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夢の続き【番外編】  作者: 灰猫
【それでも、どこかで】富樫裕也
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5.乖離(天恵7年5月中旬)

 冷たい雨粒を切り裂くように、赤いタータンの楕円を駆け抜ける。蹴り上げた水滴は空に跳ねて、再び地に落ちていく。

 

――――くそ、全然駄目だ……!


 僅か前を行く帝北大・極教大の選手の背を追いながら、裕也は悔しさに奥歯を噛み締めた。


   *


 今日は北海道インカレ一日目。今季初の公式戦だ。春雨降りしきるここ――角山競技場では、多くの選手たちが日頃の練習の成果を見せている。現在トラックで行われているのは、男子千五百メートル。極北大からは、裕也のほか、範昭、大介が出場していた。

 号砲と共に、雨を切り裂いて走る先頭に引き摺られながら、裕也も前に続く。共に出場している範昭と大介は、先行している。必死に身体を動かしているつもりたが、それでもどこか迷いがあるのだろう。


「結局……変わんないのかよ……!」


 隣を走る帝北の選手と鍔迫り合いを繰り広げながらも、裕也は悔しい気持ちを隠せなかった。こんなに悔しいと思うのに、裕也の身体は動かない。情けなくて、泣きたい。やがて、前を行くチームメイトがゴールをし、ベンチが喜びに沸いているのを、どこか遠くに感じながら走る。

 千五百メートル――四百メートルのトラックを、たった三周と四分の三周走るだけ。そんな短い距離なのに、これほどまでに差がついてしまうのか。


「――っ!」


 ラスト、あとほんの少しのところで帝北、極教の両選手がアウトコースから抜きにかかってきても、裕也は大して反応できなかった。そのまま競り負けた裕也は、息を吞む。

 

――――こんなにも、俺は弱いのか……。


 ゴールラインを割って、数歩。裕也はその場に立ち尽くした。誘導の係員に連れられてコースを出ても、黒く塗りつぶされた重い心は晴れない。額を流れ落ちる汗が止まらない。

 膝に手をついて零した言葉は、誰にも気付かれずに消えていった。


「……ちくしょう……」


   *


 重い気持ちは晴れないまま、範昭、真平、そして蒼が出場する男子五千メートルのスタート時間が迫っていた。一層強まった雨足に迎えられ、選手達が続々とコース内に足を踏み入れている。

 今、このベンチにいるのは、大介、真矢、翔太、そして裕也の四人だ。久蓮はこの場ではなく、どこか別の場所で観戦をしているようだ。


「――あ、」


 競技場内をぐるりと見回すと、第三コーナーと第四コーナーの間の位置で植木に背を預けて佇む見慣れた姿を見つけ、裕也は思わず声を漏らした。隣に座っていた大介が、ちらりと此方を見て不思議そうに首を傾げた。何でもないです、と首を振り、裕也は目を細める。

 未だ雨は降り続いている。にも関わらず、傘も差さずにそこに居る久蓮に、裕也は内心で文句を言った。

 

――――風邪ひいたら、どうするんです。


 久蓮は、今も昔も、人のことをよく見て、よく気にかけている。裕也からすれば、少々過剰なくらいに。そうして皆を気にかけて、気付けば悩みから掬い上げてしまうのだ。けれど、彼の眼中に、彼自身は入っていない――裕也にはそう思えて仕方がないのだ。

 そんな久蓮は、現在、絶賛不調真っ最中の新入生――如月蒼に意識を注いでいる。久蓮が絡めば、きっと事態は好転するのだろう。裕也にはそんな確信があった。


「……でも」


 なにか事情があります、と言わんばかりの登場に、この不調。久蓮はどうやって、あの天才を掬い上げるつもりなのだろうか――?

 ぱぁん――!

 そんな思考に沈む裕也をよそに、号砲が鳴った。降りしきる雨をものともせずに、一斉に選手達が楕円へと飛び出していく。会場の応援も、それを後押ししている。


「真平……!」


 裕也は思わず、己の同期の名を呟いた。相変わらずの、帝北大の独壇場に思えたこのレース。黒紫色に染め上げられた集団に、真平がしっかりと喰らい付いている。凄い、と目を剥いた。

 天性のスピードを持っている訳ではない、真平。けれど彼は必死の努力で、あそこまで上り詰めた。憧れの、「久蓮先輩」に近づくために。真平は、着実なピッチを刻んで、先頭集団の中で徐々に順位を上げている。


「真平!! いけ!」


 裕也は思わず声を上げていた。悩んでいた何もかもを捨てて、眼下の同期へ向けて。なんだかんだと悩んでみるけれど、結局、この同期の姿に、裕也は勇気づけられてばかりだ。


   *


 レースは早くも終盤に差し掛かった。果敢にも、東城皇と那須伊織――帝北大の二トップに喰らい付く真平。惜しくも競り負けたものの、堂々の三着でゴールした。当初から動きが固かった蒼はというと、更にペースを落とし、ずるずると下位に沈んでいった。本日二本目の範昭にすら競り負ける程の、大敗。

 漸くゴールしたその時点で、手元の時計では十五分十九秒。彼の全盛期からは考えられないタイムだ。


「やっぱり……厳しいでしょ。……これは」


 蒼のあまりの不調を目の当たりにすることになったこの結果に、裕也はぽつりと呟いた。現状、帝北大に太刀打ちできるのは、真平だけだ。ミーティングの時に久蓮が根拠として挙げた新入生二人は、未だ多くの不安を残している訳で。そして、久蓮自身も、未だその実力を見せていない――。

 あの、自信に満ちた久蓮の表情を見ていると、やってくれるのでは、と――そんな気持ちにさせられるのも事実なのだが。不安が拭えないのだ。そしてなにより。


――――俺という、荷物を背負ってまで……。


 このままでは、いけない。変わらなければ――。けれど、久蓮の提示する目標と現実とのあまりの乖離に、裕也は活路を見出せなかった。

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