28.結局、今が一番(天恵7年8月上旬)
ついにやってきた八月。月曜日ながら振替休日である今、駅伝前恒例のジンギスカンパーティー――「ジンパ」が行われる。僅かに陽が傾きかけた昼下がりに、部長の野々口と、唯をも含め、極北大陸上部員の面々は、理学部棟横の芝生エリアに集まっていた。
「さて、本日はお集まりいただきありがとう」
そんな久蓮の口上で始まった、今回のジンパ。久蓮が私的な予算で用意したので、テーブルの上に並んでいるのはいかにも高級そうな食材たちだ。久蓮が"とっておき"、というだけはある。
「ちょっとこれ、本当に僕らお金払わなくていいんですか?」
「ん? 要らないって。遠慮すんな」
「でもこれ、総額いくらしたんですか?」
「ナイショ♡」
「教えられない程エグい、と」
「知らぬが仏、というやつですね」
高級感に堪えられなかったらしい蒼が、恐る恐る久蓮へと問いかけ、久蓮に軽くかわされている。もとより、久蓮には費用を伝えるつもりはないのだろう。もちろん、真平とて、この高級感に慣れているわけではないのだけれど。
「いーよ。レース頑張ってくれれば」
「うーん。これは……頑張れそう!」
目を輝かせている翔太に、久蓮が嬉しそうに笑んだ。
けれど、久蓮が卒業する来年からも、このクオリティーを期待されても困る。そう思っていたのは真平だけではないようで、三年生たちが眉を下げている。けれど、すかさず昴と野々口がフォローを入れているのを見て、自分達のときも頑張ろう、と真平は微笑んだ。
「それじゃ、そろそろ始めましょ。二週間後のオレたちの活躍を祈って――かんぱーい!」
そう言って掲げられて久蓮のグラスには、烏龍茶の暗い琥珀色が揺れていた。
*
相変わらず食事を抜きがちであるらしい久蓮の皿に、皆で焼き上がった食材たちを積み上げてから、数十分後。真平は、一、二、三年生のメンバーと範昭と共に酒を酌み交わしながら、熱く陸上談義に花を咲かせていた。
「それでも、やっぱり至高はあの五千メートルですよ!」
「あー。まあ、そうだな。俺もそう思う」
「次はいつ見られるんですかねー。主将のあんな走り」
「昴さんも蒼もいるからな。案外すぐ見られるかもしれないぞ」
真平は、テンション高めにそう告げた。こればかりは譲れない。他にももっと記録が良いレースはたくさんあるけれど、今のところ、久蓮の至高のレースは、彼が一年生の夏のインターハイ、昴と競り合ったあのレースなのだ。
その意見に次々と同意が寄せられ、嬉しくなった真平はにこりと笑んだ。
「というか、蒼も大概だよ。あいつのインハイ見た? ホント、主将も斯くやっていう豪快な走り。――ってか、この間見たばっかだね」
「タイムこそ久蓮さんや昴さんには及ばなかったですけど、去年のレースは蒼の独壇場でしたね」
「ホント、なんで極北大なんかに来たんだか。俺らは僥倖だけどさ」
初めは真面目なフォームやレースの組み立ての話をしていたはずが、その話題はいつのまにか、高校・大学時代の久蓮や昴、そして蒼の走りについてに変わっている。そのことに、真平含め誰も疑問など持っていない。
ちなみに、話題の中心になった蒼は、自身の名前が出た時点で。顔を赤くして離れていった。その様子が、なんだか初々しくてかわいい。結果的に追い出す形となってしまったが、少し時間が経ってから範昭がニヤニヤと追いかけていったので、問題ないだろう。真平は、ちらりと蒼、そして久蓮の方へと視線を投げて、もう一度皆の方へと向き直った。
「自己ベストで比べると、昴さんに軍配なんだよね。十三分十五秒は流石にえぐい」
「久蓮さん、今年まで高校以来走ってないですからね……。高三で十三分二十一秒も十分化け物じみてます」
「主将が普通に箱根常連校で走ってたら、一体どんな記録が出たんでしょうね」
話が数字に及ぶ。五千メートルの自己ベストは二人とも、独走状態で別々に出した記録だ。もし、当時の二人がベストの状態で競り合ったとしたら。一体どんな記録が出るのだろうか。そんな都合の良いたらればを想像するくらいには、もう一度二人の勝負を見てみたいと思う。その想いは真平だけのものではないようで。
けれど、久蓮が極北大に進んだからこそ、今のこのチームがある。そう思うと、もし過去にもどっても、きっともう違う選択をすることは、真平には出来そうになかった。そう真剣に考えるくらいには、真平にとって極北大は大切な居場所だ。
「やっぱり――」
「げ、てめぇ。ちょっと酔ってんじゃねぇか!」
「まあまあ、範昭くん。落ち着きましょう」
「あんた、また、飲ませたな?!」
「ははは。判ります?」
さらに次の話題に移ろうとした裕也の言葉に被さるように、範昭や野々口たちの大きな声が響いてきた。いつの間にかお酒を飲んだらしい久蓮の陽気な声もうっすらと耳に入り、皆は顔を見合せ頷いた。
「あー! 先輩たち! なにやってるんです?!」
皆で、我先にと久蓮たちの許へと向かう。わいわいと明るいこの雰囲気こそが、極北大のカラーだ。真平は空を見上げ、大きく息を吸い込んだ。
――――大丈夫。皆で目指すのだ。叶わないはずがない。




