苛立ち、さらに口内を強く噛んだ。
「イリエル……神軍の書類室で目にした名前だったけど……出身地は不明になっていた……」
「…………」
「君の後ろに隠れている物が……僕の予測通りなら……」
アリオットがゆっくりイリエルに手を伸ばす。
その時だ。
まるで爆発音の様な衝撃音が船内に響き渡った。
「なんだ?」
余裕の雰囲気を持っていたアリオットだったが、突然の事に流石に動揺してしまった。
「アリオットさん!」
ノアガリの一人が汗まみれになりながら部屋に入ってきた。
その姿はやはりというべきか、綺麗な調度品だらけの部屋には似合わなかった。
「どうした?」
「ガキどもが暴れています! 牢屋を壊して逃げ今は甲板で暴れて!」
「わかった、お前は先に向かえ」
アリオットの指示を受け、ノアガリはすぐに甲板へと向かった。
アリオットは少しだけ難しそうな顔をしながら、懐から手錠を取り出し、イリエルの手と椅子の手すりをつなげた。
「君が脱出し、牙を剥こうとかまわない」
「叩き潰してあげるよ」
怒気など一切そこには無い。ただそれだけの言葉。
しかしそれだけが、イリエルを威圧する。
アリオットは扉を閉じ出ていってしまった。
一人になった部屋で、一番触れられたくなかった場所に触れられたイリエルは、背もたれに背中を押しつけ、天井を見上げた。
「ハァ……」
手錠のかかって無い方の腕を額に乗せた。
ドッと押し寄せる疲れと記憶に、すぐに動かねばならない事はわかっているのに、体がドッと重くなっていた。




