始まり
この世界には島が浮いている。いくつもいくつもたくさんの島が、青い空の中で浮いている。
この世界に名前は無い、ただ世界と呼ばれこの浮島たちが人の生きる土地なのだ。
一定以下の高度には分厚く白い雲が覆われている。これを人々は”淵”と呼んだ。つまり、こちらが世界であり、淵の向こう側は世界ではないとしたのだ。理由はたったひとつ、誰も知らないからだ。
淵の向こう側になんて誰も辿りついたことはない。誰かが行った記録など、処刑か事故でしか残っていない。雲の中や空の至る所には空中に適応した生物たちが住んでいる。巨大化し龍のようになったもの、小型化し集団で飛び回る翼をもったもの、四足でありながら飛んで逃げる捕食対象を捉えるために進化したもの、様々だ。
そんな世界のとある島、土地の一部では農家の人たちが稲作を行い米や野菜を作る。不足は他の島との交易で手に入れている。だが島だけでは足りないものもある、だから助け合って人々の生活は成り立っていた。当たり前のようにそれができる、ある意味理想的だ。
島にはある伝説、いやおとぎ話があった。伝説の冒険譚、オリアーク・ウィストの”果て”への旅。
誰も”果て”など知らないこの青い空の中で、どこかにある”果て”へと冒険したという物語だ。その道中や仲間たちとの掛け合いが面白おかしく語られているのだ。しかしこの話を知るものは島民たちしかいない。あまりにも非現実的すぎるのだ。
”世界に果てなどない”
それが今この世界での常識、常識を根底から覆すこの物語は誰も信じず、誰も語らず、長い時がたったこの時代では、オリアークの故郷であるこの島でしか語るものはいなくなってしまった。
「っていうのがオリアークの冒険譚の今でしょ? それがどうしたんだよテリン」
薄い水色、空色の髪をした少年が、真っ白な髪をした少女へと尋ねる。少女の名はテリン・イアムク、ワクワクした表情とサファイアの様に輝く目を少年へと向ける。
島の端っこで、木の根っこを枕に足組んで、青い空を見ながら過ごす。この時が少年は一番好きだった。そんな少年に毎日同じような話をするのが隣にいる少女テリンだった。
「わからないの!」
テリンはノートをバシバシと叩いて興奮した様子を見せる。少年は顔を逸らして耳を塞いだ、いつものことだから無視してしまおうと。
「これは素晴らしい物語なのよ! 世界を旅した少年の物語!」
「知ってるよ、この島で生活してんだもん」
「何よりもすごいのは! これが実在した人物の物語ってことよ! サグ・ウィスト!」
ここで少年はテリンの方へと顔を向けた、心底うざったそうな表情と一緒にだ。少年の名はサグ・ウィスト、伝説の人物オリアークの子孫である。
体を起こして頭を掻く。ショートというには少し長い髪が首に当たって少し痒かったのだ。
「けど、事実かどうかは分かってない、ただの創作でしょ」
「いいえ! そうとも言い切れない! だって実際にオリアークは旅に出たんだもの! これは変わらない事実!」
サグはぐっと押し黙ってしまう。サグの態度がすでに顔を真っ赤にして興奮するテリンにさらなる勢いを与えてしまった。
「いつも調べてるのよ! このノートに纏めてある! だから知っている! オリアークは実在した人物で! 実際に旅に出ている!」
「それは僕も知ってるよ、けどこの世界のどこに”果て”があるんだよ!」
「わからない! だけど! だからこそ! 行ってみたいんじゃない!」
いつものように感情論に落ち着いた話に、サグは大きくため息を吐く。
「もいいだろ? それよりそろそろエボットが帰ってくるはずだ、行こう」
ながされてしまった熱を表現するかのようにテリンは頬を大きく膨らませる。サグは横目でリスのごとく膨らんだ頬を見て優しく笑った。
島の端っこにいても、島そのものがあまり大きくない、目的の場所が離れていても20分あれば大体の場所には着いてしまう。
いつものように島の真ん中を通って港へ向かう。島の真ん中には島民全員が住むエリアがある、島民たちは規模としては小さいが一応街と呼称している。家々が並び一本の通りに商店が集中している。規模こそ小さいが極めていい街だ。
その通りの店の一つ、魚屋の店主が店の準備をしていた。魚と氷の詰まった箱を置いたとき、街を歩くサグとテリンに気づいた。
「よ〜サグ! 今日も魚買ってくか?」
「いや〜今日は肉だって母さん言ってたからさごめんおっちゃん」
「そーか〜まあしょうがねぇな! 次来た時に前手伝ってくれた分割り引いてやるよ!」
「本当! ありがとねおっちゃん!」
狭い島だ。島民のほとんどは顔見知りで話したことがある。街を歩いて誰かと話したり挨拶しない日など無い。テリンもそばを歩いた子供達と軽い挨拶をした。今度遊んであげるだとか遊んでだとか、いつも通りの小さな約束だ。
島の港とも呼ぶべき場所、そこには毎日毎日船が着いては空へと出ていく。今日もだ、またひとつ空を泳ぐ船が港に着いた。
空を泳ぐ船は現実世界でのスループ船と大差ない、違う点と言えば帆が無いことだろうか。昔は帆があるのが一般的だったそうだが、軽量化とエネルギーの効率化が成功したことで不必要になってしまったのだとか。船内では船を動かすエネルギーを使って灯りをつけたり機械を動かしたりするため、意外と生活や航行にも不便はしないそうだ。
船を動かすモーターをゆっくりと止めて島から伸びている桟橋のすぐそばへと停める、毎日やっているからか箸に触れること無くピッタリと平行に止める事に成功している。船の腹あたりが割れて倒れる、桟橋に落ちて階段となった。中からダン!ダン!と強く階段を踏み締め最後はジャンプ。一人の少年が降りて来た。
「帰ってきたぜ!」
太陽に向かって大きく両手を伸ばし、両足を大きく開脚し喜びを表現する少年。茶色の髪はセットしたのか外側にはねて少年の元気とマッチしている。
「おかえり、エボット」
桟橋をゆっくり歩きながら手をひらひらと振るサグ、後ろからテリンも嬉しそうに歩く。
少年の名はエボット・ケントン、自他共に認めるサグの親友だ。
二人を見つけたエボットは嬉しそうな顔をしながら走る、そして手をちょうどいい高さへと上げて。
「たっだいまぁ!」
思いっきりのハイタッチだ。パァンと銃声にも似た高い音が響くが、いつものことだ、誰も気にしない。サグは少しだけ表情を顰めた。
「ってぇ〜、エボットお前加減しろよ!」
「いいだろ!いつものことなんだからお前も受け止められるようになれって!」
「お前が加減しろって! 真っ赤だよ僕の手!」
いつものように少しだけ喧嘩、理由はいつだってくだらないしすぐに鎮火するお遊び以下の喧嘩だ。
そんなくだらないやり取りを止めるエボットの背中を、音がするほどに強く叩く中年の男。
「ほらエボット、話してないですぐに荷下ろしだ」
「へーい父さん」
エボットの父親だ。筋骨隆々って言葉が面白いほどに似合う男だ。
エボットは振り向いて船へと戻っていく。首だけ曲げて二人の方を向いた、二人も島に戻っていくところだ。
「お前ら〜! 荷下ろし終わったらいつもんとこな!」
「「お〜」」
気のぬけた返事をして二人は島の先ほどまでいたところへと戻る。島の端っこにある一本木の下、それがいつも三人で集まる定位置なのだ。大した時間もかからずにエボットも同じ場所にやってきた。
いつものようにくだらない話をする。今日行った島はどうだったとか、またテリンが同じ話をしただとかいつものようにくだらないことを並べる。それが自分でも理解できないほどに楽しくてしょうがない。少年たちは三人誰も何も言わずともその気持ちを共有できている。誰もがこういうだろう”なんて素晴らしい友情だ!!!”と。
日が傾き気温が少しばかり低くなってくる時間、少し空に雲がかかり、弱くなった日差しに気温も涼しくなって寝るには最適の時間になった。少年たちはいつの間にかまた木の根を枕にして眠ってしまっていた。
そんな時、サグが目を開いた。遠くの方でざわざわと騒がしい音が聞こえる。普段の島には無い騒がしさだ。少しだけ驚いて勢いよく起き上がってしまう。
「どうしたの?」
サグの勢いのせいで両隣にいた二人が眠い目をこすりながら起きがってくる。寝ていたせいで少し声に覇気がないがすぐに異常事態を感じ取った。
三人立ち上がって港の方を向く、妙な雰囲気が三人を包んだ。雲が掛かり晴れた空は薄暗く、薄黒くなっていく。
「行こう」
サグの言葉に二人も反応なく同意して走る。走っているためさっき港に行った時よりもすぐに着く。しかしその前に止まる事になった。街の通りにいつもとは違って人が溜まっていた、詰まって港への道を閉ざしている。その一番後ろの位置にはサグと同じ髪色をした女性が。
「母さん!」
その声に女性が振り向いた。
「サグ! テリンちゃん! エボットくん!」
サグの母親だった。
ロングヘアを振りながら話しかけたサグと、両側にいる二人のことを呼ぶ。
「どうしたのこれ! すごい人だよ!」
「何か港の方にすごく大きな船が来たみたいなの……」
語る母親の様子はひどく不安そうだ。
三人は顔を合わせて疑問符を浮かべる。次の質問はエボットが叫んだ。
「大きな船? そんだけで島民みんながこんなとこに集まってんのか!?」
「いや……それがなんだか船が異様らしいのよ?」
「異様?」
「そう……詳しくはわからないけど…島長たちが向かったようで……」
「おじいちゃんが!?」
三人の表情が困惑に歪んでゆく。島長であるテリンの祖父は基本的に島の管理を担当しているため、余程のことがなければ外の人間と話す事は無い。母も混乱しているようで話を聞いてもはっきりと分からずただ混乱だけを感じている。
「二人とも、こっち」
集団から離れた先でテリンが手招きした。街の外周をぐるりと回って港へといくつもりなのだ。二人も同意の意を首肯で示す。
普段であればたいして気にすることもないだろう、交易でちょっとした問題が起きてちょっと弾んでしまっただけ。その不安と乱れが伝播して街も混乱した。それだけの話だと思っていた、今もだ。
交易によって成り立っているこの島ならば公益のトラブル程度よくある話だ。ならばなぜここまで必死になって真相を確かめようとするのか、その大半は野次馬根性、そして動物的な危機察知能力としか言いようがない。
外周を回ったが、街も大きくなく、すぐに港にたどり着けた。すぐ側の大きな木の上に三人隠れて様子を見る。
「確かに……こりゃ異様だな」
「ああ……」
エボットの呟きにもうなづける。まずは船、普通は木造にできるだけ軽量化を図るべく余計なものはできる限り乗せないのが常識、しかしどうだあの見たこと無い船は、恐ろしいほど全体を鉄板で覆っている。つまりは装甲を固めているのだ。
さらにいくつか見えるのは砲門、大砲の筒がいくつか船の腹から突き出ている。どう見ても普通の商船ではない。
一つの島側に立っている集団には見覚えがある。島長であるテリンの祖父を中心に、島の有力者たち、力に自信のあるものたちが集合している。
対する集団は例の船に乗っていた集団のようだ、黒を基調とした礼服のような物に身を包み、各種剣や銃などの武装に鉄製の強固な鎧を腕と足に付けている。胴に来ていないのは何故だろうか、胸の辺りに大きく刻まれている円の中に鳩が舞っている様な紋章を隠さないためだろうか。
サグ、エボット、テリンの三人それぞれの父親も島の大人たちの中に確認し、さらに胸の中に不安が渦巻いた。
張り詰めた緊張感の最中、島長が一歩前に出た。
「ようこそ、このような田舎まで……我々はあなた方を歓迎いたします」
その言葉を受けて向こうの黒服の集団の中から一人が前に出た。男の武装は他の皆一緒の物とは違いいかにも特注といった様子だ、剣は他の所謂西洋刀とは違い日本刀で、銃は他と同じだが、腕と足の武装には胸にある紋章が薄く刻まれている。だが驚いたことにそんな男の見た目年齢は他に比べて若い、高く見積もっても二十前半、もしかしたら三人と同年代もあり得る。
「歓迎の言葉感謝する、我々は神軍第三特務部隊、私は部隊長カルモ・ティコラだ」
「ほお、神軍様ですか、聞いたことがありますよ、なんでも犯罪者たちを取り締まる者たちだとか」
「ああ、普段はもう少し離れたところで活動している」
三人は二人の会話に目を合わせる。サグが目で二人に”知っているか?”と尋ねるが、二人とも首を横に振って否定する。どうやら島長と違って島の大人たちもあまり知らないようだ、ざわざわと”知っているか?””いや?”などと話し始めている。
「騒ぐなお前たち! 知っているのが普通だ! 我々の島が田舎故に知らぬだけの話!」
島長の喝で全員が黙る。
「失礼しました、してこの度は何用で?」
「オリアーク・ウィスト、この名に覚えは?」
サグの心臓が大きく跳ねた。隣にいる少女が毎日のように言っていた名と自身の姓。耳が、神経が、より話を取り込もうと集中していくのを感じる。興味が加速していく。心臓の鼓動が早く強くなっていくのがよくわかった、木を伝って二人も感じているのではないかと思うほど、強く、うるさい。
島の集団から一人が島長の隣に立つ。サグの父親だ。
「オリアークは俺の祖先だ、ここで名前を出すということはあの伝説に用があるのか?」
「……そうか……それではウィストの名を持つ人間か……」
「そうだ……一つ聞かせてほしい、なぜオリアークの話を知っている?」
「オリアークの冒険譚は神軍も長く研究している、君たちが思うよりもずっとね」
「ほお……」
少し距離があったため正確にはわからないが、サグには父がカルモという男を訝しんでいるように見えた。表情と目つきが嘘をついた時にしたものと似ていると感じたのだ。もちろんあの時よりは圧倒的に鋭かったが、似ている。
「何か?」
「正直驚いている、オリアークの伝説はもはやこの島にしか残っていないと思ったからな」
「ええ、事実我々以外ではこの島しか知りません」
突然、サグの肩がバシバシと叩かれた。少し無視をしたが、痛みとしつこさに耐えかねて手の方を向いて小声で言った。
「何するんだよテリン!」
わずかに芽生えていた怒りは一瞬にして消し飛んだ。それほどに目の前の少女の顔は真っ赤だった、りんごだってトマトだってここまで赤く無い。
サグに止められた手は今度は握り拳になって、マラカスのように振り回して興奮を訴えている。
「すごいすごい! 居たんだ! 居たんだよ! オリアークを研究している人たちは!」
目はキラキラと光って楽しそうにしている。サグは話を聞くだけ、エボットは全くの興味なしと、今まで自分一人しか興味がないという状況だった。それだけにテリンの喜びは大きいようだ。
テリンから興奮の目を向けられているカルモに、サグは理不尽にも小さな嫉妬をぶつけてしまっていた。全てを察しているエボットは一人小さく楽しそうに笑った。
「そうか……で結局用は?」
「用はたったひとつ、オリアークの冒険の資料、情報、全てを提供していただきたい」
「ダメだな、渡せん」
即答だ、初めて丁寧な言葉で話したカルモの言葉を、父は無慈悲に一蹴した。
そんな様子に、神軍の誰もが意外そうな顔や驚きの顔をしていない。
少年たちはまた違った意味で驚いた表情をした。
「聞いた?」
サグがつぶやいた。二人とも目も合わせないで、からくり人形のように無機質に、首を一回縦に振った。
サグの父の言い方は、こう取れる。『オリアークの資料はあるが、渡せない』と。
「あるの……? オリアークの冒険の資料」
テリンが無意識でつぶやいたようだった。どんな表情をしているかなんて確かめるまでもないし、サグ自身首を動かすことができない。まるで全身の筋肉が固まってしまっていたかのようだ。
少年たちは気づかなかったが、向き合う二人の空気はピリピリし始めていた。というよりもサグの父の方が一方的にピリピリし始めている。対照的にカルモは少しだけ俯いて表情が窺いにくい。
重い頭をなんとか支えるかのようにカルモが重々しく頭を上げた。表情は極めて真顔だった。まるで作ったかのように固められた真顔だ。
「どうしても……と頼んでも?」
声には一切の震えや動揺はなかった。毅然とした態度で手を父へと向けて聞いている。だが父の方は一切表情も態度も変わらない。
「ああダメだ、それだけは出来ない、絶対に」
答えを聞いた瞬間にカルモの表情がひどく歪んだ。悩んでいるような苦しんでいるような表情をしている、さっきまでは常に真顔だっただけに、サグにはそんな様子が酷く気になった。そしてサグは歪んだ表情の中にまた別の感情を見出していた。それは”憎悪”なぜかほんの少しだけ、そんな気がしたのだ。
父はカルモの表情を気にすることなく続ける。
「だいたいそんなものをどこで知った?普通は知る由も無い話だ」
「………」
「答えろ、そうでなきゃ眠れん」
父の声は、僅かながら怒気を孕んでいた。
相手は黙っている、だというのに今までよりも強い緊張が空気が場を包んでいく。第三者の自分達だからこそなのだろうか、余計に感じ取ることができる、恐怖にも似た感覚、肌を小さな針で無数に突かれているような嫌な緊張感がする。
神軍の集団から一人が前に出た。空気なんて気にすることもなく、カルモの前を堂々と歩いている。
「待てレイゴス!」
カルモが鋭く叫んだ。
「やめてくださいよ隊長、神命を果たすのが俺らの役目でしょ」
男はカルモの言葉を一切気にすることなく、何歩か進んでサグの父親の前に立った、そしてビシッ!と勢いよく指を指す。
「こいつが言った、渡せないと、んじゃ資料は”ある”で確定、それでいいでしょ」
「なんだ? 急に失礼だな、だれが
一瞬だった、一瞬で父の首は地面に落ちた。悲鳴は上がらない、驚きと恐怖に表情は固まった。そして脳の片隅に残った理性がここにいることを気づかれてはならないと、必死に声を出そうとする喉を押さえつけていた。
男はまっすぐに剣を街の方へと向けた。
「同胞たちよ! 神の言葉は正しかった! この島は神に背きし神敵なり!」
まるで詠っているようだ。両腕を大空へ広げ、大袈裟なアクションで叫んでいる。
「資料の奪還を最優先にせよ! 神に背いた島民を皆殺しにし! 家々を探し尽くせ!」
神軍たちが剣と銃を抜く、殺気が目に宿り、神軍たちの雰囲気が豹変していく。レイゴスと呼ばれた男が腰から拳銃を抜いた。真っ直ぐに向けられた島長は動くこともできずに驚いていた。
「神命を! ここに果たせ!!」
「おじい
「きゃあああああああああ!!!!」
「うわあああああああああ!!!!」
弾丸が島長の頭を貫いた。それを引き金に悲鳴と逃げる足音がした。そのおかげでテリンの声はかき消された。
島長と共に集っていた島の男たちは次々に斬られていく、見たこともない恐ろしい光景に三人の顔は青くなり汗が伝う。
「何……これ」
テリンの弱々しい声がした。目の前の光景に呆然としてしまっている。チラリと目を見るが、その目には冒険譚の話をしていた時の光は一切無い。だが逆にテリンのその様子がサグに活力と行動する力を与えた。呆然とするテリンの手を握った、強く、硬く、この世界に繋ぎ止めるかのように。
「行こう!」
サグの言葉はどこを指していたのかはわからなかった。しかしまずどこかへは行かなければならない、なんとなくそんな感覚がした。
木の上から飛び降りてもう一度街の外周を周り港まで一直線の通りに出る。
いつもならばこの通りに顔を出した瞬間見える光景、夕食を買い出しに行く主婦、雑談を楽しむ知り合いたち、人にぶつかるなんてあんまり気にすることもなく走って遊ぶ子供達、平和でいつも通りな光景、それが見えると、愚かしくも信じていた。
飛び込んでくる光景は、逃げ惑う知り合いたち、剣を振る黒服たち、聞いたこともない乾いた大きな音、赤、赤、赤、赤、赤赤赤赤赤
平和な日常は赤に塗りつぶされて消えていく。三人はもう何も考えられない、脳があまりの混乱と絶望に思考を放棄してしまった。
再び脳を動かしたのは、頬に走った乾いた衝撃。平手打ち。
「痛って!」
声が思わず漏れてしまう。サグの声で両脇の二人も意識を戻す。目の前にいたのはサグの母親だった。
「母さん!」
「三人とも! こっちへ来なさい!」
「えっ?」
「早く!!」
母に手を引かれるまま、街から離れて走ってゆく。
目指す場所はすぐにわかった。街から外れた場所にあるサグの家だ。昔から不思議だった街外れにある自分の家。こんな心境で帰りたくはなかった。
母が扉を蹴破るように乱暴にあけた。そして玄関にいつも立てかけてある斧を握り、家の真ん中にある木製のテーブルを、斧で叩き壊す。
「母さん!?」
驚く声も無視して母は次に床板を壊した、斧の一撃で床板は凹んで歪み、歪みから斧を引っ掛けてひっぺがす。場所には土では無く、空間があった。人が入っていけそうな底の見えない穴、その横に木箱がさらに木で固定して置かれていた。
固定に使われている木をまた斧で破壊する、さっきとは違って木箱が傷つかないように少しだけ丁寧に。すぐに取り出された木箱には斧で取り出した割に大した傷もない。母はそれをサグに押し付けた。
「これって……?」
「これはオリアーク・ウィストの冒険の資料」
驚きにまた目を見開いた、特にテリンが。伝説でしかなかったオリアーク・ウィストの資料、今でなければ目を輝かせてテンションを上げていたことだろう。
「エボットくん、船の操縦は?」
「基本は全部父さんに」
驚きつつ答えたエボット、こんな時に何を!と思うが母の目は至って真剣で何も言えない。
「OK、ならその穴から脱出しなさい、行けばわかるわ」
「母さんは?」
「母さんは行けない」
「どうして!!」
「やるべき事があるから」
「ダメだよ! 行こうよ! 殺されるよ!!! 母さん!!!」
まるで子供のようにサグが喚いた。法律上は確かにサグも子供で間違いないが、行動が年齢と合わないほどに幼稚だ、まるでショッピングモールでおもちゃをねだる幼児のよう。
「サグ」
息子の言葉を遮って、母の目が強くこちらを睨んだ。決して鋭くは無い、しかし一切の反論を許さない強い目。こんな目を向けられてはもう何にも言えない。ただ頷くことで精一杯だ。
母が震える手でサグの肩を強く握った。それでも目は強く優しく、そして厳しく見える。
「いい?これから先は三人で生きていくの!何があっても!助け合って生きていきなさい!」
そのままサグを穴へと突き飛ばした。警戒しないまま後ろに飛ばされてしまったサグは、背後の穴にそのままの姿勢で落ちた。
「「サグ!!」」
「行きなさい……」
二人は穴を見てから首だけ動かしてサグの母を見る。テリンはすでに大粒の涙を流してしまっている。
「生きなさい!!!」
叫びに押されて二人は穴へと飛び込んだ。家には母一人しかいない。
心が凪いでいた、やり切った時の達成感?命の危機がすぐそばに迫っている恐怖?感じるのはどちらでもない。最後を感じた時の無気力、それこそ今感じている凪の正体だった。
窓のそばに置かれている棚の上の三つの写真立て、立ち上がってそばに行く。
自分と夫の結婚の時の写真、今よりも若い自分が真っ白のドレスに身を包んで嬉しそうに照れ顔の旦那とハグをしている。
愛しい息子が生まれたばかりの写真、色も量も薄い自分と同じ空色の髪をした息子、疲れた顔で泣き笑いして小さな体を抱きしめる自分。
家族三人で映る写真、おもちゃ片手に眩しい笑顔でピースをする息子、そんな息子を抱き上げる夫、隣で笑っている自分、幸せの証だ。
棚を引き出す、中にあるのは生活に使っていたたくさんの雑多な物、少しだけ漁ってナイフとマッチを取り出す。簡単に擦って火をつけ、最後にもう一度だけ写真を見つめた。自然と自分の顔が微笑んだことがよく分かった。棚へとマッチを放った、二本、三本とマッチを擦って家の適当に離した場所へと放る。当然ながら木造の家はすぐに炎に包まれていく。
家の真ん中に立って、両手で握るナイフに力を込める。決して、生き残ることがないように。確実に終わらせられるように。息を整えて、覚悟を決める。時はきた。
喉をまっすぐにナイフで貫く、ナイフは貫通し喉を貫いた。体から力が抜けて無造作に床に崩れ落ちた。頭がぼやけて、霞んでいく。暑さも何も感じず。消えていった。
「うわああああ!!!」
三人は暗い穴を滑り台のように下へと落ちていた。光など見えない、曲がっているのはわかるがどこへなんて知る由も無い。叫びながら落ちていくばかりだ。
やがて光が見えた。外の光だ。
滑り台のような状態から放り出されて少しだけ宙に浮いた、だがまたすぐに落ちる。尻餅をついたのは木製の床。
「ここは…?」
はじめに声を漏らしたのはエボットだった。
周りを見渡す、簡単に理解できることはここは島の地下に造られた、たった一隻のための港であること。そして自分たちが落ちたのはその一隻の船であること、それくらいだ。
キョロキョロと辺りを見回す、船の型はエボットもよく知っているメジャーな物、唯一目立つのは、甲板の真ん中で伸びているマストだけだ。
型が同じならば、とりあえず操縦はできそうだ。
「おし、すぐに脱出しよう」
「だね、これ以上ここにいられない」
二人は一つ妙なことに気づいた、サグの様子だ。静かにただ静かに、落ちてきた穴を見つめている。渡された箱は足元に置かれたままだ。
「サグ!」
エボットの叫びにサグは振り向く、表情は痛々しく悲しみに歪んでいる。次に出す言葉を飲み込みかけてしまう。
しかし、ここで言わねば、さっきまでの逃げがなんだったのかわからなくなってしまう。
「ぼけっとしてんじゃねぇ……おばさんの言葉を思い出せ」
「無理だよ……死ぬんだ……ここで……」
エボットは勢いに身を任せ、一歩を踏み出す。そしてサグの肩を思いっきり掴んだ。
「生きるぞ!! おばさんを無駄死ににするな!!!」
死というワード、叩きつけられた現実、厳しい親友の言葉が、壊れかけていたサグの体を動かした。
ようやく理解した現実に涙が溢れ出したが、サグの瞳は活力に溢れている。
サグは船内に入りエンジンを動かす、テリンは船の先頭に立って先を見る、エボットは船の操縦室に入り舵輪を持つ。
船が小さいおかげでたった三人でもギリギリ操縦できる。
「いくぞ!」
エボットが船を発進させた。地下の空間から広く青い空へ、地獄と化した島を背に船は空を進んでいく。
平和な島から広大で果てなき空へ、少年たちは理不尽で恐ろしい運命に巻き込まれていった。