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夢の続き【番外編】  作者: 灰猫
【それでも、どこかで】富樫裕也
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15.凡才の嘆き(天恵7年7月上旬)

 蒼の様子がおかしくなったことに裕也が気が付いたのは、いつの頃だっただろうか。七月に入り、この極北の気候も大分と夏に近づいてきた。そんな中――先日までは、キラキラと顔を輝かせて、心底走ることを楽しみにしていた蒼が、今や険しい顔をして練習を重ねているのだ。その様子があまりに鬼気迫っていたので、裕也は酷く不安を覚えたのだった。

 そして、そんな感情を抱いたのは、裕也だけではなかったようで――。


「流石に、ちょっとねぇ」

「……はい」


 定められたメニューを走り終えて尚、独りトラックを駆けている蒼。部員たちはその姿を心配そうに見つめていた。

 どこか追い詰められたように走り続ける蒼の様子に、裕也は真矢と顔を見合わせて頷いた。このままでは、蒼もまた、怪我による戦線離脱の憂き目にあうことだろう。


「今日は、もう止めときな。蒼」

「どうしてです!?」

「明らかにオーバーワークだろ、お前」

「そんなこと――」

「ないとは言わせないよ?」


 さらにもう一本、と地面を蹴り出そうとした蒼へ、真矢と共に近づく。そうして声をかけると、蒼は苛立ちを露に突っかかってきた。その余裕のなさは、まるで北海道インカレの頃の彼そのままだ。

 裕也の言葉を否定しようとする蒼に、颯爽と現れた真平が割って入った。手元には、クロカン合宿で久蓮がリリースした「練習記録アプリ」。今日の蒼の記録は、お手本のような右肩下がりだ。無理をして走っているのだから、当然なのだが。


「落ちすぎ。……僕みたいに、なる気なの?」

「違います」


 しかし、悲痛な響きを孕んだ真平の言葉もまた、蒼の心には届いていない様子だった。「記録」という事実を前にして反論に詰まった様子の蒼だけれど、このままでは怪我をするという真平の指摘には、即座に否定を返した。苛立ちを隠さない蒼が病的なほどに、一途に目指すのは――記録、だろうか。

 その姿に、畏怖と共にいわれのない不安を抱いた裕也は、思わずその言葉を口にしていた。


「どうした。なんか焦ってないか?」


 その瞬間、蒼の瞳に憤りの焔が揺らめいたのを、確かに見た。


「なんか、……って。どうして、あんたらは――どうしてそんなに余裕なんですか……!」

「何?」

「全日に出るって……。最大の敵は帝北。全然、足りてないのに……!」


 蒼のあまりの剣幕に気圧されながらも、裕也は眉を寄せた。蒼の言葉はまるで、蒼以外の部員たちが努力を怠っていると責め立てるような響きをしていたからだ。

 才能のない凡人を突き放すような言葉――それが蒼の本音なのだろうか。三か月を共に過ごしてきて、裕也には、蒼がそういう主義の人間だとは思えなかったのだが――。


「皆しっかりやってんだろ」

「それじゃ足りないって言ってるんですよ! 僕はっ!」

「どうしたのさ、あお!」

「お前、この間からちょっとおかしいぞ?」


 ともかく、蒼の言い分は解った。蒼は、久蓮の掲げた目標のために、全身全霊で応えようとしているのだ。最大の敵――帝北大の実力は目の当たりにした通りだ。焦る蒼の気持ちも十二分に理解できる。

 けれど、だ。つい先日まであんなに楽しそうに純粋に「走ること」「競い合うこと」に没頭していた蒼のこの変わり様は、とても納得できるものではなかった。


「おかしいのは、あんた等の方だ! ――このまま久蓮さんにおんぶにだっこでいいのかよ!」

「そんなこと……」

「思ってないって言うならもっと必死に走れよ」

「研鑽なんて人それぞれだろ」

「蒼……」


 心配に傾いていた感情は、蒼の一言で、怒りにすり替わった。蒼は、極北の皆が必死に走っていないと、本気で思っているのだろうか。必死に走っていたからこそ、真平は怪我をした。皆だって、裕也だって、決して無為に過ごしているわけではない。

 その勝手な言い草に込み上げてくる怒り。それに合わせてかつての怪我の記憶が蘇った裕也は顔を顰める。もうとっくに治ったはずの右脛が、じくりと痛んだ気がした。


「お前、自分が一握りだって解ってる? 何でか今年ウチにはたくさんいるけどさ。普通、そんないないもんだろ。天才なんてさ」

「それが何だって言うんです」

天才たち(お前ら)がベストを一秒縮める間に、俺らが五秒縮めても、お前は俺らが努力してないって言うのか?」

「それは……。でも――」


 蒼がとても一生懸命に練習に取り組んでいるのは、知っている。ずっとこの目で見てきたのだから、当然だ、それでも――あまりにも天才()の視点に寄っているその発言は。心に刺さった。

 誰もが、蒼のように練習を積めるわけではない。速くなりたくない人間なんてそうそういないだろう。ただ、ムカついたし、悔しかった。それは、図星だったからだとは思いたくはないが――。


「何揉めてる」

「ノリ先輩」


 怒りの熱を帯びたやり取りに、範昭の冷静な声が割り込んできた。集う面々の顔をぐるりと見回して、範昭は溜息を吐いてそう告げた。


「どっちの言い分も解るがな。"オレは君達に楽しんでもらいたい"――奴はそう言うぞ」


 範昭の言葉で、ヒートアップしていた面々は、毒気を抜かれた。確かに、それは久蓮の言いそうなセリフだった。

 その場にいた誰もが、目を見開いて納得する中、蒼は独り眉を寄せる。そんな蒼を見た範昭はがしがしと頭を掻くと、蒼を掴んで踵を返した。


「こいつ、貰ってくぞ」

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