17.できること、は(天恵7年7月中旬)
「ばぁか、蒼。このチームには、オレがいるだろ」
「――!」
悲痛に告げる蒼に、久蓮の返答は、冷静で、淡白だ。必死に言葉を紡ぎヒートアップする蒼に、余裕の表情を崩さない久蓮――本当に同じ話をしているのかと疑いたくなるほどに、二人の態度は対照的だった。
いつも通りの、不敵な笑み。気圧されたように息を呑んだ蒼は、けれども頭を振って言い募った。
「何言ってんだ! その、あんたが――」
「蒼」
その、瞬間だった。突然、今までとは違う強い調子で、久蓮が蒼の言葉を遮った。久蓮の言葉は、笑みに包まれて尚強い。まさに「帝王」然としたその態度に、皆が皆一様に気圧されて息を呑む。
「オレはね。やり方はいくらでもある思ってる。……けど、オレのやり方はコレ。もうずっと前から、そう決めてる。――そしてオレは、コレが一番正しいと思ってる。だから――」
愛おしい者に語り掛けるように、久蓮は言葉を紡ぐ。目を細めて言葉を切り、そしてゆっくりと微笑んだその顔に、誰もが惹き込まれた。
「――刃向かうつもりなら、いいよ、おいで。――ただ、それなりの覚悟を決めて、ね」
「――!」
にっこりと微笑んだその表情は、凄みさえ感じさせる――まさに"無敗の帝王"のそれだった。王者の笑みを湛える我らが主将の瞳に、昨日見た「煌めき」を見つけた裕也は目を見開いた。
この、反抗こそが――久蓮の望む展開だというのだろうか?
「覚悟なら。……もう、とっくの昔に決めてます」
「そう。――それで? お前の望みはなあに?」
蒼の静かな言葉には、重い決意が滲んでいた。我らが主将はというと、そんな蒼の言葉に驚くでもなくただ笑みを浮かべた。続きを促すように呟いた久蓮は、まるで蒼の反抗を喜ぶかのように、その声色に喜色を浮かべていた。
それでも尚、久蓮は蒼から「決意」の言葉を引き出そうとしている。
「僕が。あなたの代わりに八区を走ることです」
「蒼、それがお前の考える最善策?」
「ええ、そうです。僕たちが勝つためには、――あんたに八区は走らせない……!」
蒼は、怯まなかった。そして久蓮は、変わらない。裕也は、「待ってました」という幻聴を、確かに聞いた。鋭く久蓮を睨みつける蒼。空気は疾うに氷点下に落ち、張り詰めた緊張感に身動き一つできない。
「でも、オレは。オレが最適だと思ってる。だから――タダで譲ってやるワケにはいかない。解るよね?」
「譲ってもらえないなら、奪い取ります」
どうして、だろうか。どうして蒼は、ここまで、八区に拘るのだろうか?
昔の久蓮の活躍を知る――そして凡人の自分からすると、久蓮の八区は固い。いくら蒼がインハイ覇者だとて、そう思うのだ。それでも蒼は必死に食い下がる。それは、そのモチベーションは、一体、どこから来るのだろうか。向上心から? それとも、何かもっと、他の理由が――?
「……あはっ、はははっ!」
現実逃避の如く思考を飛ばしていた裕也の鼓膜を、心底可笑しそうな久蓮の笑い声が揺らした。純粋な嬉しさが滲んでいる笑い声に、裕也は唖然とする。蒼の反抗を、久蓮は心から喜んでいるようだった。
「……あー。お前サイコーだよ、蒼。――いいよ。相手してやる」
一頻り笑ってようやく落ち着いたらしい久蓮は、涙目を擦りながら告げた。そして、鋭く笑んで、一言。凄みを感じるその気迫に、蒼が息を呑む。ピンと張った緊張の糸に、裕也の背筋がぴりぴりと痺れた。
「でもまぁ、君はレース走ったばかりだから。すぐにってのはフェアじゃないやね。今週末とかどう?」
「なんでも構いません」
「最短区間すら十キロ近くあるんだ。八区を走るとなると、五千メートルじゃ、話にならないよな。――二十キロとかにしとく?」
「お前、さすがにそれはやめとけ」
ぴんと張り詰めたその雰囲気は一瞬で霧散して、すぐにまたいつもの彼が戻る。その変化の早さに、ついていけているメンバーがここにどれだけいるのだろうか?
まるで、悪戯でも囁きかけるように、久蓮は片目を閉じて告げた。そこで初めて、今まで黙して成り行きを見守っていた範昭が口を挟んだ。二人の視線が絡み合い、数瞬の攻防。先に口を開いたのは、久蓮だった。
「や。ダメ。二十キロだね。アンカーやるなら、たかが五キロや十キロ速く走れたって意味がない。――いいよね? 蒼」
「敗けません――絶対に」
「ん。本気でいくから、覚悟しといて」
範昭の言葉に毅然と告げられたのは、断固とした久蓮の意思だった。「勝手にしろ」とばかりに肩を竦めた範昭が再び静観の構えを見せたとき、蒼が決意のこもった頷きを返した。
――――凄いな。
純粋に、そう思った。蒼は、熱く激しい闘志を燃やしている。そしてその色は、満足げに笑んだ久蓮の瞳にも。これが、二人が天才たりうる所以だとしたら、裕也も皆も、その心根から既に及ばないと言うことだ――そんなこと、とっくに解っていたけれど。
久蓮はさっさと解散を告げると、踵を返して部室へと戻っていった。この場に、緊張と高揚の余韻を色濃く残して――。
*
立ち尽くす蒼の元へと、翔太、真矢、大介が近づいていくのを、真平と共に遠目から眺める。心配そうに声をかける彼らの言葉に、裕也は内心で頷くばかりだ。
久蓮信者といっても決して大げさではないと思うほど、あの記録会以後の蒼は、久蓮に心を開いていたというのに。
「別に。……ただ、僕はどうしても、帝北に勝ちたいだけです。あのチームに、――心の底から」
離れていても判る、蒼の強い決意。蒼の言葉を噛み締めるようにして、真矢と大介がこちらへと戻ってくる。
「いいのかね、これで」
「んー。とりあえず、怪我だけは気を付けないとですかね」
「だね」
真平と裕也のもとまで戻ってきた真矢が問いかけた。真平の言葉に、裕也は頷いて同意を示す。久蓮のあの煌めく瞳を信じて、この事態を見守るべき――そんな気がした。




