21.芽生えた心は、(天恵7年7月中旬)
「あお!?!?」
「っ――! 範昭さん、タオル! 部室まで運びましょう!!」
「っ、ああ! 翔太、昴さんと一緒に蒼頼む!」
「は、はい!!」
突然の蒼の転倒に、場は騒然とした。翔太の悲鳴が響く中、部員たちが慌てて蒼の元へと駆け寄っていく。次いで、荷物からバスタオルを取り出してきた範昭が、タオルを昴に手渡し、翔太に声をかけている。そしてすぐに、少し離れたところで立ちすくんでいる久蓮の元へと駆け寄っていった。
裕也は昴に促され、翔太と皆と共に蒼の状態を確認することにした。ぐったりと意識を失っている蒼は、頬を擦り剥いているほかは、そう酷い様子ではないように見える。
「おそらく、一時的に酸欠を起こしたのでしょう。かなりオーバーペースでしたから、少し無茶をしすぎましたね」
サークル棟へと蒼を運ぶ道のりにて、昴がそう言った。心配を含みつつも落ち着いた低い声は、不安にささくれ立った裕也の心を穏やかにしていく。そう感じていたのは、皆も同じであったらしい。サークル棟につく頃には、皆いつものように落ち着きを取り戻していた。
冷え切った蒼の身体をもう一度乾いたタオルで包み、乾いた服に着替えさせて、部室に敷いたストレッチマットの上にそっと寝かせた。すうすうと寝息のように穏やかな呼吸を繰り返す蒼。これならば一安心、あとは気が付くのを待つだけだ。そんな雰囲気がただよったその時、範昭と久蓮が館内に入ってきた。二人ともとっくに濡れ鼠だった。
「ノリ先輩! 久蓮さん! ……久蓮さん?」
「真平……」
「冷え切ってるじゃないですか!! 早く乾かしましょう」
「……ん」
真平が声を荒げて二人に近づき、強引にタオルを被せた。初夏にしては気温の低い今日だ、油断していては身体も冷える。風邪をひいてしまっては、目も当てられないだろう。
範昭と昴が、蒼と久蓮について会話をし、昴は久蓮を抱えシャワールームへと消えていった。そして、そんな彼らがすっかり乾いた服に身を包んで戻ってきた時、漸く真平が安心した顔をしたので、裕也もほっと息を吐くことができた。
「こーら、翔太! いつまでも濡れたままで居ないで、僕たちも着替えるよ!」
「え、は、はい!」
「そうだぞ。俺達が風邪引いたら、馬鹿みたいだろう?」
自分たちの事を棚に上げて声をかけながら、真平は着替えを取りに部室へと向かった。すっかりいつも通りの調子を取り戻した真平をみてくすりと笑う。同じように気配が揺れて、ふとそちらを見ると、大介もほっとした顔を浮かべていた。裕也は大介と顔を見合わせると、頷き合って着替えを取りに部室へと向かった。
*
二人で先に帰宅するという昴と久蓮を見送って暫く。裕也たちは、部室の外に待機して蒼の目覚めを待ちながら、ゆっくりと各々の課題を進めていた。もう大丈夫だという安心感から、そこに流れる雰囲気は穏やかだが、さすがにいつまでも気が付かないのは心配だ。そんな気持ちが芽生え始めたころ、状況が動いた。
「おーい、気がついたぞー」
部室の外に待機していた面々にとって待ち望んだその声が響いたのだ。なんとも気の抜けた声色で、範昭は皆を部室へと招き入れた。その時を首を長くして待っていた面々は、我先にと部室へと雪崩れ込んだ。柄ではないと思いつつも、裕也もその競争に乗っかるように部室へと突っ込んだ。仕方がないだろう、心配だったのだ。
「大丈夫? 蒼!」
「痛いところないか?」
「あー……ほっぺた?」
「お前、よくやったな」
「頑張ったよね」
皆がかける声に応える蒼は、ややぼんやりしているけれど、すっかり元気そうだ。やはり元気な姿を目の当たりに出来ると、安心の度合いが違うな、とどこか遠くで思いながら、裕也は皆にもみくちゃにされている後輩を見つめる。皆にもみくちゃにされている蒼は目を白黒させているが――当然だ。大事な仲間なのだから。
「――ま、なんにせよ」
「そうだよ! 水くさいぞ、蒼!」
「おれ達、もうチームじゃん?」
「協力するって! ちゃんと話してくれれば、さ」
「お前がそんなに帝北に勝ちたいってのも、言ってくれなきゃ、解んないからさ」
「久蓮じゃねぇからな」
「俺ら、頑張っちゃうよ」
しばらくして、ぱっと語調を変えた範昭に、真平が乗っかった。これがチャンスとばかりに、裕也も皆もその言葉に続く。怒涛の畳みかけに、蒼が目を見開いて嬉しそうに、けれど恥ずかしそうに目を細めた。
そんな蒼を見ていると、裕也の心に申し訳なさが募る。だって、蒼は、それだけ真剣だったのだ。皆に厳しい分だけ、いや、それ以上に自分に厳しかったのだ。限界を超えてまで、我らが主将の走りに追い縋るほどに。
「蒼……」
皆に聞こえぬほどに小さく、裕也は蒼の名を呟いた。範昭が「俺の予想」として前に語っていた、蒼の想い。それは、久蓮が帝北に勝ちたいのと同じように、蒼も勝ちたいのだということだった。蒼の高校時代の同期である、那須伊織が帝北学園大学にいるのだという。その彼とどんな関係だったのかは知らないが、独りで抱え込むことではないのだ。
けれど、どうして――、どうして、そこまで熱くなれるのだろうか。裕也は、自身の心に芽生えた「羨望」の感情を、もうどうにも抑えきれなくなっていた。




