5."ゴール"の匂い(天恵7年4月下旬)
「やっぱり、すごいひとだ」
株で儲けてしまうのも――翔太にはそれの難しさは正直ピンとこないが、すごいということはわかる――、そこらのお店よりもおいしいご飯を作ることが出来るのも、そして――。
記録会の翌日、その夜中。久蓮の家から自分の家への路を一人歩きながら、翔太はひとり呟いた。その言葉は、零れ落ちて周囲の暗闇に溶けていった。
思い起こすのは、直前までの冷めやらぬ興奮。無理矢理、けれど自然に引きずり出されたその感情は、リーグ決勝前夜のそれに似ていた。
先程まで行われていたのは、部活のミーティング。ただのそれとは思えないほどの興奮は、すべて彼――篠崎久蓮が生み出したものだ。
*
「さて。そろそろ反省会を始めようか」
ふわりとしたいつもの雰囲気を一変させた久蓮は、威厳さえも感じさせる強い存在感で話し始めた。
「で、だ。君たちの言いたいことは分かる。"何故、このタイミングで全日出場なのか? "、"本当に勝てるのか" だろ?」
翔太には、"極北大が全日出場すること"が、どれだけの意味を持つものなのかは、あまりわからない。強いて言うなら、高校時代、国立を目指したのと同じようなものなのだろうと理解しているだけだ。けれども、皆の雰囲気は、久蓮の言葉を肯定しているようだった。
「ひとつずついこう。まず、"何故、このタイミングで全日出場なのか?" ……それは、オレが全国の舞台へ行きたいからだ。――君たちと」
その台詞には、その表情には。ひとかけらの迷いさえも見当たらなかった。
「オレたちは、それぞれの事情を抱えてこの極北大にやって来た訳だ。何かから逃げ出した奴。闘うことを辞めた奴。闘いの舞台を敬遠した奴……。だが、君たちはここにいる。オレの提示するキツい目標に真摯に取り組んでまで。――君たちは、多かれ少なかれ、走ることの魅力から逃れられなかった人間だ。どうだ? このまま終わりたいか?」
そう言い放った久蓮は、向かい合う一人ひとりを見ていく。強く鋭く、闘争心を剝き出しに笑む、その表情に、翔太は自身の想いを引きずり出された。
――――おれの、事情は……。
サッカーが物足りなかったわけではない。いつだって、サッカーは自分を熱くさせてくれた。けれど、それよりも更に上を――上の何かを。ただ、翔太は掴みたかった。最高にワクワクする何かを。きらきらと輝く何かを――。
「少しオレの昔話を聞いてくれ。オレは昔、テレビの向こうのあるランナーに憧れて、陸上の世界に飛び込んだ。燻っていた当時のオレは、ライバル達との駆け引きを心の底から楽しんでいる彼を見て、こうありたいと願ったんだ。それからは……色々あったが。今も、オレは求めて止まない――」
目を伏せて、噛み締めるように、彼は話す。紛れもない本心なのだと分かる、それ。その言葉は、聞く者を惹き込む何かがあった。
ふと、久蓮が視線を部員たちへと向けた。
「君たちは、何故陸上を始めた? そして……どんな夢を見た?」
キラキラ、どころではない。ギラギラと熱い焔を湛えている、常にない篠崎の瞳。その瞳に貫かれて、翔太は目を見開いた。
「他でもない、君たちと見たいんだ。誰もが一度は描いたであろう、夢の続きを」
――――夢の、続き……!
ぞくり、と。翔太は、全身に駆け巡る、電流にも似た興奮を感じた。いつだって求め続けた、自身を熱くする、抗えない大きなうねり。喜びのあまり叫び出すのを、翔太は必死に我慢しなければならなかった。
――――間違ってなかった。間違ってなかったんだ!
翔太があの日感じたものは全部、間違ってなどいなかった。このひとに付いて突き進んだその先には、きっと。今までにも感じたことがない程の"わくわく"が、待ってる。そう確信させる、衝撃だった。
「――さて。と、いうことで、皆にはきっちりレベルアップしてもらうよ」
そう言って話を続ける久蓮。紡がれるその言葉は、皆を鼓舞して駆り立てる。
にやり。そんな効果音が似合う悪い笑みを浮かべた久蓮に、上級生たちが騒めいている。中でも範昭など、若干顔が引きつっている。
「まあ、まずは道インカレだ。きっちり練習して、壁を恐れずに果敢に挑んでほしい」
久蓮の言葉に、それでもぬぐい切れない不安が揺れる、室内の雰囲気だ。険しい路なのかもしれない。けれど、たどり着けない路ではない。そう示された久蓮の指し示す路。
――――飛び込んでやる!
「大丈夫。――足りない分は、オレが走って埋めるから」
言葉と共に。ゆっくりと、不敵な笑みが形作られていく。その表情は、物語っていた。久蓮が、極大の勝利を心から信じているということを。翔太は目を見開いた。
――――ゴールの匂いがする……!
ゴールの匂い――それは、いつだって、FWとしての翔太を駆り立ててきた予感。その先に、シュートチャンスが、ゴールネットを揺らすボールの感触が待っている。ぞくぞくと駆け巡る興奮は、もはや抑えようもない。翔太は込み上げる想いのままに笑みを浮かべた。
*
通り抜ける風が、冷たく翔太の熱を冷ましていく。まだ寒い極北の四月の夜をゆっくりと歩いて、翔太はいくらか冷静になれた自分に気が付いた。
「ああ、だめだ」
――――これは、ダメだ。
翔太は単純な自分を反省した。あのとき、翔太は、こう思った。このひとに付いて突き進んだその先には今までにも感じたことがない程のわくわくが待ってる。
でも、それは、自身で"掴むもの" だ。久蓮におんぶにだっこでは、掴めるものもつかめなくなる。
「やるぞ!」
翔太は一人、闘志を漲らせた。




