行くべき先は”果て”
暗い森をまた船に向かって進む。三人と、一人で。
「まさか生きてるとはね〜」
テリンが意外そうに言った。なんと岩を顔面に食らってもなお、レイゴスは生きていた。どうするか少しだけ相談して、結局サグとエボットの二人で足を持って引きずってきている。
「んで……どうするよ、こいつ」
エボットの表情は厳しい、苦い物を食べた時と一緒だ
「どうって?」
「だってよ、顔、見られてんだぜ?」
テリンとエボットの表情は暗い。
いっそあの岩で死んでくれていたら、どれだけ楽だったか。
このまま生きていられても、自分たちからすれば相当困る。神軍に戻って、報告されて、結局また誰かが自分たちを狙ってくる。また昨日の夜のように、極限の心でいなければならなくなる。
かといって、この状態から殺すのもなかなか厳しい。
もちろん物理的にやるだけなら簡単だ、しかしどうして中々それができない。やろうとしても手が震えた。
「大丈夫、考えはある」
サグが極めて冷静に言った。暗いせいで、二人から顔は見えなかったが、声の自信からして名案らしい。
「まじか!?」
「何?」
「淵に落とす」
暗い顔が今度は驚きに染まる時だった。
淵、つまり島の下を覆っている雲海に落とすと言っているのだ。
淵には、強力な空中生物たちが住み着いていて、うまくそれを回避して雲を抜けた研究者がいたが、その研究者は謎の病によって死んだ。
つまり、淵に関われば、絶対に死ぬのだ。
テリンとエボットは正確に事態を理解させられた。目の前の親友は、「この男を殺す」と言っていると。
「都合よく気絶してるし、叫んで気づかれることもない」
告げるサグの声は、妙に冷静で、夜の闇がもたらす冷たさに拍車をかける。
そして、冷静な自分が脳内で問いかけてくる。目の前の男は、親友なのか?と。
「えっ……でもいいのかよ」
ずいぶんアバウトな質問だ、それはエボットも自覚している。しかし、その程度の雑な質問しか投げかけられなかった。
森を抜け、船のそばで崖っぷちに立つ。どんな島にいても淵は見える、サグは淵が少しだけ嫌いだった。なぜか飲み込まれそうな感覚がするからだ。
冷たい風が頬を撫でるそこで、サグは目を閉じ覚悟を固めた。
「……いいんだよ」
「テリン?」
小さくテリンが呟いた。
エボットはテリンの方を向いたが、下を向いているせいでその顔は見えない。
「だってこいつは! 島のみんなを殺したやつだ! だから私たちに殺されたって!」
テリンの悲痛な声が、鋭く耳に突き刺さった。
刃のように鼓膜に刺さったそれは、徐々に解け、エボットに僅かずつ熱を与える。怒りと興奮、正当化という熱を。
夜の闇に負けないそれに、エボットの体に徐々に力がこもっていく。興奮が体温を上げ、耳を赤くした。
興奮する二人は気づかなかったが、対照的に、サグはどんどんと冷めた目になっていく。
「そうだな……!!! 何も言えない、いや言わせない!」
「そうだ!」
「ダメだ!」
盛り上がる二人を黙らせたのは、サグの叫び。苛立ちと苦しみ混じりの吐きそうな声。
二人に宿った熱は、急に水をかけられたように収まっていく。
「聞いてただろ?こいつの言葉」
二人はサグの言葉でハッとした。
この男は、神の名を借りて殺しを許された気でいた。さっきまでの二人の言葉は、この男の最低な理論と同じだ。
「ダメだよ、この世界に、許される殺しを作っちゃ」
サグは崖っぷちでレイゴスをテディベアのように座らせる。足は崖に掛かって膝が曲がり、背中を押せば、あとは落ちていく。
サグがレイゴスの背中に手を当てた。
「このまま落とす、二人は見ないで」
大した苦しみも感じさせない声が、テリンとエボットの耳に入ってきた。
エボットがレイゴスの背中に手を当てた。
「エボット?」
「お前だけに背負わせない」
エボットが真っ直ぐサグを見つめた。否定の言葉すら受け付けない、意思の籠った強い目だ。
「そうだよ」
テリンも背中に手を置く。
「一緒に、生きていくんでしょ?」
「……ありがとう」
サグも手を置いた。
「セーの!」
土が擦れる音が、ほんの少しだけした。レイゴスは気絶したまま、淵に向かって自由落下していった。
三人は崖のそばに腰を下ろして、月を眺めていた。数分経ったが、誰も何も言えない。
「ねえ……」
テリンが口を開いた。少しだけ遠慮したような、弱々しい口調だ。体育座りの足の間に頭を埋めているせいで声がこもっている。
「なんで神軍は、オリアークの資料が欲しいのかな」
三人とも持っていた最初の疑問。不思議だったが、なぜか口に出すことができなかった。
「そりゃあ……”果て”に行きたいんじゃないか?」
エボットが頬を掻きながら言った。軽い口調だったが、月明かりで照らされた顔は暗い。
「オリアークは”果て”に行った唯一の人物だ、行きてえって思ったら、そいつを調べるしかないだろ」
「じゃあなんでサグのお父さんは資料を渡せないって言ったの?」
「そりゃあ……なんでだろうな……」
「そう言っただけで殺すなんて……神軍って……”果て”って一体なんなの?」
泣きそうになって声が上ずる。自分の気持ちを閉じ込めるかのように、テリンは足を抱きしめる手に、さらに力を込めた。
「行けばわかるんじゃない?」
真ん中に座るサグが言った。ずっと黙って月を見上げていた彼は、何か今までと違う目つきをしている。付き合いの長い二人は、その事実がよくわかった。
「行こう、僕……俺たちで」
サグは立ち上がって、月に手を伸ばす。掴めるわけでもないのに、ピンと腕を伸ばした。
「”果て”には、俺たちがたどり着く」
サグの空色の髪の毛が、月光に照らされて、美しく白銀に光る。少年たちの進む道は、今日この日決まったのだ。




