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夢の続き【番外編】  作者: 灰猫
【目映い軌跡】桃谷翔太
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7.浮かぶ疑問は、(天恵7年5月中旬)

 この間の記録会から、あっという間の四週間だった。

 選手選考のタイムトライアルで撃沈したり、それなのに八百メートルの選手に選ばれたり。翔太にとって驚きの連続だった。久蓮は相変わらず、あのキレイな走りの片鱗しか見せていないし、いつの間にか蒼はまた、苦しそうな目をして練習に取り組んでいた。


 そんなこんなで、迎えた最初の大会――北海道インカレ。

 しとしとと降る雨が、静かに世界を包んでいる。それでも、会場となっているこの角山競技場には、大会特有の喧騒と緊張感が漂っていた。初日の今日は、千五百メートルと五千メートルが行われる。つまり、翔太は応援だ。やがて聞こえたスタートの合図に、翔太は視線をトラックへと向けた。


   *


――――だめだ、()()()()はちがう!


 翔太は一人、アーケード下へと走った。きっとそこに、蒼がいると信じて。


「くそっ」


 はたしてそこには、翔太の予想通り、蒼がいた。暗いアーケード下で独り悔しさを吐き出して。

 そんな姿を見ていられず、翔太は声をかけた。振り返った蒼は、不機嫌そうにこちらを睨んでいる。苛立ちを向けられても、翔太は怯まなかった。そんなことよりも強い疑問が、その心を支配していたから。


「ねぇ」

「なんだよ」

「どうして走らないの?」

「は?」

「走ればいいじゃん。走りたいならさぁ」


 翔太は静かに問うた。()()()()()()()()()() ――それが、翔太の疑問。蒼があんなに、心の底から求めているはずの、()()。それなのに、蒼はなぜそんなにも、怯えた――寂しい目をするのか。

 聞き返す蒼の言葉は鋭く尖っている。けれども、翔太は踏み込んだ。例えそれが、――彼を怒らせることになろうとも。


「お前に何が分かる……!!」


 案の定、怒りに任せて胸倉を掴んでくる蒼だが、翔太に怖れはない。だって、それが八つ当たりだと、蒼は気づいている。それに――。


――――そんなに傷ついた瞳で睨まれたって、怖くない!


「こらこら。――そのくらいにしときなさいな」


 ぴんと張り詰めた空気感を破壊する、柔らかい声が響いた。声の主が久蓮だということに気づいた時には、同じくそう気づいたのであろう蒼も、翔太を離して彼に向き直っていた。

 そして、久蓮の視線がこちらを向いたかと思うと、彼はひらひらと手招きをした。


「モモ。お前、明日があるんだから、身体冷やすな」

「せんぱい……」

「ベンチで暖まってな。すぐ行くから、さ」


 告げられたのは、そんな言葉だった。そうだ、あんまり疲れることはしてはいけない。ここは、寒いから。これは、久蓮の気づかい、だ。それでも、こんなところで独り落ち込む、蒼が心配だった。

 翔太は余程、不安そうな顔を見せていたのであろう。久蓮は、翔太の頭をさらりと一撫でしてそう続けた。その笑みには、翔太を安心させる柔らかさがあった。翔太は一つ頷くと、全てを久蓮に任せてベンチへと戻ることにした。


   *


 昨日の強い雨が嘘のような快晴のなか、迎えた北海道インカレ二日目。初めのレースは八百メートルである。つまり、翔太のレースだ。


「緊張するんだな、お前でも」

「……はい……」


 スタート地点で三人、固まってコールを待つ、そんな時間。周りの選手たちの緊張感が、手足の先から翔太の身体へと入り込んでくるようだ。裕也に声をかけられた翔太は、言葉少なく返事をする。けれど、その返事すらも情けなく掠れてしまう。


――――うまく、走れる……かな。


「よー、皆サン、元気してる?」


 不安に後ろ向きな感情があふれ出しそうになったとき、唐突に響いた場にそぐわないほどに明るい、よく聞き知った声。振り返ってみとめたその姿に、翔太は安心して身体の力を抜いた。


「モモ」


――――!!


 声の主――久蓮は主将然と皆に声をかけ、そして最後に翔太へと耳打ちをしてきた。その言葉に、翔太は目を見開いて、強く頷いた。

 とん、と。久蓮に押されて蒼が翔太の前へと出て佇んだ。


「その……昨日は悪かった……。……頑張れ」

「うん!!」


 長く言い淀んで、目を逸らしながら告げられたそれに、翔太は強く勇気をもらった。

 やがて、コールがかかり、選手たちはトラック内へと向かっていく。翔太もそれに続いて勝負の舞台へと足をかけた。もう迷いは、――ない。


   *


 パァン。

 辺りに、スターターピストルの乾いた音が鳴り響き、レースが始まった。一斉に走り出す選手たち。


――――"いいか、モモ" 。


 翔太は、走り出す選手たちを追いかけながら、先ほどの久蓮の言葉を思い出していた。


――――"いいか、モモ。上手く走れなくたっていいさ。今日のポイントは二つ" 。


 顔は見えなかったけれど、その声はいたずらっぽく弾んでいた。浮かべているであろうその表情は、あのミーティングの時のそれに思えて、翔太はわくわくが込み上げてくるのを感じたのだ。


――――"集団の一番後ろで走れ" 。


 その言葉の通りに、選手たちの背を追って、早くもレースは二周目だ。この間の練習とは違い、身体にはまだ余裕がある。

 そして、バックストレートを走り終えようかという、そのとき――。


「モモっ、いけーっ!!」


 姿をみとめることはできなかった。けれど。頼もしい久蓮のその声は、確かに翔太に届いた。よく、聞きなれた彼の、常にない大きな声。それは、翔太のためにだけ出されたものだ。そう思った瞬間、身体が動いた。

 弾かれたようにスパートをかける。


――――"そして、オレの声が聞こえたら、とにかく飛ばせ" 。


 久蓮の言葉が、翔太の身体を突き動かしている。面白いほどにスピードが上がる。目の前には、()()()が見えていた。

 桃谷翔太、公式戦初レースは、八百メートル三位入賞という鮮烈な記憶として刻まれることとなった。

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